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100 決着。そして

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「!」
 
 咄嗟に飛び退いたが、やはり思うように身体が動かない。
 大きく離れたかった意に反し、ほんの少し間を取れただけだ。
 
「お前ぇえっっっ!」

 シュウインが怒りにひび割れた金切声を上げ、即座に再び蹴り付けてくる。
 咄嗟に腕で受けたものの、弾き返すほどには至らない。
 三度めの蹴りは受けきれず、とうとう防御したはずの腕ごと蹴り飛ばされた。

「っ……っ……」

 土煙が舞い上がる。
 地に伏せたダンジァの姿にようやく満足したのだろうか。
 シュウインは息を乱したまま、乱れた足取りで、はは、はは、と笑いながら近づいてくる。

「……すぐに殺してなんかやらないからな……」

 怒気を孕んだ、低い声がした。
 
「すぐに楽にしてなんかやらないからな……」

 言いながら、彼は手の中で弄ぶようにして幾度も短剣を握りなおす。
 次の瞬間、シュウインはダンジァの腕目掛けて斬りつけてくる。

「ッ!」

 咄嗟に跳んで避けたものの、着地は無様なものだった。結局また蹲るような格好になったダンジァの頭上から、シュウインの堪えられないような笑い声が聞こえる。

「往生際が悪いなあ。無駄なのに」

「…………」

「きみはもう一度死んだようなものなんだし、諦めなよ。……いや——むしろあのとき死んでおけばよかったんだ、きみなんて。きっとみんなそう思ってたよ」

 ダンジァの過去を抉るように、シュウインは言う。

「騎士を置いて逃げたときに、死んでおけばよかったんだ。厚顔だね、何もなかったみたいに平気で生きてるなんて。いや……それどころか殿下に取り入って……」

 忌々しげに呟いていたシュウインの言葉が、ふと途切れる。
 次の瞬間、彼は口の両端を引き攣らせるようにして笑うと、地に両膝をついたまま荒く息をし続けているダンジァの身体に——その腰に——そこにある剣に——空いている手を伸ばしてきた。

「! 何のつもりですか!」

 ダンジァは声を上げ、すんでの所でその手を撥ね付ける。だがシュウインは再び剣に手を伸ばしてきた。

「その剣——せっかくだから僕が使ってあげるよ。一度も使わないなんて勿体無い。——そうだろう?」

「な……」

「きみは僕を斬れない——斬りたくない。でも僕はきみを斬れる……。きみも同じ斬られるならこの剣の方がいいだろう?」

「っ……触るな!」

 ダンジァは必死で身を捩り、その手を避ける。
 こんな奴に触れられると思うと不快感に身の毛がよだった。
 
 これは剣であって剣じゃない。もっと大事な、もっと大切な、それ以上のものだ。
 そう——。
 自分はさっきシュウインが言っていたように、一度死んだようなものだった。
 死ぬほどの怪我をして、幸いそれが癒えた後も、死んだ方が良かったのではという思いが抜けなかった。

 誰に言われるまでもなく、自分自身、何度も思ったのだ。
 命令とはいえ、命令を守ったとはいえ、騎士を捨て置いた自分は、果たして騏驥として生きていていいのだろうか、と。
 命は助かった。助けられた。けれど、求めていた騎士も失った自分は、これからどう生きていけばいいのだろう、と。

 そんな自分に授けられたのが、この剣だった。
 シィンが、これを与えてくれた。
  
 一度会っただけの自分に。
 なんの実績もなく、やったことといえば騎士を置いてきたことだけ。
 ——そんな自分に。
 
 期待であり、信頼。その象徴を。

 そして同時に、この剣はシィンと過ごした時間のほとんど全部を知っている。
 その大切な剣を、どうして他の誰かに——こんな奴に触れさせられるだろう。

(ふざけるな——)

 強い抵抗感と拒否感。そして怒りに全身が震える。
 以前、シィンに貰った胸章を奪われそうになったとき、触れられそうになったとき、同じように「嫌だ」と思ったものだった。
 同族であるはずの騏驥を傷つけることになっても触れられたくなかった。

 今は、あのとき以上の拒絶感だ。
 先刻耳にしたシュウインの戯言すら、なかったことにしてしまいたいぐらいに。

 ダンジァはシュウインを見据えたまま、じりじりと立ち上がる。
 全身の節々が軋む。ただ立つだけでも、ぐらぐら頭が揺れるようだ。それでも彼に対峙するように立ち上がると、込み上げてくる憤りのままにシュウインを睨みつけた。

 今までは少しばかり「自分のせいかもしれない」という気持ちがあった。
 彼の悪意のほとんど全てが逆恨みに過ぎないと思っていても、それでも、自分の態度にも何か良くないところがあったのではないかと思っていた。
 自分の言動が違っていれば、こんなことにはならなかったのでは、と。

 だが。

 だが——。
 
 すると、そんなダンジァの様子に身の危機を感じたのだろう。
 シュウインは剣を奪おうとしていた態度から一変、代わりに、至近距離から斬りかかってきた。

「だったらいいさ……使わない剣を後生大事にしていればいい。お望み通り、さっさと殺してやるよ。殺してやる——殺してやる……っ!」

 荒い息と血走った目、そして乱れた髪に、もう以前の彼の面影は欠片もない。
 抱えていた恨みの全てを込めるようにして刃を振るうシュウインに、ダンジァはなんとか応戦しつつもジリジリと下がっていく。
 
 目が霞む。
 切られた肌がジクジク痛む。
 頭の中と身体の中は相変わらずこの上なく不快にうねり続け、鈍痛と嘔吐感がひっきりなしだ。手足がどう動いているのか自分でもよくわからない。
 けれどここで——こんなところで死にたくない。
 死にたくない。
 
 また騎士を守れないまま死にたくない。
 大切な人を、大事な人を守れなかったまま死にたくない。

 せめてもう一度あの人の——シィンの無事な姿を見るまでは、まだ——。

 ダンジァはほとんど気迫と反射だけでシュウインの刃を交わす。が、その身体が——下がっていたその背が不意に「ドン」と何かにぶつかる。
 息が上がる中、はっと肩越しに見れば、そこには崩れそうな壁があった。
 ここにきた時に最初に見た、あの洗い場だ。いつの間にか追い詰められていた。
 
「もう逃げ場はないよ」

 立ち塞がるように目の前に立つシュウインが、弾むような声で言う。
 そして一気にカタをつけようとするかのように、手にしていた短剣を至近距離から突き込んでくる。

 その瞬間。
 それを待っていたダンジァはギリギリのタイミングで身を屈めると、無防備になっていたシュウインの胸部に向けて蹴りを放った。
 
「ッガ……ッ!」

 くぐもった声が聞こえたと同時に、ダンジァの脚にシュウインの胸骨の感触とそれが折れる感覚が伝わってくる。
 直後、くの字に折れ曲がったシュウインの身体の、その短剣を持った腕を掴み上げると、立ち上がる反動を利用して、そのまま一気に捩じり上げた。

「ギャァああァアァアァァァぁ——!!!!」

 刹那、バキン! と骨の折れた音が聞こえたと同時に、泣き叫ぶようなシュウインの絶叫が響き渡る。
 ダンジァがゆっくりと手を離すと、シュウインはその場に崩れ落ち、服も髪もぐちゃぐちゃになるのも構わず、転げ回りながら苦痛の呻きを上げ続ける。

「っひ、ア、あ、ァアア……っ……ぃ、いた、痛いぃぃぃぃ——!!」

「……あまり暴れると、折れた骨が肺に刺さりますよ」

 ダンジァはシュウインが落とした短剣を拾い上げると、彼の脚を踏みつけながら言った。途端、彼の動きは痛みを堪えるようなものに変わる。
 ダンジァは息を整えながら、は、と小さく苦笑した。

(さすがに疲れた……)

 こちらはこちらでぐちゃぐちゃに乱れている髪を掻き上げ、おぼつかない指でなんとか服を整えると、大きく息をつく。
 具合の悪さは相変わらずだが、ひとまず区切りがついたことで全身が安堵している。
 
 同じ騏驥相手に暴力を振るうのは本当に抵抗がある。
 が……後悔はない。せめてもの情けで、胸の骨も腕の骨も、綺麗に折っているはずだ。
 下手に暴れて怪我を酷くさせる事がなければ、回復できないことはない……はずだ。
 少なくとも、ダンジァが過去に負った傷よりは軽症だ。
 
(しかしこれからどうしたものか……)

 事件の真犯人と思しきシュウインを動けなくしたはいいが、どうやって知らせよう?
 ひとまず何かで縛って……とあたりを見回していると、
 
「っ……た、助けて! 誰か! 助けてぇぇぇぇ!!」

 足の下のシュウインが、突然、哀れみを帯びた悲鳴のような声をあげる。
 しかも、その内容は……。

(!?  「助けて」???)

 どういうことだ、とダンジァが目を瞬かせたとき。
 どこからか、カサカサ……と草を分けて近づいてくるような音が届く。
 そして足音だ。

「!」

 ダンジァは息を詰め、再び全身を緊張させつつ、周囲に目を走らせた。

 薬で感覚がおかしくなっているからなのか、耳がいつものように働いていなかったようだ。誰かがすぐ近くまできている様子なのに、気づけなかった。
 
(まさか……彼の仲間が……?)

 さすがに今からもう一人相手は辛いな……。

 かと言って、自分が逃げればシュウインも仲間と逃げるだろう。
 
 どうすれば……。

 ダンジァが眉を寄せたとき。

 視界の、やや右前方。背の高い草の生い茂る中から、夜から生まれたかのような黒い影が滑るように現れる。
 音がしない。足音も。衣擦れの音さえ。
 そしてその姿はといえば、争い合った後のこんな場所には到底場違いな美しい姿だ。
 ダンジァが息を呑んだ直後。
 
 カサカサと草を分ける音と足音がして、発光石の仄かな灯とともに、やがて、一人の少年が姿を見せる。

「……もぅ……あ、歩くのが早いよ~」

 彼は疲れもあらわな、ふらふらとした足取りでゼエゼエと息をしながらやってくると、先にいた黒衣の少女に向けて泣きつくように言う。
 
 そう。
 やってきたのはツェンリェンの騏驥であるユーファ。
 そして、同じくツェンリェンの従者と思しきあの少年だった。
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