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41 騏驥の逡巡
しおりを挟むルーランはそんなジァンをしばらく睨むように見つめる。
やがて、言葉を押し出した。
「それは……だから……リィが、色々……」
我ながら歯切れが悪いと思いつつルーランが言うと、ジァンはますます顔を曇らせる。
「それがわかっていて、あの騎士にそんな態度でいるのか」
「あいつの行動は、俺のためじゃない。いや……俺のためじゃないわけじゃないだろうけど……けど……それは俺があいつの役に立つ騏驥だからで……」
リィだって、そう言った。
なにが言いたいんだ、とジァンをねめつける。と、彼はあっさりと「そうだな」と頷いた。
「確かにそうだろう。とはいえ……あの騎士はそうしてお前を庇うために、本来なら被らなくていい責めを被ってる。糾弾の矛先を自分に向けて、自分が火の粉を被って恥をかいて……そこまでして、お前の罰を軽くしたんだ」
「!? どういうことだよ……それ……」
初めて聞く話に、ルーランの声が震える。
責め? 糾弾? 恥?
リィが?
——どうして。
さっきまでの殴ってやりたいという気持ちはすでに失せ、ルーランは動揺を隠せない双眸でジァンを見つめる。
と、年上の騏驥はそんなルーランを宥めるように、ぽんぽん、と肩を叩いてきた。
「なにも聞いてないのか」
「…………」
ルーランは頷く。聞いてない。リィはなにも言わなかった。
ジァンは「そうか」と噛み締めるように言った。
「まあ、そうだろうな。あの騎士ならそうだろう」
「っ……もったいぶらずに言えよ! 教えろよ! なんだよいったい! リィがなんで——」
ルーランが激昂しかけた時。
「騎士の乗った騏驥がいて、不祥事が起きた。騏驥が悪くないんだとしたら——誰が悪い?」
「え……?」
え…………。
——まさか。
ルーランは絶句した。
まさかリィは、全ての罪を被ったのか。
全部自分のせい、だと?
まさか。
戸惑い、すぐに反応できないルーランのその耳に、ジァンの声が続いた。
「お前が今想像している通りだ。つまりそういうことだ。お前が『とある騎士を踏み殺しかけた件』だが……あれは審議の結果、『事故』ということになった。激しい戦闘が続いたがゆえに興奮状態にあった騏驥と、そんな騏驥を未熟ゆえにきちんと御せなかった騎士が起こした『事故』——ということにな」
「な——」
「だからお前は謹慎で済んだ。殺意があったわけでも悪意がわけでもなく、戦闘による興奮のせいで自分が駆けている方向もよくわからず、さらに疲れのせいで足下がおぼつかなくなっていたために、あんな事態になった……。悪いのは、そんな騏驥に無理に騎乗し続け、しかもきちんと御せなかった騎士——ということだ」
「……そんな……」
そんなの全然違う!
ルーランは幾度も首を振る。
違う違う——。
リィは必死に止めようとしたのだ。
何度も何度も。
最後には、彼の使える限りの魔術を使ってまで。
彼はできることは全てやった。
結果としして御せなかった形だが、それがなんだ?
彼のせいではないし、彼でなければ上手くやれたと言うわけでもない。
リィが御せないルーランを、一体誰が抑えられると言うのだ。
そんなこと誰にもできない。
(俺がリィの言うことをきかなかっただけなのに——)
「だが、あの騎士はそう証言した。公の場で」
混乱するルーランに、ジァンは静かに言う。
呆然と彼を見つめるルーランを見つめ返し、以前は王の騏驥も勤めたという年輩の騏驥は、諭すような声で続ける。
「騎士が乗ってる騏驥が問題を起こした場合、騏驥を庇うとすれば、騎士がその分の責任を負って、非難を被るしかない。そして彼はそうしたんだ。審議の場で……大勢の目がある前でな。お前は、それを単にあの騎士の打算だと思うのか。お前が役立つかどうかの損得勘定だけで、そこまでしたと? 騎士の中にはミスをしても絶対に認めず、騏驥のせいにする奴も少なくないってのに」
「…………」
「しかも——それをお前に話して恩を売ろうとしない辺りがいかにもあの騎士らしい。俺だってその審議に加わっていた昔馴染みの騎士から聞かなければ知らないままだっただろう。あの騎士は誰にも言う気はなかったと言うことだ」
淡々と話すジァンに対し、ルーランは動揺が隠せなかった。
どうしてリィが。
だってあいつは……。
そんな言葉ばかりが頭の中をぐるぐる回る。
彼は名誉を損なうことを何より恐れていたはずだ。
父親のせいで地に落ちてしまったそれを、なんとか回復しようとして懸命に騎士の仕事をしていたはずだ。
陰で軽んじられていても。
やりたくないだろう面倒な仕事も。
全部全部、そのために。
なのに自ら己の未熟を口にするなんて。
それも……真実ではないことを。
『わたしは騎乗していた騎士として……なるべく……お前の処分が軽くなるよう尽力する』
確かに彼はそう言った。
言った——けれど……。
じっとしていられず、ルーランは右往左往してしまう。
そんなルーランを宥めるように、ジァンに肩を叩かれた。
「まあ、そんな死にそうな顔をするな。幸いというか……今回の一連の事態については、周りに他の兵や騎兵や騎士もいて、色々な目撃者も多かったんだろう? つまり、『事故』の被害者になりかけた騎士も、ある意味では加害者で……。ま、ようは騎乗停止になってるわけだ。その期間と自身の処遇とお前の処分の程度と……。そういう駆け引きもある」
「リィは……なにか罰されたりしてるのか……?」
自分がこれほど軽い処分だったと言うことは、その分、彼が重い罰を受けているのではないだろうか。
気になって尋ねると、ジァンは複雑な顔をした。
「騎乗停止。さらには、騎士学校で実技のやり直しだ」
「……は!?」
「審議の場で『自分が未熟だった』と証言したわけだからな。そういうことになるさ。まあある意味、あの騎士にとってこれほどの罰もないだろうな。公的にも記録の残る処分だ」
「……」
ルーランはその言葉に眉を寄せずにはいられなかった。
リィがどれほどの犠牲を払って自分を庇ってくれたのかを思い知る。
あれだけ騎乗が巧みな騎士が、「自分が未熟だった」と口にするなんて、どれだけ悔しかっただろう。
しかもその上、騎士学校でやり直しなんて。
(騎士学校……だからか……)
彼がたびたび騎士学校を訪れているという理由。
その正しい理由を知って、ルーランは唇を噛む。
「リィは……その『やり直し』ってのはいつまで……」
「さて。残念ながら俺もそこまでは聞いていなくてな。ただ、俺が見聞きした限りの過去の例なら、回数や期間が決められていない場合は『任意』ってことになってるはずだ。空いた時間に騎士学校に行って、訓練用の騏驥に乗る……今回もそんなものだろう。お前が踏み殺しかけた——じゃない、危うく接触しかけた騎士と違って、リィの騎乗技術が本当に未熟だと思っている者は誰もいないからな。とはいえ処分は処分だし、甘んじて受けるしかないが」
「…………」
「まあ幸い、今回の件は騎士学校の教官たちも大まかないきさつを知ってる。あそこには現役の騎士もいるからな。だから、さほど肩身の狭い恥ずかしい思いはしてないだろうさ」
「そう……か……」
ジァンの説明に、ルーランはいくらか救われた思いで息をつく。
とはいえ…………。
そう思った瞬間、
「とはいえ——な」
ジァンが同じ言葉を口にした。
暗い面持ちでじっと見据えてくる瞳は、はっきりとルーランを責めている。
(わかってるよ)
今は理由や経緯を知っている者たちばかりでも、数年経てば記録として残るのは、リィが騎士学校で騎乗技術の実技授業をやり直すことになったという、結果だけだ。
それは、騎士としての彼の経歴に傷を付けてしまうだろう。
今回、ルーランがとった無分別な行為が、彼の将来に関わってしまうとしたら……。
(くそ)
ルーランはぎゅっと拳を握り締めた。
騏驥であることに抵抗し、騎士を嫌っている自分。
それは今でも変わっていない。
けれどそれでも自身の背を任せた騎士はやはり特別なのだ。
それが……こんなことになるとは。
けれどそうしてリィに申し訳ないと思う一方で——胸の奥底には、未だ彼への怒りが燻り続けているのだからどうしようもない。
自分の中で折り合いがつけられなくて、だからなおさら混乱している。
リィに繰り返し引き留められたせいで、すぐにルシーを助けられなかった。そのせいで、彼女は今も苦しんでいる。それを思うと、リィへの憤りは消し去れない。
けれど、彼が自分のせいでと思うと、キリキリと胸が軋むのだ。
(なんだよこれ……どうすりゃいいんだよ……)
ルーランが胸元を押さえ、顔を顰めていると、
「それにな」
ジァンがぽつりと声を継いだ。
「お前も、うかうかしてられねぇんだぞ」
「?」
どういうことだ、と首を傾げるルーランに、ジァンはクイと顎をしゃくって見せた。
「新しい騏驥だ。最近、リィが乗ってる」
「!? は!?」
新しい騏驥!?
俺じゃない別の奴!?
「なん……なんだよそれ!」
頭に血が上る。血相を変えて言い返したルーランに、ジァンは小さく肩を竦めて見せた。
「なんだもなにも、お前に乗れない以上、彼女は別の奴に乗るしかないだろう。他の騎士との兼ね合いもあるし、調教師と相談してあれこれ乗ってたようなんだが……どうも最近は東にいる若手の牡と組むことが多いみたいでな。それがまた、評判がいい」
「…………」
評判がいい。
評判がいい。
評判が、いい。
ルーランの頭の中で、聞きたくない言葉がぐるぐる回る。
そんなルーランの様子を知ってか知らずか、ジァンは更に続ける。
「残念ながら俺は面識がないんだが、噂じゃ、若手の中でピカ一の騏驥らしい。なんでもずっとリィに騎乗してもらうのを熱望してたらしいな」
「……なんでそんな奴がリィに……」
「『リィに』ってお前、あの騎士は指示も的確だし、乗ってもらいたがってる騏驥は結構いるぞ?」
「…………」
「ま、騏驥が希望したところで騎士を選ぶことはできないが……。調教師が合うと判断したんだろう。まだ実戦での騎乗経験はないようだが、騎乗訓練や調教を見た限りではかなり手が合うらしい」
「……………………ヘえ……」
長い長い沈黙の後、ルーランが口にできたのは、なんとも間の抜けた相づちだけだった。
ジァンがどういう意図でその話をしたのかはわからない。
もしかしたら、発破をかけようとしたのかもしれない。
だからお前もちゃんと謹慎して、その期間が明けたらしっかりリィに報いろよ、と。
だがそれを聞いたルーランの胸の中には、鬱々とした思いが込み上げてきていた。
ああ、そう。
そうなんだ。
もう別の奴に乗ってるわけか。
そりゃそうだよな。
騎士だもんな。
俺じゃなくても騏驥はいるし、だったら乗るよな。
(…………)
そうだよな。
ルーランは、胸がすうっと冷たくなっていくのを感じていた。
リィとその顔も知らない騏驥が仲睦まじくしている様子が、どこからともなく浮かんでくる。
完全に勝手な想像なのに、その画はなぜかとても綺麗で温かい。
毅然とした美しい騎士と、その騎士の騎乗を希望していた有望な騏驥。
騏驥としての能力は絶対に自分の方が優っているだろう。
それでも。
それでも——。
振り払おうとしてもしつこく絡んでくるこの胸の痛みは、疼きではなく、ピシピシと細かなひびが入っていくような——そんな感覚だ。
そうだ。
彼は騎士なのだ。
騏驥に乗る騎士。
俺に乗るリィ、じゃない。
自分ほど強い騏驥はいないと思っている。今でも。だからリィは騎乗し続けると思っていた。
自分は、特別だと思っていた。
彼にとって特別な騏驥なのだと。
でも。
なのに——。
自分に向けたような顔を、その騏驥にも見せるんだろうか。それとももっと優しい顔を?
声は?
自分を呼ぶようにその騏驥を呼ぶのだろうか。それとももっと大切そうに?
触れるときは——?
ぴしぴしと、胸の中で音がする。
「……へえ……」
自分の唇から出たその声を、まるで他人のそれのようだ、とルーランは思った。
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