147 / 151
【番外】離宮へ(17)
しおりを挟む「初めて聞く話で驚くばかりだが……よく教えてくれた。離宮の騏驥たちが不安に思うのも理解できるし、わたしからそれとなくルゥイに尋ねてみよう。まったく……あいつときたら、ちっともおとなしくしておらぬ。昔からそうなのだ。困ったものだ」
自由すぎる可愛い弟を思いながらシィンがぼやくように言うと、ダンジァは小さく笑う。
「どうした。何がおかしい」
「いえ……。やはり仲のいいご兄弟だ、と。シィンさまは良い兄上ですね」
「! 」
思いがけない褒め言葉に、シィンは頬が熱くなるのを感じる。誤魔化すように言葉を継いだ。
「……と——ともかく、そうなるとますますお前の力を借りることになるかもしれぬな。明日は……よろしく頼む」
「畏まりました。すべて、シィンさまの良きように」
「うん……。ではそろそろ戻るとするか」
シィンは言うと、ダンジァの手を借りて立ち上がる。
「遠いので」と、ダンジァは再びシィンを抱えてくれたが、戻る歩みは来た時よりもゆっくりだ。そして彼の腕に抱かれているシィンも、「どこかへ連れて行ってほしい」と頼んだ時に比べれば、遥かに穏やかな気持ちになっていた。
——落ち着いた。
醜態を見せてしまったけれど、ダンジァに会えてよかった。彼と話せてよかった。
あのままだったなら、きっと間違った選択をしていただろう。
あたりは相変わらず真っ暗だ。けれど夜目の効くダンジァに抱かれていると、不安は全くない。
部屋のある建物までは少し長い散歩になるが、それも嬉しい。
夜の空気。草の香り。恋人の息遣い。温もり……。
ダンジァはチラリとダンジァを見上げる。
男らしい顎のライン。そして——唇。
目に入った途端にわかに衝動が沸き起こり、シィンは湧いてきた生唾を飲み込んだ。微かにみじろぐ。考えてみれば、こんなに触れ合っているのだ。胸の中がざわつかないわけがない。
シィンはドキドキする胸をなんとか宥めながら、誤魔化すように明日について考える。
ルゥイとの仲直りは当然だが、そのためにも母を安心させる必要はあるだろう。元々この離宮はかなり安全なはずだが(母の意向で身元の確かなものしか仕えていない)、自分が来たことで母は不安になっているはずだ。
大丈夫なはずだけれど——はずだけれど、もしかしたら、また何か起こってしまうかもしれない——と。
となれば、その不安を払拭しなければ。
そうでなければ、ルゥイと二人で気軽に話すことも遊んでやることもできないだろう。ダンジァと会わせることも。最悪の場合、母に止められる可能性がある。
(あいつが騏驥に興味を持っているらしい話を詳しく聞くためにも、なんとか二人で話したいからな……)
だとしたら……。
シィンが、自分にできる限りの警備強化のための手段を考えていると、
「——シィンさま」
囁くようなダンジァの声がした。
ハッと見ると、もう建物の近くだ。先刻、シィンが飛び降りた部屋の近く。まだ窓が開いているのが見える。
どうやって部屋に戻ろうかと——シィンが考えたとき。
「捕まっていてください」
再び、囁くようなダンジァの声がしたかと思うと、彼に抱かれている身体が軽く揺れる。
直後、シィンは自分の視界の位置が変わっているのに気づいた。宙に浮いている。
いや——。
ダンジァが、窓の近くにある木に飛び乗ったのだ。
「ここからなら、お部屋に戻りやすいのでは?」
そして悪戯っぽく言うダンジァに、シィンも思わず笑みをこぼす。
少し距離はあるけれど、確かにシィンならここから部屋に飛び移れるだろう。そうして戻れば、今夜部屋を出たことは誰にも知られずに済む。
「そうだな。ありがとう、ダン」
しかしシィンがそう返事をしても、ダンジァの腕は弛まない。
どうしたのだろう……と思ったとき。
(!)
シィンの唇に、温かなものが触れた。
温かで柔らかくて……覚えのある感触だ。
——ダンジァの唇。
シィンの身体を抱く腕にも力が込められ、シィンはその強さにうっとりと身を委ねる。
「ん……」
鼻にかかった声が漏れてしまうのが恥ずかしい。
久しぶりの口づけは一瞬でシィンを虜にする。
触れて——離れて。また触れて。
柔らかな、優しい口づけだ。激しさはない。でも愛情はうんと伝わってくる甘い口づけ。
唇を擽るようにぺろりと舐められ、シィンもそっとやり返すと、ダンジァが笑った気配がした。
時間にすればほんの僅かなひとときだっただろう。けれど胸の中は幸福感でいっぱいになる。だから、唇が難れても寂しくない。
シィンが間近から見つめると、
「…………申し訳ありません……」
ダンジァが謝った。
「我慢できませんでした……」
続いた言葉に、シィンは]胸の奥がぞくぞくした。
「……構わぬ。わたしも望んでいた」
「は……。い、一応辺りは確認いたしておりますので。それに木の上ですので誰にも見られてはいないかと」
「…………お前……まさかそのために木の上に飛び乗ったのか? わたしが部屋へ戻りやすくなるからという理由だけでなく……」
もしかして、とシィンが尋ねると、ダンジァは黙る。
見つめたら、目を逸らされた。図星なのだろう。良く見えないが、なんとなく耳も赤くなっている気がする。
シィンは相好を崩した。胸が熱くなる。自分が彼に触れたいと思っていたように——彼もそう想ってくれていたのだ。
「お前も……そんなことがあるのだな」
「——いつでもです」
ダンジァは言った。
「いつでも——シィンさまに触れたいと思っております。できることならいつも側にいて……ずっと見つめていたい、ずっと触れていたい——と」
その声からは——視線からは、欲望以上のダンジァの想いが伝わってくる。
シィンはその想いをこの上なく大切なものとしてまっすぐに受け止めると、最愛の騏驥を見つめ返し、深く頷いた。
「——わたしもだ」
そしてもう一度だけ軽く唇を重ねると、シィンは自身の部屋へ戻った。
厩舎へ帰っていくダンジァの姿が見えなくなるまで目で追うと、やがて、持っていた符を一枚取り出す。
ダンジァのためにも、明日の準備をしなければ。
手際よく折り、ふっと息を吹きかけると、符は鳥に姿を変える。
窓から放つと、それは羽ばたいて夜の中に飛んでいった。
2
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説
西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~
雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。
元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。
※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。
悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活
束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。
初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。
ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。
それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。
愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【R18】清掃員加藤望、社長の弱みを握りに来ました!
Bu-cha
恋愛
ずっと好きだった初恋の相手、社長の弱みを握る為に頑張ります!!にゃんっ♥
財閥の分家の家に代々遣える“秘書”という立場の“家”に生まれた加藤望。
”秘書“としての適正がない”ダメ秘書“の望が12月25日の朝、愛している人から連れてこられた場所は初恋の男の人の家だった。
財閥の本家の長男からの指示、”星野青(じょう)の弱みを握ってくる“という仕事。
財閥が青さんの会社を吸収する為に私を任命した・・・!!
青さんの弱みを握る為、“ダメ秘書”は今日から頑張ります!!
関連物語
『お嬢様は“いけないコト”がしたい』
『“純”の純愛ではない“愛”の鍵』連載中
『雪の上に犬と猿。たまに男と女。』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位
『好き好き大好きの嘘』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高36位
『約束したでしょ?忘れちゃった?』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高30位
※表紙イラスト Bu-cha作
アリアドネが見た長い夢
桃井すもも
恋愛
ある夏の夕暮れ、侯爵令嬢アリアドネは長い夢から目が覚めた。
二日ほど高熱で臥せっている間に夢を見ていたらしい。
まるで、現実の中にいるような体感を伴った夢に、それが夢であるのか現実であるのか迷う程であった。
アリアドネは夢の世界を思い出す。
そこは王太子殿下の通う学園で、アリアドネの婚約者ハデスもいた。
それから、噂のふわ髪令嬢。ふわふわのミルクティーブラウンの髪を揺らして大きな翠色の瞳を潤ませながら男子生徒の心を虜にする子爵令嬢ファニーも...。
❇王道の学園あるある不思議令嬢パターンを書いてみました。不思議な感性をお持ちの方って案外実在するものですよね。あるある〜と思われる方々にお楽しみ頂けますと嬉しいです。
❇相変わらずの100%妄想の産物です。史実とは異なっております。
❇外道要素を含みます。苦手な方はお逃げ下さい。
❇妄想遠泳の果てに波打ち際に打ち上げられた妄想スイマーによる寝物語です。
疲れたお心とお身体を妄想で癒やして頂けますと泳ぎ甲斐があります。
❇座右の銘は「知らないことは書けない」「嘘をつくなら最後まで」。
❇例の如く、鬼の誤字脱字を修復すべく激しい微修正が入ります。
「間を置いて二度美味しい」とご笑覧下さい。
前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています
矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜
――『偽聖女を処刑しろっ!』
民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。
何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。
人々の歓声に包まれながら私は処刑された。
そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。
――持たなければ、失うこともない。
だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。
『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』
基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。
※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)
ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました
中七七三
恋愛
わたしっておかしいの?
小さいころからエッチなことが大好きだった。
そして、小学校のときに起こしてしまった事件。
「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」
その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。
エッチじゃいけないの?
でも、エッチは大好きなのに。
それでも……
わたしは、男の人と付き合えない――
だって、男の人がドン引きするぐらい
エッチだったから。
嫌われるのが怖いから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる