上 下
41 / 239

37 白羽、追憶(3)

しおりを挟む


 引き寄せられるように、わたしは桌を挟んで座った。身につけているものが薄いためか、少しお尻がヒヤリとした。
 そうしていると、見計らったかのように茶が運ばれてきた。そして気がつけば、傍に一人、二人と男が立っていた。帯剣している。彼を護っているのだ。
 相変わらず優雅な彼と緊張しているわたしの前に茶が置かれ、さらに、小さな玻璃の器に入った菓子のようなものが置かれる。その繊細さに目を瞬かせるわたしに、彼は「食べなさい」と、それを勧めてくれた。

「砂糖菓子だ」

 言いながら、一つ取ってわたしに差し出してくる。
 傍らに控えていた人が、息を呑む。が、彼は構わずわたしにその菓子を差し出したままだ。白い綺麗な指に摘まれた菓子は、わたしが知っている砂糖菓子よりももっと綺麗で儚く感じられる。わたしは両手でそれを受け取ると、黙って食べた。
 甘いそれは、淡い夢のようにあっという間に口の中で溶ける。美味しいのにもうなくなってしまった、と残念に思っていると、彼は「好きなだけ食べなさい」と笑って言う。
 そしてさりげなく手を挙げるような仕草を見せると、側に控えていた男が一人減った。まだ一人残っている。が、彼が目配せするとその一人も見えないところまで下がった。
 ——二人きりになった。
 少なくとも、わたしが感じられる限りは。
 
 彼は相変わらずゆるゆると茶を飲んでいる。寛いだ雰囲気だ。
 わたしは美味しい菓子に夢中になる一方で、どうすればいいのかわからなくなっていた。
 話があると言っていたのは彼の方だが(そもそもわたしを呼び出したのが彼だ)、彼は何も話そうとしない。こういうときは、わたしが何か芸を見せて彼を楽しませたほうがいいのだろうか? それともただ待っていればいいの?
 黙々と菓子を食べながらチラリと彼を見ると、彼は楽しそうに微笑んだ。

「気に入ったなら、もう少し持って来させよう」

「!」

 わたしは慌てて首を振った。この菓子は小さいが綺麗で信じられないほど美味しい。きっととても高価だろう。これ以上はもらえない。わたしが仲間の子供たちへのお土産に、と袖に隠した分を確かめていると、彼は声を上げずに笑う。
 そのままゆるりと桌に肘をつくと、頬杖をつくようにして面白そうに見つめてきた。あまりにじっと見つめられ、わたしの動きはたどたどしくなる。
 色欲混じりに見つめられたことは度々あるが、こうも真っ直ぐに——どういう意図を持ってのことかわからない瞳に見つめられたのは初めてだった。しかもその瞳はとても綺麗なのだ。澄んでいて——でも、やはりどこか物哀しい。
 どんな顔をすればいいのかわからず、わたしが困っていると、

白羽バイユィ……と言ったか。其方の名は」

 涼やかな声で、彼は言った。名前を呼ばれたことだけで心臓が跳ねた。
 落ち着かなくなって、向かい合って座っていることが無性に恥ずかしくなって——見られていることがいたたまれなくなって、わたしは頷いたまま俯く。彼は構わず続けた。

「昨夜の其方の舞はとても良かった。……それを伝えたかったのだ」 
 
「…………」

 ありがとうございます、と答えたつもりだが、声になっていたかどうかわからない。彼は続けた。

「名に相応しい……そう……遠くへ誘われるような舞であった……。どこか遠くへ……ここではないところへ……どこかへ——」

 その声は、それまでと同じように美しい響きを湛えているのに、どこか消えてしまいそうな揺らぎがあった。不安になって、わたしはそっと顔を上げた。彼を最初に見た時の印象が蘇ったのだ。あの——死人のような。

 視線の先にいた彼は、幸い——というべきか、先刻と変わらない優美な様子で頬杖をついていた。目が合うと微かに笑う。そのまま、彼は言った。

「よければ……今一度ここで舞って見せてはくれぬか」

「…………」

 一瞬、戸惑った。
 それが、今日わたしをここへ読んだ理由?
 ここで再び舞うことが?

 困惑の中、彼を見つめると、彼は先刻と変わらない穏やかな貌で見つめ返してきた。真っ直ぐにわたしを見る瞳。
 彼が望むなら、そうすることは当然のように思えた。

 わたしは無言のまま立ち上がると、距離を取るように少し離れる。と、丁度、適度に足場の良い場所が見つかった。
 衣装はなく普段着だ。丈も碌に合っていない、擦れた衣。扇すらもない。でも構わなかった。楽もない。でも風の音、木々が鳴らす葉の音、鳥の囀りがある。緊張はない。足の痛みももう癒えた。

 わたしは目を閉じてゆっくりと息を継ぐ。
 風が吹いている。緑と花の香り。陽はうららかだ。心地良い——。

 再び瞼を上げた時、一際強く風が吹いた。大きく足を踏み出す。髪が乱れる。構わなかった。初めて両目で彼を見た。
 美しい人。なのに儚い。壊れそうな、細やかで綺麗な器。否——もう何処かに罅が入っているのかもしれない。もしかしたら——物心ついた時から。
 何もかも見えるような瞳をしていて、何もかも見てしまったから悲しんでいるような——そんな人。

 彼はわたしの色の違う瞳を見ても、顔色を変えなかった。ただずっと、わたしを見ていた。昨夜のように。
 わたしは脚を伸ばす。腕を伸ばす。指先を。足先を。ゆるりと——あるいは速やかに。首を巡らせ、身を捩り、舞いながら彼を見つめ続ける。

 連れて行きたい。彼が望むのなら。貴方が求めるのなら。どこかへ——どこか遠くへ——ここではないどこかへ——。せめてこのひとときだけでも。

 気づけばふと、音が聞こえた。——歌が。
 細い声。彼が口ずさんでいた。わたしには意味のわからない歌。けれど美しい歌。彼のような。消えそうな、けれど心惹かれる物悲しくも趣深く切ない声音。ずっと聞いていたいのに、いつか終わるとわかっているからなおさら愛しく感じるような。

 声が少しずつ近くなる。彼が近づいてくる。
 ——歌が止んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

ブレスレットが運んできたもの

mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。 そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。 血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。 これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。 俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。 そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】

迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。 ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。 自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。 「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」 「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」  ※表現には実際と違う場合があります。  そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。  私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。  ※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。  ※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 ハッピーエンド保証! 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります) 11月9日~毎日21時更新。ストックが溜まったら毎日2話更新していきたいと思います。 ※…このマークは少しでもエッチなシーンがあるときにつけます。 自衛お願いします。

処理中です...