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51 大会開幕

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 迎えた大会当日は、朝から見事な快晴だった。
 騏驥たちに割り当てられている出張馬房の雰囲気も、張り詰めつつ活気あふれたもので、ダンジァも、その清々しさと心地よい緊張感に身が引き締まる思いだった。
 よく眠れたおかげか、体調もいい。
 一度馬の姿に変わり、併設されている放牧場を調教がわりに軽く駆けると、戻って身体を清めて食事を摂る。
 そして、やってきた調教師補兼厩務員のユェンとともに身支度を整える。

 予定では、この後の開会式に出てその後は待機所に移り、出番を待つことになる。昨日とは違う礼装に袖を通すと、気持ちも新たになるとともに、改めてシィンに応えたい思いでいっぱいになった。
 丁寧に、しかし手早く支度を整え、髪を結ってもらっていると、

「どうじゃ調子は。よく眠れたか」

 そこに、サイ師が姿を見せた。
 西から東から他の地域からも騏驥たちが集まっているこの大会は、そのため調教師たちも大勢集っている。
 そのタイプはさまざまで、この城の出張馬房に着くまでも着いてからもずっと騏驥の側で様子を気にしている者もいれば、ほぼ騏驥の好きなようにさせている者もいる。サイ師は後者のタイプの調教師だった。

『儂の仕事は、お前をここまで無事に届けることじゃ。ここからは、お前が自分で考えて調子を整えるがいい。直前ともなれば自分のことか自分が一番よくわかるだろう。また、そうでなければならん。自分の頭で考えてやらなければ意味がない。自分で考えておけば、また次に大会に出る時や遠征の時に活かせるようになる』

 ……そう言って。

 それに、実は師は昨夜の宴の後も他の調教師の人たちと交流していたようだ。それも、是非にと乞われてのことだったらしい。
 今まで大会に騏驥を出してこなかった師が初めて出場させているということで、調教師の間でも話題になっていたようだ。それに加え、普段はなかなか話せない師と話せると言うことで、師はたいそう人気だったらしい。
(と、さっきユェンから聞いたのだ。自分の師が慕われているのは嬉しい)

 ダンジァは師を見つめ返すと、深く頷いて言った。

「力は発揮できると思います」

「そうか」

 ならいい。何よりだ。

 サイ師はダンジァの言葉に頷くと、その姿を眺めて、再びよしよしと頷く。
 師の目から見ても問題はないようだ……。ダンジァは心ひそかに安堵した。
 
 自分で自分の体調や精神状態を判断できている、できるようになった……と思っていても、意外なところで見落としがあったりするものだ。
 落ち着いているつもりでも、焦っているときの癖を出していたり早口になってしまっていたり。
 だが幸いにして、自分は合格点らしい。
 ほっとするダンジァに、サイ師は続ける。
  
「前から言っておいたように、今日のことは全てユェンに任せるが、それでいいかの。もちろんお前の出走の際には見守るつもりだし調教師としての儂の判断が必要な場合はちゃんと応対するつもりじゃが」

「はい。先生も楽しんでください」

 ダンジァが言うと、サイ師は再び「うんうん」というように頷く。
 今回、サイ師は大会そのものに興味があるようなのだ。規模や出走している騏驥や騎士、出走までのプロセス……。今までは参加に否定的だったものの、参加したからにはこれを一つの経験にして、今後のために活かそう、と思っているのだろう。
 名伯楽と言われる実績をあげているにもかかわらず、新しいことを導入しようとする柔軟さは素直にすごいと思う。

 それに、確かにダンジァ自身も大会までの時間でずいぶん成長できたと思う。
 強引に参加を決められた時は戸惑いが先に立ったが、今はシィンに感謝している。やはり、目標をもって取り組むのは楽しいし、やり甲斐がある。

 そしてサイ師は、既にダンジァの髪を結い上げ終わり、今度はあちこち細かく編み込んでくれているユェンに目を向ける。
 と、目が合ったのだろう。
 ダンジァの髪をそれは綺麗に整えてくれながら、ユェンが「頑張ります」と返事をした。

 大会までのここ数日、ダンジァの世話してくれているユェンは、「調教師”補”」と言っても実は試験には合格しているれっきとした調教師だ。
 ただ、まだ自分の厩舎を持っていない。開業前に色々なところで修行したいと希望して、現在はサイ師の元にいるのだ。
 そんな経緯もあって、今回は彼がダンジァの厩務員として世話を焼いてくれている。サイ師の、せっかくならこの機会に大勢の騏驥を見ておいた方がいい、大会に慣れておいた方がいい、という配慮からようだった。

 そして実際、彼はとても細やかにダンジァを気遣ってくれていた。
 師というより、いい意味で仲間のような兄のような……そんな頼りになる存在、という感じだ。彼といられれば不安はないだろう。
 シィンやサイ師とだけでなく、彼ともまた優勝の喜びを分かち合えるといいなと思う。

 やがて、完璧に身繕いを整えると、開会式に向かう直前、ダンジァはサイ師に挨拶する。
 
「じゃあ、行ってきます」

「ああ。儂もそろそろスタンドに向かうとするか……。また後でな。装鞍所で会うことになるじゃろ」

「はい」

 開会式は、関係者だけが参加予定だ。とはいえ、スタンドから様子を見られるのかと思うと照れてしまいそうだ。素晴らしい服や剣や髪に負けないようにちゃんと歩かなくては。

 そして開会式の後は、いよいよ観客が入る。騏驥たちは待機所に移り、順にレースに出走する。馬房に戻るのは全てが終わってからだ。

 開会式の行われる本馬場に向かう騏驥たちの足取りはさまざまだ。普通にしているものもいれば、なんとなく過剰にキビキビしているもの、逆に自信なさげに厩務員か調教師に付き添ってもらっているものもいる。
 確か、百人近い騏驥が、今日この場に集まっているはずだ。こうした大会に慣れたものは堂々とした様子で歩いている。まるで、今から自信を見せつけて周囲にプレッシャーをかけようとしているかのようだ。
 途中まで騎士が迎えにきているものはさらに誇らしそうで、騎士を見つけた途端に一瞬で笑顔になるのはどの騏驥も同じだなと思う。

 馬場へ続く地下馬道に、騏驥たちの足音が響く。

 主催であるシィンは、この開会式でもダンジァに隣にはいられない。
 ダンジァは一人で入場し、一人でシィンの言葉を聞き、一人で待機所に戻ることになる。
 けれどダンジァは、もう自分を寂しいとは思わなかった。
 
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