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54 過日、ダンジァ

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 ◇

 廊下に出て静かに扉を閉めると、ダンジァはふっと小さく息をついた。
 辺りに誰もいないことは、部屋の中にいたときから確認済みだ。騏驥の耳なら部屋の外の音も聞き取れる。周囲に人がいないことを確かめて白羽の部屋を出たから、誰かに見られた心配はない。が、それでもさすがに緊張していたようで、歩き始めてすぐに、妙に身体がぎくしゃくしていることに気づいた。
 城住まいでも、自分はまだこの場所に慣れていないようだ。
 ダンジァは努めて落ち着いた素振りで城の廊下を歩き、自身の控室を目指す。
 
 宴の準備のための、騏驥たちと設営との連絡係を引き受けて正解だった、と思う。
 でなければ白羽のあの酷い様子にも気付けなかっただろう。あのまま独りにさせていたらどうなっていたかと思うと、他人事ながら胸が痛い。

(結局、シィンさまが懸念していた通りになっている……)

 ダンジァは過日のシィンとの会話を思い出し、密かに眉を寄せた。



 ◇



『……父上はいったい何をお考えなのか……』

 二人の逢瀬のための秘密の部屋へやってきた途端——先に来ていたダンジァの顔を見た途端、シィンは疲れたような顔を見せてそう言った。呻くように、大きな溜息とともに言うと、ダンジァに胸の中に飛び込んできた。
 いや——倒れ込んできたというべきか。
 弱り切ったような困り切ったようなその様子には、ダンジァも心配で顔を曇らせてしまったほどだ。

『……拝見してもよろしいですか』

 シィンが手にしているものを意図しながら尋ねると、シィンはダンジァの胸の中で『うん』と頷く。

『父う……陛下からのものだが、封はもう解いてある』

 そう言うと、シィンは持っていた紙をダンジァの手の中に滑り込ませてくる。
 ダンジァはシィンをそっと抱えると、そのまま近くの長椅子に腰を下ろした。
 膝枕してやる格好でシィンを一旦横たわらせると、ダンジァは改めて手の中の文を開く。
 そこに記されていたのは、騏驥を宴に出席させるようにとの通知だった。まだ内々のことだが、五変騎全てを揃えた宴を催す予定である……そういう報せだ。

『…………』

 ダンジァもさすがに絶句した。
 一応、慰労という理由はついてはいるが、この内容をそのまま読めば、騏驥だけを宴に出席させろ、ということになる。騎士についての記載がまるでないのだ。もちろん、許可があれば騏驥単独で行動することもできるが、王が催すような宴の場に騏驥が単独で並ぶなどありえない。
 それでは見世物と同じだ。

 そんなダンジァの胸の内を察してか、シィンは再びはーっと息をつくと、困ったような顔でダンジァを見上げ、そして眉を寄せて目を閉じる。

『陛下にはお断り申し上げた。断ったと言うと外聞が悪いな……”この催しは難しいと思われます”とご助言申し上げた。ご希望に沿う形は無理でしょう——とな』

『…………陛下はご機嫌を損ねるような……』

『もちろん損ねた。いや、損ねた——らしいと聞いている。が、止むを得まい。わたしは騎士として間違ったことは言っていない。わたしは王子だが騎士なのだ。自分の騏驥を無意味に人前に晒す気はない。見せびらかすのはやぶさかではないが、これは違うだろう』

『…………』

『それは他の騎士も同じはずだ。名誉なこと、と陛下は言うが……』

 シィンは語尾を濁す。
 あまりに自分勝手なふるまいとはいえ、自身の父親を非難し続けるのは辛くなったのだろう。
 しかしダンジァだって、そんな宴に出たいと思わない。シィンの父親である国王がシィンに対して冷淡な態度であったところを、ダンジァは既に目撃しているのだ。王とはいえ、そんな人物に呼ばれて嬉しいとは思わない。

 シィンはダンジァの手を取ると、甘えるように弄ぶ。しばらくそうして落ち着いたのだろう。彼は静かに続けた。

『だが……これで考えを改めていただけるかどうかはわからぬ。いや、おそらく形を変えての命令になるのだろう。父上はなんとしても五頭を集めたいようだ』

『なぜでございましょうか』

『わからぬ……。おそらくは慶事があるという言い伝えを信じておられるのだろう。迷信だろうと思うのだがな。でなければ凶事が起こる可能性もあるのだ。そんな賭けのようなことはすべきではない。それに、珍しいとはいえ騏驥が数頭集まっただけで吉事が続くなら、日々疲れるほど政に勤しむ必要などないではないか。そうは思わぬか?』

 微かに唇を尖らせて、シィンは言う。その子供っぽいような仕草に、ダンジァはつい笑ってしまった。可愛らしい。
 普段は王子として、若いながら威厳ある態度のシィンだが、二人だけでいるときは年相応の——むしろそれよりも子供のような表情を見せることがある。いつも張り詰めている気持ちを自分の前では緩めてくれているのだと思うと、それもまたダンジァには嬉しいことだ。
 シィンは続ける。

『だが、父上は目出度いことと信じておられるようだ。もしくは——在位中に五頭全てを揃えた数少ない王の一人として名を残したいのか……』

 無意味なことだと思うのだが。

 ぽつりと零れた声は、小声だが危険な発言だ。誰からも聞かれる心配のないここでしか言えないことだろう。
 この部屋はシィンが張っている結界のために、通常は部屋の場所さえわからないようになっている。シィンが結界を緩めない限り『塔』の魔術師でも簡単には位置を特定できないようだから、ほぼ完全に外界から隔絶された場所ということになる。
 心から寛げる繭のような部屋の中、シィンはいっそう不安そうな面持ちを見せる。

『最近の父上は……少し……思い付きで行動なさることが多いような気がしている……。以前から周囲の意見を聞きすぎるきらいのある方だったのだが、前はもう少し色々と吟味してから動いていたような気がするのだ。本来は慎重なお方だからな。だが……』

 最近はそうでないことが多くなっている気がする、とシィンは言う。

 騏驥であるダンジァは王と対面することはまずないが(正式に騏驥になったときとシィンの騏驥となって入城したときぐらいだ。それも遠くに座る王に対してほぼずっと頭を下げていただけなので会ったとはいいがたい)、息子であるシィンが言うならそうなのかもしれない。
 仲が良くなく、ほとんど顔を合わせない親子とはいえ、行事などがあればまったく会わないわけではないだろうし、人を介して聞こえてくる話もあるだろう。
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