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112 駆ける騏驥——解明(2)さまざまなことを。

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「さらに気になったのは、殿下が口になさった毒……というか薬についてでした。騏驥の禁止薬物を用いた……との話でしたが、どうやって持ち込んだのだろう、と思ったのです。大会中は検査が厳しかったはず。出走する騏驥や関係者でなくとも、そんな薬を持ち込むのは難しかったのでは、と」

「そこでツェンリェン様に詳しく尋ねてみたのです。すると、こう説明されました。『今わかっている範囲では、どうやら数種の薬液を混ぜて作ったものらしい』——と」

「だから薬の検出や解毒薬の作成に時間がかかってしまったようなのですが……つまり、一つ一つは問題のない薬液を別々に持ち込み、調合して混入したようでした。そして、そのうちの一つと思われるものを、実際に薬を混入した王の騏驥が持ち込み、さらにシュウインさんが別の薬をその王の騏驥に渡していたことが、『石』に記録されていたようなのです」

「……確かにその方法なら、毒の混入は可能になります。ですがそうなれば今度は、『その方法は騏驥が考えたものだろうか』という疑問が湧きます。毒を混入した王の騏驥にせよ、彼を唆したシュウインさんにせよ、果たして数種の薬液を調合するような薬を作れるのだろうか……と。薬についてもっと詳しい——例えば騏驥の医師や調教師のような人でなければ、それは無理なのでは……と」

「そうした幾つかの疑念というか、疑問が重なって……ツェンリェン様やウェンライ様にご協力願って、医館に行ってみることになったのです。シィン様がご無事かどうかを——確かめるために。…………その時、ツォ先生は『いなくなっている王の騏驥を探す』という理由でお一人で行動なさっていたらしいので…………」


 言いづらそうに、最後にそう付け加えたダンジァに、

「そうか……」

 噛み締めるように、シィンは言った。

「そうか……。うん……わかった。お前には迷惑をかけたな……」

「い、いえ、そんな……」

 ダンジァは首を振るが、立場的に彼が楽ではなかっただろうことは容易に想像がつくのだ。


 ふとしたことから疑問が湧いて、違和感を覚えて、考えて考えて考えて——。
 その結果、全ての疑惑がツォに向かった時のダンジァの困惑と迷いを思うと、苦労をかけてしまったなと思う。
 調教師であり、シィンと親しいツォに疑いを抱くことは、彼にとって辛いことだっただろう。周囲にも言いづらかったに違いない。

 暗い雰囲気になりかけたのが嫌で、シィンは慌てて話題を変える。

「ところで、『石』とは……ツェンリェンたちが監視用に撒くと言っていたものか? ウェンライが女性の格好をして……」

 シィンが尋ねると、「はい」とダンジァが頷く。




 大会の開催に際し、警備を強化したいと持ちかけてきたのはウェンライだった。
 シィンが、主催するだけでなく出走することを決めたため、なのだろう。本番数日前、彼は『警備を強化いたします』と伝えてきた。

『念のため、でございます。警備の人員を増やし、他に、わざとわかりやすく、至る所に記録と監視用の『符』を貼ります。その上で——同じく『石』を秘密裏に撒くようにいたします』——と。

 つまり、人と『符』で監視することによって怪しい者や怪しい行動を牽制し、それでも何か起こった場合は、こっそりと仕込んでおいた『石』を証拠にする、というわけだ。
 確かに、悪事を働こうと思っていても人目があったり『符』に監視されていると思えば中止するかもしれないし、それでも実行しようとする者は、なんとかそれらを避けて行おうとするだろう。
 だが、目に見えるそれらは全て囮で、実際は『石』が全て見ているというわけだ。

 その策を聞いた時、シィンは「わかった」と頷きつつ、「相変わらずそつのないやつだ」と思った。
 普段の仕事に加えて大会の準備でさぞ忙しかっただろうに、そうした抜かりのない——つまり底意地の悪い警備の策まで考え、人員や符や石の手配まで終えているとは。

 いつもそつのない、抜かりのない——副官であり側近であり乳兄弟である友。
 以前から信頼している一人。けれど口やかましくうるさいのが玉に瑕で、だから、そんな彼をなんとなく困らせてやりたくなって、ツェンリェンが持ちかけてきた提案に乗ってみたのだが。

(顔を合わせた時の、あの嫌そうな態度と言ったら……)

 直前の直前まで——いや、既に策が進行してからも、ウェンライは徹底的に女性の姿に扮するのを嫌がっていた。
 隠している方が都合がいいため、大っぴらにしてはいないとはいえ、彼の特技の一つなのだから、こんな時に使わなくてどうする、とシィンと思うのだが……。

“冷たそうな美女”を通り越して”不機嫌な美女”になっていたウェンライを思い出して、シィンが思わずくすくす笑った時。

(?)

 そんなシィンの身体が、不意にぎゅっと抱きしめられた。
 どうしたのだろうと目を向けると、ダンジァは前を向いたまま「……申し訳ありません……」と小さな声で謝る。
 また謝罪だ。
 だが今のやり取りでどうして彼が謝るのか。
 シィンが訝しく思っていると、ややあって、

「……あのとき……」

 声を押し出すようにして、ダンジァは続けた。

「その……シィン様がウェンライ様の件についてお話しになりかけた際に……自分は大変失礼な真似を……」

「…………?」

 言われて、少し考えて、「ああ」と、シィンは思い出した。
 シィンが毒のせいで倒れる寸前のやり取りのことだ。
 ツェンリェンに言われて、今まで側にいた女性は実はウェンライであることや、彼が女性の姿をしていた理由を話そうとしていたときのことだろう。

 そう言えば、確かにあの時の彼はいつもの彼らしくなかった。
 思い返すシィンの耳に、ダンジァの声はさらに続く。さらに弱く——さらに小さくなる声が。

「あの時の……自分のあんな態度がシィン様との最後の会話になるのかと思うと、悔やんでも悔やみきれず……」

「ダンジァ……」

「再びお会いできた時には、絶対に謝ろうと思っていました。必ず探し出して再びお会いして、ご無事を確認して、御顔を拝見した際には……」

「もう良い、過ぎたことなのだし……そんなことは」

 聞いている方が辛くなるような声で言うダンジァに、シィンはなるべく気にしていない風で言った。
 確かにあの時の彼は彼らしくなかったし驚いた。
 けれどそれをずっと気にしていたなんて……。

(真面目で礼儀正しい彼らしい……)

 しかしそう感じながら改めてあの時のことを思い出すと、疑問が湧いた。
 そういえば、どうして彼はあんなにも「いつもの彼」らしくなかったのだろう。

「謝ることはない。……だが……」

 シィンは言った。

「だがどうして、あんなに大声を? まったくいつものお前らしくなかったぞ。何があったのだ、一体。何が気に障ったのだ?」

「っ……き、気に障ったなど、とんでもない」

「だが、何かなければ『ああ』はなるまい。待機所に部外者がいたことが嫌だったか? ツェンリェンやウェンライたちならお前も構わぬだろうと思ったのだが……。確かによく考えれば配慮が足ら——」

「いいえ! …………いいえそんな……とんでもない」

 シィンの声が終わらぬうちに、ダンジァが否定の声を上げる。
 だがそうしておきながら、彼は何も言わない。
 それ以上何も言わず、何も続けず、ただ黙ったまま駆ける。シィンを抱いて、大切に大切に胸に抱いて、彼のために。

「ダンジァ……」

 シィンは、ぽつり、と声を上げた。

「ダン、話してくれ。気になって、落ち着けぬ」
 
「…………」

「……わたしは、お前のことが知りたい。もう騎士ではなくなるかもしれないなら……なくなるかもしれなくても、少しでも多くお前のことを知っておきたいのだ」

 ……せめて。
 せめてその思い出を辿れば、思い返せば、幸せになれるように。
 騏驥に乗れなくなっても、お前に乗れなくなっても。
 それは辛いことにもなるだろうけれど、それでも。

「ダンジァ」

 命令はしたくなくて、シィンは再び柔らかく尋ねる。
 というか——そのつもりはなくても、声はもう自然と柔らかだ。弱く細く小さい。呂律もちゃんと回っているのかどうか……。

 シィンが、自分の発した声に気を取られていた時。

「…………嫉妬いたしました…………」

 地を蹴って駆ける荒々しくも頼もしい足音に混じるように——頬を耳を掠める風の音に溶けるように——小さな小さな声がした。
 シィンの発した声より、もっとか細い、恥じ入るような消えるような声。

 シィンはその声音に、言葉に驚き、声を無くす。
 半ば自分の耳を疑いつつ、シィンは目を瞬かせながらその声の主を——何よりも大切そうにシィンを抱いてひた走る、彼の騏驥を見上げる。

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