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104 うつつの悪夢
しおりを挟むまた夢だ。
シィンは夢だとわかる夢の中で、ため息をついた。
どうして自分は夢ばかり見ているのだろう?
眠っていたいわけじゃないのに。
できるなら自分はもっともっと——そう、いろんなものを見てみたい。
いろいろなところへ行って、いろいろなものを見てみたい。この国の端から端まで。この世界の端から端まで。
——騏驥とともに。
大切な、一番の騏驥とともに。
そんな風に、昔、夢を——未来を語ったことがあった。
今よりも、もう少し昔。あれは花が美しい季節だった。
友人と呼べる親しいものたち過ごした、他愛のない、けれど大切なひととき。
彼らは、シィンの言葉を聞くと、「それならば」と、にこにこしながら言ったのだ。
『——ではわたしは、副官として殿下を陰ながらお手伝いいたしましょう。騎士としての力量は人並みですが、幸いにして物事をあれこれと考える能力には恵まれたようです。どうぞ殿下——今後はわたしをうまくお使いくださいませ』
『ではわたしは、騏驥の調教師として殿下にお仕え致しましょう。若輩の身ではありますが、幼き頃より父の仕事を見て参りました。さらには殿下と乗馬の腕を競ってきた仲。技量もお好みも承知いたしております。父から引き継いだ技能と知識で、いずれは殿下のための騏驥を献上致しましょう』
『ではわたしは、近衛の騎士としてお側に控えましょう。これより先、殿下の歩む先に困難ありし折には、どうぞご存分にわたしを剣や盾になさいませ。ですが、くれぐれもご無理はなさいませんよう。これは、剣術の兄弟子からの忠告です』
誰も皆、声は優しく弾み、頬は興奮に染まり、瞳は輝きに満ちていた。
色とりどりの花、伸びやかな草の香り、吹き抜けていく爽やかな風。
ささやかで、けれど確かにあった幸せな時間。
「ぅ…………」
夢は、自身の微かな呻きとともに静かに引いていった。
幕が下ろされた、と言うよりも幕が上がった、という印象が胸をよぎったのは何故だろう。
新たな幕が上がったような……。
——最後の幕が上がったような。
シィンはまだしかと覚醒できないまま、しかしその身体には間違いなく感じられる冷気に、ブルリと身を震わせた。
寒い。
寒い……?
「え……」
どうして? と、混乱していると、
「お目覚めですか」
頭上から声がした。
頭上。
そう、シィンは横になっていたのだ。
寝巻きのような薄い単衣に、毛布ひとつ。そんな心許ない格好で横になっているのは……石畳の上だ。いや、石の床。冷たいそこに、一体自分はどうして。
ここは外? 室内なのか?
しかも——そんなシィンを見下ろしているのは……。
「ツォ……? どういうことだ……どうしてわたしは……」
ここに?
何が起こっているのかわからない。
目を瞬かせながら、ゆるゆると上体を起こすシィンに、ツォはにっこりと微笑んで言った。
「ここは練楼観です」
練楼観。
それは、馬や騏驥の調教場に面すように立てられており、そこに上れば調教の様子を一望できる高楼だ。
調教師は、調教の際、一頭一頭を間近で見てその様子を確かめる時もあれば、ここに上って、敢えて少し離れて——俯瞰する形で馬や騏驥の動きを見ることもある。
魔術師たちのいる『塔』のような、天をつくほどの高さを誇るわけではないものの、威厳のあるその姿は、この国にとって騏驥がどれほど大事か——その調教がどれほど大事かを、周囲に知らしめるものだ。
だが……。
随分と殺風景だ。
シィンの知っている練楼観とは違っている。
というか……ぽつりぽつりと置かれている調度……のようなものは古く、あちこちが壊れ、すでに朽ちてしばらく経った様子だ。壁も天井も崩れているのではないだろうか。
——廃墟。
そんな言葉が頭を過ぎる。
(なぜ……)
自分がこんなところに。
自分とツォがこんなところに?
寒さに震え、胸の前で毛布を掻き合わせながらシィンが考えていると、そんなシィンの考えを察したように、「ええ」とツォが頷いた。
「練楼観ですが、今は使っていません。元・練楼観と言った方が正しいですね。ほとんどが崩れてしまって……今や高さは三階分ほど……でしょうか。とてもではありませんが、調教場が見渡せるというほどではありません。楼観とは名ばかりです。もっとも、馬場もずっと使われていないせいで、もう荒れ放題で……以前の面影はありませんが……」
「…………」
「でも、ここには見覚えがあるでしょう? 父が健在だった頃によく来ていたところです」
その言葉に、シィンはぐるりとあたりを見回す。確かに、子供の頃にはよく調教を見るために練楼観を訪れていたし、言われてみれば見覚えがある……ような気もする。
だが、子供の頃に訪れていたのは早朝。今は夜で、月明かりも雲に途切れがちで明るいとは言い難い。ポツポツと置かれた発光石の周りは様子がわかるものの、全容は伺えない。
そもそも、昔すぎて記憶も曖昧だ。
それより——どうして自分がここに。
ようやくはっきりとした意識では——シィンの記憶が正しければ、確か自分は医館にいたはずだ。医師や薬師たちに囲まれていた。
浅く覚醒しては、また沈む意識の中、彼らの治療を急ぐ声が聞こえていた。
頭が重く、息をするのも辛く、全身が重たく感じられる中、解毒のために、何度か薬を飲むことになって……。
なのにどうして自分はこんなところに?
彼がここへ連れてきたのだろうか。
それにしても——寒い。
「なぜ……」
短いその言葉を言うだけでも、歯が、舌が、唇が、全身が寒気に震える。
それでも尋ねずにはいられず、シィンは目の前のツォに問う。
ツォは静かにシィンの前にしゃがみ込んでくると、目を細める。間近から微笑んで言った。
「思い出の場所だからです。初めてお会いした思い出の場所ですから——殿下の最期を見届けるのに相応しい場所かと思いまして」
穏やかな笑み、穏やかな声。
だからシィンは、これも夢なのではないかと思った。
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