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第7話 ハクチョウ
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「待ってたっすよ、先輩」
蓮司が玄関を開けると、花恋がスマホをいじりながら待っていた。
「寒くなかったか?」
蓮司が訊ねると、花恋は笑顔で両手で自分のジャケットの裾を引っ張った。
「まあまあ厚着してるっすからねー。こないだまで蒸し蒸ししてたと思ったらすぐにこれっすから」
川沿いを歩いていると、もう並木道の葉も枯れ落ち、川の向こう岸ではモミジが紅葉《こうよう》を始めていた。
いつものように川の周りにいる鳥達を観察していると、見慣れない光景が目に入った。
「あれ? センパイ」
もう何ヶ月も蓮司と一緒に川沿いを歩いている花恋も気がついたらしい。
いつも悠々と川を泳いでいたコブハクチョウから少し離れたところにもう一羽、少しだけ身の細いコブハクチョウがいた。
「ハクチョウ、二羽いたんすね。もうずっと見てるのに知らなかったっす」
「いや」
蓮司もこの近くでコブハクチョウが二羽いるのを見たことはない。
もう長いことここに住み着いているやつだが、ずっとひとりぼっちだったはずだ。
おそらく、北の方から渡ってきたのだ。コブハクチョウは外来種だが、その一部は、この時期に日本国内を北海道や東北から渡ってくる個体もいると聞く。
この川へ渡ってきた個体は見たことはないが、道に迷ったか、それとも例年とルートを変えたのか。
「へえ。じゃあ、あの子も仲間ができて嬉しいかもっすね」
「まだわからんな」
コブハクチョウはその優雅な見た目と裏腹に意外と気性が荒く、人間を襲うことがあるのでも有名だ。もしかしたら外からきたもう一羽と喧嘩をするかもしれないし、花恋が言うように仲良くするかもしれない。
「それはまた観察を続けてみないことにはな」
「いいっすね。楽しみっす」
「そうだな、楽しみだ」
元々機械的に鳥を数えていただけのところもあった蓮司であったが、ここ半年の間で随分と毎日の楽しみが増えた。
「結城の言った通りだよ」
「何がっすか?」
「空はつながっている」
星空でも鳥でも、自然の空を見上げると、そのつながりに想いを馳せることができる。
それは気にしなければただ過ぎ去るけれど、確かにそこにあるものには何か大事なものをもらえる気もする。そう、蓮司は思う。
「あたし、そんな小っ恥ずかしいこと言ったっすかね」
花恋は心底恥ずかしそうに腕を組んで、耳を赤らめていた。
いつものコースをぐるりと回り終わり、大学に通学に向かう花恋を見送ると、蓮司は思うところがあって、もう何ヶ月も開けていないクローゼットの戸を開けた。
仕事をやめたきり、掛けっぱなしになっていたスーツが目に飛び込んできて少し滅入る。
仕事をやめる直前上司に「お前なんてどこに行っても同じだ」と胸ぐらを掴まれたことを蓮司は思い出して、思わず首元を触った。
この分ではまだスーツを着て仕事をするのは難しそうだが、今ほしいのはそれではない。
クローゼットの中の洋服ダンスの上に無造作に置いたままだったノートパソコンを取り出して、コンセントを挿して充電する。
しばらく時間を置いてから、ノートパソコンを開いた。
ブラウザを開き、お気に入りから脚本投稿サイトをクリックする。
高校で演劇部をやめてからも、大学生の時はこのサイトに脚本を書いて投稿していた。
仕事を始め、忙しくなってからは自然と離れてしまったし、仕事をやめてからは余計に思い出すこともなかった蓮司だったが。
ラインとは違って、だいぶ使い慣れた記憶があり、IDもパスワードも覚えていたので、すぐにログインできた。
サイトにログインすると、メッセージが届いているのがまずは目に入り、ひとつひとつ確認していく。
昔書いた脚本に、評価コメントが寄せられていた。
名前は冬城真琴。
『こちらの脚本を使わせていただいてもよろしいですか?』
と丁寧に書き込みがされている。蓮司は六月に舞台を見に行った時に、ずっと先輩のファンですから、と真琴が言っていたことを思い出した。
蓮司は思わず、ふっと嬉しさから息を漏らした。
スーツはまだ着れそうにもない。薬も手放してしまっては外出もままならないだろう。電車やバスに乗っての遠出なんてもってのほかだ。
けれど、今なら何か始められそうだと思い、久しぶりにノートパソコンを外に出した。
蓮司は新作投稿のボタンを押し、しばらく考え込む。
どんな本がいいだろう。また真琴にも、気に入ってもらえるならそれが一番だが、まずは書き出すのが大切だ。
人生に絶望し、塞ぎ込んでいた男が、ひょんなことから出会った快活な女の子に振り回されるうちに、生きる気力を取り戻す話なんてどうだろう。ベタでもボーイミーツガールズは鉄板だし、何より元気が出る。
大道具小道具を想像するのが大変だが、アクションを足しても面白いかもしれない。青春劇や群像劇以外はあまり書いたことはないけれど、せっかくだから新ジャンルに挑戦するところから始めてもいい。
そうやって、蓮司はキーボードに手を乗せて、何年かぶりの脚本作りを始めた。
蓮司が玄関を開けると、花恋がスマホをいじりながら待っていた。
「寒くなかったか?」
蓮司が訊ねると、花恋は笑顔で両手で自分のジャケットの裾を引っ張った。
「まあまあ厚着してるっすからねー。こないだまで蒸し蒸ししてたと思ったらすぐにこれっすから」
川沿いを歩いていると、もう並木道の葉も枯れ落ち、川の向こう岸ではモミジが紅葉《こうよう》を始めていた。
いつものように川の周りにいる鳥達を観察していると、見慣れない光景が目に入った。
「あれ? センパイ」
もう何ヶ月も蓮司と一緒に川沿いを歩いている花恋も気がついたらしい。
いつも悠々と川を泳いでいたコブハクチョウから少し離れたところにもう一羽、少しだけ身の細いコブハクチョウがいた。
「ハクチョウ、二羽いたんすね。もうずっと見てるのに知らなかったっす」
「いや」
蓮司もこの近くでコブハクチョウが二羽いるのを見たことはない。
もう長いことここに住み着いているやつだが、ずっとひとりぼっちだったはずだ。
おそらく、北の方から渡ってきたのだ。コブハクチョウは外来種だが、その一部は、この時期に日本国内を北海道や東北から渡ってくる個体もいると聞く。
この川へ渡ってきた個体は見たことはないが、道に迷ったか、それとも例年とルートを変えたのか。
「へえ。じゃあ、あの子も仲間ができて嬉しいかもっすね」
「まだわからんな」
コブハクチョウはその優雅な見た目と裏腹に意外と気性が荒く、人間を襲うことがあるのでも有名だ。もしかしたら外からきたもう一羽と喧嘩をするかもしれないし、花恋が言うように仲良くするかもしれない。
「それはまた観察を続けてみないことにはな」
「いいっすね。楽しみっす」
「そうだな、楽しみだ」
元々機械的に鳥を数えていただけのところもあった蓮司であったが、ここ半年の間で随分と毎日の楽しみが増えた。
「結城の言った通りだよ」
「何がっすか?」
「空はつながっている」
星空でも鳥でも、自然の空を見上げると、そのつながりに想いを馳せることができる。
それは気にしなければただ過ぎ去るけれど、確かにそこにあるものには何か大事なものをもらえる気もする。そう、蓮司は思う。
「あたし、そんな小っ恥ずかしいこと言ったっすかね」
花恋は心底恥ずかしそうに腕を組んで、耳を赤らめていた。
いつものコースをぐるりと回り終わり、大学に通学に向かう花恋を見送ると、蓮司は思うところがあって、もう何ヶ月も開けていないクローゼットの戸を開けた。
仕事をやめたきり、掛けっぱなしになっていたスーツが目に飛び込んできて少し滅入る。
仕事をやめる直前上司に「お前なんてどこに行っても同じだ」と胸ぐらを掴まれたことを蓮司は思い出して、思わず首元を触った。
この分ではまだスーツを着て仕事をするのは難しそうだが、今ほしいのはそれではない。
クローゼットの中の洋服ダンスの上に無造作に置いたままだったノートパソコンを取り出して、コンセントを挿して充電する。
しばらく時間を置いてから、ノートパソコンを開いた。
ブラウザを開き、お気に入りから脚本投稿サイトをクリックする。
高校で演劇部をやめてからも、大学生の時はこのサイトに脚本を書いて投稿していた。
仕事を始め、忙しくなってからは自然と離れてしまったし、仕事をやめてからは余計に思い出すこともなかった蓮司だったが。
ラインとは違って、だいぶ使い慣れた記憶があり、IDもパスワードも覚えていたので、すぐにログインできた。
サイトにログインすると、メッセージが届いているのがまずは目に入り、ひとつひとつ確認していく。
昔書いた脚本に、評価コメントが寄せられていた。
名前は冬城真琴。
『こちらの脚本を使わせていただいてもよろしいですか?』
と丁寧に書き込みがされている。蓮司は六月に舞台を見に行った時に、ずっと先輩のファンですから、と真琴が言っていたことを思い出した。
蓮司は思わず、ふっと嬉しさから息を漏らした。
スーツはまだ着れそうにもない。薬も手放してしまっては外出もままならないだろう。電車やバスに乗っての遠出なんてもってのほかだ。
けれど、今なら何か始められそうだと思い、久しぶりにノートパソコンを外に出した。
蓮司は新作投稿のボタンを押し、しばらく考え込む。
どんな本がいいだろう。また真琴にも、気に入ってもらえるならそれが一番だが、まずは書き出すのが大切だ。
人生に絶望し、塞ぎ込んでいた男が、ひょんなことから出会った快活な女の子に振り回されるうちに、生きる気力を取り戻す話なんてどうだろう。ベタでもボーイミーツガールズは鉄板だし、何より元気が出る。
大道具小道具を想像するのが大変だが、アクションを足しても面白いかもしれない。青春劇や群像劇以外はあまり書いたことはないけれど、せっかくだから新ジャンルに挑戦するところから始めてもいい。
そうやって、蓮司はキーボードに手を乗せて、何年かぶりの脚本作りを始めた。
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