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78 戻り道、迷い道

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 ◇


 気を失い、力なくぐったりとしたままの細い身体。衰弱しているからか、その顔色は白を通り越して青いほどだ。
 自分と同じ騏驥の——しかし自身よりもずっと華奢なその肢体を抱えて歩きながら、ダンジァは幾つものことに想いを巡らせていた。
 考えなければならないことが、多い。——多過ぎる。
 騏驥の身には余るほどだ。

 自分の立場と「やらなければならないこと」を考えると、さすがに眉間に皺が寄ってしまう。が、こうなってしまった以上は仕方がない。
 なんとか、誰にとっても問題のない形で事態が収拾するよう努めるしかないだろう。

 ダンジァは、霧が立ち込めているかのように辺り一面が真っ白な視界の中を、白羽を抱えて進む。道はあってないようなものだ。が、実のところ今までいた場所に——白羽たちのいた場所へ——あの霊廟へ辿り着いた時も、似たような道(?)を経て辿り着いたのだった。
 城内を歩き回って騏驥の姿を探していたはずが、いつの間にか見覚えのないところへ紛れ込み——引き寄せられるように、呼びこまれるようにいつしか見知らぬ場所に足を踏み入れ、しかも戻ることもできずに辿り着いたのがあの場所だったのだ。
 そして、少し話を聞いた限りでは、どうやらレイゾンも同じような経緯であの場所へ辿り着いたらしい。

 白羽は前王の騏驥だから、亡き王の霊廟のような特殊な場所であっても近づく術を持ち合わせていたのかもしれない。
 が……。
 普通に考えれば幾重にも結界が張られているに違いないそんな場所に、どうして騎士や自分のような騏驥がたどり着くことができたのか……。

 何かの/誰かの意図が働いているということだろうか。
 それとも、何か別に理由があるのだろうか。

 ダンジァはぐるぐると考えつつ、靄の中を歩き続ける。
 
「……どうですか……?」

 そうしていると、背後からサンファの小さな声が届く。
 様子を伺うその言葉は、白羽の容体を問うているのか、それとも「この道で本当に帰れるのですか?」と尋ねているのか。
 判別できかね、ダンジァが逡巡していると「戻れそうでしょうか」と言い添えるサンファの声が続く。
 答えづらい方の質問にダンジァは内心苦笑しつつ「おそらくは」と穏やかに答えた。ハッタリだ。が、正直に「わかりません」と答えてどうなるものでもない。
 進むしかない以上、「これでいい」と思いながら進むしかない。幸いにして、騏驥としての——人よりも優れている動物としての感覚から、少なくとも「危険ではない」方向はわかる。今はその感覚を頼りに、なんとか見知った場所に出ることを目指して歩き続けている状態だ。
 
 本来なら、騏驥である自分が一番先頭に立つような隊列は妙なのだが(侍女のサンファはともかく、騎士であるレイゾンよりも前を歩くことは本当ならありえない)、全員が帰り道に関して不案内なら、この方がいいだろうという全員での合意のもと、こうした隊列になったのだった。
 
 ダンジァのすぐ後ろがサンファ、そしてその後ろがレイゾン……。
 レイゾンが最後尾を守ってくれているおかげで、背後を心配しなくていいのは助かっている。が、ダンジァが推測するに、あの騎士は白羽の様子を目にしたくないのだろう。
 自分のせいでこんなことになってしまった騏驥を見たくないのだ。
 おそらく。
 白羽の容体に気を揉んで、心配して、気にしているのと同じぐらい、見るのが怖いに違いない。

(まあ……そうだろうな……)

 ダンジァは背後に意識を向けつつ、思った。
 詳しいことはわからないが、二人に何かあったのだろう事は、見た瞬間に容易に察せた。それも、この騏驥にとってとても”良くないこと”が起こっただろうことは。
 そしてその想像は、その後の侍女の憤りを目にしたことでほぼ確信に変わった。
 騎士による騏驥の陵辱……。

 ダンジァは自身の眉間に皺が寄るのを感じながら、静かに白羽を抱え直す。静かに、揺らさぬように。彼がなるべく辛さを感じないように。

“そういうこともある”というのは、騏驥ならば誰でも知っていることだ。
 本来なら”あってはならないこと”だが、実際は”ある”。
 
 騏驥は基本的に騎士に逆らえない。
 そして残念ながら、自分に対して絶対に逆らわない相手を前にしたときに、常に紳士的でいてくれる騎士ばかりとは限らないのだ。
 
 ただ、そういう”騎士らしからぬ”振る舞いをする騎士はごく一部で、だからまさか、本人の意思ではなかったとはいえ、五変騎の一頭を従える騎士の一人となったレイゾンが”そんなこと”をするとは思っていなかったのだが。

「っ……」

 ダンジァは静かに唇を噛む。

 シィンに白羽のことを頼まれて以降、ダンジァは白羽の騎士となったレイゾンのことも調べていた。調べる——と言っては大袈裟か。何もしないよりは少し気にかけて、彼の人となりや背景を、それとなく他の騎士や医師や騏驥たちに尋ねていたのだった。
 シィンの騏驥である自分が白羽の騎士であるレイゾンについてあれこれ尋ねるには限界があったため、さほど情報が集まったとは言えないが、それでも、いくらかは知れたことがあった。

 貴族以外から初めて騎士になった騎士。そのため、騎士になるまでには苦労も多く、騎士学校でも周囲と反りが合わないことが多かったらしいこと。そのせいで貴族や他の騎士に対して対抗心や敵対心が強いこと……。
 とはいえ騎士としての技量は決して他の騎士に劣らぬもので、むしろ騏驥たちからの評判も悪くないようだった。騏驥によっては彼のような、どちらかといえば積極的な騎乗をする点を好む者もいるということだろう。
 調教師も同様で、今までの騎士たちとは違う観点から助言してくれる彼は、「ちょっと面白い存在」と思われてもいるようだ。もっとも、異端の騎士を嫌う調教師ももちろんいるが……。

 つまり総じて、騎士としての評は悪くはなかったということだ。
 だから性格的なこと——他の騎士たちへの嫉むような気持ちや嫉妬心のような気持ちはともかくとして、騏驥とは上手くやれる騎士なのだろうと思っていた。
 白羽は確かに特殊な立場、特殊な騏驥で、それを下賜されることはレイゾンにとって決して望むものではなかったかもしれないが、それでも——。
 なんとかなるだろうと、思っていた、のだが……。

(ならなかった、というわけだ……)

 それも、考えられる限り最悪の形で。
 ダンジァは再び顔を顰め、唇を噛む。
 
 態度に出すような真似はしないが、同じ騏驥として、騏驥に対して不誠実な騎士にはもちろん腹が立つ。——立っている。
 騎士と騏驥のことは二人にしかわからないとはいえ、あの場であった出来事が合意の上ではなかったことは間違いないだろう。合意のわけがない。場所が場所なのだ。
 しかも白羽のこの衰弱ぶりだ。どれほど無体な真似をしたか、どれほどこの騏驥を傷付けたかを想うと、サンファと同じくらいの——もしくはそれ以上の憤りがこみ上げてくる。

 本当なら今すぐ足を止め、後ろを付いてくるレイゾンを詰りたいくらいだ。先刻、サンファがそうしたように。
 出来ることなら。出来る立場であったなら。

 だがそれをしないのは、騏驥という自身の立場もあるが、この事態を防げなかった自分への大きな後悔——自身を責める気持ちもあるためだ。

 白羽が下賜されたあの日。
 他の誰も気付かなくても、ダンジァは気付いていたはずだった。聞こえていたのだ。この騎士と騏驥が、揉める可能性を秘めていたことを。
 だとすれば、もっと早くに何かできていたのではないか。
 少なくともこんな事態になることは防げていたのではないかと思わずにいられない。
 自分自身に対して憤らずにいられないのだ。
 もっと——せめてもう少し早くあの場に辿り着けていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに、とも。

(どうしてあそこに辿り着けたのか解らない以上、悔やんでも仕方のないことなのだが……)

 腕の中の白羽の細さ、軽さを思うと悔やまずにいられない。
 こんな身体を組み敷いたのか。強引に。あの騎士は。あの——いかにも逞しい大柄の騎士は。

 しかも——。
 ダンジァの眉間の皺が一層深くなる。
 
 しかもこうなってしまったことで、更に問題が生じてしまっているのだ。
 シィンに報告するべきなのか否か——。するとしたらどのようにするのか——。そんな問題が。
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