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79 戻り道、迷い道(2)

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 自分はシィンの騏驥。
 となれば、本来なら、彼に事の次第を伝えないという選択肢はない。
 そもそも、シィンには白羽のことを頼まれていたのだし、騏驥である自分が城の中を自由に動き回れていたのも、「いなくなった白羽を探すため」という名目だ。シィンからの命令があっての形だ。
 ならば、無事見つけられたことも、しかし白羽は無事ではなかったことも伝えなければならないだろう。今この時も、シィンは白羽のことを気にしているに違いない。

 が……。
 それがわかっているから全てを伝えることに抵抗があるのだ。判断に迷う。
 実のところ、ダンジァを一番悩ませているのはそのことだった。
 この迷い道を抜けて、一刻も早く見知った場所に戻りたい。シィンの元へ戻りたい。
 しかしそうなれば経過を話すか話さないかの判断を迫られることになってしまう……。

 話す方が正しいとはいえ、そうすればどうなるか想像がつくから躊躇ってしまう。
 きっとシィンは憤るだろう。サンファのように。ダンジァのように。それ以上に。
 シィンにとっては、親しくしていた伯父である前王が遺した騏驥。特別に思っていることは、ダンジァも良く知っているところだ。
 そんな白羽が傷付けられたと知れば、レイゾンと白羽の間に介入しかねない。

 シィンは今のところ王太子として周囲に認められてはいるが、いつ何時、誰に足を引っ張られるかわからない。なにより彼は、本来ならもっとも彼の才覚を認め、喜び、将来を明るく照らすべきはずの人物に疎まれている。
 そんな状況で、騎士が”やってはならないこと”——他の騎士の騏驥への介入を王子であるシィンがしたとなれば、ひどく責められることは間違いない。
 シィンもそれはわかっているだろうが、果たして我慢できるかどうか……。

 そして我慢したならしたで、何もできないことに苦しむだろう。

 シィンの騏驥であるダンジァとしては——他のなによりも誰よりもシィンのことが大切だ。ほんの僅かも苦しませたくないし苦しんでほしくない。悩ませたくないし困らせたくもない。
 いつもいつも、ただ幸せでいてほしい。

 それを思うと、白羽の身に起こったことを話すことはどうしても躊躇ってしまうのだ。
 
(だからといって……)

 ずっと黙っているのは無理だ。
 正確に言えば、隠しておくことは無理だ、だ。

 黙っているだけならダンジァの良心の問題だが、白羽を医師に診せればどうしてもそこから話は漏れるだろう。これだけ衰弱していると簡単な処置で回復するとも思えないし、ある程度本格的な検査と加療が必要になるに違いない。
 となれば、遅かれ早かれ噂になるだろう。そうなれば、シィンの耳にも届くに違いない。

 いや、そもそも——それ以前に、帰途についているはずのこの道がどこへ続いているのかさえよくわからないのだ。
 気づけば白羽とレイゾンがいた霊廟に辿り着いたように、戻るときもまた気付けば「どこか」に辿り着いてしまいかねない。
 城の中のどこに戻るかわからないのだ。
 もしかしたら——ひょっとしたら、戻ってみたらシィンのすぐ側ということもあり得るし、隠すこともではないほど大勢の人々の前という可能性もある。
 ただでさえ城内は結界が多くて、迷路のようになっている。その上、わけがわからない”なにか”のせいで、辺り一面真っ白——夢の中を歩いているような状態なのだから。

「……サンファ、さん」

 なるべく危険がない方へ——危険がないと思われる方へと歩きながら、ダンジァは背後に向けて声をかけた。
 すぐさま、「なんでしょうか?」と反応がある。そして彼女は「まさか白羽さまに何か?」と不安そうな顔でダンジァに並びかけてきたかと思うと、腕の中の白羽の顔を覗き込んだ。
 歩いている最中もずっと白羽を気にしていることは伝わってきていたが、この侍女はよほど主が大切らしい。騏驥と騎士との間でもあまりないぐらいに献身的だ。
 侍女とはこういうものなのだろうか?
 考えつつサンファを見つめ、ダンジァは「大丈夫ですよ」と安心させるように言った。サンファだけでなく、その後ろにいるレイゾンにも聞こえるように。

「白羽は大丈夫です。それよりも、訊きたいことがあって」

「? 訊きたいこと……。わたしに、ですか?」

「はい。サンファさんは白羽の侍女で城の中にも詳しいようなので……。今の状況から速やかに抜け出す方法を、ひょっとしたらご存じなのでは、と」

「……」

 ダンジァの言葉に、サンファは一瞬戸惑ったような貌を見せる。が、すぐにその雰囲気は掻き消える。彼女は「いいえ」と首を振った。

「残念ながら、こんなことに巻き込まれたのはわたしも初めてです。いったいここはどこなのか……。辺りは何も見えませんし、城内なのかそうでないのかもわかりかねます。白羽さまのためにも、早く医師の元へ辿り着きたいのですが……」

「…………」

 サンファは再び白羽を見つめて言う。あの表情は間違いなく主を心配している顔だ。
 早く医師の元へ行きたいというのは本当の気持ちなのだろう。
 が——。

(それ以外は……)

 果たして本当なのだろうか。
 そもそも、白羽を探していた時、彼女はダンジァと別々に白羽を探していた。
 別々に探したほうが効率がいいと思ったためだ。それにはダンジァも同意できた。
 が、そうして別々に探していたはずの二人なのに、気付けば霧の中のような迷路のような中で出くわしていた。
 互いの顔などわからないぐらい白く靄がかかった見知らぬ場所で、しかし当然のように彼女は現れたのだ。
 彼女もまた何かに引き寄せられたかのように。けれど不安な様子は一切見せずに。

(それに……霊廟でのあの様子……)

 サンファはあの場所に戸惑っていなかった。
 ということは、彼女は何かしらの形であそこに馴染みがあったということだ。白羽から話を聞いていたのかもしれないし、もしかしたら白羽に付き添って訪れたこともあったのかもしれない。
 
(…………)

 ダンジァは、並んで歩く傍らのサンファの横顔を見つめる。
 彼女は、なにをどこまで知っているのだろう? なにができるのだろう?
 白羽にとってどういう存在なのだろう? どういう関係なのだろう?
 
 ただの侍女とは思えないが、今は大人しくダンジァに付いてきているだけということは、帰り道を知っているわけではないというのも本当なのだろう。
 
(よくわからないな……)

 ダンジァは胸の中で溜息をつく。
 入城してしばらく経つが、いまだに城の中やそこにいる(いた)人々は解らないことが多い。
 今にして思えば、大なり小なりのいざこざは絶えなかったとはいえ、騏驥たちだけで過ごしてた厩舎地区は楽だったといえるだろう。
 城内は、騎士や魔術師、官吏や女官たちが入り混じり、混沌としている。

 とはいえ、今のところサンファは害はない。自分にも。シィンにも。ならば、彼女がどういう”存在”であるにせよ、静観でいいのだろう。
 のように、相手構わずむやみやたらに喧嘩を売る必要はないのだから。

 いつ晴れるともわからない靄の中を歩き続けていたためだろうか。
 考えなくてもいい騏驥のことを考えてしまい、ダンジァが人知れず眉をよせた次の瞬間。

「ぁ……」

 微かに、サンファが声を漏らす。
 ダンジァも気付く。

 前方に、不意に人影のようなものが窺えた。
 
 
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