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63 彼の気持ちわたしの気持ち(2)

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 眼下では、次の競走のための騏驥たちが馬場入りし始めている。
 王の騏驥もいる。
 
 王の騏驥——。

 王族のために集められた、王族のための騏驥。
 選りすぐられた、とびきり美しく、気性の良い騏驥たち。
 式典の時、飾り立てられた姿の彼らがずらりと並ぶ様は壮観の一言だ。誰もがみなそう思うに違いない。シィンですらそう思うのだ。整い、一糸乱れぬ動きを見せる彼らは、まるで絵画のように美しい、と。

 だが。
 シィンが求める騏驥は「そう」ではない者なのだ。
 
 美しいものが嫌なわけではない。気性の良さや従順さは大事なことだと知っている。
 けれど。

 それは「違う」のだ。
 それは自分の求めるものではない。


 シィンは今日これから騎乗するだろう騏驥のことを思う。
 馬の姿でも人の姿でも人目を引く均整の取れた体躯で、走ればこの上なく力強く疾く。
 聡明で、礼儀正しく落ち着いていて。かと思うと、シィンの与えたものを守らんがために思いがけないほど情熱的な貌を見せて。
 少し離れるだけで会いたくなって——離れたくなくて、ほんの少し会っただけで嬉しくなる騏驥を思う。他の騎士に渡したくない騏驥を思う。
 ——ダンジァを想う。
 
 
 彼を——望んでいいだろうか。
 大会の結果如何に関わらず、彼を側に置きたいと願っていいだろうか。なんとかそれを叶えられないだろうか。
 叶えたい。心はすでに痛いほどそれを望んでいるのだ。
 彼を自分の騏驥にしたい、彼をずっと自分の側に、と。
 たとえそれが、王家と騏驥のあり方を捻じ曲げてしまうとしても——。


 だが果たしてシィンがそれを望んで、ダンジァはついて来てくれるだろうか。
 彼の気持ちや彼の希望は、果たして……。
 
 それに、自分が無理を通せば彼も誹りを受けるかもしれない。
 彼は何も悪くないのに、下心のある騏驥だと思われかねない。
 彼のことは絶対に護るけれど、周囲から心ない声が上がれば、それはきっと彼の元にも届くだろう。彼は心を痛めやしないだろうか。
 自分の望みのために、一番大事にしたいと思うものを傷つけてしまうかもしれないことを強行するのは、果たして良いことなのだろうか……。

 王がそうであるように、王子がそうであるように、そして王の騏驥たちがそうであるように、普通と違うものを・立場を得た者は、それと引き換えに失ってしまうものもあるのだ。
「特別」は、良い面も悪い面もある。
 彼はそれを受け入れてくれるだろうか。
 そしてもし彼に拒絶された時、自分は「それも仕方がない」と思えるだろうか。彼を諦められるだろうか……。
 

 ふぅ……とシィンはため息をつく。

 自分は愚かなことをしようとしている。
「してはいけない」とわかっていることを、それなのに「したい」と思っている。「しよう」と思っている。
 ともすれば、相手を傷つけかねないことを。

 自分はいつからこんなに身勝手に、我が儘になったのだろうか……。

(まあ、身勝手も我儘も以前からといえばそうだが)
 
 それでも肝心なところの線は踏み越えなかったはずだ。だからウェンライも他の家臣たちも自分を信じてついてきてくれている。そのことはよくよくわかっているはずなのに。

(まったく……なんでお前はこんなにわたしを困らせるんだ……)

 シィンは知らず知らずのうちに、胸の中で彼の騏驥への恨み言を呟く。けれどその声は自分でも聞いたことがないほど甘い。
 

 不思議だな、とシィンは思う。
 ダンジァのことを考える時、想うとき、それはいつも彼との「これから」のことだ。
 これから自分たちはどうなるだろう。これから自分は彼を側に置けるだろうか……。
 ——当然だ。時間は先へ先へ進んでいるのだから。
 けれど。

 彼に対しては、そうした思いだけではなかった。

 それまでシィンは、何においても、時間が経てばそれに慣れるものだと思っていた。
 行動も、そして気持ちも。良いことも悪いことも。
 なのに彼については少し違っている。

 彼の特性を、性格を、気質を把握し、彼のことを理解したように思うたび、心はたまらなく浮き立った。彼をより知れた、彼とより近しくなった、と。
 なのに同時に、そうして知っても知っても慣れることなく、もっと知りたくなるのだ。
 振り返るときのほんの少しの仕草の違い、話すときの言葉の選び方の違い、応えるときの声の違い……。
 それら全てを知りたかった。どんな細かなことでも。見たいし聞きたかった。

 そう。まるで初めて彼に会ったときの、初めて彼を見たときの、その馬の姿を目にしたときの、乗ったときの、あの驚き、感動、喜びを今もまだ感じているかのように。
 会うたびに「ああ、やはり彼だ」と思ってホッとする。嬉しくなる。けれど同時にどきどきするのだ。まるで運命の相手かもしれない相手に、初めて出会ったときのように。
 もう何度も会っているのに、乗っているのに、飽きることも慣れることもなく、次に会うとき彼はどんな顔をするだろう、どんなふうに話すだろう、どんなふうに駆けるだろうと胸が高鳴るのだ。

 こんなことは初めてだった。


 少し怖い、とシィンは思う。
 否。
 とても怖い。

 自分が自分じゃないようで。

 でも。
 でも、それでも——。


 シィンはふうっと長く息をつくと、時間を確かめる。
 この大会、彼の騏驥に騎乗するまであとわずか。
 この大会後もともに——と望む彼の運命に騎乗するまで、あとわずか。

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