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44 大会前日(4)王子と王

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 幾人かの供を引き連れ、王はゆっくりゆっくりと広間に入ってきた。
 とはいえ、実のところしかとその姿を見たわけではない。
 跪きつつ、しかし好奇心には勝てず、つい気になってさっと視線を走らせただけだったから、はっきりと見たとは言い難く感じられたのは気配だけ。
 だからなのか、あまり印象は強くない。
 
(むしろシィン様の方が……)

 存在感があるぐらいだ。
 彼はたとえ名乗らなくても、ただそこに佇んでいるだけで「何かいる」と思わせる特別感がある。

(いやいや)

 だがしかし、そんなことは考えることすら禁忌——とばかり頭から振り払うと、ダンジァはより深くこうべを垂れる。
 王が、シィンのすぐ側までやってきたのだ。
 そしてゆっくりと間を取ると、ダンジァにとっては初めて聞く声がした。

「皆、そう畏まらずとも良い。楽にせよ。なに、楽しげな宴があると聞いて、つい——な」

 頭上から聞こえる声は、緩やかな優しい口調だ。
 頭を下げたままのダンジァの目には、その足の先だけが見えた。
 汚れなど一筋もない真っ白な靴。いかにも柔らかそうな革で作られ、細かな宝石が幾つも散りばめられたその靴は、争うことも、ましてや騏驥に乗ることなどまるで考えられていないいでたちに思える。
 ここにいる騎士たちは、シィンも例外なく皆、長靴姿だというのに。

(現王は、あまり騏驥に乗られないと言うのは本当のようだ……)

 ダンジァは思う。
 もちろん、王だからといって全ての時間、騎士でいなければならないわけではないだろう。
 だがこの姿は、必要な時以外は騏驥に乗る気はないと言っているも同然のように思える。
 過去の王たちにもそういう考えの者はいたようだが、騏驥とすればやはりなんとなく寂しい。
 王族は生まれながらの騎士だというが、現王はその特権を行使するより政のほうに重きを置かれているご様子だ。

(王族にも、色々な方がいらっしゃる……)

 騏驥に乗ることを好むシィンとはまるで違うお方なのだな、と思っていると、
 
「陛下にお立ち寄りいただき光栄の極みでございます。お気にかけていただき、皆大層喜んでおりましょう」

 そのシィンが滑らかに返答する。
 相変わらずのいい声だ。爽やかで、特別大声ではなくともよく響き、聞き取りやすい。
 王が「ん」と頷く。 

「にしても——シィン」

 直後。声のトーンが変わった。

「今回の大会にはお前も出場するとか。主催するだけでは飽き足らず、わざわざ参加するとは……。騏驥のため、騎士のためなどと言っておいて、結局は自分のための催しか? いささか身勝手とは思わぬか」

「…………」

 広間の空気が、辺りの空気が、微かに固くなる。
 シィンは黙っている。ダンジァももちろん黙っている。が、頭の中は混乱していた。

(陛下は、シィン様に一体なにを……?)

 惑うダンジァの耳に、再び王の声が滑り込んでくる。
 
「……しかも、出場にあたっては王の騏驥ではなく一介の騏驥に騎乗するとか。まったく……何を考えているのか。周りの者も振り回されて大変よの。しかも上手く負けてやらねばならぬとなれば——」

「陛下」

 刹那、シィンが遮るように声を上げる。
 思わずダンジァは顔を跳ね上げ、慌ててそれを戻す。だが一瞬のことでも、その目にはしっかりと映った。
 シィンは毅然と顔を上げ、王を見つめていた。
 
「一介の騏驥であっても、ダンジァは優れた能力を持っております。そうした騏驥を見出し、大会に参加させ、競わせる経験をさせるのも騎士としての務めかと。また、この国の——ひいては陛下の忠実な臣たる騎士たちは皆、優れた騎乗技術のみならず気概にも満ちた精鋭揃い。ご懸念されるような事態にはならぬかと存じます」

「…………そうか。ならば良い……」

 自身の発言を遮られた形になったためか、それともシィンの言葉に不満があったためなのか。王の声音が、一段低くなる。

 しかしどうして、そんな言い方を?

 ダンジァは先刻から疑問が湧くのを止められなかった。
 陛下の口ぶりや言葉は、まるで嫌味や皮肉のそれだ。
 どうして自身の息子であり優れた騎士であるシィンに、そんな言い方をするのだろう。
 しかも……他の騎士や騏驥たちも大勢いるこんな場所で。

 ダンジァは僅かに目を上げてシィンを見る。斜め後ろからだから、彼の表情はよくわからない。わからないが……見つめていると、なんだかダンジァ自身が悔しくて堪らなくなっていった。

 シィンに——自分の騎士に悪意めいたものが向けられていることが嫌だ。
 彼の誇りを傷つけようとしている者がいることが嫌だ。
 なのにそれらから彼を護れないことが悔しくて堪らない。

 これが遠征の場なら——戦いの場なら、彼のために彼の敵をどれほどでも打ち倒すのに。

 相手が王では睨むことすらできない。それが悔しい。悔しくて堪らない。
 シィンが——自分の大切な騎士が——大切な人が——それこそ王よりも誰よりも大切だと思う人が、今まさに目の前で悪意に晒されているといるのに。
 
 ぎゅっと唇を噛むダンジァの耳に、王の声は更に続く。

「ならば良い。せいぜい励んで、良い成果を収めよ。周りもお前のことは甘やかしているようだからの……。王子でなければ見向きもされぬだろうに、優れた騎士だのなんだのとちやほやして……。成果を残さぬと恥ずかしいであろう。始祖の血を引く騏驥に選ばれるわけでもなく、比肩できるほどの騏驥を従えられるわけでもない身では……」

「……」
 
(どうして——)

 ダンジァはきつく眉を寄せ、拳を握り締めた。
 あんまりな言いようだ。
 どうして王はシィンを悪しざまに言うのだろう。実の息子を。息子に対して。どうして。

 しかもシィンは、これほど言われても黙ったまま王の言葉を聞いている。
 纏う空気こそ固いけれど、憤りを露わにするわけでもない——。
 ということは、こうしたことを言われるのは初めてではない、ということだ。

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