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102 従者の、侍女の、騏驥の気持ち(3)
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ユゥの、思っていた以上に深い決意。そしてレイゾンへの感謝の籠った数々の言葉……。
彼が上手いのは騎士に乗ることだけだと思っていたが、少なくともあの少年にとってはそうではないようだ。彼にとってはレイゾンは誰よりも大切な恩人で……そして騎士になるまでの大変さも共有してきた間柄なのだろう。深い信頼と忠誠心が伝わってきた。
人一人が生き方を変えるような、そんな気持ちを抱かせる人なのだ……レイゾンは。
(それに……)
騎士になるまでの苦労も、仕えていたユゥがあんなに顔を顰めるぐらいなのだから、きっと白羽には想像もつかないぐらいだったのだろう。
貴族の子弟がどんな者たちかはよく知っている。きっと彼らは自分たちとは異なる存在であるレイゾンを強く排除しようとしたに違いない。白羽に対してそうしようとしたのと同じように。
しかもレイゾンは騎士としての能力はとても高い。それも彼らには面白くなかっただろう。争いや諍い、皮肉、嫌み、当てつけ……。きっと多くの困難があったのだ。それでも彼は騎士を目指して……。
(そして、騎士になった……)
にもかかわらず——。
<…………>
白羽は速足で、なんとかサンファより早く部屋へ戻ると、扉を閉じてはーっと息をついた。
視界に映るのは、レイゾンから贈られたものたち。そして寝台の上で眠っている子猫だ。
それらを見ていると、ユゥの言葉が脳裏に蘇る。
レイゾンは苦労して騎士になった。にもかかわらず、自分のような騏驥が宛がわれてしまったのだ。一方的に。断ることなど許されない状況で。
(だから、あんなに……)
わたしを嫌っていたのか……。
しかも彼は白羽に付きまとう噂を信じてしまった。
彼を浅慮だと言うのは簡単だが、もし自分が彼の立場になったときに果たして「正しく」判断できるかといえば……。
(!)
と、そのとき。
考え込んでいた白羽の背後から——扉の向こうから、誰かが近づいてくる足音がした。
サンファだ。
白羽は慌てて扉のそばを離れる。するとほどなく、車輪のついた小さな荷台を押しながら、サンファが部屋に入ってきた。木製の可愛らしい荷台の上には、盆に乗った椀が置かれていた。湯気が立っていて、優しい香りがする。おそらく粥だろう。そしてその傍らには飲み物と果物。
レイゾンの指示で、厨房のものが用意してくれた品々だ。
「お待たせ致しました、白羽さま。少し用意に時間がかかってしまい……」
謝るサンファに、白羽は<気にしないで>と首を振った。
遅くなった理由に嘘をついたためか——それともユゥの話を聞いたことで彼女も彼女なりに何か考えているのか。
サンファは幾らかばつが悪そうな顔をしつつも、何事もなかったかのように黙々と卓の上に椀や皿を並べていく。
「——どうぞ、白羽さま。温かいうちに」
サンファに誘われ、白羽は椅子に掛け、匙を取った。近くに置かれると一層いい香りだ。
口にした粥は、穀物が程よく柔らかく煮られ、さらには刻まれた野菜が数種入っている。出汁が利いていて味わい深く、食べやすく、身体の奥までその美味しさが染み込んでくるか
急いで作らなければならなかっただろうに……と思うと、手間をかけてくれた厨房の者たちへの、そしてレイゾンへの感謝の気持ちがこみ上げてくる。
彼が、白羽の身体のことを気にしてわざわざ厨房に命じたのだ。
(わたしのことを、気にかけて……)
ろくに駆けることも出来ず、声も出せなくなり——そして彼にとってみれば手放すことを決めている騏驥なのに——。
それなのに。
『お前に構うのは、ただの俺の自己満足だ。俺の騏驥に対して……本当ならしてやりたかった事……そういうことを遅ればせながらしているだけだ』
レイゾンの声が脳裏に蘇る。そしてユゥの声が。
『レイゾンさまは、騎士になるために凄く苦労したんだ』
『騎士として色々な騏驥に乗って……たくさんの騏驥に乗って……そういうのを楽しみにしてたと思うんだ。騏驥に乗るために騎士になったんだから!』
(ああ…………)
白羽は食べていた手を止めると、ぎゅっと目を閉じた。
何かが少しでも違っていれば、今のような状況にはならなかったかもしれないのに。
今のような騎士と騏驥の関係ではなかったかもしれないのに——。「こう」なってしまっている。
白羽の中にはレイゾンへの拭えぬ不信と恐怖が生まれてしまっているし、彼は彼で白羽の騎士であることを止めようとしていて……。
そのときだった。
姿を見なかった子猫が、食べ物の香りに惹かれたためかどこからか駆け寄ってきた。
白羽を見ると嬉しそうに鳴きながら足元にじゃれついてくる。やはり外で遊んでいたのだろう。足に泥や草が付いている。が、構わず白羽はその子猫を抱き上げると、柔らかく抱きしめる。子猫はニァ……と喜ぶように鳴いた。ふわふわとした柔らかな毛と温もりが、手に伝わってくる。
そう言えば、この子もレイゾンが連れてきてくれたのだ。
(あのときは、色々と騒いでしまって……)
調教で頑張りすぎて、コズミが出た時だった。
レイゾンはいきなりやってきて、この猫をくれて、それに手ずから薬を塗ってくれて……。
あの時彼がもらって来てくれた薬の入れ物は、なんとなく捨ていられずにまだ残している。もう空っぽなのに、残しておかなければならないほど珍しいものでもないのに、なんとなく、捨てられなくて。
(優しく、してくださったこともあったのだ……)
それは彼の気紛れかもしれないけれど。
それは彼の本意ではなかったかもしれないけれど。
そして、今も、また。
彼が上手いのは騎士に乗ることだけだと思っていたが、少なくともあの少年にとってはそうではないようだ。彼にとってはレイゾンは誰よりも大切な恩人で……そして騎士になるまでの大変さも共有してきた間柄なのだろう。深い信頼と忠誠心が伝わってきた。
人一人が生き方を変えるような、そんな気持ちを抱かせる人なのだ……レイゾンは。
(それに……)
騎士になるまでの苦労も、仕えていたユゥがあんなに顔を顰めるぐらいなのだから、きっと白羽には想像もつかないぐらいだったのだろう。
貴族の子弟がどんな者たちかはよく知っている。きっと彼らは自分たちとは異なる存在であるレイゾンを強く排除しようとしたに違いない。白羽に対してそうしようとしたのと同じように。
しかもレイゾンは騎士としての能力はとても高い。それも彼らには面白くなかっただろう。争いや諍い、皮肉、嫌み、当てつけ……。きっと多くの困難があったのだ。それでも彼は騎士を目指して……。
(そして、騎士になった……)
にもかかわらず——。
<…………>
白羽は速足で、なんとかサンファより早く部屋へ戻ると、扉を閉じてはーっと息をついた。
視界に映るのは、レイゾンから贈られたものたち。そして寝台の上で眠っている子猫だ。
それらを見ていると、ユゥの言葉が脳裏に蘇る。
レイゾンは苦労して騎士になった。にもかかわらず、自分のような騏驥が宛がわれてしまったのだ。一方的に。断ることなど許されない状況で。
(だから、あんなに……)
わたしを嫌っていたのか……。
しかも彼は白羽に付きまとう噂を信じてしまった。
彼を浅慮だと言うのは簡単だが、もし自分が彼の立場になったときに果たして「正しく」判断できるかといえば……。
(!)
と、そのとき。
考え込んでいた白羽の背後から——扉の向こうから、誰かが近づいてくる足音がした。
サンファだ。
白羽は慌てて扉のそばを離れる。するとほどなく、車輪のついた小さな荷台を押しながら、サンファが部屋に入ってきた。木製の可愛らしい荷台の上には、盆に乗った椀が置かれていた。湯気が立っていて、優しい香りがする。おそらく粥だろう。そしてその傍らには飲み物と果物。
レイゾンの指示で、厨房のものが用意してくれた品々だ。
「お待たせ致しました、白羽さま。少し用意に時間がかかってしまい……」
謝るサンファに、白羽は<気にしないで>と首を振った。
遅くなった理由に嘘をついたためか——それともユゥの話を聞いたことで彼女も彼女なりに何か考えているのか。
サンファは幾らかばつが悪そうな顔をしつつも、何事もなかったかのように黙々と卓の上に椀や皿を並べていく。
「——どうぞ、白羽さま。温かいうちに」
サンファに誘われ、白羽は椅子に掛け、匙を取った。近くに置かれると一層いい香りだ。
口にした粥は、穀物が程よく柔らかく煮られ、さらには刻まれた野菜が数種入っている。出汁が利いていて味わい深く、食べやすく、身体の奥までその美味しさが染み込んでくるか
急いで作らなければならなかっただろうに……と思うと、手間をかけてくれた厨房の者たちへの、そしてレイゾンへの感謝の気持ちがこみ上げてくる。
彼が、白羽の身体のことを気にしてわざわざ厨房に命じたのだ。
(わたしのことを、気にかけて……)
ろくに駆けることも出来ず、声も出せなくなり——そして彼にとってみれば手放すことを決めている騏驥なのに——。
それなのに。
『お前に構うのは、ただの俺の自己満足だ。俺の騏驥に対して……本当ならしてやりたかった事……そういうことを遅ればせながらしているだけだ』
レイゾンの声が脳裏に蘇る。そしてユゥの声が。
『レイゾンさまは、騎士になるために凄く苦労したんだ』
『騎士として色々な騏驥に乗って……たくさんの騏驥に乗って……そういうのを楽しみにしてたと思うんだ。騏驥に乗るために騎士になったんだから!』
(ああ…………)
白羽は食べていた手を止めると、ぎゅっと目を閉じた。
何かが少しでも違っていれば、今のような状況にはならなかったかもしれないのに。
今のような騎士と騏驥の関係ではなかったかもしれないのに——。「こう」なってしまっている。
白羽の中にはレイゾンへの拭えぬ不信と恐怖が生まれてしまっているし、彼は彼で白羽の騎士であることを止めようとしていて……。
そのときだった。
姿を見なかった子猫が、食べ物の香りに惹かれたためかどこからか駆け寄ってきた。
白羽を見ると嬉しそうに鳴きながら足元にじゃれついてくる。やはり外で遊んでいたのだろう。足に泥や草が付いている。が、構わず白羽はその子猫を抱き上げると、柔らかく抱きしめる。子猫はニァ……と喜ぶように鳴いた。ふわふわとした柔らかな毛と温もりが、手に伝わってくる。
そう言えば、この子もレイゾンが連れてきてくれたのだ。
(あのときは、色々と騒いでしまって……)
調教で頑張りすぎて、コズミが出た時だった。
レイゾンはいきなりやってきて、この猫をくれて、それに手ずから薬を塗ってくれて……。
あの時彼がもらって来てくれた薬の入れ物は、なんとなく捨ていられずにまだ残している。もう空っぽなのに、残しておかなければならないほど珍しいものでもないのに、なんとなく、捨てられなくて。
(優しく、してくださったこともあったのだ……)
それは彼の気紛れかもしれないけれど。
それは彼の本意ではなかったかもしれないけれど。
そして、今も、また。
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