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86 騎士たちの思い、騏驥の祈り
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「隠そうとしていたわけじゃないんだ。ただ……」
「……お気になさらないでください」
言いづらそうにしているツェンリェンの言葉を引き取るように、ダンジァは言った。ツェンリェンが軽く目を瞠る。ダンジァは続けた。
「自分は初めての大会ですし……状態を慮って下さったのですよね。『万が一』でも『何かがあるかもしれない』と聞いていたら、きっとシィン様が心配で普通じゃいられなかったと思いますから」
ダンジァの言葉に、ツェンリェンはそれを肯定するかのように微かに笑む。が、ウェンライは複雑な表情のままだ。彼は立ち上がりながら言う。
「どちらが良かったのかは分かりませんがね。事前にあなたに伝えていれば、あなたももっと警戒したでしょう。この事態は防げたかもしれません」
「!」
ずくん、とダンジァの胸が疼く。が、ウェンライはすぐに続けた。
「とはいえ、殿下が話さなかったのなら——殿下が自身の騏驥の状態に配慮したなら、わたしたちはそれに従うまでのこと。そして我々がすべきことは、殿下の判断が誤りではなかったと示す事です。つまり——」
当然ながら殿下の命をお助けして、絶対に犯人を捕える——。
きっぱり言い切ったウェンライの言葉は強く、彼の決意が感じられる。表情も、それまでに見たどんなそれよりも険しいものだ。ツェンリェンの厳しい表情とはまた違う、見ていると心の底冷えがするような貌。
そんなウェンライの言葉に頷き、ツェンリェンも続ける。
「その上で、この大会はやり通す。もちろん、殿下ときみの本選への出走はなくなってしまったし、結構な騒ぎになってしまった以上、騏驥や騎士全員に口止めして『何事もなかったことにする』というのは無理だろう。が、レースや試合は全て予定通りに行う。この大会が殿下の主催で開催されている以上、その威光に傷がつくようなことがあってはならない」
「……」
ということは、大会を引き続き運営しつつ、この事態の調査もして犯人を探し出すと言うわけか。その間、当然シィンの治療もしつつ……。
(そんなこと……)
できるのだろうか。人手は限られているだろう。
だが、二人は「そのつもり」のようだし、きっと衛士や医師たちにも既にそう指示しているのだろう。さっきツェンリェンの従者がウェンライの着替えを持って来たことからしてそうだ。
異常事態など何もない方がいいに決まっているにせよ、起こってしまった際にはそれに対応できるような準備を……。
そしてきっと、「そう」でなければ、シィンは謂れのない非難を受けかねないのだろう。彼を疎ましく思うものたちから。
背伸びして大きな大会を主催しておきながら満足に運営できなかった。
自身も命を狙われるような警備の甘さだった。
この程度の大会も無事に終えられないようなら、先が思いやられる——と。
(そんなのは……)
——嫌だ。
そう思ったと同時、
「自分にも何かやらせてください。お役に立ちたいです」
ダンジァは思わずそう口に出していた。
ウェンライが怪訝そうに、ツェンリェンが微笑んで見つめ返してくる。
「当然です」
言葉にしたのは、ウェンライだった。
「あなたは自分の潔白を証明する必要があるのですし、それは事態の解明と犯人の確保に繋がります。ですのでしっかりと思い出して、包み隠さずきちんと話して下さい」
「はい」
「それと——殿下の警護だ。——医師たちが来たようだぞ」
ツェンリェンがそう言った直後、部屋の扉が開いたかと思うと、衛士に先導されながら、医師たちが、薬師たちが入ってくる。見習いたちか技師たちがその後に続く。みんなダンジァにはよくわからない道具を持っている。
治療や毒の質を調べるために必要なものなのだろう。
そしてそれと一緒に、牀が一台運び込まれる。
「殿下を」
促され、ダンジァはゆっくりとシィンを抱え上げる。
腕の中の身体は軽い——気がする。力なく目を閉じて動かないからだろうか。気を失った身体は重く感じるというが、逆だな、とダンジァは取り留めなく考えていた。
そんなふうに思うのは、自分がまだ冷静でなく、重さをきちんと判断できないのか——それとも、今のシィンがいつもの彼ではないからだろうか。
彼はいつも堂々として、綺麗で、輝いていた。憤りを顕にしたときですら見惚れるほどの麗麗しさだった。真っ直ぐな曇りのない美しい瞳で、活き活きとした四肢で、快活な声でそこにいた。いつも。
なのに、今は……。
ほんの少し前のことを思い出し、顔を曇らせる。
だからなんだか、軽いように感じてしまうのだろうか。
ここにいるのは彼であって彼ではないようだ。
ダンジァはそっとシィンを寝台に横たえると、その手をぎゅっと握る。
頬にウェンライの視線を感じたが、シィンから目を離さなかった。
早く——早くよくなってください。
また以前のようなあなたに会いたいのです。
祈るように手を握りしめ、今は閉じられている瞼を見つめ、青白い顔を見つめる。
静かに手を離すと、すぐに医師たちがシィンを取り囲む。
それでもまだ離れ難くしていると、
「気になるだろうが、そろそろ話を聞かせてもらおうか」
ツェンリェンの声がした。
「……お気になさらないでください」
言いづらそうにしているツェンリェンの言葉を引き取るように、ダンジァは言った。ツェンリェンが軽く目を瞠る。ダンジァは続けた。
「自分は初めての大会ですし……状態を慮って下さったのですよね。『万が一』でも『何かがあるかもしれない』と聞いていたら、きっとシィン様が心配で普通じゃいられなかったと思いますから」
ダンジァの言葉に、ツェンリェンはそれを肯定するかのように微かに笑む。が、ウェンライは複雑な表情のままだ。彼は立ち上がりながら言う。
「どちらが良かったのかは分かりませんがね。事前にあなたに伝えていれば、あなたももっと警戒したでしょう。この事態は防げたかもしれません」
「!」
ずくん、とダンジァの胸が疼く。が、ウェンライはすぐに続けた。
「とはいえ、殿下が話さなかったのなら——殿下が自身の騏驥の状態に配慮したなら、わたしたちはそれに従うまでのこと。そして我々がすべきことは、殿下の判断が誤りではなかったと示す事です。つまり——」
当然ながら殿下の命をお助けして、絶対に犯人を捕える——。
きっぱり言い切ったウェンライの言葉は強く、彼の決意が感じられる。表情も、それまでに見たどんなそれよりも険しいものだ。ツェンリェンの厳しい表情とはまた違う、見ていると心の底冷えがするような貌。
そんなウェンライの言葉に頷き、ツェンリェンも続ける。
「その上で、この大会はやり通す。もちろん、殿下ときみの本選への出走はなくなってしまったし、結構な騒ぎになってしまった以上、騏驥や騎士全員に口止めして『何事もなかったことにする』というのは無理だろう。が、レースや試合は全て予定通りに行う。この大会が殿下の主催で開催されている以上、その威光に傷がつくようなことがあってはならない」
「……」
ということは、大会を引き続き運営しつつ、この事態の調査もして犯人を探し出すと言うわけか。その間、当然シィンの治療もしつつ……。
(そんなこと……)
できるのだろうか。人手は限られているだろう。
だが、二人は「そのつもり」のようだし、きっと衛士や医師たちにも既にそう指示しているのだろう。さっきツェンリェンの従者がウェンライの着替えを持って来たことからしてそうだ。
異常事態など何もない方がいいに決まっているにせよ、起こってしまった際にはそれに対応できるような準備を……。
そしてきっと、「そう」でなければ、シィンは謂れのない非難を受けかねないのだろう。彼を疎ましく思うものたちから。
背伸びして大きな大会を主催しておきながら満足に運営できなかった。
自身も命を狙われるような警備の甘さだった。
この程度の大会も無事に終えられないようなら、先が思いやられる——と。
(そんなのは……)
——嫌だ。
そう思ったと同時、
「自分にも何かやらせてください。お役に立ちたいです」
ダンジァは思わずそう口に出していた。
ウェンライが怪訝そうに、ツェンリェンが微笑んで見つめ返してくる。
「当然です」
言葉にしたのは、ウェンライだった。
「あなたは自分の潔白を証明する必要があるのですし、それは事態の解明と犯人の確保に繋がります。ですのでしっかりと思い出して、包み隠さずきちんと話して下さい」
「はい」
「それと——殿下の警護だ。——医師たちが来たようだぞ」
ツェンリェンがそう言った直後、部屋の扉が開いたかと思うと、衛士に先導されながら、医師たちが、薬師たちが入ってくる。見習いたちか技師たちがその後に続く。みんなダンジァにはよくわからない道具を持っている。
治療や毒の質を調べるために必要なものなのだろう。
そしてそれと一緒に、牀が一台運び込まれる。
「殿下を」
促され、ダンジァはゆっくりとシィンを抱え上げる。
腕の中の身体は軽い——気がする。力なく目を閉じて動かないからだろうか。気を失った身体は重く感じるというが、逆だな、とダンジァは取り留めなく考えていた。
そんなふうに思うのは、自分がまだ冷静でなく、重さをきちんと判断できないのか——それとも、今のシィンがいつもの彼ではないからだろうか。
彼はいつも堂々として、綺麗で、輝いていた。憤りを顕にしたときですら見惚れるほどの麗麗しさだった。真っ直ぐな曇りのない美しい瞳で、活き活きとした四肢で、快活な声でそこにいた。いつも。
なのに、今は……。
ほんの少し前のことを思い出し、顔を曇らせる。
だからなんだか、軽いように感じてしまうのだろうか。
ここにいるのは彼であって彼ではないようだ。
ダンジァはそっとシィンを寝台に横たえると、その手をぎゅっと握る。
頬にウェンライの視線を感じたが、シィンから目を離さなかった。
早く——早くよくなってください。
また以前のようなあなたに会いたいのです。
祈るように手を握りしめ、今は閉じられている瞼を見つめ、青白い顔を見つめる。
静かに手を離すと、すぐに医師たちがシィンを取り囲む。
それでもまだ離れ難くしていると、
「気になるだろうが、そろそろ話を聞かせてもらおうか」
ツェンリェンの声がした。
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