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【番外】離宮へ(3)

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 ◇

 数日後、シィンは腹心であるウェンライに留守を任せ、予定通り、ダンジァとごく数名の供の者たちと離宮へ赴いた。
 王都の南端に位置するそこは王妃である母と弟の住まいで、周囲を緑に囲まれている。
 常駐している騏驥は二騎。加えて魔術師もいる上、結界が二重に張られており、離宮とはいえ強固な警護体制となっている。
 ——王妃の依頼によって。

 仕えている者たちも主に王妃の意向で選ばれた者たちで、だからシィンにとっては、いつも少し緊張する場所だ。
 王太子という立場上、殆どどんな場所にも平気で立ち入れるが、離宮だけは『塔』並みに身構えてしまう。

(二晩……か……)

 馬車に揺られて向かいながら、シィンはこれから過ごす三日間のことを考える。
 いつもは日帰りだったから、今回ダンジァを連れていてもせいぜい一泊だろうと思っていたのに、ルゥイのたっての希望によって、二泊することになってしまった。
 政務が忙しいと言えば短縮できただろうが、そんな風に自分との時間を待ち侘びてくれているルゥイは可愛い。
 それを思うと、嘘をついて早く切り上げることはしたくなかった。
 
 しかし……。

(母上は……母上もそれでいいと思ってくださっているのか……)

 想像すると、ますます緊張してしまう。
 ふう、とつい溜息をついてしまうと、

「シィンさま、少し外をご覧になっては? この辺りは近郊から運ばれた作物の市が立っているようです。賑やかですよ」

 外から声がかけられた。
 ダンジァだ。

 彼は今、人の姿でシィンの馬車の隣を歩いている。「輪」がなければシィンの従者のようにも見えたかもしれない。けれど彼は人ではなく騏驥。つまり、人よりも耳がいい。きっと、シィンの溜息を聞いて——気にして、気分転換を提案してくれたのだろう。

 シィンはそんな彼の心遣いを嬉しく思いながら、そっと馬車の物見窓を開けた。
 ごくごく私的な外出だから、馬車はお忍び用の地味なものだし大きさもさほどではない。供の人員も少ないから、周囲からはシィンが乗っているとは気付かれていないようだ。
 街の人々は皆、それなりに礼儀正しく馬車を避けてくれるが、それ以外では普段通りの生活をしているように見受けられる。

 荷台を曳いて行き来している者たちもいれば、籠いっぱいに葉野菜を抱えている女性たちもいる。言葉の感じも様々なら、服装も様々だ。ダンジァが言っていたように、王都に暮らす者たちと近郊からやって来た者たちとが入り混じっているのだろう。
 それは、買い物のために訪れていると思しき者たちも同様で、大きな道沿いだけでなく細い路地の方まで人混みが続き、賑わっている。
 シィンの記憶では、この辺りの市はどちらかといえば地元の者たちによる地元の者たちのための小規模な市場だったはずだが、いつの間にかそうではなくなっていたようだ。

「……活気があるな」

 あちこちから聞こえてくる売り物の宣伝の声や、値段交渉の声に、シィンもついわくわくと身を乗り出してしまう。
 ついさっきまで感じていた緊張も忘れ、窓から見える市場のあちらこちらに目を向けていると、すぐ側から見守ってくれているダンジァと目が合った。
 いつもと変わらない、優しい瞳だ。優しく、そして強い瞳。
 この眼差しの先に自分がいると思えば、どんな不安も緊張もなくなる気がする。
 護られていると——そう感じるから。

 シィンは「大丈夫だ」というように微笑むと、「お前は疲れていないか」とダンジァに尋ねた。
「一緒に行ってほしい」と頼んでおきながら、騏驥の姿では目立ってしまうために人の姿をとらせているうえ、離宮へ向かう馬車にはさすがに騏驥を同乗させられないということで、徒歩で同行させる形になってしまっている。
 申し訳ないような思いを感じながらシィンが言うと、ダンジァは晴れやかな貌で「平気です」と応じた。

「こうして街を歩くのは久しぶりですから……とても楽しいです」

 そしてそう続ける声の軽やかさに、シィンはほっとしながら「そうか」と頷いた。

 賢く騎士思いのダンジァのことだから、もしかしたらシィンが気に病まないようにとわざと明るく言っているのかもしれないけれど、街を歩くのが楽しい、というのはどんな騏驥にも共通することだろう。
 彼らは騎士や調教師に連れられる場合や特別の許可がなければ、厩舎地区から出ることが出来ない。加えてダンジァはシィンの騏驥として入城したから、厩舎地区どころか普段は城からも出られない生活だ。
 
 もしかしたら彼に嫌な思いをさせることになってしまうかもしれないこの外出だが、それでも、少しだけでも彼が嬉しいと思ってくれる瞬間があったならシィンも救われるというものだ。

(なるべく、彼に嫌な思いをさせることのないようにしたいが……)

 それでも、行ってみなければわからない。
 ならば、今ここで思い悩むのはもう止めにしなければ。

(ここまで来たら、あとはもうルゥイのために過ごすとしよう)

 母のことは気になるが、今回の訪問の一番の目的は、弟のため。彼の誕生日のためなのだから。
 シィンは再び居ずまいを正すと、馬車の揺れに身を任せた。
 


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