佐藤さんの四重奏

木城まこと

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第11話 二重奏

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 陽の家におじゃましてから、一週間が経とうとしていた。
 あれから、もえぎ公園でサッカーをしているときも「パス」とか、その程度の会話しかできていない。(いや、それは会話というか声かけになるかな……)
 学校でもすれちがうけど、無言でスルー。
 ケンカをしたわけじゃないけれど、おたがいに気まずくて避けているような状況だ。
 わたしは紙袋に入った陽の服を手に持ちながら、放課後の二組の教室をちらりとのぞいた。
 さすがに、もう一週間も経つんだから返さないと。
 でも、どうしよう。なんて話しかければいいのか、わからないよ……。
「あら。わたくしのクラスに、なんの用ですの?」
「わあっ!?」
 うで組みをした姫香ちゃんが、気づいたらわたしの目の前に立っていた。
 おどろいたわたしは、思わず飛び上がって後ずさりする。
「えっ……えっと……。その……、用は――」
「陽? ああ、赤ランドセルのことかしら。ちょっと、赤ランドセル。うじ虫さんが呼んでるわよ」
「……へ?」
 姫香ちゃんは後ろをふり向くと、帰ろうとランドセルを背負った陽を呼び止めた。
 え? えっと……『用』を『陽』ってとらえたのかな……?
 まあ、結果的にまちがってはないんだけど。
「あ、あの、姫香ちゃん」
「わたくし、これからバイオリンのレッスンがありますの。さよなら」
 そう言って姫香ちゃんはわたしの言葉をさえぎると、さっそうと教室を出ていった。
(……お礼、言えなかったな。別に、姫香ちゃんは悪い子じゃないんだよね……。口調が強いだけで言っていることは正しいし……)
「で、なんだよ」
「わあっ!?」
 陽が目の前に来ているとも知らずに、さっき姫香ちゃんにおどろいたときと同じリアクションをしてしまった。
「おまえ、よくぼーっとしてるよな」
 陽はそう言って苦笑いする。
 いつも話しているときと、なんの変りもないように見えた。
(気まずくてさけていたのは、わたしだけだったのかも。……はずかしい)
 わたしは気を取り直して、陽に向かい合う。
「こ、これ。長く返せてなかったから。その……ごめん」
 わたしは陽の服とズボンが入った紙袋を彼に手わたした。
「だから、なんで『ごめん』なんだよ。そこは『ありがとう』だろ」
 そういえば、この前も陽に同じこと言われたな。
「あっ、ごめん――じゃなくて! あ、ありがとう、ございました……」
 クセで、ついつい『ごめん』って言っちゃうんだよね。
 わたしがあわてている様子を見て、陽がくすくすと笑った。
「それより、今日この後あいてる?」
「え? あ、うん」

                *

「今日は父さんの帰りもおそいし、ヒカルも保育園に行ってるから静かだろ?」
 帰ってくるとヒカルがドタバタとうるさいからな、と陽はつけ加える。
 陽は玄関に脱いだくつをきれいにそろえると、わたしに目くばせした。
「……? なんだよ、早く上がれよ」
「あっ、はい。お、おじゃまします……」
 ――また来てしまった。陽の家に。
「手あらうなら、洗面所がトイレの横にあるから使って!」
 陽は大きな声でそう言うと、リビングにある二人がけのソファーにランドセルを放り投げ、どたどたと音を立てながら洗面所のほうへかけていった。
(……兄弟って似るっていうよね)
 ヒカルくんをうるさいと言っておきながら、自分が物音を立てている自覚はないんだね……。ちょっとおもしろいけど。
 陽はきっちりしているイメージだったから、これが家での自然体なのかもしれない。
 わたしに対して、少しは気をゆるしてくれているのかな。
 手洗いを済ませた後、陽は和室にある押し入れの中から、あるものを取り出してわたしに見せた。
「あっ、それ……」
「おれが前に習ってたときに使ってたバイオリンだ」
 そのバイオリンケースは、陽のお母さんのビオラケースよりも明るい赤色だった。表面のところどころに傷がついている。
「もうやらないし、もったいないから千里にあげようと思って」
「ええっ!?」
 そんな、借りてた消しゴムを『もう一個あるからあげるよ』みたいな軽いノリで言われても。それに、バイオリンってけっこういい値段するし……。
「あの……陽は、本当にもうやらないの?」
 わたしは、おそるおそる聞いてみた。
「うん」
 あっさりとそう答えた陽に、わたしは返す言葉もなくなってしまった。
「えっと……。もらうかどうかは別として、その……ひいてみたいな」
 陽は「いいよ」と短く答えると、バイオリンケースからバイオリンを取り出した。
 わたしはバイオリンを受け取ると、今教室で習っているパッヘルベルのカノンをためしにひいてみた。
(……陽。このバイオリン、相当使いこんだんだろうなぁ)
 バイオリンの弦は、もちろんだけど、使っていればいるほど劣化していく。
 なんとなく、わたしが持っているバイオリンよりも音がこもっている感じがする。
 おそらく長い間使っていなかったか、たくさん使って弦を交かんしていなかったかのどちらかになるだろうな。
 演奏を止めて、わたしはつぶやいた。
「バイオリンって、使っている人の性格とか、楽器に対する愛情がわかるよね」
「え?」
 陽はわたしの言葉に反応する。
「陽は、このバイオリンをすごく大切に使っていたんだなって思ったんだ。あと、陽の少し雑だけど、優しい感じとかが伝わってきたよ」
 少し雑、というのは余計だったかな。
 陽は苦笑いすると、わたしの予想どおり、そのことに対してつっこんだ。
「なんだよ、少し雑って。でも――そんなこと、母さんにも言われたな」
「そうなの?」
「ああ。おれって、全然うまくひけないときに、その感情を楽器にぶつけてたんだ。それで、母さんから楽器は大事にしなさいっておこられたときがあった」
 バイオリンがうまくひけないときに、弓に力が入ってしまうというのは、すごくよくわかった。わたしも、よくやってしまう。
「もともと、母さんが趣味でやってたビオラの音が好きで、ビオラを習いたいってお願いしたんだけど、おれがまだ六才くらいのときだったから、バイオリンから始めなさいって言われて買ってもらったのがこれなんだ」
 なつかしいな、と陽がわたしの持っているバイオリンを見て言う。
 なんだ、やっぱり大切にしてたんだ。
 そんな思い入れのあるものを、わたしは持っていけないよ。
「でも、どうして最初はバイオリンからって言ったんだろう」
「千里も手こずってただろ。ビオラって、小さい子がやるのに適してないんだよな」
 ――あっ! 楽器が大きいから手が小さいとひけないってことか!
 その陽の言葉で思い出した。
「陽。左手、出して」
 陽はポカンとした表情で、わたしが出した左の手のひらを見た。
「は?」
「え? いや、前にビオラをひいたときにうまくいかなかったじゃん? 手の大きさが関係してるのかなって思ったんだ。それで比べてみたくて」
「……ああ、そういうことか。そういうことは最初に言えよ」
 そう言われて『ごめん』と口から出そうになった言葉を飲みこんだ。
 わたしの左手に、陽の左手がそっと重なった。でも――。
(……あれ? 大きさは、ほぼ変わらないんだ)
 おどろいた。手の大きさは、わたしのほうが、ほんの少しだけ大きかったのだ。
 陽があんなになめらかにひけるのは、陽のほうが手が大きいからと思っていた。
「これでも、けっこう練習したんだよ。おれ」
 陽は「はあ」と深くため息をついた。
「ビオラがひきたくて、バイオリンの練習をがんばってきたんだから。でも、ビオラはなかなか母さんが貸してくれなくて。こっそりぬすんで練習してたけど」
 そう言って陽は口をとがらせると、わたしはふてくされたような表情の陽がおかしくて、おなかを抱えて笑った。
 そっか。陽は努力して、あんなにじょうずにビオラがひけるようになったんだ。
「……陽のビオラ、もう一回聴きたいな」
 自分の心の中で言ったことが思わず口に出てしまい、あわてて口を両手でふさいだ。
「ご、ごめん! なんでもない! もうひかないって言ってたんだもんね。これ以上は陽に辛い思いさせたくないから、今のは忘れて。……本当にごめん」
「それは、あやまりすぎだろ」
 陽は、またため息をつくと、和室のほうへと背を向けて行ってしまった。
 ――ああ、やっちゃった……。
 わたしって、なんでこんなに学習しないんだろう。
 陽のバイオリンをケースにしまおうとしたとき、陽がリビングにもどってきた。
 その手に持っていたものは、陽のお母さんの仏だんに置いてあったワインレッドのビオラケースだった。
「えっ、陽――」
「今まで、母さんが死んだ日からずっとさけてたんだ。でも、このままじゃいけないっていうのも、うすうす気づいてた。でも、その一歩がふみだせなくて……」
 陽は覚悟を決めたような顔をして、自分に言い聞かせるように言った。
「だから、もうにげない」
 陽は、ビオラケースからビオラを取り出すと、演奏する体勢に入った。
 弓を軽やかに、弦をなぞるようにやさしく動かす。
(すごい……。こんな音、出せるんだ)
 曲は、さっきわたしもひいていたカノンだ。
 やっぱり、最初の一音から音のふくらましかたが全然ちがう。
 立体感がある、というのだろうか。
 この演奏に、わたしも入れたら――。
 自然とわたしも、バイオリンを構えていた。そして、わたしは陽の演奏に合流する。

 ~~~~~~♪
 ~~~~~~♪

 陽とわたしは、演奏をしながら目を合わせる。
 陽、楽しそうだな。そして、それはわたし自身も思った。
 演奏していて、身体が勝手にゆれているのは初めてだった。
 ――合奏って、こんなに楽しいんだ。
 わたしは、舞台に立ちたくないという理由で。
 陽は、亡くなったお母さんを思い出したくないからという理由で。
 楽器は好きだけど演奏することをさけている者同士の二重奏。
 わたしたちはそれぞれの事情をかかえながらも、五分という短い時間を楽しんでいた。
 演奏が終わると、陽の目からなみだがあふれた。
「……思い出した。昔、母さんと同じことをしたんだ。おれがバイオリンで、母さんがビオラで……それで……っ」
 陽は、その場にしゃがみこんだ。
「……っ。母さん、どうして死んじゃったんだよ……」
 わたしは泣きくずれる陽に声をかけることもできず、ただ陽のそばにいることしかできなかった。
 陽はがんばってトラウマに向き合おうとしているのに、わたしは――。
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