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71 二人の間に

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 人の姿になったルーランは無言のままリィが置いていた服に袖を通すと、リィの傍——万が一の誰かの侵入があった際もリィを守れる場所に腰を下ろす。
 辺りへの警戒は続けているのだろうが、それでも、片膝を立てて座る姿は、寛いでいるように見えなくもない。
 だが、その一連の動作の間も、彼は無言のままだ。
 そしてリィの方には目も向けようとしない。
 さりげなく——けれどずっと避けている。

「ルーラン」

 たまりかねて、リィはルーランににじりよった。
 すると今度は、彼は立てている膝の上に顔を伏せる。
 構わず、リィは続けた。 

「人の姿になるのに散々渋って、なったと思ったら今度はその態度か?」
「…………」

 と——。
 ルーランは横向きに顔を伏せたまま、目だけでリィを見上げてくる。
 印象的な蜂蜜色の瞳。彼の好きな林檎の蜜の色にも思える。甘い色だ。
 いつもとは身長差が逆転した視線の絡み方に、リィはなんだかドギマギしてしまう。それでもなんとか平静を装っていると、そんなリィに、ルーランは静かに言った。

「あんたは平気なのか?」
「?」
があったのに。あんなことをした俺といて。まだ馬の姿の方がマシだろうと思ってたんだが」
「……」
「嫌だろ。人の姿の俺は」
「…………」
 
 ルーランのその言葉に、リィは「ああ、やはり」と改めて感じていた。やはり彼は「そういう理由」で馬の姿のままでいたのだ。
 こちらを気にして。気にかけて。

 それを感じると、じわじわと胸が熱くなる。リィは彼を見つめて言った。

「まったく気にしてない……といえば嘘になる。でも……それより顔を見たかった。じ、自分を助けに来た相手の顔を見たいと思うのは変じゃないだろう?」

 馬の姿でも、もちろん彼は彼だ。
 けれど、ここにいるのは間違いなく彼なのだと、再会できたのだとより強く感じたかったのだ。それに、馬の姿では表情がわからない。

 すると、彼は「そうだな」と小さく笑い、目を細めた。

「あんたがそれでいいなら」
「……じゃあ、これで、いい」

 ぎこちなくもリィが言うと、ルーランはようやっと肩の力を抜いたようにふっと息をつく。
 ずっと——ずっと気にしてくれていたのだろうか。
 ひょっとして、リィが気付くよりももっとずっと前から?
 騏驥のくせに、ルーランのくせにそんな気をつかうなんて……。

 ああ——でも。
 思えば、彼は時折こうして気を回してくれていた。気遣ってくれることがあった。
 普段は口が悪くてガサツでいい加減なのに、不意に、こちらがはっとさせられるような時に。さり気なかったり口が悪かったりで、なかなかすぐに気づけないのだけれど。
 
 俯いているルーランの首筋に見える「輪」。
 騏驥を騏驥たらしめ、さまざまな制限を課している「輪」。これは本当に騏驥を死に至らしめることもあるのだろうか。
 リィも噂には聞いたことがあるが、噂だけだ。しかもその噂だって信憑性は定かではない。
 ただ——。そうなってもおかしくはない、のだ。

「……触れていい、か?」

 リィは声を押し出した。
 いつもなら、それに触れるのは敢えて避けていた。怖かったのだ。強い影響力を持つそれに触れることが。
 だが今はどうしても気になってしまう。

 ルーランが頷く。触りやすいように髪を片側に避けてくれる。流れる髪は薄明かりの中でも少しだけ緑がかっているのがわかる艶のある濃茶。
 露わになった首筋は太すぎず細すぎず、ハリのある筋肉が程よく美しい。

 リィはそろそろと手を伸ばした。
 なんだか——やっぱり馬の姿の彼を相手にしているときとは勝手が違う。
 馬姿の時はなんの気なく首筋を撫でられていたのに、今はなんだか気恥ずかしい。
 今までもそうだっただろうか……?
 いや、今まではどちらの姿の彼に対しても同じように対応できていた……気がする。

 なぜだろう……と考えつつ、それでも、リィはそっと「輪」に触れる。

「まだ……大丈夫なのか……?」
「まあ、こうして生きてるからな。でもいつまでかは……。どうだろうな」

 言うと、ルーランも自身の「輪」を確かめるようにそこに触れる。
 
「!」

 思っていなかった彼の行動に避けることもできず、指先が触れ合った。
 ほんの一瞬。
 けれどリィはとても熱いものに触れたように感じ、びくりと大仰なほど震えてしまった。自分のその反応に狼狽えてしまう。
 彼の身体に触るなんて珍しくもない——そう、ほんのさっきまでも、その身体の上に乗っていたのに。
 やはり「あのこと」が気になっているのだろうか。

(…………)

 わからない。
 気にしていないわけじゃない。忘れたわけじゃない。ルーランに言ったように。
 でも、そうして覚えている理由が後悔のせいだけじゃないのも確かなのだ。

 そんな風に、あれこれ考えながら触れていたためだろうか。
 気づけば、ルーランの首筋のずいぶん近くまで顔を寄せてしまっていたようだ。
 
「っ」

 息がかかって、擽ったかったのだろう。ルーランが肩を竦めるようにして小さく笑う。
 
「ぁ、す、すまない——」

 慌ててリィは身体を離そうとした。だが急に下がろうとしたせいで、身体はバランスを崩す。

「危ない——」

 その身体が、ふっと掬い上げられた。
 しなやかで逞しい腕。服越しでも伝わる体温。
 覚えのある香り。
 リィの胸の奥が、切ないようにぎゅっと軋んだ。
 
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