佐藤さんの四重奏

makoto

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第12話 悪夢

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 弦楽クラブの活動日である火曜日の放課後。
「おーい、千里! むかえにきたよー」
 菜々子がわたしのクラスに来て、ろう下から元気よくわたしを呼ぶ声がする。
 いつも菜々子とは、放課後に待ち合わせてから音楽室に行っているのだ。
「ごめん、菜々子。先に行っててもらえるかな。先生に宿題を提出してから行くよ」
「えー、めずらしいね。千里が宿題をやってないなんて」
 また後でね、と手をふって菜々子は大きなチェロのケースを背負って去っていった。
(はあ。またウソをついちゃった……)
 わたしは、すでに終わっている漢字ドリルをぱたりと閉じた。
 今日は、どうしてもバイオリンをひく気になれない。
 教室の窓から見える、今にも雨がふりそうなくもり空のように、わたしの気持ちはどんよりとしていた。陽の家で二重奏をしてから、ずっとこんな気持ちだ。
 ――このまま音楽室によらずに帰ってしまおうか。
 わたしは、だれもいない教室で一人、つくえに突っぷした。

                *

 夢を見た。
 それは、今一番見たくない『わたしのトラウマ』の原因を作った夢。
「千里ちゃんって、女の子らしくないよね」
 教室で、同じ班のクラスメイトの女の子がわたしに向かって言う。
 別に、その言い方に嫌味はふくまれていなかった。
 いつも友だちと話すような感覚で『きのうのテレビ観た?』とか、そんなノリで言ったのだと思う。
 その、なにげない一言から始まった。
 それは、小学三年生のときの授業と授業の合間の休けい時間のときのこと。
「だよねー。いつも男子といっしょにサッカーやったり、筆箱だって真っ黒だし」
 もう一人の班員の女の子は、わたしが使っている黒地の筆箱を指さす。
 その筆箱は小学一年生から使っているもので、糸のほつれや汚れはあった。
 お世辞にもきれいとは言えないものだけど、わたしにとっては思い入れのあるものだったから、捨てずに使っていた。
「うん。黒が好きで買ったんだ」
 わたしがそう答えると、もう一人の班員の由香ちゃんという女の子が気を利かせてくれたのか、わたしにこう言った。
「そうだ。雑誌のふろくについてた筆箱、佐藤さんにあげよっか? わたし、筆箱いっぱい持ってるんだよね」
 女の子がランドセルから取り出したのは、ピンク色の生地に赤のハートマークがたくさんついた柄の筆箱だった。
 それを見て、クラスの女子たちはこぞってわたしの席に集まる。
「あっ、これ今月号のふろくじゃん! 由香ちゃんからもらえるなんていいなぁ~」
 わたしは詳しく知らないけれど、少女まんがの雑誌についているふろくらしかった。
 由香ちゃんは、学年で知らない人はいなくらいのオシャレさん。
 言ってしまえば、三年生の女子たちのあこがれの的だったのだ。
「このかわいい筆箱に変えれば、佐藤さんも女の子らしくなれちゃうんじゃない!?」
 キャーと、周りの女の子たちが、かん声を上げる。
 ――ここで、わたしは言葉の選択をあやまった。
「わたしはそういうの好きじゃないから、いいよ。ピンクとかハートマークとか、あんまり好きじゃないし」
 今使っている無地の黒い筆箱でじゅうぶんだと思って言った――つもりだった。
 由香ちゃんの取り巻きの女の子がわたしに向かって言う。
「はあ? あんた、調子に乗ってるの!?」
 さわがしかった教室が、その一言でしんと静まった。
「…………え?」
 クラスの女の子たちのするどい視線が、わたしにそそがれる。
「由香ちゃんがくれるって言ってるんだから、すなおにもらいなさいよ!」
「あんたが地味だから、かわいくしてあげようとしてくれてるのに! 由香ちゃんがかわいそうでしょ!」
 わたしは、そのときの状況を理解するのに時間がかかった。
 どうしてわたしが、クラスの女子全員から敵意を向けられているのか。
 わたしは、世間一般の女の子が好きなものを否定したことで、結果として周りの反感を買うことになってしまったらしかった。
「かわいいものが好きじゃないとか、本当に女子なの?」
「服もいつも地味だし、スカートをはいてるところも見たことないよね」
「男子みたいとは思ったけど、まさか本当に男子だったとか?」
「それ、あり得る! 女装してる男子だったりして!」
「えーやだ! それって、オカマってこと?」
「ちがうよ、オネエって言うんだよ」
 四方八方から向けられたナイフは、わたしの心を切りさいた。
 そして、決まり手となった、あの一言――。
「女の子なのにオシャレに興味ないとか、なにかの病気なんじゃないの?」
「――っ!」
 クラス全員から向けられた視線にたえきれず、わたしは席を立って女子トイレにこもった。授業が始まるチャイムが鳴っても、教室にもどりたくなかった。
 自分の好みがほかの女の子とちがうなと思ったことはあった。
 でも、病気なんて言われたら、それは自分でも否定できなかった。
 だって、わたしが好きになるものは、男の子向けのものが多いんだから。

 学校に行けなくなって三か月が経とうとしていた。
「やっほー、千里。元気にしてる? ごはんはちゃんと食べてる?」
 毎週金曜日になると、となりのクラスの菜々子が一週間分の手紙や宿題をまとめて、わたしの家に持ってきてくれていた。
 菜々子には、学校に行けない事情を話していた。
 とはいっても、不登校の原因となった女子たちの個人名までは言っていない。
 菜々子のことだから、その子たちにけんかを売りに行くなんてこともあり得る。
「そうだ、夏休み明けの九月から新しいクラブ活動ができるんだって。それが、弦楽クラブっていって、バイオリンとかの弦楽器を演奏するクラブなの! あたし、それに入部しようと思ってるんだ」
 わたしの家の玄関に座って、足をパタつかせながら菜々子は言った。
「今もレッスンはお休みしてるの?」
 わたしは無言でうなずく。
「……そっか」
 菜々子は残念そうにほほえんだ。
 あの一件があってから、バイオリンもひく気になれていない。
 音楽教室には、しばらく休みますと言ってあった。
「なにが言いたいかっていうとね……あたし、千里と合奏がしたいなって思って。あたしがチェロで、千里はバイオリンで。だから、いっしょに弦楽クラブに入りたいなーって思ったんだ」
 わたしの顔色をうかがいながら、菜々子は話をつづけた。
「あたし、千里のバイオリンの音、好きなんだ。もともとチェロを始めたきっかけも千里の演奏を聴いて弦楽器をやりたいって思ったからだし。……でも、無理にとは言わない。千里の気持ちが落ち着いたらでいいから」
「菜々子……」
 菜々子は、わたしが学校に来れるような話題作りをしてくれているのかもしれない。
 これ以上、めいわくと心配はかけられないと思った。
「……うん。九月から学校、行ってみるよ」
 わたしがそう言ったときの菜々子のうれしそうな顔が、今でも忘れられない。

 夏休みが明けてからの九月。夏休みを入れると約四か月ぶりの登校だった。
 クラスに入るやいなや、女子たちがわたしを見て歓声を上げた。
「えっ、佐藤さん変わったね! めっちゃかわいいよ!」
 この日を境に、わたしはお姉ちゃんからのおさがりの服を着たり、小物をかわいらしいものに変えたりした。イメージチェンジというのだろうか。
 わたし自身、かわいいものは好きではないのは変わらない。
 着たり、身に着けているうちに好きになるかと思ったら、そんなことはなかった。
 でも、クラスの女子たちからは受け入れられたのだ。
 『男の子みたい』なんて言われることは、それっきりなくなった。
 ――成功だ。
 このときに確信した。
 女の子は『かわいいもの』。男の子は『かっこいいもの』。
 その道しるべから外れてしまうと、変わっている人という扱いを受ける。
 それなら、物事によって性別を使い分ければいいんだ。
 サッカーをするときは、男の子になればいい。
 バイオリンをひくときは、女の子になればいい。
 これで『女の子みたい』『男の子みたい』という言葉は使われない。
 このときを境に、わたしの中で『センリ』と『チサト』という二人を使い分けるようになっていた。
 でも、彼と出会って気づかされることになる。

『え? 男だって楽器やるだろ』

 ――陽の言うとおりだ。
 わたし、この時点で本当は気づいていたんだ。
 気づかないふりをしているだけで、それを認めたくなかったんだ。
 性別がどっちであろうが、関係ないってことを。
 認めてしまったら、今のわたしは『センリ』と『チサト』で分ける必要がなくなってしまうのだから。
 ……なんだ。バカみたい。
 性別らしさにとらわれていたのは、わたしのほうじゃん。
 いじめられるのがこわくて、にげているだけなんだ。 
 変わっている人というレッテルを貼られるのがこわいだけなんだ。

 わたしは、おくびょうものだ。

                *

「おい、なに泣いてんだよ」
 その声で、現実にもどされた。
 ――だれ?
 ザーッという雨が教室の窓をたたきつける音が耳に入ってきた。
 わたし、どれくらいの時間ねていたんだろう。
 ゆっくりと、ふせていた頭を起こす。
(……うっ。泣きすぎて頭がガンガンする)
 なみだで視界がぼやけているから、はっきりとは見えなかった。
 わたしの目の前に人が立っていて、その横には、見覚えのある色の――。
 服のそでで目をこすると、視界に見えたものはワインレッドのバイオリンケース。
 いや、ちがう。これって――陽の家にあったビオラケースの色だ。
「…………陽? どうして――」
 どうして、彼のお母さんのビオラケースを持った陽が学校いるの?
 わけのわからないまま、陽はわたしの手首をつかむ。
「わあっ!?」
 ぐっと引っぱられて立ち上がった反動でわたしのイスがガタン、と後ろにたおれた。
「はい、持って!」
 陽はそんなことも気にせずに、わたしのつくえの横に置いてある黒のバイオリンケースを取って、わたしに突き出す。
「え? え?」
 わたしがとまどっていると、陽はわたしをまっすぐに見た。
「おれ、あの日……千里といっしょにひいてて、すっごく楽しかった! 母さんのことがあって楽器をさけてたけど、やっぱりおれはビオラが好きなんだって思ったんだ。だから――」
「えっ!? ちょ、ちょっと、陽!?」
 陽は話しているとちゅうで、わたしの手首をつかんだまま教室の外へと引っぱった。
 勢いよく、ろう下の窓にたたきつける雨の音がする。
 それは、サッカーの帰り道に初めて陽の家に行った場面と重なった。
 あの日も、ものすごい大雨だったっけ。
「行くぞ!」
「どこに!?」
「決まってるだろ! 音楽室だ!」
 は、はいいいいいい!?
「言っただろ! おれはもうにげない! だから、おまえもにげるな!」
「えっ? ……わあああああああっ!?」
 わたしは陽に手を引かれるがまま、ろう下をものすごいスピードでかけぬけた。
(ちょ、ちょ、ちょっと! だから、速いんだってばああああっ!)
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