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91 騎士の訪れ

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 その途端、全身が一瞬で緊張する。
 白羽のそんな慄きを一瞬で見てとると、サンファは抱えていた子猫を素早く床へ放し、扉へと足を向けた。

「……レイゾンさま、なにか?」

「用があるから来たのだ」

 サンファの問いに、扉の向こうから低い声が届く。
 いきなり入ってこないだけましとはいえ、レイゾンは入る気でいる。様子を伺いに来たという声ではない。
 白羽は青くなった。けれど断れない。

「白羽さまは今お休み中で——」

 それでもサンファは、なんとか追い返そうと試みてくれる。しかしレイゾンは「すぐに済む。起こせ」と容赦がない。
 サンファはこれ以上ないほど不満そうに眉を寄せると、「少々お待ちください」と、一旦レイゾンとの扉越しの会話を打ち切った。
 
「……白羽さま……」

 彼女も張り詰めたような面持ちだ。
 まだなんとかして彼を追い返せないか考えているのだろう。だが無理だ。そもそも騎士が騏驥に会うと言うならそれは「会うぞ」という命令で、騏驥は余程の理由がなければ断れない。
 この七日間は体調を理由に彼を遠ざけていたし彼も無理を言うことはなかったけれど、ここで部屋まで訪ねてきたということは絶対に会う気だということだ。
 白羽は震える手をぎゅっと握りしめて耐えると、改めて筆をとった。

[会うよ。だから薬や頂いたものをすぐに片付けて]

「っ……は、はい。ですが——」

 サンファはまだなにか言いかけたが、白羽は率先して立ち上がると、もらった手紙を自分の手で文箱に納める。その姿に、もうレイゾンを追い返すことは諦めたのだろう。サンファもまた手際よくそこらにあった薬や干し果実を片付けていく。

「では……お迎えいたします、ね……」

 最後の確認のように言うサンファに、白羽は頷き、立ち上がる。
 仕方がない、いつまでも会わないわけにはいかないのだから。
 だが何の用で来たのだろう? 明日から調教を再開するという話だろうか。

 不安になりながら待つ。と、サンファが扉を開けるや否や、レイゾンが待ちかねたように足早に部屋へ入ってきた。
 調教から帰ってきたばかりなのだろうか? 外衣こそ着ていないものの、なんとなく埃っぽい。サンファが顔を顰めたのがわかる。
 彼はぐるりと部屋を見回すと、「なんだかいい香りがするな」と独りごちた。
 おそらく干し果実の香りだ。片付けてもまだ香る甘い芳香。
 白羽もサンファもそれとなく視線を宙へ流す。

 と、レイゾンは改めて白羽に目を留めて言った。

「座っていろ。だが休んでいたわりには、身なりもきちんとしているし、しゃっきりとした表情をしている。……いいことだ」

<!>

 息を呑んだ白羽の耳に、同じくサンファが息を呑んだ音が聞こえてくる。白羽は極力顔色を変えないようにしながら長椅子に座り直すと、

[横になっていただけですので]

 と書いて見せる。レイゾンは表情を変えず「そうか」と頷いた。

「具合はどうだ。その様子ではまだ声は出ぬか」

<…………>

 白羽はこくりと頷く。

「声以外は?」

 続けてのレイゾンの問いに、

[わかりません]

 と、書いて答えた。訝しそうに眉を寄せるレイゾンに向けて続きを書く。

[回復していると思いますが、本調子かどうかはわかりかねます。まだ薬を飲んでいますし、全快かどうかは医師の判断が必要かと]

「……あ、ぁあ。なるほどな」

 するとレイゾンは、わかっているのかわからないのかわからない顔で頷く。そして薬について二、三の質問を重ねてくる。
 それについてはサンファが代わりに答えてくれたが、二人のやりとりを聞きながら白羽は内心首を傾げていた。
 レイゾンはこれらのことを尋ねるためにわざわざやってきたのだろうか……?
 
 するとそんな疑問が顔に出ていたのだろう。

「なんだ?」

 レイゾンが白羽に向けて尋ねてくる。なんでもありません、と白羽は首を振ったがレイゾンは白羽の意を察したようだ。

「別におかしくはないだろう」

 白羽を見つめて言った。

「俺はお前の騎士だ。お前の体調を気にするのは当然のことだ」

(…………)

 白羽はおずおずと頷く。その視界の端に「誰のせいで体調を悪くしたと思っているのか」と言いたげなサンファの貌が映る。
 白羽はレイゾンに見えやしないかとハラハラしたが、それは杞憂に終わった。
 レイゾンはサンファのことは一瞥もしなかった。
 ちらりと目を向けることもせず、ただ白羽だけを見つめてくる。

 その視線は、なんだかこれまでとは違う——より深く真摯なものだ。
 怖い、と言うのとは少し違う。ハッとさせられるような、こちらまで緊張させられるような——彼の中の何かが、何かの思いが視線になってはっきりと向けられているような——そんな感覚だ。
 熱さと圧を感じさせられるようなそんな視線に白羽は慣れていない。

 思わずたじろいでしまうと、それがサンファには恐怖による萎縮のように見えたのだろう。

「もうそろそろ……よろしいのでは……?」

 努めて控えめな言い方ながら、暗に「さっさと出ていけ」とレイゾンに向けて促す。が、彼はそんな言葉など聞こえていないかのようにじっと白羽を見つめてくる。
 その真っ直ぐな視線に、白羽が耐えられず目を逸らしかけた時。

「——話がある。これからが本題だ」

 レイゾンが神妙な面持ちのまま言った。白羽はつい一歩下がってしまう。するとすぐさま、

「レイゾンさま、今日のところはもう——」

 二人の間にサンファが割り入ろうとしてきた。
 しかしそれは、レイゾンの言葉と腕に阻まれる。

「下がれ。俺は白羽に話があるのだ。お前は必要ない」
 
「なっ——」

 サンファが血相を変えた。

「まさか白羽さまと二人きりでとおっしゃるのですか!? あのような非道なまねをなさっておいて!」

「聞こえなかったか? 下がれ侍女は不要だ」

「下がりません!」

 サンファが声を上げる。白羽はどうすればいいのかわからなかった。
 レイゾンと二人きりになどなりたくない。あんなことがあった上に、しかも今は声が出ないのだ。レイゾンがどんな話をするのかわからないが、一人はあまりに心細い。
 だが同時に、これ以上サンファがレイゾンに対して強く出れば、彼女が罰されるかもしれないという不安もある。
 どうすれば……と戸惑う白羽の前の二人は対照的だ。
 
 憤りも露わなサンファに対して、レイゾンの方は落ち着いている。落ち着いていて、けれど譲る気はないという強い意志を感じさせる佇まいだ。
 そしてサンファに睨まれていても構わずに、ただ白羽だけを見つめてくる。 
 
 だが、このままではサンファが引かないと察したのだろう。
 レイゾンはゆっくりとその視線を白羽から彼の侍女に移すと、

「——出ていけ」

 と改めて言った。怒鳴った訳じゃない。けれど重みのある声音だった。
 サンファが慄いたのがわかる。レイゾンは静かに続ける。

「俺は俺の騏驥と話がある。話をするだけだ」

「それを信じろと仰るのですか」

「そうだ」

 頷いて言うと、レイゾンはじっとサンファを見つめる。
 しかし程なく、その視線は再び白羽に戻る。
 先刻と同じ、張り詰めたような視線だ。それでいてどこか切なくなるような。
 荒々しく野蛮な外見という印象の騎士だったけれど、今はその粗暴さよりも野生的な精悍さの方が際立って見える。白羽の知るどんな騎士とも違っている。
 けれど……けれど……どうしてだろう?
 見つめられると鼓動が速くなるようだ。恐怖ではなく彼の視線に呼応するかのように。
 があったのに——なぜ?
 彼が騎士で自分が騏驥だから?
 けれどティエンに見つめられた時はこんな風にはならなかった。
 
(どうして……)

 戸惑う白羽をよそに、レイゾンはサンファに向けて「出ていけ」と言うように軽く手を振る。その間も視線は白羽に向いたままだ。
 サンファがこちらを見たのを感じ、白羽は小さく頷いた。
 レイゾンと二人になるのは怖い。けれど今の彼には逆らえない何かがあった。

 サンファは顔を顰めつつも「畏まりました」と頭を下げると、「では扉のすぐ向こうに控えております」と険のある口調で言い添えて部屋を出ていく。
 少しでも様子がおかしければ踏み込んで来るつもりなのだろう。
 レイゾンが微かに苦笑する。

 やがて、二人になった。
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