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111 駆ける騏驥——解明(1)
しおりを挟むシィンは、医館を目指すダンジァの腕の中にいた。
迫り来る夜明けから逃げるように駆け続けているダンジァの腕の中にいた。
毒のことについては、ダンジァも少しは知っていたようだ。だが、このままではシィンの魔術力が失われること。そうなればもう騎士として騏驥には乗れなくなってしまうこと、その刻限が夜明けだと知ると、「絶対に間に合わせます」と、一層駆けるスピードを上げた。
そしてシィンもまた、ダンジァの口から練楼観へ辿り着けた理由を聞こうとしていた。
星駕に導かれたとはいえ、それ以前に、そもそもどうしてシィンが連れ去られたことを知ったのか——つまり医館を確認しよう思ったのかが知りたかったのだ。
シィンがそれを尋ねると、ダンジァは「話すと走りづらいので」とか「それは後でゆっくりと」と、シィンのためを想ってだろう、応えることを幾度も拒んだ。
だが、シィンは「嫌だ、今聞きたい」と駄々をこね、結局、話をさせることに成功したのだ。
もし解毒が似合わず騎士でなくなってしまえば、騏驥を側に置くことも叶わなくなるかもしれない。聞けるうちに、彼の声をもっと聞いていたくて。
そして、シィンの素晴らしい騏驥なら、話をしながらでも、きっととても速く駆けられるだろうと思っていたためだ。
するとやはり。謙遜してばかりの騏驥は、話し始めても駆ける速度を全く落とさず、シィンを不安にさせることもない。
揺れることもない腕の中で、シィンはダンジァの話に耳を傾ける。
「最初に違和感を覚えたのは、ツェンリェン様の言葉を聞いたときでした」
シィンが医館へ運ばれてからのことを——ダンジァたちが別所に移され、その後、シュウインが捕らえられ、一旦は事件は解決したと思われた経緯を手短に説明してから、振り返るような口調で、ダンジァは言った。
「自分とシュウインさんを探すために、二人の顔を知っている騏驥と従者を使った——ツェンリェン様はそう仰ったのですが、それを聞いたとき、以前似たような言葉をユェンさんから聞いたことを思い出しました。それで、不思議に思ったのです」
「ユェンさんは大会の朝、シュウインさんに声をかけられてあの待機場所を教えてもらった、と言っていました。ですが、思い返してみると不思議でした。シュウインさんはどうしてユェンさんを見つけられたのだろう。いつ顔を知ったのだろう、と」
興味深く耳を傾けるシィンに、ダンジァは続ける。
「そもそもこの計画は、実行犯と、それを教唆した者と、計画者と——それぞれが少しずつ違った目的を持って行われたものでした。実際に毒を盛った、実行犯の王の騏驥は、自分に恨みはあってもシィン様に危害を加えるつもりはなかった。犯行を教唆したシュウインさんは、自分に恨みがあるからこそシィン様を巻き込もうと考えた。そして計画者のツォ……さんは、シィン様に危害を加えるために、王の騏驥たちを利用したのです」
「ですから前提として、自分があの待機場所に行かなければ計画は始まりません。まずは、自分に恨みを持ち続けていた王の騏驥——彼が世話係になっていたあの部屋へ自分をおびき寄せる。そうでなければ、薬を飲ませるのは難しいのですから。でも、自分のために待機場所を探していたユェンさんに声をかけ、あの部屋を紹介したシュウインさんは、それ以前にユェンさんに会ったことはないはずなんです。ユェンさんは大会までずっと厩舎地区にいましたし、『今回は厩務員として参加しているから』と遠慮して、前夜祭にも出ていませんでした」
「にもかかわらず、シュウインさんは待機エリアにいた大勢の人たちの中からユェンさんを見つけた……。とすれば、シュウインさんはユェンさんの顔や姿を知っている誰かに、事前に詳しく特徴を教えてもらっていた、ということになります。
大会までの間に、厩舎地区に来ていた、『誰か』に」
ダンジァはそこで言葉を切る。
そして優しくシィンを見つめると、「お寒くないですか」と尋ねてくる。シィンは気遣いを嬉しく思いながら「大丈夫だ」と答える。
ダンジァは続けた。
「次に気になったのは、シュウインさんの言葉——というか態度でした。彼と争いになった時、シュウインさんは、こちらを殺してしまえば、あとはなんとでもなる——というようなことを言っていましたし、終始そういう態度でした。証拠がなければ自分は罪に問われない、なんとでもなる、と」
「ですから自分はなんとか生きていなければと——生きて、事態を記録している石のことを伝えなければと、ずっと思っていました。結局、生き延びることができて、あの石が証拠になって彼は捕らえられたのですが……」
短期間とはいえ親交のあった騏驥から刃を向けられたこと、そして彼が捕らえられたことは辛いのだろう。伏し目がちにダンジァは言う。
そして気持ちを切り替えるようにひとつ息をつき、ダンジァは続けた。
「こちらを殺してしまえばどうにでもなる、というその確信は、一体どこから来ていたのだろう、と思ったのです」
「もちろん、口の上手さで言い逃れる自信があったのかもしれません。でも、騏驥同士の争いで——しかも城内での刃傷沙汰で片方が死ぬようなことになったなら、間違い無く調教師も口を挟んでくることでしょう。特にユェンさんは、自分とシュウインさんが一緒にいたことを知っています。彼ならきっとシュウインさんがどう説明したとしても、すんなり納得はせず、疑い、責めるでしょう」
「にもかかわらず、己の言い分が受け入れられるはずだという自信があったのだとしたら、何か理由があったはずです。自分は咎められない——ユェンさんに問い詰められたとしても、その言葉を退けられる——それだけの理由が。根拠が。例えば——そう、ユェンさんと同じほどの、もしくはそれ以上の信頼と言葉の重みを持った者が庇ってくれる……とか。例えば、同じ調教師のような……」
空が、だんだんと明るくなっていく。
話しながら、ダンジァはさらに駆ける速度を速める。
そうしながら、彼はふっとシィンを見つめてくる。首を傾げて見つめ返すと、ダンジァは「申し訳ありません……」と小さな声で言った。
「馬の姿になれば、もっと速く走れるのですが……。至らぬ身ゆえ、今のシィン様を背にして落とさずに走れる自信がなく……」
その声や貌は本当に申し訳なさそうで、シィンは一瞬呆気に取られ——直後、小さく吹き出すようにして笑ってしまった。
「シィン様……?」
「まったく……お前は真面目というかなんというか……気にしすぎだ。そんなこと、気にしなくていい。悪いのはお前ではない。わたしがこんなだから駄目なのだ。どんな騏驥でも、今のわたしを背に乗せることは無理だろう。跨がれるほどの体力もないし、ただ背にぐったりと身体を乗せたまま——伏せたままでいるとしても、バランスがとれない体たらくなのだから」
いいな。だからお前が悪いわけではない——。
シィンは念を押すようにもう一度言うと、ダンジァの胸に顔を擦り寄せる。
毛布越しでも体温が伝わってくる。逞しさが伝わってくる。
「それに、ここも居心地がいい。鞍上と同じぐらいに」
うっとりとシィンが言うと、全身に伝わってくるかのように聞こえていたダンジァの心音がなんとなく速くなった——気がする。
また駆けるスピードが上がったのだろうか?
取り留めなく考えるシィンの耳に、ダンジァの声は続く。
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