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第二章 針の筵の婚約者編

幕間④(sideチャールズ)

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 ロバートからの調査報告を、私はすぐさまカーク殿下にお伝えした。アイシャ嬢に返事をするまであと二日。正直、私の頭では許容量を超えていて正常な判断はできそうにない。
 殿下は彼女の出生の秘密を興味深そうに聞いていた。

「なるほど…確かにそれは表に出せぬ話だろうな。何せ鬼女の目を掻い潜り、救世主と夫が不倫をしていたなどと、醜聞もいいところだ。その上、反逆者の血も混じるとあっては隣国も黙っていないだろう。個人的な事を言わせてもらえば、お前とベアトリスが親戚になると言うのも面白くない。
さて、お前の意見を聞かせてもらおうか」
「……産ませるわけにはいかない。今回の事は完全に私の失態だった。巻き込んだ上に元ルージュ侯爵夫人に睨まれる事だけは避けたい」

 脳裏に大人しくて気弱な少女の姿が浮かび上がる。どこにでもいる、地味な印象。ベアトリスの従妹だったなど、言われなければ分からないだろう。
 そう考えると、あの女狐の妙に親しげな態度も頷ける。

「…まあ、そうだよな。命令を出したのは俺だが、お前も詰めが甘かった。大変な事、どころじゃない。存在すら許されぬ王族を生み出す事になる」

 淡々と告げられる殿下の言葉に、唇を噛む。ウォルト公爵家は、処刑された王族の血を残すための一代限りの爵位だ。国家への反逆であれば我が祖父の時のように、一族郎党の粛清が行われてきたが、罪を犯した本人以外に情状酌量を、との声が上がった結果、公爵家は誕生した。
 よって俺も子を残す事自体は許されている。(残すつもりもなかったが)
 一方、ルージュ侯爵家との婚姻についてだが、これも問題はない。むしろネメシス本人が婚約者候補として自分の孫娘、リバージュを推薦しているくらいだ。つまりルージュ侯爵家由来で言えば、ベアトリスもアイシャも同じなのだ。

 問題となるのは、救世主ケイコ=スノーラの血。

「そう言うわけで、最近開発したと言う魔法薬ポーションを使いたい。ハロルド先生にも立ち会ってもらわなくては」
「ハロルドがいる前で、あの娘にルーツを伝えるつもりか?」
「まさか。私の事情だけにしておくよ」

 彼女がどの程度把握しているかは不明だが、わざわざ告げる事はしない。己の血がどれだけの爆弾を抱えているかなんて、無用な不安を煽る必要はないだろう。
 すると殿下は、思案顔で呟く。

「なあチャーリー…もしもだ。ゾーン伯爵令嬢がどうしても子を産みたいと言ってきたらどうする? 以前も似たようなケースがあっただろう」
「あり得ない。数回話しただけだが、私と関わるのも面倒だと言うのが態度に出ていた。隠していたつもりのようだが。それに、彼女はベアトリス嬢の従妹だ。あの女狐と敵対関係にある私の子など、本当なら産みたくもないはずだ」

 まだ何か言いたげな殿下だったが、私は強引に会話を打ち切り、サロンの使用許可を貰ったのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 王城の北側に位置する聖マリエール大聖堂の扉を開けると、厳かなパイプオルガンが鳴り響く。
 経典を読み上げていた私の育ての親、カーク殿下の伯母にあたるパメラ神官長は顔を上げると、柔和な笑みを浮かべた。

「お久しぶりね、チャーリー。学園生活は楽しい?」
「私の役目はカーク殿下の護衛です。楽しい楽しくないではないのです」
「貴方はそればかりね。顔色も悪いし、少し痩せたんじゃないかしら。これはカークにお説教が必要ね」

 笑みを崩さないままとんでもない事を言い出したので、慌てて殿下とは無関係なのだと弁解する。どうもこの御方の前では、すべてを見透かされている気がしてやりにくい。自分の弱さも、汚さも何もかも。
 案の定、神官長はそこを突いてきた。

「貴方の評判は聞いています。チャーリー、貴方は事あるごとに私やカークは関係ないと主張するけれど、私たちがどれだけ貴方を心配しているのかさえ、否定されるのは悲しいわ。お願いだから自暴自棄にならないでね」

 神官長の懇願には、曖昧に笑ってみせるしかない。この御方が母親としてどれだけ心を砕いてきたのかは知っている。だが、ダメなのだ。彼女は綺麗過ぎて、私の闇になど触れさせたくはない。


 その時。

「何だか興味深い話をしているようだね。私も混ぜてもらっていいかな…」

 礼拝堂の長椅子から、声が聞こえた。神官長以外はオルガンを弾いている神官しかいないと思っていたので、ぎょっとする。
 ゆらりと影のように立ち上がったのは、カーク殿下の兄君。スティリアム王国第一王子、キリング殿下であった。


 大聖堂を出た私は、部屋へ戻る殿下をお送りするために中庭まで付き添う。

「すまないね、神官長と積もる話もあっただろうに」
「いえ、いつもの挨拶程度なので構いませんよ。殿下は、お体の具合は…」
すこぶる良好だよ。君たちの学校の…実験クラブだっけ? あそこの魔法薬ポーションはとてもよく効く」

 とてもそうは見えない顔色だが、普段のキリング殿下はカーク殿下とよく似た顔立ちではあるものの、頬はこけて土気色、髪も艶がなく恐ろしく痩せていて、ただ双眸だけが爛々と鷹のように輝いている。いつも杖を手にしているが、今日は地面に突く事なくしっかりした足取りなので、確かに薬は効いていると言えた。

「カーク殿下は、兄君が快癒される事を望んでおります」
「ありがたいね。昔から体が弱いせいで、カークには面倒事ばかり押し付ける羽目になってしまった。婚約者との事も……あれからベアトリス嬢とはどうなっている?」

 嫌な名前を出されて眉間に皺が寄りかかったが、殿下が微笑みながらじっと見つめてくるものだから少し毒気を抜かれた。この方の耳に、噂は入ってきていないのだろうか。

「相変わらずですよ」
「頑固だなあ、あれからもう十年か……ベアトリス嬢も今や立派なレディだと言うのに、あの子の中じゃいつまでも幼くて生意気な少女のままなのだろうね」
「それだけ許せなかったのですよ。あの御方は兄想いですから」

 私がキリング殿下とベアトリスに初めて出会ったのは、ほぼ同時だった。あの頃からベアトリスの事は嫌いだったし、キリング殿下は実の兄のように敬ってきた。
 口元に笑みを湛えながら、殿下はどこか遠くを見るように目を細めた。

「弟は本当に優しい子だよ。ただ…それは、私人の優しさだ」
「は……私人、ですか」
「そう…人が人として当たり前に持つ慈しみ。それ自体は、とても尊い。
だがね、公人ともなるとそれだけではダメだ。時には気に入らない相手とも手を結び、大切な者さえ切り捨てる…カークは真っ直ぐ過ぎて、そう言った腹芸は不得意だ」

 キリング殿下の、私を見据える眼差しが鋭くなった。双鷹そうようの儀の事を責めているのだろうか。あの時もキリング殿下はいい顔をしなかった。単に、弟の命を犠牲にする事への反対だと見ていたが。

「まあ、あの子もまだ十七。今は大いに学ぶといいさ。…それは君もだろう?」

 謳うように問いかけられ、何の事かと首を傾げると、キリング殿下はカーク殿下そっくりの、人の悪い笑みを浮かべる。

「君は一度犯した過ちは取り返しがつかないと思っているようだが……私はそうは思わない。この世に完璧な人間などいないし、いるとすればそれは人間ではない。
だから何に囚われようと君の勝手だが、ほんの少し肩の力を抜くぐらいは許されるだろう」

 分かったような分からないようなありがたい御言葉に、ただ頭を下げておく。何となく、この御方にはアイシャ嬢の事までとっくに知られていて、揶揄されているような気がしてきた。
 それでも、さすがに人違いで妊娠させたなど予想外だろう。

 私は、許されない。
 だからこそ「」など生み出すわけにはいかないのだ。

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