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77 焦がす者、焦れる者(2)
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(わたしの側は嫌なのか!?)
(さっきまでは、そんな様子ではなかったではないか)
レースの前もレースの最中もその後も、彼は自分を信頼してくれていた。
そう思えていた。人の姿の時はもちろん、馬の姿になっても。手綱からそれが伝わってきていた。だから何もかも彼に任せられた。こちらも彼を信じられたのだ。
だからこそ、あの素晴らしい結果が為されたのではないのか。
だから……。
だから、自分がそれに感激して一層彼を大切に思ったように——一層彼を好きになったように、てっきり彼も…………そう……ではないだろうかと思っていたのに……。
「…………」
シィンはぐるぐると考える。
こんなに考えてばかりなんて時間の無駄だし、自分らしくないなと分かってはいるが、どうも、ことダンジァの件に関しては、いつもの自分でいられなくなってしまうようなのだ。
いつもならもっと……聞きたいことや知りたいことがあったなら、それが何であれ相手が誰であれ、躊躇いなく尋ねていた。尋ねられていた。躊躇うことなく。
それが許されていたし、そういう性格なのだと思っていた。
なのに。
それなのに……。
(まったく、こいつは……)
シィンは隣に座る騏驥の気配を感じながら、胸中でやれやれと息をつく。
彼と会い、彼を知り、彼に惹かれるたびに、自分の中から自分の知らなかった自分が生まれている。
相手の反応が気になったり、こちらをどう思っているのかあれこれ考えてみたり……。「王子」として過ごしていた今までには、決してなかったことが。
そう。それは変化というよりは新たな自分に気づくような、そんな感じだ。自分も知らなかった自分に出会うような。
それは少し怖くて、けれどなんだかドキドキする体験だ。彼を探って新鮮な自分に出会ってまた彼を知りたくなって。
全く飽きない。
分かっているのだろうか、この騏驥は。
王子である自分がそんな気持ちを抱いた者は、騏驥であれ人であれ、彼が初めてだということを。
それにしても——彼のこの変わりようは……。
もしや、自分が下馬してから何かあったのだろうか。
シィンは考える。
彼が一人になってから、ここへやってくるまでに、何か起こったのだろうか。
だって彼がこんなふうに自分を避けるような素振りを見せるなんて、今までほとんどないことで……。
(…………)
そのとき、シィンの脳裏を掠めたものがあった。ダンジァが今まで唯一自分に逆らおうとしたときのこと。
剣を返そうとしたときのこと。
あのときは——それが理由ではなかったけれど、きっかけになったのは”あの騎士”に会ったことだった。彼と会って剣の銘や由来を知ったためだった。
「…………」
(もしかして……)
また何か、あの騎士が……?
シィンの胸の中が俄にもやもやし始める。
脳裏を、一人の美しい騎士の姿が過ぎる。
今日、あの騎士がどこで何をしているかなどシィンは知らない。
知らない、が——知らないから気になってしまう。もしかしたら、ダンジァはまた彼に会ったのではないだろうか。
かの騎士の騎乗技術の高さはつとに有名だ。シィンは立場上、他の誰かと比べられて語られることはないが、騎士同士で騎乗の上手さ・巧みさを語る時には必ずと言っていいほど彼の名前が出る。
ならばこうした大会で審判をしていてもおかしくはない。シィンは主催者ではあるものの、今日どこで誰が何の仕事をしているか、全ての関係者の名前など到底知る由もない。が、彼がこの競技大会会場のどこかにいてもおかしくはないのだ。
そして、”たまたま”ダンジァと会っていたとしても。
「…………」
まさかそんな偶然は……と思いたいものの、考えれば考えるほど不安が増していく。
かの騎士とダンジァの関係については、ツェンリェンがしっかりと言質を取ってきてくれていた——はずだ。だからシィンもすっかり安堵していたのだが。
(だが……)
実戦でシィンを乗せた後では、気持ちも変わったのかもしれない。
(もしや、あの騎士とわたしとを比べたりは……)
まさか。
シィンは浮かんでしまった馬鹿馬鹿しい考えを打ち消すように頭を振る。
この騏驥はそこまで無礼ではない。そんな真似はしない。王子である自分と誰かの騎乗ぶりを比べるなど……。
だが本当に「そんなことはない」と言えるだろうか。
騎士が騏驥の良し悪しを比べるように、騏驥たちもまた騎士の……。
(いや)
シィンは再び、大きく頭を振った。
そんなことはない。そんなことはしない。他の騏驥はどうあれ、この騏驥はそんな真似はしない。ダンジァはそんなことはしない。
(馬鹿げた想像だ)
自分で自分を苦しめるような想像をしてどうするというのか。
シィンは眉を寄せると、心の奥に根を張ろうとする昏い考えを振り払うように三度頭を振る。
と、流石に気になったのだろうか。
「……シィン様……?」
ぎこちない様子ながら、ダンジァが「どうなさいましたか」と、気遣うように尋ねてくる。
シィンは苦笑した。
今自分が困っているのはまさに彼のせいだというのに、その彼本人から「どうなさいましたか」と問われるとは。だが、彼が気にかけてくれたことは嬉しい。
やっとまともに顔が見られた気がする。目が合った気がする。
それだけで、ホッとする。
(さっきまでは、そんな様子ではなかったではないか)
レースの前もレースの最中もその後も、彼は自分を信頼してくれていた。
そう思えていた。人の姿の時はもちろん、馬の姿になっても。手綱からそれが伝わってきていた。だから何もかも彼に任せられた。こちらも彼を信じられたのだ。
だからこそ、あの素晴らしい結果が為されたのではないのか。
だから……。
だから、自分がそれに感激して一層彼を大切に思ったように——一層彼を好きになったように、てっきり彼も…………そう……ではないだろうかと思っていたのに……。
「…………」
シィンはぐるぐると考える。
こんなに考えてばかりなんて時間の無駄だし、自分らしくないなと分かってはいるが、どうも、ことダンジァの件に関しては、いつもの自分でいられなくなってしまうようなのだ。
いつもならもっと……聞きたいことや知りたいことがあったなら、それが何であれ相手が誰であれ、躊躇いなく尋ねていた。尋ねられていた。躊躇うことなく。
それが許されていたし、そういう性格なのだと思っていた。
なのに。
それなのに……。
(まったく、こいつは……)
シィンは隣に座る騏驥の気配を感じながら、胸中でやれやれと息をつく。
彼と会い、彼を知り、彼に惹かれるたびに、自分の中から自分の知らなかった自分が生まれている。
相手の反応が気になったり、こちらをどう思っているのかあれこれ考えてみたり……。「王子」として過ごしていた今までには、決してなかったことが。
そう。それは変化というよりは新たな自分に気づくような、そんな感じだ。自分も知らなかった自分に出会うような。
それは少し怖くて、けれどなんだかドキドキする体験だ。彼を探って新鮮な自分に出会ってまた彼を知りたくなって。
全く飽きない。
分かっているのだろうか、この騏驥は。
王子である自分がそんな気持ちを抱いた者は、騏驥であれ人であれ、彼が初めてだということを。
それにしても——彼のこの変わりようは……。
もしや、自分が下馬してから何かあったのだろうか。
シィンは考える。
彼が一人になってから、ここへやってくるまでに、何か起こったのだろうか。
だって彼がこんなふうに自分を避けるような素振りを見せるなんて、今までほとんどないことで……。
(…………)
そのとき、シィンの脳裏を掠めたものがあった。ダンジァが今まで唯一自分に逆らおうとしたときのこと。
剣を返そうとしたときのこと。
あのときは——それが理由ではなかったけれど、きっかけになったのは”あの騎士”に会ったことだった。彼と会って剣の銘や由来を知ったためだった。
「…………」
(もしかして……)
また何か、あの騎士が……?
シィンの胸の中が俄にもやもやし始める。
脳裏を、一人の美しい騎士の姿が過ぎる。
今日、あの騎士がどこで何をしているかなどシィンは知らない。
知らない、が——知らないから気になってしまう。もしかしたら、ダンジァはまた彼に会ったのではないだろうか。
かの騎士の騎乗技術の高さはつとに有名だ。シィンは立場上、他の誰かと比べられて語られることはないが、騎士同士で騎乗の上手さ・巧みさを語る時には必ずと言っていいほど彼の名前が出る。
ならばこうした大会で審判をしていてもおかしくはない。シィンは主催者ではあるものの、今日どこで誰が何の仕事をしているか、全ての関係者の名前など到底知る由もない。が、彼がこの競技大会会場のどこかにいてもおかしくはないのだ。
そして、”たまたま”ダンジァと会っていたとしても。
「…………」
まさかそんな偶然は……と思いたいものの、考えれば考えるほど不安が増していく。
かの騎士とダンジァの関係については、ツェンリェンがしっかりと言質を取ってきてくれていた——はずだ。だからシィンもすっかり安堵していたのだが。
(だが……)
実戦でシィンを乗せた後では、気持ちも変わったのかもしれない。
(もしや、あの騎士とわたしとを比べたりは……)
まさか。
シィンは浮かんでしまった馬鹿馬鹿しい考えを打ち消すように頭を振る。
この騏驥はそこまで無礼ではない。そんな真似はしない。王子である自分と誰かの騎乗ぶりを比べるなど……。
だが本当に「そんなことはない」と言えるだろうか。
騎士が騏驥の良し悪しを比べるように、騏驥たちもまた騎士の……。
(いや)
シィンは再び、大きく頭を振った。
そんなことはない。そんなことはしない。他の騏驥はどうあれ、この騏驥はそんな真似はしない。ダンジァはそんなことはしない。
(馬鹿げた想像だ)
自分で自分を苦しめるような想像をしてどうするというのか。
シィンは眉を寄せると、心の奥に根を張ろうとする昏い考えを振り払うように三度頭を振る。
と、流石に気になったのだろうか。
「……シィン様……?」
ぎこちない様子ながら、ダンジァが「どうなさいましたか」と、気遣うように尋ねてくる。
シィンは苦笑した。
今自分が困っているのはまさに彼のせいだというのに、その彼本人から「どうなさいましたか」と問われるとは。だが、彼が気にかけてくれたことは嬉しい。
やっとまともに顔が見られた気がする。目が合った気がする。
それだけで、ホッとする。
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