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41 大会前日(1)

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 熱気の満ちた大広間。そこを埋める人波を縫うようにしてなんとか凉台へ出ると、ダンジァははーっとため息をついた。
 緊張と人熱に汗ばむ肌に、夜風が心地いい。
 本当は襟を緩めて楽になりたいところだが、しばらくしたらまた広間に戻らなければならない状況では——人前に戻らなければならない今夜の状況では、それは無理だ。
 だが、せめてそれまでは喧騒から離れていよう、と、ダンジァは身体を預けるようにして手摺りによりかかった。

 背後では賑やかな宴がまだ続いている。
 王城の居館。絢爛豪華な調度と灯りに彩られた広い広い広間には、明日開催される騏驥の競技大会の全ての出場騏驥とその騎士たちが集まっているのだ。
 大会前日の夕刻。先ほど、ここでは前夜祭として各競争の予選の枠順抽選会が行われた。出場予定の騏驥と騎士が順番に呼ばれ、登壇し、籤を引いて競争時にどの枠に入るかを決定する、そんなイベントが。
 競走種目によっては枠順による有利不利があるし、それを踏まえて明日は賭け籤を売り出すから、どの騏驥がどの枠になるかわかるたびに会場は大いに沸いた。
 と言っても、実のところ各競争の優勝者は予選を通過して本選に進んだ者たちの中から選ばれるから、予選の枠順抽選は単なるイベントすぎない。
 それでも、大会の開始を祝う意味と参加騏驥と騎士の顔見せの一面もあり、たいそうな盛り上がりだった。
 そしてそのまま宴になり——。
 今もまだ賑わいは続いている……のだが。

「…………」

 ダンジァは手摺りに身を預けたまま、また一つため息をつく。

 大会に出る騏驥たちは、前日の昼までに城の厩舎に入厩する。
 普段は西や東の厩舎地区にいる騏驥たちも、遠方の領地からやってくる騏驥たちも全員だ。
 同じ場所に集められて、ある意味隔離されて当日の出走を待つ。
 これは、万が一の不正がないようにという配慮のためだし、同時に、騏驥が不用意に禁止されている食べ物や飲み物を口にして、失格になってしまわないように、との配慮でもある。
 大会に出る騏驥たちは、使用される魔術や薬物の制限が普段よりも厳しいのだ。
 その点、一旦城の厩舎に入ってしまえば、そこで出される食べ物飲み物は全て検査をクリアした「安全なもの」になるため、いちいち「これは大丈夫だろうか」「誰かに確認してもらわなければ」と気にしなくてもいいことになる。
 それは、本番直前で神経質になっている騏驥たちにはありがたいことだった。

 今行われている、この前夜祭の宴で供されている料理もそうだ。
 目に美しく、食べて美味しいこれらは全て素材も調味料も厳選されていて、騎士が食べても騏驥が食べても問題のない物になっている。
 普通の人間である騎士と、馬に変わる人間である騏驥とでは、「何を美味に感じるか」という味覚そのものが若干違っているらしい上に、香辛料や香草に対しての反応も違うから(片方は平気で食べられても、片方の健康を害するものもある)、「双方が同じものを(美味しく)食べられる」というのはとても珍しいことなのだ。
 さすが城の料理人、というところだろう。

(そう、確かに城の料理人たちは流石の腕だ。ダンジァが食べた粥も、とても美味しかった。シィンに食べさせてもらったから……というせいもあるかもだが、とにかくとても美味しかったのだ)

 だから、会場に並ぶ料理も、きっとダンジァの口にも合うはずなのだ。
 実際、他の騏驥たちは料理の並べられた桌を巡っては美味しそうに料理を口にしていた。もちろん本番のために体調を考慮して……だろうが、普段食べているものより遥かに美味しいだろう料理に、皆頬を綻ばせていた。
 今日まで調教調教で厳しい生活だったから、なおさらだろう。

 だが……。
 そんな様子を見ていても、ダンジァは食欲が湧かなかった。
 ずっとずっと、胸が塞がったように苦しく、そこが重たいままなのだ。

 先刻の抽選会。
 登壇したダンジァの側にいてくれたのはツォ師だった。
 シィンではなく、ツォ師だった。
 今大会、ダンジァの騎士として騎乗するはずのシィンは、主催だからという理由で登壇しなかったのだ。
 最初からそういう決まりだから、とツォ師は言ってくれたが、本当だろうか。
 考えれば考えるほど想いは悪い方へ悪い方へと流れ、どうすればいいのかわからなくなる。

 華やかな場にいても気分は晴れず、むしろ、どんどん沈んでいく。


 過日、剣の返上を希望するためにシィンと会って以来、ダンジァは彼の顔をまともに見ていない。
 会えていないのだ。

 翌日からは、彼が言ったように城から調教助手がやってきての調教になった。
 ダンジァがシィンの騏驥として出走することは厩舎地区にも知れ渡っていたためか、他の騏驥たちはわざわざ調教時間を調整してくれて、馬場を空けてくれたから、ダンジァは城での調教の時と同じように周囲を気にすることなく調教することができた。

 乗ってくれた調教助手の人も、普段は王の騏驥の調教をしているという騎士見習いで、そのためか流石に騎乗はそつがなく、ダンジァも乗せていてストレスを感じることはなかった。
 また、一緒に来てくれていたツォ師のおかげで、それまでとほとんど変わらない調教ができたと思う。

 そう。
 それまでと同じようにできた……と思うのだ。


 ただ一つ、シィンが乗ってくれなかったということ以外は。
 その、決定的な違い以外は。

 走りの面は、自分でもとてもいい仕上がりになっていると思う。
 手に負った怪我も完治したし、昔の傷も痛むことはなかったし、大会用の調整も問題なく、普段以上に状態がいいと言えるだろう。

 ただ。

 ただ、気持ちが——。

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