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第二章 針の筵の婚約者編

黒薔薇の君

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 休日を挟み、私は学校へ向かうために馬車へ乗り込んだ。これから出産準備のため、休学届を出さなくてはならない。

 チャールズ様と婚約した私は、結婚までの期間を実家ではなく、ウォルト公爵邸で過ごさなくてはならない……のだとか。

 結婚! この私が、チャールズ様と! どうしてこうなった!

 …いや、チャールズ様の子を身籠ったのなら、そうするのが当然なのかもしれないが、そもそも経緯からしておかしいのだ。私はカーク殿下の嫌がらせ(かどうかは今となっては不明だが)でベアトリス様を口説くよう命じられたチャールズ様に間違えられた。本来ならば、交わる事のなかった、まったくの赤の他人なのだ。
 昔から妹の引き立て役にしかならない、ぱっとしない容姿だし、どう考えても女性的魅力に欠けている。おまけにゾーン伯爵家は没落しても誰も困らないほど、ぎりぎり子爵に毛が生えた程度の力しか持たず、ウォルト公爵家からしてみれば何の旨味もない。

 そんな私がチャールズ様と婚約する事になったのは、単に堕胎を断ったから。…だけど一度は責任を取ると言う形で、結婚相手を探すと約束してくれたのだ。何も言わずに婚約を決めてしまうなど、納得がいかない。

 この休み中、サラからチャールズ様を誘惑しただの何だの散々詰られるし、父からは嬉しくない手柄を褒められるし。…アンヌ様とは会話していないけど。

 とにかく私は、チャールズ様にどう言う事か説明してもらうためにも、暗澹たる思いで馬車に揺られていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「アイシャ=ゾーンさんね? 貴女、一体どう言う事なのか説明して頂ける?」

 学校に着いた私は早々に女子に囲まれ、有無を言わさず空き教室に連れ込まれた。彼女たちは、チャールズ様親衛隊だ。貴女たち授業は……なんて、とても言い出せる雰囲気じゃない。

「休日中、ウォルト公爵家から正式に貴女を婚約者として迎え入れると発表があったわ。秋の式典の時にチャールズ様を誘惑したのは貴女ね?」

 私を窓際まで追い詰め、射殺さんばかりの目で取り囲む親衛隊の皆さん。
 ひぃっ! だからチャールズ様とは婚約したくなかったのよ。

「ゆ…誘惑なんてしていません! 私もどうしてこうなったのか、わけが分からなくて…」
「とぼけんじゃないわよ! なら貴女はチャールズ様には一切触れていないし、妊娠もしていないと、神に誓えるのね!?」

 いやまあ、それを言われると……事情が複雑過ぎておいそれと説明できないんだけど、少なくとも私が誘惑したかについては否定しておきたい。

「…この婚約は私が決めた事ではありませんので。詳細はチャールズ様にお伺いするのが筋かと」

 だが私が意見した事に激昂した彼女たちは、バチンと頬をつと髪を掴んで喚き立てた。

「生意気に意見するんじゃないわよ! ちょっと偶然、出来たからっていい気になって!」
「勘違いしてない? チャールズ様はベアトリス様がお好きなのよ。あんたなんて、ただの遊びなんだから!」
「勘違いなんて、していません! どう言う事かなんて、私が一番聞きたいくらいです!」
「皆さん、少し気をお鎮めになって」

 暴力を振るわれ、カッとなって声を荒げたところで、誰かが割って入った。親衛隊のリーダー格である、アンジェラ=フェイス公爵令嬢だ。
 アンジェラ様はにっこりと口元に笑みを湛えて、たれて赤くなった頬に手を滑らせた。ぞわっと鳥肌が立つ。

「ごめんなさいね、こんな一方的に手を上げるなんて……貴女にも事情がおありでしょうに。でもわたくしたちにとっても青天の霹靂で…分かって頂けるかしら」
「そ、それはもう……」

 アンジェラ様はチャールズ様の婚約者候補の一人と言われているが……様々な貴族が自分の娘をと推している事もあり(ちなみにリバージュ様もその一人)、なかなか決まらず難航していたと聞く。そんな中、妊娠の責任を取ると言う形で、ぽっと出の私が選ばれたとなれば、それは納得いかないに決まっている。

「よかった。わたくしたち女があれこれ気を揉んでも、最終的にはお父様たちに一任する以外にはないでしょう? だから難しい事は置いておきましょう。わたくしたち、本当にチャールズ様をお慕いしているのよ。貴女には、この気持ちだけでもご理解頂きたくて」
「……」
「そうよね、先に手を上げたのはこちらですもの。だから……最終的には御相子と言う形に持って行けないかしら」
「御相子……ですか?」

 にこにこと愛想のいいアンジェラ様からだんだん不穏な空気が漏れてくる。じっとりと汗をかいている自分に気付いた。頭が警鐘を鳴らしている。

「そう、喧嘩両成敗。この場で互いの気持ちをぶつけあって、それでこの話題はおしまい。ね、いい考えでしょう? 大体、嫁入り前に顔に傷を残すなんて、野蛮だわ。その事については、本当に悪い事をしたと思っているの。こう言う時は、目に見えない場所に……あら貴女、顔色が悪いわ」

 思い出した……アンジェラ様の異名は『黒薔薇の君』。ベアトリス様の『赤薔薇の君』に対抗したようなあだ名だが、確か由来は――

「わたくしたち、何も今のように一方的な糾弾をしたいわけではないのよ? ちゃんと公正に、わたくしも貴女をこの身をもって受け止めます。――気にする事はないわ。お腹と言うのは軽いダメージであっても痣が残りやすいもの。『黒薔薇のようだ』なんて揶揄されても、それがあの御方への愛の証ならばむしろ誇らしいの」

 そうだ、チャールズ様親衛隊の恐ろしさは、大勢で取り囲んで糾弾する事だけじゃない。こうして相手からも暴力を振るわれる事で女同士の喧嘩として手出し無用にさせ、最終的には心を折って向こうの方から離れさせる事だ。回りくどいが、一方的に虐められたと訴えられても、アンジェラ様のお腹には暴力の跡がしっかり残っているのだし、親衛隊としても脅したところで却って燃え上がると分かっているのだろう。まあ、圧力をかけているのには違いないけども。

「さ、遠慮なさらず。こう見えてわたくし、腹筋は鍛えておりますから、武人ではない御令嬢の腕力くらい、どうって事ないですのよ?」

 笑顔で迫るアンジェラ様に、私は顔を引き攣らせて後退る。暴力は振るうのも受けるのも嫌いだ。父から何かと理不尽な暴力を受けてきた私でも、今は……今だけは。

 ガシッと、後ろから親衛隊の人たちに羽交い絞めされる。

「!?」
「貴女お優しいのね、わたくしに先を譲って下さるの。ならばお楽しみは後で取っておいて、わたくしの想いから受け取って頂きましょうか。
…ねえ貴女、チャールズ様との結婚は気乗りしないのよね? でも望まぬ妊娠で、仕方なく嫁がなくてはならないのでしょう? でしたら憂いは断っておくべきだと思いません?」
「な、何をする気……」

 ニタァッとアンジェラ様の口が弧を描いたが、その目はまったく笑っておらず、視線は私の無防備になったお腹に注がれている。

(――まさか!)

「ご心配なさらず……貴女にはそれほど後遺症が残らないよう、手加減はしますわ。…ね」

 ぎゃあっ本気だ!
 アンジェラ様が窓際まで移動し、取り出した扇子で軽く窓枠を叩くとカンカンと金属音がした。どうやら特注の鉄扇らしい。そしてこちらに向かって、レイピアのような構えを取る。これは殴るなんて生易しいものじゃない、全力で突かれたら――ざあっと全身の血の気が引いた。

「や、やめて…誰か――!!」


 ガラッ

 そこに空き教室の扉が開き、全員の動きが止まった。
 チャールズ様が、いつもの愛想のいい笑顔で立っていた。

「チャ、チャールズ様……」

 こちらに突進しようとする体勢から慌てて取り繕うアンジェラ様。すごい変わり身の早さだ。羽交い絞めしていた人たちも、私を解放して戸惑っている。
 チャールズ様は一切表情を変えず、教室を見回す。

「何だか楽しそうな気配がするから、来てみたんだけど。私の事は気にせず、続けて構わないよ」
「い、いえ……」

 そう言うわけにはいかないだろう。憧れのチャールズ様の目の前で、身籠っている婚約者の腹を鉄扇で一突きなんて、令嬢でなくともあるまじき行為を。
 すると、ぞっとするような低い声がアンジェラ様を貫く。

「私の前ではできないような事を、婚約者に行おうとしていたのだね、君たちは?
フェイス公爵令嬢……『黒薔薇の君』だっけか。噂は聞いているよ。君の叔母上には昔、
「あ、あ……」
「女同士の事だからと今までは目を瞑っていたが、命に係わるほどの危害となるなら見過ごせない。正直言うと、ずっとうっとおしかったんだ」

 笑顔のまますっと目を細められ、親衛隊は真っ青になった。普段は女性に対して人当たりのいいチャールズ様が、ここまで言うからには、本気で怒らせたのだと伝わったのだろう。けれどアンジェラ様は尚も縋るように涙ぐんだ。

「そんな! わたくしたちはただ、彼女の振る舞いがチャールズ様の婚約者として相応しくないと……貴方のためを思って!」
「この件に関しては、完全に私に非がある。婚約はその責を負うものだ。相応しいかどうかは君たちが決める事じゃないし、私から頼んだ覚えもない。
これ以上言わせるつもりか? 迷惑だから消えて欲しい」
「!!」

 大仰に溜息と共に吐かれた言葉に、令嬢たちはショックで固まった。背後の啜り泣きにも構わず、チャールズ様はぽかんと呆ける私の手を取ると空き教室を出て行った。

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