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【番外】離宮へ(18)

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 ◇


 翌朝、シィンが朝食のために庭へ赴くと、既に卓についていたルゥイは僅かに緊張したような顔を見せた。
 シィンもまた緊張していたが、それは表に出さないように注意しつつ卓に着く。
 母は相変わらず美しく、どことなくよそよそしい。

 円卓の上には、いくつかの飲み物が用意されている。玻璃の器に入った美しい色の果汁。何気なく見つめていると、どこからか、鳥の声が聞こえてきた。
 朝の庭は、草の香りがする清々しい空気と、葉陰が作る柔らかな光が心地良い。シィンは思わず、城に戻ってからの朝食も庭で食べてはどうだろうかと思ったりする。

 そして同時に、ダンジァのことを思った。
 昨夜、思いがけず会うことができて話すことができて……口付けを残して厩舎へ帰って行った彼。
 彼は今何をしているだろうか。いつもなら、朝の調教をしている時間だが……。一人で走っているだろうか。それとも彼も食事しているだろうか?
 
 今朝、こうして躊躇わずにルゥイと対面できているのも、彼のおかげだ。彼が励ましてくれたから——弱気になっていたシィンを諌めてくれたからだ。——愛情を持って。

 シィンは母に「おはようございます」と挨拶すると、次いでルゥイに向き、「おはよう」と笑顔で挨拶した。

「いい天気だ。過ごしやすい良い一日になりそうだな」

「……! ぁ……お、おはようございます、兄上! そうですね!」

 返ってきた声は、驚いているような喜んでいるような、だ。
 シィンは小さく苦笑すると、直後、ふ、と真顔になってルゥイを見つめた。彼にははっきり見えないとしても、きちんと伝えたいから。

「……昨日は……お前に悲しい思いをさせてすまなかった。今日は、一日全てお前のために時間を使おうと思っている。話したいことがあれば、なんでも、どれだけでも聞こう。希望があれば、再び騏驥にも会わせる」

「! 本当ですか!?」

 その途端、ルゥイの表情がパッと明るくなった。
 運ばれてくる朝食のことなど全く気にしていないかのようにシィンの方に身を乗り出してくる。

「もちろん本当だ」

 シィンは頷きながら言うと、「まずは食べろ」とルゥイに食事をすすめる。肉を炙ったいい香りがしている。
 
 母の方に向き直ると、案の定、その表情は厳しかった。
 目は合わない。合わせようとしてくれない。けれど横顔は、直前のシィンの言葉をはっきりと非難している。

 シィンは静かに深呼吸すると、ぎゅっと拳を握りしめて口を開いた。

「……母上。そういうわけですので、今日一日、ルゥイのことはわたしにお任せください」

「…………」

 ようやっと、視線がシィンに向けられる。
 責められているように感じるのは、シィンの考えすぎだろうか?
 母は何か言おうとするかのように口を開きかけたが——何も言わない。

 静かにこちらを見つめてくる瞳を見つめ返して、シィンは言葉を継いだ。

「ご安心ください。ルゥイに危険な真似はさせません。もしご心配なら母上もぜひご一緒にいかがですか。今日はずっとルゥイと一緒にいるつもりですが、二人きりでなければというわけではありませんから」

「…………」

「それに……警護として、塔から魔術師を一人と城から『王の騏驥』を一騎呼び寄せました。程なく到着するでしょう。離宮ここが安全なことは承知していますが、わたしが来たことでもし不測の事態が起ころうとも、ルゥイのことは必ず守ります」

 そう、これが昨夜シィンが行ったことだ。
 符で簡易の使い魔を生み出し、塔と城へ送った。

「……っ……母上!」

 と、そこにルゥイの声が飛び込んできた。
 彼はいつの間にか食事の手を止め、シィン同様に母に向いていた。

「母上、わたしは、今日は兄上と一緒にいたいです。ずっと……ずっとずっと兄上と会うのを楽しみにしていました。色々とお話しするのを楽しみにしていたのです。母上も、ご存知ですよね……? 今日のために、この数日はいつもより勉強もしました。それに……それに……ええと……」

 そして彼は懸命に言葉を継ぐ。
 すると、

「わかりました」

 そんなルゥイの声を遮るように、母が言った。

「二人で過ごすといいでしょう。喧嘩せぬよう——仲良くするのですよ」

 シィンには固いような声音に聞こえたが、ルゥイは気づいていないのか気にしていないのか、構わずに「はい!」「やった!」と声を上げる。

「ありがとうございます、母上。兄上、たくさんお話ししましょうね!」

 そしてルゥイは弾けるような笑みでシィンに言ったかと思うと、中断していた食事を再開する。さっきまでよりも旺盛な食欲だ。
 一方シィンはといえば……母が許してくれたことに安堵しつつも落ち着かない。
 すると母は、目を伏せるようにして茶を飲みながら再び口を開いた。

「……兄弟二人が同じことを望んでいるのなら、わたしが口を出すことではないでしょう。それに……二人とも、やって良いこととそうでないことの判断はもうできるでしょう。ただ……シィン」

「——はい」

「わざわざルゥイのために警護を増やしてくれたことには礼を言いますが……。警護よりも大切なことを、忘れぬように。……いいですね」

 くれぐれも、ということだろう。
 シィンは頷いたものの、正直なところ母の言いつけを守れるかどうかは自信がない。
 シィンにそのつもりはなくてもルゥイがどう行動するかまではわからないからだ。弟は、騏驥に
 しかも今日は、そのことついて詳しく話を聞こうと思っているのだから。

(ルゥイの真意や騏驥への想いを聞きつつ、必要以上に騏驥への感情を煽らないようにする……か……)

 難しいな、と思いつつシィンが傍を見ると、ワクワクした様子を隠そうともしないルゥイが「楽しみです、兄上!」と笑顔で言う。
 シィンは一瞬呆気にとられたのち微苦笑を浮かべ——。
 ——心からの笑顔で「そうか」と頷く。


 母の言葉よりも何よりも、今日はただ、何も考えずただ彼のために過ごしたい。
 兄として、そのためにやってきたのだからと——そう思いながら。

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