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【番外】離宮へ(4)
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「——兄上!」
そして、案の定——というべきだろうか。
離宮を取り囲む高い石塀と木立を抜けて馬車は進み、しかしまだ屋敷の前に着くか着かないかという辺りに差し掛かった時。
そんな声がどこからか聞こえたかと思うと、ゆっくりと、馬車が止まった。
シィンは苦笑する。
予想通りだ。
きっと待ちかねて迎えに出てくるだろうと思っていたが……。
「こら、危ないだろう」
ダンジァの手を借りて馬車から降りながら、シィンが窘めるように言うと、彼の弟、ルゥイは車寄へと続く道の端から姿を見せ「えへへ」とはにかむように笑った。
屈託のない笑顔。
陽に透ける淡い茶色の髪は愛らしい巻き毛で、ふわふわと風に揺れている。
薔薇色の頬は、シィンと三つしか違わないようにも見えないほどの、まるで少年そのままのような愛くるしさだ。
会うのは1年ぶりだろうか。そう、去年の誕生日以来だ。背は少し伸びたように思うが、同じ年頃の者に比べれば小柄だろう。手足も細い。
そしてその目は、青く美しく澄んだ色をしているのに、今はほとんど何も映さない。
視力と成長と引き換えに命を取り留めたと、医師は言っていた。
加護の魔術のおかげで、毒に命を奪われることはなかったと。
けれどその後遺症は重く、ルゥイは今も使える魔術力の全てを生命の維持に使い、そのため、王族でありながら騎士になれない身体になってしまった。
(わたしの……身代わりに……)
シィンは、思い返しては顔を曇らせてしまいそうになるのを寸でのところで堪えると(すまなく思って暗い表情になってしまうと、ルゥイにはなぜか気付かれてしまうのだ)、「こちらへ」とルゥイを手招く。
光の有無やぼんやりとした物の形ぐらいしかわからないルゥイだが、離宮に住んで長いためか、この敷地の中では不自由なく動き回れる。
今も危なげなく近くまで来ると、一旦は礼儀通りに王太子に対しての丁寧な挨拶をしたが、直後、すぐに兄に向ける笑顔になった。
「ごめんなさい。でも、どうしても待ちきれなかったのです」
弾む声でそう言うと、ぎゅっと抱き着いてくる。
額には汗が浮いている。きっと走ってきたのだろう。
シィンは苦笑した。
「毎回のこととはいえ、御者がいつも止めるとは限らないのだぞ。馬車が通り過ぎたらどうするつもりだったのだ」
「そんなの平気です! 兄上の御者なのですから信じております。だいたい、こんなに遅く来られるのがいけないのです。待ちくたびれました」
「いつもと同じだろう」
「いつもと同じでは遅いです。わたしが今日の日をどれだけ待っていたかご存じなくせに!」
そう言うと、ルゥイは期待に目をキラキラさせながら、すぅっとシィンの傍に——ダンジァに視線を移す。
シィンはやれやれと苦笑した。
「まったく……。ちゃんと屋敷に着いてから紹介しようと思っていたというのに、こんなところで……。ああ、そうだ。彼がわたしの騏驥だ」
シィンの声と同時に、ダンジァがその場に片膝をつく。シィンが贈った、赤を基調とした衣を纏ったその騏驥は、自身の誠実さと精悍さを示すようにルゥイを見つめ、
「はじめてお目にかかります。ダンジァと申します」
と挨拶した。
相変わらず耳触りのいい、良い声音だ。響く上に聞き取りやすく、低音は聞く者を心地よくほっとさせる。
ルゥイもそう感じたのだろう。ぱっと顔を輝かせると、「うん」と大きく頷いた。
「ダンジァか……。声だけでもわかるぞ、素晴らしい騏驥だ。五変騎の一頭——『赤』だと聞いている」
「はい」
「兄上は、ずっとご自分のための騏驥を持たなかった。ずっとずっと一番の良い騏驥を探しておられて……。きっと、其方と出会うのを待っていたのだろう」
それまでシィンと話していた時のような、どこか甘えの漂う可愛らしい”弟”の声ではなく、王族の一人としてのしっかりとした声でそう言うと、ルゥイは再び「うん」というように頷く。
そして少し迷うような顔を見せたのち、シィンに向いた。
「兄上……」
「ん?」
「彼に触れてもよろしいですか?」
その声は、いつもの彼らしくない神妙さだ。
他人の騏驥に——それも王太子の騏驥に触れるということがどういうことか、よくよく理解しているのだ。
騎士にはなれなくなってしまったとはいえ、ルゥイはシィンの弟。騏驥によって国を発展させた成望国の王子の一人だから。
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