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37 白羽、追憶(3)
しおりを挟む引き寄せられるように、わたしは桌を挟んで座った。身につけているものが薄いためか、少しお尻がヒヤリとした。
そうしていると、見計らったかのように茶が運ばれてきた。そして気がつけば、傍に一人、二人と男が立っていた。帯剣している。彼を護っているのだ。
相変わらず優雅な彼と緊張しているわたしの前に茶が置かれ、さらに、小さな玻璃の器に入った菓子のようなものが置かれる。その繊細さに目を瞬かせるわたしに、彼は「食べなさい」と、それを勧めてくれた。
「砂糖菓子だ」
言いながら、一つ取ってわたしに差し出してくる。
傍らに控えていた人が、息を呑む。が、彼は構わずわたしにその菓子を差し出したままだ。白い綺麗な指に摘まれた菓子は、わたしが知っている砂糖菓子よりももっと綺麗で儚く感じられる。わたしは両手でそれを受け取ると、黙って食べた。
甘いそれは、淡い夢のようにあっという間に口の中で溶ける。美味しいのにもうなくなってしまった、と残念に思っていると、彼は「好きなだけ食べなさい」と笑って言う。
そしてさりげなく手を挙げるような仕草を見せると、側に控えていた男が一人減った。まだ一人残っている。が、彼が目配せするとその一人も見えないところまで下がった。
——二人きりになった。
少なくとも、わたしが感じられる限りは。
彼は相変わらずゆるゆると茶を飲んでいる。寛いだ雰囲気だ。
わたしは美味しい菓子に夢中になる一方で、どうすればいいのかわからなくなっていた。
話があると言っていたのは彼の方だが(そもそもわたしを呼び出したのが彼だ)、彼は何も話そうとしない。こういうときは、わたしが何か芸を見せて彼を楽しませたほうがいいのだろうか? それともただ待っていればいいの?
黙々と菓子を食べながらチラリと彼を見ると、彼は楽しそうに微笑んだ。
「気に入ったなら、もう少し持って来させよう」
「!」
わたしは慌てて首を振った。この菓子は小さいが綺麗で信じられないほど美味しい。きっととても高価だろう。これ以上はもらえない。わたしが仲間の子供たちへのお土産に、と袖に隠した分を確かめていると、彼は声を上げずに笑う。
そのままゆるりと桌に肘をつくと、頬杖をつくようにして面白そうに見つめてきた。あまりにじっと見つめられ、わたしの動きはたどたどしくなる。
色欲混じりに見つめられたことは度々あるが、こうも真っ直ぐに——どういう意図を持ってのことかわからない瞳に見つめられたのは初めてだった。しかもその瞳はとても綺麗なのだ。澄んでいて——でも、やはりどこか物哀しい。
どんな顔をすればいいのかわからず、わたしが困っていると、
「白羽……と言ったか。其方の名は」
涼やかな声で、彼は言った。名前を呼ばれたことだけで心臓が跳ねた。
落ち着かなくなって、向かい合って座っていることが無性に恥ずかしくなって——見られていることがいたたまれなくなって、わたしは頷いたまま俯く。彼は構わず続けた。
「昨夜の其方の舞はとても良かった。……それを伝えたかったのだ」
「…………」
ありがとうございます、と答えたつもりだが、声になっていたかどうかわからない。彼は続けた。
「名に相応しい……そう……遠くへ誘われるような舞であった……。どこか遠くへ……ここではないところへ……どこかへ——」
その声は、それまでと同じように美しい響きを湛えているのに、どこか消えてしまいそうな揺らぎがあった。不安になって、わたしはそっと顔を上げた。彼を最初に見た時の印象が蘇ったのだ。あの——死人のような。
視線の先にいた彼は、幸い——というべきか、先刻と変わらない優美な様子で頬杖をついていた。目が合うと微かに笑う。そのまま、彼は言った。
「よければ……今一度ここで舞って見せてはくれぬか」
「…………」
一瞬、戸惑った。
それが、今日わたしをここへ読んだ理由?
ここで再び舞うことが?
困惑の中、彼を見つめると、彼は先刻と変わらない穏やかな貌で見つめ返してきた。真っ直ぐにわたしを見る瞳。
彼が望むなら、そうすることは当然のように思えた。
わたしは無言のまま立ち上がると、距離を取るように少し離れる。と、丁度、適度に足場の良い場所が見つかった。
衣装はなく普段着だ。丈も碌に合っていない、擦れた衣。扇すらもない。でも構わなかった。楽もない。でも風の音、木々が鳴らす葉の音、鳥の囀りがある。緊張はない。足の痛みももう癒えた。
わたしは目を閉じてゆっくりと息を継ぐ。
風が吹いている。緑と花の香り。陽はうららかだ。心地良い——。
再び瞼を上げた時、一際強く風が吹いた。大きく足を踏み出す。髪が乱れる。構わなかった。初めて両目で彼を見た。
美しい人。なのに儚い。壊れそうな、細やかで綺麗な器。否——もう何処かに罅が入っているのかもしれない。もしかしたら——物心ついた時から。
何もかも見えるような瞳をしていて、何もかも見てしまったから悲しんでいるような——そんな人。
彼はわたしの色の違う瞳を見ても、顔色を変えなかった。ただずっと、わたしを見ていた。昨夜のように。
わたしは脚を伸ばす。腕を伸ばす。指先を。足先を。ゆるりと——あるいは速やかに。首を巡らせ、身を捩り、舞いながら彼を見つめ続ける。
連れて行きたい。彼が望むのなら。貴方が求めるのなら。どこかへ——どこか遠くへ——ここではないどこかへ——。せめてこのひとときだけでも。
気づけばふと、音が聞こえた。——歌が。
細い声。彼が口ずさんでいた。わたしには意味のわからない歌。けれど美しい歌。彼のような。消えそうな、けれど心惹かれる物悲しくも趣深く切ない声音。ずっと聞いていたいのに、いつか終わるとわかっているからなおさら愛しく感じるような。
声が少しずつ近くなる。彼が近づいてくる。
——歌が止んだ。
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