123 / 239
118 悪意
しおりを挟む白羽からは見えないが、足音や衣擦れの音から察するに、一人ではないようだ。
鞭の工房にやってきているということは、レイゾン同様に騎士か、その使いの者だろうか?
彼らは、店の脇に車が止まっていることに気付かないようだ。もしくは、気付いていてもそこに御者以外の誰かがいるとは思っていないのだろう。そのせいで、話す声はさして小さくもない声だ。
白羽はなるべく聞かないようにしなければ、と騏驥の心得を実践するものの、聞こえてきてしまうものは仕方がない。せめて早くどこかへ行ってくれればと願うが、彼らは店に用事があるようだ。
そこに留まったまま動こうとしない。
息を潜める白羽の耳に、彼らの声が更に届く。
「どれほど悩んでも変わらぬだろうに……いつまでも何をやっているのやら。こんなことなら今日来るのではなかったな。あんな奴と鉢合わせるとは」
「まったくだ。それに、店の者ももう少し気を利かせればいいものを……頑固で融通が利かぬ」
「ああ。あいつなんかのために労力を割くなどばかげたことだ。どうせ違いなど解るまいに、ありものを売ってやればいいのだ。わざわざ作ってやった上にこまごまと調整してやるとは……。その挙句、こっちが待たされるとはな」
どうやら、そこにいるのは全員男。そして三人……のようだ。
話し声と、気配や香りの数が一致する。
口調からすると、皆騎士だろう。歳はレイゾンと同じぐらいか、それより少し若いぐらいのようだ。
それにしても——言葉に険がある。
息を詰めたまま、白羽は眉を寄せた。
今の彼らの話を聞いた限りでは、彼らもここに用事があってやってきたにもかかわらず待たされたために一旦店を出る羽目になってしまったようだ。
だとすれば……その原因はレイゾンではないのだろうか。
決して彼が失礼なことをしたとは思わないが(彼は元々ここを訪問する予定のようだったから、おそらく時間など約束していただろう)、男たちは不満を抱いているようだ。
声は続く。
「まあ、職人たちも興味があるんだろう。なにしろあいつが下賜された騏驥は”あの”白い騏驥らしいからな」
「五変騎の一頭だと聞いたぞ。あの田舎騎士がそんな騏驥を下賜されるとはな」
「なぁに、実のところは大したことがないんじゃないのか? でなきゃ、あんな奴に下げ渡されるわけがない」
「元は踊り子で、前王陛下の寵を得て城で好き勝手に暮らしていたという騏驥だ。五変騎だというのも眉唾だな」
「見たことがあるのか?」
「ない」
「俺もない。だが美形だそうじゃないか。噂では髪も肌も抜けるように白いと聞くぞ。少し気味が悪い気もするが、前王陛下を惑わす程の見た目なら、一度ぐらい見てみたいものだが」
「そんな騏驥なら、あいつもたぶらかされてるんじゃないか? 鞭も、実はあいつの好みではなく騏驥の好みに調整しようとしているのかもな」
「馬の姿ではなく、人の姿の騏驥に乗るときのための鞭——というわけか」
「ははははは」
男たちは好き勝手に白羽を、レイゾンを揶揄した挙句にねばりつくような声で嗤う。
(…………)
白羽は奥歯を噛み締めた。
未だにこんな言われ方をしているのかと思うと、悪意しかない噂が蔓延し続けていることに腹が立つ。
ティエンは決して自分にたぶらかされたりなどしなかった。
彼が白羽以外を避けていたのは、政争のただなかに身を置くことを辛く感じていたためだ。
彼は優しすぎた。
誰より貴い身でありながら、政において自身の我を押し通すようなことがなかった。
望んで王になったわけではなかったからかもしれないが、周囲に流され、そのせいでむしろ周囲との軋轢を生み、ただ穏やかに暮らしたいという願いは日に日に遠くなってしまっていた。
そしてそんな状況が辛くて——逃げるように白羽を側に置いていたのだ。
白羽はティエンしか知らず、彼が用意した世界しか知らず、政とは一切無縁だった。あの城内でそんな存在は、白羽しかいなかったから。
逃げ出せない境遇から、いっときでも逃避しようとするかのように。
ずっとわかっていた。
自分は彼にとって、とても都合のいい”逃げ場”だったのだ。
野から城に迎え入れ、自分の理想通りに作り上げた逃げ場。
だから白羽の中にはティエンしかなかった。
それでもいいと思っていたから。
彼の側にいられればそれだけで。
自分とティエンはそういう関係だ。
だから彼は白羽の身体を求めるようなことはなかった。
愛情はあっただろうけれど、欲はなかったから。
けれどそれはあくまで二人だけにしかわからないことで、周囲は勝手に憶測を重ねて噂を囁き続けた。ティエンを表立って悪くは言えない代わりに、白羽を悪者にして。
その結果が——。
白羽は一層ぎゅっと目を瞑る。
瞼の裏に、闇よりも深い黒が広がっていく。
こうして目を瞑ると、この身に起きたことを思い出す。
レイゾンからの暴力。暴行。
あれはティエンをも貶める行為だった。
思い出せばやはり腹立たしい。
悔しく悲しく腹立たしい。
けれど。
けれど、今の白羽の胸の中をもやもやとさせているのは、思い出してしまった過日のレイゾンの愚行ではなく、今さっき聞いた言葉たちだ。
そのレイゾンを、ことさら貶めるような言葉。
不思議なことに——。
今、白羽を一番不快にさせているのは、男たちが陰で口にしている、レイゾンに対しての悪しざまな言葉の数々だった。
奇妙なものだ。
噂に踊らされたのはレイゾンも同じで、その結果白羽は彼によってこの上なく嫌な目に遭わされた。愚かなのは男たちもレイゾンも同じだろう。
なのにそのレイゾンを貶されると、馬鹿にされると腹立たしいのだ。
悪口を言われると胸がむかむかする。
1
お気に入りに追加
158
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
この作品は小説家になろうさんでも公開します。
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる