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84 “彼”が”彼女”でいた理由
しおりを挟む「…………」
唖然とするダンジァの前、”彼女”は——ではなく”彼”は、ツェンリェンの傍までやってくると、唇に残る紅を手の甲でグイと拭う。
そしてダンジァを見下ろし目を眇めると、そのまま、その鋭い視線をツェンリェンに向けた。その貌は、確かにウェンライのものだ。
さらりと零れる髪も、揺れる髪飾りも、纏っているものも全部”あの女性”のものなのに、目の前にいるのは間違いなく”彼”だ。
以前、ダンジァも同席した、シィンの出場種目を決める話し合いで、テキパキと話を進めていた有能な補佐官。遠慮なくシィンに意見をぶつけていた辺りは、なるほど王子と親しい関係なのだな、と感じられたものの、それ以外には特に目立とうとする様子もなく、いつもどちらかといえば控えめだった。
とはいえその佇まいには隙がなく、やはり王子の側近ともなれば秀でた方々ばかりなのだなと思ってはいたけれど……。
(でも……)
でもまさか、あの女性が彼だったなんて。
ずっとそうだったのだろうか?
どうして気がつかなかったのか。
いやそれより、なぜ彼は女性の格好を……。
ダンジァの混乱が深まる。が、ウェンライはそれに構わずツェンリェンに詰め寄るように言う。
「人に”じっとしておけ”と言うぐらいなら、どれほど手際がいいかと思えば。ぐずぐずした挙句が騏驥の言い分を聞いてここに医師を!? それできちんとした処置ができると!?」
「医師に確認した。どこでやろうが、まずは毒の質を確かめてからだ。それだけならここに必要なものを運び込めば事足りる」
「…………」
「殿下を——シィンをここに留めた理由は、さっきダンジァに話した通りだ。聞こえていただろう?」
「人が大人しくしてるのをいいことに……あれこれ勝手に……」
「それはお前が騒ぎかけたからだろう。シィンの様子が気になったのはわかるが、あの時点でバレたら元も子も……ああ、来た来た」
と、話の途中でツェンリェンが声をあげる。
こっちだ、と手をあげる彼につられるようにダンジァも顔を向けると、こちらに向けてやってくる一人の少年の姿があった。
部屋に入ってきたその少年は、簡素だが品のいい身なりをしている。彼は、ツェンリェンの姿を見ると笑顔になり、小走りに駆けてくる。その両腕に抱えているのは服……だろうか。
彼は軽やかな足取りでこちらへやってくると、ダンジァの姿に、そしてその腕の中のシィンの姿に驚いた顔を見せつつも、まずはツェンリェンに、そしてウェンライに挨拶をした。
姿勢が良く礼儀正しい。明るく人好きのする、聡明そうな面差し。口調からすると、どうやらツェンリェンの従者のようだ。
彼は、ツェンリェンと言葉を交わすと、ウェンライに向き直り、「どうぞ」と持っていたものを差し出す。
ウェンライは無言でそれを受け取ると、ツェンリェンをひと睨みしてから踵を返す。
「……手伝ってやれ」
ツェンリェンが少年にそういうと、彼は「はい」と素直にウェンライの後を追う。なんだろうかとダンジァが視線で追うと、ウェンライは部屋の端で無造作に纏っているものを脱ぎ始める。どうやら、今身につけている女性の装束から、少年が持ってきたものに着替えるようだ。
慌てて目を逸らすと、
「手短に説明しておく」
しゃがみ込んできたツェンリェンが口早に言った。
目が合うと、彼は苦笑気味に笑う。
「混乱してるんだろう? その様子じゃ、聞きたい話も聞けなさそうだ。だから先に説明しておく。こっちの話を聞いたら、そっちも事態の詳細を話してくれ。話せ。——いいな」
最後は確認するような声音で言うツェンリェンに、ダンジァはこくんと頷く。
すると彼も視線で頷き、次いで着替え中のウェンライをチラリと見て話し始める。
「あいつがあんな格好をしていたのは……まあ、つまりわたしと彼がどうして”ああいうこと”をしていたのかといえば、大会中、万が一不審者が現れた時に備えてのことだったんだ。これを——あちこちに撒いて回るために」
そう言いながら彼が見せてくれたのは、いくつかの石だ。おそらく魔術石なのだろう、物によっては青く、赤く、黄色く——と、それぞれが内側から光っている。
目を瞬かせるダンジァに、彼は続けた。
「今は逆に撒いたものを回収させているところだが、この魔術石は、ちょっと変わった特性がある。音や映像を吸収できる——つまり記録できるんだ。中に閉じ込めることができる。きみたちのその『輪』と似たようなものだと言えばわかるかな」
「!」
ダンジァは思わず首の「輪」に触れた。魔術の込められたこの「輪」は、騏驥を騏驥たらしめているものだ。変身や能力の解放に干渉できると同時に、記憶、そして騏驥が見聞きした事象を記録できる。
ツェンリェンは続ける。
「つまり、この石を監視用の媒体としてあちこちに撒いておきたかったんだ。もちろん、誰にも気付かれないように。——そのためには、あちこちをうろうろしても怪しまれないようにしなければならなくて……だからわたしが”彼女”を——彼を連れ歩く格好でいた、というわけだ」
なにしろわたしは一人で歩き回るより女性連れの方が「普通」に見られるようだからね。
笑いながらツェンリェンは言うが、ダンジァはなんと返事をすればいいのかわからない。
だが確かに、大会に出場するわけでもないツェンリェンが待機エリアを彷徨いているのは不自然だ。女性を案内している方が自然といえば自然だ。
しかも、その女性が「わけあり風の美女」となれば尚更——「だから彼が」と思える。
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