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57 動揺の騏驥待機

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 ダンジァは、わざと間を空けるようにひとつ息をつくと、不安な顔でダンジァの両肩を支えるようにしてくれているユェンをじっと見つめる。
 そして、

「大丈夫です」

 と、もう一度言った。なるべく笑みを作って。

「心配をおかけしてすみません。でも本当に大丈夫です。それより、早く腰を落ち着かせて……一息つきたいです。開会式からずっとバタバタしていたので……」

「あ……ああ——うん」

 と、ようやく納得してくれたのか、ユェンは「そうだね」と言いながらダンジァの肩からそっと手を離す。
 やがて、「こっちだ」と、さっきまでよりゆっくりの速さで歩くのを再開する。
 ダンジァは黙ってその後に続いた。
  
 やはり脚は問題ない。痛みも違和感もない。
 これなら、医師に診てもらって「大丈夫」のお墨付きをもらうまでもないだろう。診察してもらえば素人判断より結果に安堵できるが、わざわざ診てもらう手間の方が嫌だった。
 
 それよりも今は早く、寛げるところに行きたい。
 レースまで、その前のウォーミングアップの時間まで、何も考えずにゆっくり過ごしていたい。
 何も考えずに……。

 そう、思った途端、
 
 ——花嫁探し。

 ユェンから聞かされた言葉が耳の奥に蘇り、途端、胸がツキンと疼く。
 ダンジァは思わずそこを押さえた。
 痛みを逃すように長く息を吐く。
 治ったかに思われていた鼓動の音が、また響き始める。

 自分如きが考えることではないと分かっていても、考えることを止められない。

 本当だろうか。
 本当なら誰の案だろうか。
 ウェンライが? それとももっと別の誰かが?

 ダンジァにはシィンの周りにいる人たちのことなどほとんどわからない。彼が日々どんな人たちとともに過ごしているのか、接しているのか——ほんの欠片ほどしか知れていない。
 王子である彼の身体は彼一人のものではないのだろう。
 きっと色々な人の色々な思惑があって……。
 結婚だってきっと、王子の彼には大きな意味があるものなのだ。

 なら……もしかしたら彼が考えたことかもしれない。
 この機会に生涯の伴侶となる相手に目星をつけるとか……そこまでいかなくとも、どういう相手と婚姻を結ぶことがこの国のためになるか検討しているとか……。

「…………」

 想像すると、やり場のない苦しさが込み上げてくる。
 ダンジァはぎゅっと拳を握りしめた。

 胸が痛い。けれどそんなふうに胸を痛めることすら、本来ならおかしなことなのだろう。おかしなことなのだ。騎士が誰を娶ろうが騏驥には関係のないことだ。
 既に結婚している騎士だって少なくない。ましてや彼は王子なのだ。
 するに決まっている。

 だから……。

 
「——ジァ……ダンジァ?」

「!?」

 と、不意に間近から名前を呼ばれ、ダンジァはびくりと慄いた。
 我に返って目を瞬かせれば、ユェンが「ぶつかるよ」と心配そうに顔を覗き込んで来ていた。
 いつの間にか立ち止まり、俯いて考え込んでいたようだ。
 
「ほら、ちょっと避けてあげて」

 そしてやんわりと肩を押される。
 どうやら、ここはちょうど部屋の扉の辺りだったらしい。
 
 ダンジァの側を、飲み物や軽食が沢山乗った盆を手にした騏驥たちと女官たちが通り過ぎていく。彼らは部屋のあちこちに準備されているそれらをテキパキと補充すると、そそくさと部屋を出ていく。

(……)

 その一人になんとなく見覚えがある気がして、ダンジァが小さく首を傾げた時。

「ほら——ダンジァ。入って入って。そのままずっと奥だよ」

 今度はユェンに背を押され、ダンジァはされるまま部屋に足を踏み入れる。

「ここ、ですか?」

 尋ねると、「そうそう」と頷きが返る。どうやらこの広い部屋の一角が、ユェンがダンジァのために用意してくれた待機場所のようだった。
 それとなく、室内を見回す。広めの控え室だ。
 壁際に、一定間隔をとって、既に他の騏驥や厩務員らしき人たちが数人——もっとか——点々と座っている。
 大会出場に慣れている騏驥なのか、なかには衝立を使って部屋の空間を仕切り、自分の待機場所をまるで簡易個室のようにしている者もいる。

 男の騏驥も女の騏驥もいるし年齢も様々なようだが、皆静かだ。
 落ち着いて、自分の集中を高めたり寛いだりしている。
 そのことに、ダンジァはホッとする。
 別にそれ自体は悪いことではないのだが、騏驥によっては話好きだったりする騒がしい者もいるから、そういう騏驥と同じ部屋でなかったことには感謝だ。

 おそらくだが、仲間と騒いでリラックスするタイプの騏驥は、他のところで集まって話をしているのだろう。レースの投影が見られる場所とか、放牧場とか、もっと食べ物のあるところとか。
 この部屋に来るまでの間にも、確かそんな風に群れた騏驥たちがいた。
 騏驥は馬に変化する人であっても馬ではないから、「群れ」を作る特性はない。
 どちらかといえば一人で考えて行動したがる傾向があるぐらいだ。が、今は競走前ということで不安になっていたり緊張している騏驥が多いのだろう。

(あ……)

 仲間で思い出した。
 さっき見かけた、騏驥の一人。彼は、以前、ダンジァが「揉め事」を起こしたときの相手のうちの一人であり、なんとなく中心人物のように思えた、「王の騏驥」の一人ではなかっただろうか。
 あの時と違い、今日は大会の手伝いのためか簡素な格好だったが……。それでも十分美しかった。だが心なしか顔を隠すようにしていたのは、現状が不本意だからだろうか。
 シュウインから聞いた話では、外の世界や他の騏驥たちのことをあまり知らない「王の騏驥」たちの刺激になれば、勉強になれば——と、ツォ師は大会の手伝いをさせることにしたらしいが……プライドの高い彼らには嫌なことなのかもしれない。

 そんなことを考えていると、

「そこだよ。その奥」

 背後からユェンの声がした。
 言われるまま、柱を回り込むようにして足を進める。と、部屋の奥まった場所にちょうどよく収まるような格好で荷物が置かれ、まるで巣のようにダンジァの待機場所ができていた。
 扉からは遠いから出入りには不便だが、そう頻繁に出入りしないから問題ないだろう。それより、柱のおかげで周囲からは見られ辛く、落ち着いて過ごすにはもってこいの場所だと思えた。

 大会が初めての自分を気遣ってくれたのだろうか。
 それに、今の自分にはピッタリだ。

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