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第一章 不遇の伯爵令嬢編
火花の飛び交う婚約者
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とりあえずこのまま外にいるわけにもいかず、私は殿下たちに休憩室へ連行された。その際、チャールズ様に生まれて初めてお姫様抱っこをされ、緊張のあまりカチコチに固まっていた。取り巻きや衛兵には箝口令が敷かれたが、あのお喋り大好きそうなお嬢様方が守るのかどうか……明日には噂の的になっているだろうな。
話をする前に、私はチャールズ様のメイドによって体を綺麗に拭かれ、新しいドレスを借りた。慣れたように何も言わずにさっさと身嗜みを整えてくれる様子に、いつもの事なんだなと察せずにはいられない。
休憩室には、殿下とベアトリス様、それにチャールズ様だけが残っていた。リリオルザ嬢はこの件には無関係だからとご学友の一人に頼んで送らせたのだとか。衛兵も部屋の外だし、これから機密事項が語られる気満々と言った雰囲気である。
「さて、早速だが本題に入らせてもらう。女……名を名乗れ」
あれ?? 殿下が一番気にしている所ってそこなの? 腹心の部下が婚約者に手を出そうとした事はどうでもいいのですか。まあ、殿下が心を寄せる相手はベアトリス様ではないのだけれど、それにしたって…
「どうした、だんまりか?」
「ひぇっ! え、えっと…ゾーン伯爵家長女のアイシャと申します。スティリアム王立学園の二年生ですわ」
ビシビシと打たれるような威圧を向けられて、萎縮しながらも淑女の礼を取る。こ、恐い……王子と言うかもう帝王だ。私、巻き込まれただけなのに何故こんな尋問みたいな事されなきゃいけないの?
「あんな人気のないベンチで何をしていた?」
「それは…つい飲み過ぎてしまい、休める場所を探していたのです。休憩室もありますけど、酔い覚ましに冷たい風に当たりたくて」
私はそこから、ベアトリス様とお会いして言付かったところまで説明した。すると殿下から、呆れたような眼差しを向けられる。
「まったく…女が一人で暗がりに護衛も付けずに入り込むとは。
お前もだぞトリス。今回は彼女が身代わりになってしまったが、俺の婚約者ともあろう者が己の身を軽く考え過ぎだ」
おっしゃる通りです……が、確かにベアトリス様にしては今回の振る舞いは軽率ではないだろうか。
「それは申し訳ありませんでした。殿下の信頼めでたいチャールズ様がおられますし、いざとなったら暴漢の一人や二人返り討ちにできる自信がございましたので、秘密裡に相談に乗ってやると言われるままに、お花摘みのふりをして一人でのこのこ中庭に抜けてきてしまいましたの。まさかこの私を手籠めにする算段を立てていたなんて、殿下のおっしゃる通り、貴方の側近を甘く見過ぎでしたわね」
扇子をパシッと手の平に叩き付けつつ、にっこり微笑むベアトリス様。ひえぇ! 殿下と彼女の間に、婚約者らしからぬ火花が!
にしても、返り討ちとは……令嬢であっても万が一の時のために最低限の護身術は推奨されているのだが、ベアトリス様は男二人が相手でも勝てるのか…勇ましいやら恐いやら。
「相談? 婚約者の俺にも言えない事なのか」
「その婚約者の周りに集っている蠅がうっとおしいので何とかならないかと悩んでいたところを、チャールズ様に持ちかけられましたのよ」
「おかしな話だ、今更虫の一匹や二匹愛でたところで、眉の一つも動かさぬ鉄面皮が」
「大人しく虫籠に入って頂けるのなら可愛げもありましょうけれど、最近殿下に良くない影響を及ぼしているようですので。
私が、『悪役令嬢』……なのでしたっけね?」
痴話喧嘩なら私抜きでやってもらえませんかね? バチバチッと張り詰めた空気が爆ぜるのを戦々恐々として見守っていると、続きを遮るようにチャールズ様が割り込んだ。
「それにしても、何故ベアトリス嬢は途中で席を立ったのだ」
「あ、それはたぶん……これのせいではないかと」
私はベンチから移動する前に回収しておいた小瓶を見せた。中に残っている液体は少量だが、零れないようハンカチで包んで持って来ている。
「ベアトリス様、匂いを確認して頂けますか? あの時体調を崩された原因だと思うのですけれど…」
ベアトリス様が小瓶を受け取り、顔に近付けて手で扇いでみる。すると、彼女の美しい眉がきゅっと歪んだ。
「この匂い! そうですわ。アイシャ嬢と座ってしばらく話している時、甘ったるいような匂いが充満していて気分が悪くなったのです」
「何だと!?」
チャールズ様が小瓶を引っ手繰り、鼻を近付ける。
「これは……」
「私は気分こそ悪くはならなかったのですが、あの空気の中では熱っぽくて力が入りませんでした。
推測ですが……媚薬の類ではないかと」
何となく、あの匂いが及ぼした効果でそう見当を付けたのだが、媚薬と言うのは飲まずに近くに置いておくだけで効いてしまう物なのか。また、人によって効果に差があるのかなど、気になる点もあった。
「まっ、媚薬!」
口元を扇子で隠し、チャールズ様に物言いたげな視線を寄越すベアトリス様。
「待て、こんな物が落ちていたなど、私は知ら…」
「俺が預かろう」
チャールズ様が噛み付くように反論しようとするのを、カーク殿下が鶴の一声で封じる。しぶしぶ差し出された小瓶を、殿下はハンカチでしっかり包み直した。
「俺の師のハロルドに聞いてみる。薬に関してはスペシャリストだからな」
「ハロルド先生は……魔法薬学の教師では?」
「この薬は非合法の可能性が高い。恐らく生徒が好奇心で調合した可能性もある。チャーリーにも心当たりがないようだし、洗い出しが必要だ」
それだけ言うと、殿下はさっさと退室しようとする。
あ、あの…チャールズ様の事は……?
そう聞きたいのは同じだったのか、チャールズ様が慌てて声をかける。
「殿下! この度の事は……」
ドアノブに手をかけた殿下は一旦振り向くと、僅かに苦々しさの混じった笑みを寄越した。
「言っただろう、チャーリー。お前の計画は失敗だ。婚約者が穢されていない以上、俺への不義は成立しない。お前がすべき事は……そこの令嬢へのフォローだな。精々お前たちでよく話し合う事だ」
そうして呆けたように聞く私たちを残して、バタン! とドアは閉められた。
話をする前に、私はチャールズ様のメイドによって体を綺麗に拭かれ、新しいドレスを借りた。慣れたように何も言わずにさっさと身嗜みを整えてくれる様子に、いつもの事なんだなと察せずにはいられない。
休憩室には、殿下とベアトリス様、それにチャールズ様だけが残っていた。リリオルザ嬢はこの件には無関係だからとご学友の一人に頼んで送らせたのだとか。衛兵も部屋の外だし、これから機密事項が語られる気満々と言った雰囲気である。
「さて、早速だが本題に入らせてもらう。女……名を名乗れ」
あれ?? 殿下が一番気にしている所ってそこなの? 腹心の部下が婚約者に手を出そうとした事はどうでもいいのですか。まあ、殿下が心を寄せる相手はベアトリス様ではないのだけれど、それにしたって…
「どうした、だんまりか?」
「ひぇっ! え、えっと…ゾーン伯爵家長女のアイシャと申します。スティリアム王立学園の二年生ですわ」
ビシビシと打たれるような威圧を向けられて、萎縮しながらも淑女の礼を取る。こ、恐い……王子と言うかもう帝王だ。私、巻き込まれただけなのに何故こんな尋問みたいな事されなきゃいけないの?
「あんな人気のないベンチで何をしていた?」
「それは…つい飲み過ぎてしまい、休める場所を探していたのです。休憩室もありますけど、酔い覚ましに冷たい風に当たりたくて」
私はそこから、ベアトリス様とお会いして言付かったところまで説明した。すると殿下から、呆れたような眼差しを向けられる。
「まったく…女が一人で暗がりに護衛も付けずに入り込むとは。
お前もだぞトリス。今回は彼女が身代わりになってしまったが、俺の婚約者ともあろう者が己の身を軽く考え過ぎだ」
おっしゃる通りです……が、確かにベアトリス様にしては今回の振る舞いは軽率ではないだろうか。
「それは申し訳ありませんでした。殿下の信頼めでたいチャールズ様がおられますし、いざとなったら暴漢の一人や二人返り討ちにできる自信がございましたので、秘密裡に相談に乗ってやると言われるままに、お花摘みのふりをして一人でのこのこ中庭に抜けてきてしまいましたの。まさかこの私を手籠めにする算段を立てていたなんて、殿下のおっしゃる通り、貴方の側近を甘く見過ぎでしたわね」
扇子をパシッと手の平に叩き付けつつ、にっこり微笑むベアトリス様。ひえぇ! 殿下と彼女の間に、婚約者らしからぬ火花が!
にしても、返り討ちとは……令嬢であっても万が一の時のために最低限の護身術は推奨されているのだが、ベアトリス様は男二人が相手でも勝てるのか…勇ましいやら恐いやら。
「相談? 婚約者の俺にも言えない事なのか」
「その婚約者の周りに集っている蠅がうっとおしいので何とかならないかと悩んでいたところを、チャールズ様に持ちかけられましたのよ」
「おかしな話だ、今更虫の一匹や二匹愛でたところで、眉の一つも動かさぬ鉄面皮が」
「大人しく虫籠に入って頂けるのなら可愛げもありましょうけれど、最近殿下に良くない影響を及ぼしているようですので。
私が、『悪役令嬢』……なのでしたっけね?」
痴話喧嘩なら私抜きでやってもらえませんかね? バチバチッと張り詰めた空気が爆ぜるのを戦々恐々として見守っていると、続きを遮るようにチャールズ様が割り込んだ。
「それにしても、何故ベアトリス嬢は途中で席を立ったのだ」
「あ、それはたぶん……これのせいではないかと」
私はベンチから移動する前に回収しておいた小瓶を見せた。中に残っている液体は少量だが、零れないようハンカチで包んで持って来ている。
「ベアトリス様、匂いを確認して頂けますか? あの時体調を崩された原因だと思うのですけれど…」
ベアトリス様が小瓶を受け取り、顔に近付けて手で扇いでみる。すると、彼女の美しい眉がきゅっと歪んだ。
「この匂い! そうですわ。アイシャ嬢と座ってしばらく話している時、甘ったるいような匂いが充満していて気分が悪くなったのです」
「何だと!?」
チャールズ様が小瓶を引っ手繰り、鼻を近付ける。
「これは……」
「私は気分こそ悪くはならなかったのですが、あの空気の中では熱っぽくて力が入りませんでした。
推測ですが……媚薬の類ではないかと」
何となく、あの匂いが及ぼした効果でそう見当を付けたのだが、媚薬と言うのは飲まずに近くに置いておくだけで効いてしまう物なのか。また、人によって効果に差があるのかなど、気になる点もあった。
「まっ、媚薬!」
口元を扇子で隠し、チャールズ様に物言いたげな視線を寄越すベアトリス様。
「待て、こんな物が落ちていたなど、私は知ら…」
「俺が預かろう」
チャールズ様が噛み付くように反論しようとするのを、カーク殿下が鶴の一声で封じる。しぶしぶ差し出された小瓶を、殿下はハンカチでしっかり包み直した。
「俺の師のハロルドに聞いてみる。薬に関してはスペシャリストだからな」
「ハロルド先生は……魔法薬学の教師では?」
「この薬は非合法の可能性が高い。恐らく生徒が好奇心で調合した可能性もある。チャーリーにも心当たりがないようだし、洗い出しが必要だ」
それだけ言うと、殿下はさっさと退室しようとする。
あ、あの…チャールズ様の事は……?
そう聞きたいのは同じだったのか、チャールズ様が慌てて声をかける。
「殿下! この度の事は……」
ドアノブに手をかけた殿下は一旦振り向くと、僅かに苦々しさの混じった笑みを寄越した。
「言っただろう、チャーリー。お前の計画は失敗だ。婚約者が穢されていない以上、俺への不義は成立しない。お前がすべき事は……そこの令嬢へのフォローだな。精々お前たちでよく話し合う事だ」
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