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118 悪意

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 白羽からは見えないが、足音や衣擦れの音から察するに、一人ではないようだ。
 鞭の工房にやってきているということは、レイゾン同様に騎士か、その使いの者だろうか?
 彼らは、店の脇に車が止まっていることに気付かないようだ。もしくは、気付いていてもそこに御者以外の誰かがいるとは思っていないのだろう。そのせいで、話す声はさして小さくもない声だ。
 白羽はなるべく聞かないようにしなければ、と騏驥の心得を実践するものの、聞こえてきてしまうものは仕方がない。せめて早くどこかへ行ってくれればと願うが、彼らは店に用事があるようだ。
 そこに留まったまま動こうとしない。
 息を潜める白羽の耳に、彼らの声が更に届く。
 
「どれほど悩んでも変わらぬだろうに……いつまでも何をやっているのやら。こんなことなら今日来るのではなかったな。あんな奴と鉢合わせるとは」

「まったくだ。それに、店の者ももう少し気を利かせればいいものを……頑固で融通が利かぬ」

「ああ。あいつなんかのために労力を割くなどばかげたことだ。どうせ違いなど解るまいに、ありものを売ってやればいいのだ。わざわざ作ってやった上にこまごまと調整してやるとは……。その挙句、こっちが待たされるとはな」

 どうやら、そこにいるのは全員男。そして三人……のようだ。
 話し声と、気配や香りの数が一致する。
 口調からすると、皆騎士だろう。歳はレイゾンと同じぐらいか、それより少し若いぐらいのようだ。
 それにしても——言葉に険がある。

 息を詰めたまま、白羽は眉を寄せた。
 今の彼らの話を聞いた限りでは、彼らもここに用事があってやってきたにもかかわらず待たされたために一旦店を出る羽目になってしまったようだ。
 だとすれば……その原因はレイゾンではないのだろうか。

 決して彼が失礼なことをしたとは思わないが(彼は元々ここを訪問する予定のようだったから、おそらく時間など約束していただろう)、男たちは不満を抱いているようだ。
 声は続く。

「まあ、職人たちも興味があるんだろう。なにしろあいつが下賜された騏驥は”あの”白い騏驥らしいからな」

「五変騎の一頭だと聞いたぞ。あの田舎騎士がそんな騏驥を下賜されるとはな」

「なぁに、実のところは大したことがないんじゃないのか? でなきゃ、あんな奴に下げ渡されるわけがない」

「元は踊り子で、前王陛下の寵を得て城で好き勝手に暮らしていたという騏驥だ。五変騎だというのも眉唾だな」

「見たことがあるのか?」

「ない」

「俺もない。だが美形だそうじゃないか。噂では髪も肌も抜けるように白いと聞くぞ。少し気味が悪い気もするが、前王陛下を惑わす程の見た目なら、一度ぐらい見てみたいものだが」

「そんな騏驥なら、あいつもたぶらかされてるんじゃないか? 鞭も、実はあいつの好みではなく騏驥の好みに調整しようとしているのかもな」

「馬の姿ではなく、人の姿の騏驥に乗るときのための鞭——というわけか」

「ははははは」

 男たちは好き勝手に白羽を、レイゾンを揶揄した挙句にねばりつくような声で嗤う。

(…………)

 白羽は奥歯を噛み締めた。
 未だにこんな言われ方をしているのかと思うと、悪意しかない噂が蔓延し続けていることに腹が立つ。
 ティエンは決して自分にたぶらかされたりなどしなかった。
 彼が白羽以外を避けていたのは、政争のただなかに身を置くことを辛く感じていたためだ。

 彼は優しすぎた。
 誰より貴い身でありながら、政において自身の我を押し通すようなことがなかった。
 望んで王になったわけではなかったからかもしれないが、周囲に流され、そのせいでむしろ周囲との軋轢を生み、ただ穏やかに暮らしたいという願いは日に日に遠くなってしまっていた。
 そしてそんな状況が辛くて——逃げるように白羽を側に置いていたのだ。
 白羽はティエンしか知らず、彼が用意した世界しか知らず、政とは一切無縁だった。あの城内でそんな存在は、白羽しかいなかったから。
 逃げ出せない境遇から、いっときでも逃避しようとするかのように。


 ずっとわかっていた。
 自分は彼にとって、とても都合のいい”逃げ場”だったのだ。
 野から城に迎え入れ、自分の理想通りに作り上げた逃げ場。

 だから白羽の中にはティエンしかなかった。

 それでもいいと思っていたから。
 彼の側にいられればそれだけで。


 自分とティエンはそういう関係だ。
 だから彼は白羽の身体を求めるようなことはなかった。
 愛情はあっただろうけれど、欲はなかったから。

 けれどそれはあくまで二人だけにしかわからないことで、周囲は勝手に憶測を重ねて噂を囁き続けた。ティエンを表立って悪くは言えない代わりに、白羽を悪者にして。

 その結果が——。

 白羽は一層ぎゅっと目を瞑る。
 瞼の裏に、闇よりも深い黒が広がっていく。
 こうして目を瞑ると、この身に起きたことを思い出す。
 レイゾンからの暴力。暴行。
 あれはティエンをも貶める行為だった。
 思い出せばやはり腹立たしい。
 悔しく悲しく腹立たしい。

 けれど。
 けれど、今の白羽の胸の中をもやもやとさせているのは、思い出してしまった過日のレイゾンの愚行ではなく、今さっき聞いた言葉たちだ。
 そのレイゾンを、ことさら貶めるような言葉。

 不思議なことに——。

 今、白羽を一番不快にさせているのは、男たちが陰で口にしている、レイゾンに対しての悪しざまな言葉の数々だった。

 奇妙なものだ。
 噂に踊らされたのはレイゾンも同じで、その結果白羽は彼によってこの上なく嫌な目に遭わされた。愚かなのは男たちもレイゾンも同じだろう。
 なのにそのレイゾンを貶されると、馬鹿にされると腹立たしいのだ。
 悪口を言われると胸がむかむかする。


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