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59 宴(4) 理不尽な要求 苦悩

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 思わず奥歯を噛み締めたとき、更に予想外の声が聞こえた。

「どうだ、白羽。兄上の思い出もあるだろうここで一差し舞うてみぬか」

「!」

 途端、白羽が声を呑む音がした。はっと白羽の顔を覗き込むレイゾンの耳に、王からの声が続く。

「なに、ほんの余興だ。そう堅苦しく考えることもあるまい。——なあ」

 最後は再び周囲へ向けてだ。僅かな間ののち「そうですな」「せっかくの宴ですし」と先刻同様追従の声がする。
 
「白羽、聞こえなんだか? ここで——」

「陛下!」

 王の言葉に鋭く割り込んだのはシィンの声だ。
 見れば、彼は怒りも露な貌で王を見つめている。

「何を仰るのですか、陛下。白羽は騏驥です。なぜそのような見世物の——」

「そなたは黙っておれ」

 と、王は酔いに任せたかのような荒っぽい声音で言った。睨むようにして見ると、微かに頬を歪めて続ける。

「わたしは白羽に命じているのだ。白羽の主でもないお前が口を出す筋ではないわ。そもそも……白羽が城へ入る以前に踊り子であったことは皆が知っていること。今更勿体ぶることもあるまい」

「……陛下……」

 シィンはなお言い返したそうだったが、王が顔を逸らすと唇を噛んで黙る。代わりに、その視線はレイゾンに向けられた。白羽の主であるレイゾンに。レイゾンが対処しろことなのだろう。
 レイゾンは困惑していた。

(どう……すべきなのだ……?)

 白羽は嫌がっている。嫌がっている——ようだ。縋るようにぎゅっと衣を握り締め、そして——。
 二つの宝玉を思わせる瞳で、じっとレイゾンを見つめてくる。
 だが——。

「白羽、早くせよ。興がさめるではないか。レイゾン、しかと白羽に申しつけよ」

 そして白羽とレイゾンに再び王からの声が届く。苛立ちが感じられる声に、レイゾンは気が気ではない。とはいえ——白羽は嫌がる素振りを見せているのだ。

「……っ……は……いえ……ですが……」

「『ですが』なんだ? そなたはたったこれだけのことを騏驥に命じることもできぬのか。騎士であろうに。まったく……こんなことではそなたの騎士としての技量に疑いを抱かれかねぬぞ」

「…………」

「厳つい顔をしておるのに……見掛け倒しか? 情けないことだ」

 王の声に、周囲から嗤い声が上がる。

 レイゾンは全身が熱くなる思いだった。
 と同時に、胸中に不安が去来する。

 そう——そうかもしれない。ささやかな宴とはいえレイゾンたち五人以外にも客はいる。しかもここに呼ばれるくらい王に近い者たち——つまりは力を持った貴族たちが居並ぶ場なのだ。
 他の騎士たちは面識があるのかもしれないが、レイゾンにとってみれば皆初めて会う人たちばかりだ。当然、相手にとってもそうだろう。
 彼らがここでレイゾンをどのように評価するかで”これから”が決まってしまうかもしれないのだ。

「…………」

(騎士としての……俺の”これから”……)

 ほんの少し舞う……ぐらいのことだ。王の望みに応えるだけ。
(ならば従うべき——)
 だが——。
 白羽は嫌がっている。抵抗するように助けを求めるようにレイゾンを見つめてきている。
(ならば断って——)
 だが——。
 大丈夫なのか? 王の意に反して咎められないか? そもそも白羽は王から下賜された騏驥なのだ。従わなくて良いのか?
(やはり従って——)
 だが——。
 
 だが。

 ——だが。

「レイゾン——」

 苛立っているような王の声がする。声の圧が増している。周囲の客たちも息を呑んでレイゾンの言葉を待っている。空気が張り詰め、苦しいぐらいだ。
 そんな中、縋るように見つめてくる白羽の、その瞳の密度の濃さもまた増していく気がする。唇が、助けを求めるように震える。
 どうすればよいのかわからなくなり、レイゾンは白羽から目を逸らす。動けなくなる。

「——レイゾン」

 王の声が一層苛立ちを増す。

 苦しい——。
 選択の苦悩から抜け出したい一心で、もういっそ白羽に「早くしろ」と促そうかとレイゾンが思いかけた——そのときだった。

「お話し中、恐れ入ります——陛下」

 突然、隣から声がした。
 GDだ。
 レイゾンは驚いたが、まさかここでレイゾン以外の誰かが声を発するとは思っていなかったのだろう。
 不意に差し挟まれた声に、王も戸惑ったような顔を見せる。が、無視はできないと思ったのだろう。不機嫌も露な声ではあったが、「なんだ」と応える。
 レイゾンもまた困惑する中、GDは王の声音に構わず、一礼して言葉を続けた。

「先ほどから申し上げたく思っておりましたがなかなか機会がなく……今に至りました。お許しを。……実はこのたび、陛下にこのような宴を催して頂き、ご尊顔を拝する機会を得たことを、わたくしの騏驥が非常に喜んでおり……つきましては是非お礼を披露いたしたい、と」

「!? レイ=ジンがか!? なんだ? 何事だ。もっと前へ出よ。詳しく申してみよ」

 途端、王は興奮したように身を乗り出す。
 酔っているのか赤くなった顔でGDと彼の騏驥を呼ぶと、騏驥に向けて「直答を許す」と上ずった声で続ける。
 それまでとの変わりように、レイゾンは目を丸くした。
 陛下はなにをそんなに興奮しているのか。騏驥からの礼など珍しくないだろう。
 ——と、

「『黒』が相手だからあんなに浮き立っていらっしゃるのですよ」

 ツァイファンが苦笑しながら小声で教えてくれた。目を瞬かせるレイゾンに、彼は続ける。

「元々、騏驥は騎士に対して自由に話しかけられる立場ではありませんし、その言動については騎士が全ての責任を負うことになっていますから、騏驥は主以外の騎士に対して興味を示すことはありません。ただ、これは時と場所と程度の問題で、すれ違いざまに目礼ぐらいする騏驥はちらほらいますし、自分の主と親しい騎士には騏驥も礼儀を尽くすわけです」

「ん……」

 レイゾンは今まで自分が経験したことを思い出す。
 確かに厩舎地区で会った騏驥たちはそうだった。立場上向こうから話しかけてくることはないが、レイゾンが調教をした騏驥などはすれ違う時に静かに挨拶してくれていた。
 ツァイファンが続ける。

「陛下であれば騎士たちが礼を取りますから、その騏驥たちもまた礼儀正しく接するというわけです。ただ……『黒』のレイ=ジンは少し違っていて……」

 意味深に苦笑しながらツァイファンは言う。

(礼儀正しくないどころか騎士を睨む騏驥もいるがな……)
 レイゾンは庭にいる騏驥をちらりと見ながら思ったが、それは口に出さないでおく。
 ツァイファンはさらに続ける。

「ご存じでしょうが、『黒』のレイ=ジンは騏驥たちの中でも特別な『始祖の血を引く騏驥』です。彼らは騎士を選べる騏驥ですから、その分、騎士との繋がりというか忠誠心が他の騏驥たちよりも強いのですよ。その中でも——レイ=ジンは格別というか……」

「…………」

「つまりGD以外には、普段は目も向けないという噂なのです。まあ、噂ではなくほぼ事実なのですが……つまりあれだけ美しいのに他の騎士には非常に素っ気なく……それは陛下も例外ではなかったのです、今までは。なので、そんなレイ=ジンが礼を申し出ているということに、陛下は興奮なさっているわけです」

「…………」

 そんな騏驥が、いるのか。
 レイゾンはそっと件の騏驥をみやる。
『黒』の騏驥レイ=ジンは、王に「前へ」と言われたからかGDの傍らに並ぶように座っている。王はその姿を見ようと今にも立ち上がらんばかりだが、騏驥はといえば静かに頭を垂れており、顔を上げようとはしない。貴人に対しての騏驥の態度としてはおかしくはない……が……。見ないようにしているようにも感じられる。今の話を聞いた後では、どちらかわからない。

 次に話したのも、騏驥ではなくGDだった。

「——陛下にそのように仰っていただき、わたくしの騏驥も光栄に思っていることでしょう。ですが——それゆえ騏驥の身で直接応えることなど恐れ多いようです。代わりにわたくしが奏上いたしますれば、どうやらわたしの騏驥は陛下の御前で騏驥の力を披露したいとか」

「……騏驥……の力……?」

 レイ=ジンからの声がないことにがっかりした様子を見せながらも、王は興味を引かれたようだ。GDは微笑んで続けた。 

「騏驥の優れた能力はすなわち、陛下が統治なさるこの国の国力でございます。よって……自身の『腕』の披露が陛下へのなによりのお礼になるのではと考えてのことなのでしょう」

「つ、つまりなにがしたいのだ? ここで走ってみるわけにはいかぬだろう」

「はい。ですので——剣での立ち合いを。騏驥は馬の姿の時のみならず、人の姿の時もまた闘うことがございます。騏驥として磨いてきた剣の腕を是非陛下に披露したい、と」

 GDの言葉に、辺りから一斉に「ほお……」と声が零れた。
 王も「なるほど」と言いたげな顔だ。自分の騏驥ではないとはいえ、五変騎の一騎である騏驥が、ぜひ自分の腕を見てもらいたい、と言っているのだ。しかもツァイファンによれば、普段は絶対にそんな申し出をしないような騏驥が——だ。
 みるみるうちに王の表情は期待一杯という様子に変わっていく。もうすっかり白羽のことなど忘れたかのようだ。

(そうだ、白羽は)

 レイゾンははっと傍らを見る。
 彼の白い騏驥は、自分から話題が逸れたからか、ほっとしたような様子で脱力していた。
 さっきまではよほど気を張っていたのだろう。

(酷く……震えていた……)

 思い出すと、レイゾンの胸が痛む。
 白羽のことを想えば、すぐにはっきりと断るべきだった。
 そう出来なかった後悔と不甲斐なさに、恥ずかしく情けなくなる。
 せめて慰めてやろうと、白羽の手に手を伸ばす。必死に衣を握り締めていたそれを撫でてやろうと思ったのだ。
 だが。
 白羽はその手を避けるようにして下がってしまった。
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