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【番外】離宮へ(15)

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 ◇

 
「…………と言うわけで、せっかくわたしと話がしたい、とやって来たルゥイに酷いことをしてしまった自分に嫌気がさして、どうしようもなくて……ついお前の名前を呼んでしまったと言うわけだ。——お前に、会いたかった。でも部屋からは厩舎も見えなくて……。暗いし、お前の姿も探せないと思ってたのに、お前が下にいて……。驚いて……嬉しくて……思わず飛び降りてしまったというわけだ……」

 シィンが今夜起こったことをゆっくり話し終えると、ダンジァは、「そうでしたか……そんなことが……」と、背後で深く頷く。

 彼は、シィンの話を親身になって聞いてくれた。
 上手く話をまとめられず、時系列や想いが前後しても、彼はそれを責めたりせず、特に先を促すわけでもなければ焦らせることもなく、辛抱強く、そして丁寧に——シィンが話しやすいように聞いてくれていた。
 そのおかげで、シィンは全てを伝えることが出来たと思う。
 自分が感じた悲しさも、自分の愚かさも全部。——隠すことなく。

 彼に会うまでは、ルゥイにしたことを話すと眉を顰められるのではと不安だったけれど、会ってみれば全てを話すことが自然に思えた。自分を取り繕うこともなく、ありのままを。

 そしてシィンは、ダンジァに向き直る。身体ごと。
 少し前までは顔を見られたくないと思っていたけれど、今は彼の顔が見たい。
 窘められるとしても、諫められるとしても——ちゃんと彼の顔を見たい。

 するとダンジァは——シィンの騏驥は、向き直ったシィンを膝の上に抱いたまま、

「ご無理を申し上げたにもかかわらず、話して下さりありがとうございました」

 と、静かに言った。
 シィンは首を振る。

「礼を言われるようなことはしていない。むしろ、ここでお前に話せてよかった。……話していて思ったのだ。やはりわたしは、明日ここを発とうと思う。ルゥイとの約束をたがえてしまうことになるが、あんなひどいことを言ったわたしとは、もう顔を合わせたくはないだろう。わたしがいれば、それだけルゥイに嫌な思いをさせてしま……」

「——シィンさま」

 と。
 珍しく、ダンジァがシィンの言葉を遮るように言った。
 はっと見ると、ダンジァはじっとシィンを見つめて言った。

「それは、すべきではないと存じます。当初のご予定通り、明後日に城へ戻るほうがよろしいかと」

「なぜ……」

「ルゥイさまのためには、その方がいいと思うからです」

「だが——」

「このまま早々に城へ戻ってしまっては、ルゥイさまに悲しい思いをさせただけになってしまうのではないでしょうか。言ってしまったことはもう取り返せないとしても、明日一日かけて、ルゥイさまと良い思い出を作ったほうがいいのではないかと思うのです。今夜のことを忘れさせるほどの楽しい時間を持った方がいいのでは、と」

「…………」

 ダンジァは真っ直ぐにシィンを見つめ、諭すように言ってくる。
 シィンは唇を噛んだ。
 彼の言うことは理解できる。
 それに、

(わたしだって、本当は……)

 予定通りに、ルゥイとの時間を持ちたい。
 そのつもりでやってきたのだから。

 けれど……。

(ルゥイは……会いたくないのでは……)

 彼に、怖い兄だと思われたのではないだろうか。
 嫌な兄だと。
 もう会いたくない——と。

 知らず知らずのうちに俯いてしまうと、「お叱りを覚悟で申し上げますが——」と前置きして、ダンジァが口を開く。
 
「さきほど、シィンさまは『あんなひどいことを言ったわたしとは、もう顔を合わせたくはないだろう』と仰いました。ですが……顔を合わせたくないのはシィンさまの方ではございませんか……? 顔を合わせたくない……合わせづらい……と……」

「……そうだ」

 シィンは項垂れたまま頷いた。ダンジァの賢さが、今は恨めしい。

「ルゥイに……嫌われたのではないかと思うのだ。久しぶりにやって来たかと思えば八つ当たりのように怒鳴る兄など……」

「……シィンさまが不安に思われるお気持ちはよくわかります。ですが……このまま城へ帰っては、仲直りする機会すらなくなってしまうのではありませんか? それどころか、ルゥイさまのお気持ちを知る機会すら」

「ルゥイの気持ち?」

「はい。今夜のことをどう思っていらっしゃるのか……です」

「……それは……」

 確かに、それはそうだ。だが……。

(怖がられたり嫌われてしまったなら、わざわざ確かめたくはない……)

 シィンは思う。
 しかしダンジァは、そんなシィンにふっと微笑んだ。
 戸惑いに目を瞬かせるシィンに、ダンジァは言う。

「自分は今日初めてルゥイさまにお会いしただけですし、お目にかかった時間もほんの僅かでした。ですが、そんな短い間でも、シィンさまとルゥイさまがとても仲のいいご兄弟であることは伝わってきました」

 思い出すように、噛み締めるように、ダンジァは言う。
 ゆっくりと、シィンに言い聞かせるように。

「シィンさまもルゥイさまも、それぞれにお心を痛めておいでかと存じますが、今までずっと仲の良かったお二人が、今夜のことだけで仲たがいされるとは思えません。ここは、シィンさまが勇気をもって本来のご予定通りに、ルゥイさまのために、ルゥイさまとご一緒に明日をお過ごしになるのがよいのではないかと存じます。もちろん、自分も微力ながらお手伝いいたします。なんなりとお申し付けくださいませ。お二人が楽しく過ごせるように尽力いたします」

 そう言うと、ダンジァはぎゅっとシィンの手を握り締めてくる。
 大きくて温かな手だ。愛情と忠誠心の強さが伝わってくる。
 言葉遣いこそいつもの彼らしい丁寧なものだが、今の彼は、騏驥としてというよりも恋人として接してくれている気がする。
 ——シィンが心の奥底で望んでいるように。

 そして、こんな風に"正しく"助言して励ましてくれる存在は貴重だ。
 けれど……シィンは頷けない。

「お前の……言うことはよくわかる。わたしも……出来ればその方がいいのだろうと思う。だが……母上が……」

「——シィンさま」

 すると、さっきまでと一変。
 ぴん、と張り詰めたようなダンジァの声がした。

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