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6 王都に戻ってきた騎士と騏驥
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遠征を終え、戻ってきた王都は相変わらず美しく、そして華やかだった。
それは城内もまた同じだったが、今のリィにはそれを眺める余裕もなかった。
交戦自体は「いつも通り」何の問題もなかった。
外からは異常が伺えなかった森の中、果たして本当に対峙すべき相手がいるのか半信半疑だったが、ルーランの耳と目、さらには探索用の魔術符を駆使してみれば、一際鬱蒼とした木立を抜けたところに、すでに完成間近となっている砦が見つかったのだ。
どうしてこれほど大きなものが偵察の時に見えなかったのか解らないほどの——確かに隠すように造られてはいたが、それでも隠しようのない大きさのそれに、なぜ気付けなかったのか。
一体なぜ、と、その砦と、そこにたむろしている賊たちを前にリィが疑問を抱いたのは一瞬。
その後は、鞍上からの指示を無視するように敵の中に突っ込み、好き勝手に暴れまくるルーランを御すことで精一杯になってしまった。
(まったく……)
遠征の報告を終えて騎士庭を後にしたリィは、王城の回廊を抜けながら、過日を思い出して眉を寄せる。
戦果はあった。いつもよりも。
抜け駆けして単騎で突っ込んでいった分、思っていた以上に戦果は多かった。それはいい。命令無視もチャラになった。それもいい。
だが結果としてやはりと言うか本隊の隊長とは揉めてしまい、王都に戻るまでの数日間の道中、ネチネチと嫌味を言われ続けることになってしまった。
まさか騏驥のせいにするわけにもいかず、リィは仕方なくその責め苦を甘んじて受けていたのだが。
(反省文……)
聞かされた罰を思い出すと、屈辱に頬が震える。
命令違反の代償として下された罰は詳細な報告書の提出とともに「二度と勝手な行動はしません」という屈辱的な反省文を書いて提出することとなったのだ。
反省文!
規律を破ったのは自分なのだし、仕方ないと解ってはいても、リィは屈辱感と羞恥に震えずにいられなかった。
手柄は上げた。だが気分は最悪だ。
リィは溜息をつくと、自室へ戻る途中だった足を止め、ふと中庭に目を移す。
眩く光る純白の王城が漂わせる豪奢ながら身の引き締まるような雰囲気や、それと対照的な穏やかな庭の景色は、そんなイライラしがちな気分を幾らか宥めてくれる。
あまり人に会いたくないリィにとってみれば、いつの時間も大勢が行き交っている王城は特に「避けたい場所」「避けるべき場所」だが、場所自体は決して嫌いではなかった。
ここでしか見られない、季節ごとの色とりどりの花々。風に乗って漂ってくる香りは、その甘さと清らかさで、浮世の憂いを忘れさせてくれるかのようだ。
この城は、壁も床も柱の一本一本に至るまで真っ白だから、なおさら色鮮やかな草木や花が映える。
そしてまた、この汚れなき白さは、ここ成望国が他の侵略を受けたことのない聖地であるというその証でもあった。
この白、そして陽の赤、地の黒と、溢れる財を象徴する金、さらには豊かな緑は、国の素晴らしさを讃える時によく用いられる表現だったし、それはそのまま、この国を護り、発展させる立役者となった騏驥への賞賛へ引き継がれていた。
曰く、
「天寵の白」
「完応の赤」
「始源の黒」
「不臥の金」
「狂悦の緑」
の五変騎(若しくは五変稀)である。
騏驥の中でも特に優れた力を持つと言われている、五色の稀な毛色の騏驥は、全てが揃うと吉凶いずれかの変事をもたらすとも伝えられている。
とはいえ、騏驥はこの国の宝であったし、事実、過去に五頭が揃った時も凶事は起こっていないことから、今では慶事であるという認識が大多数だ。
このうち、リィが見知っているのは二頭。
空席の赤と白、そして永く王都を離れている金以外の二頭だ。
そのうちの一頭。
ずば抜けた能力の高さと引き換えの気性の悪さのせいで、何処かでは密かに「緑毒」だの「緑害」だの呼ばれているらしい騏驥は、ここがどこだか解っていなわけでもないだろうに、そうとしか思えないような、相変わらずのだらしのない格好でリィの後ろをてろてろと歩いている。
馬の姿の時はどこに出しても恥ずかしくないほどの——むしろ誰もに見せびらかしてやりたいほどの、乗っていて誇らしいほどの歩様なのに、人の姿の時はどうしてこうなのだ!?
それとも、足音だけでいい加減さを振り撒けるというのは、この騏驥の才能の一つなのだろうか。
周囲からの視線が怪訝なものなのは、決して気のせいではないだろう。
騏驥は騎士がいなければ厩舎地区から出られないから、城に騏驥がいること自体が珍しい。だから騎士が連れていてもそれは目を引くし、しかもその騏驥が王城の厳粛さなど気にしていない態度なら尚更だろう。
リィは歩きながら眉を寄せる。
本当なら、こんな、なにをするか解らないような、なにを言うか解らないような危険物を連れて歩きたくはない。
遠征や日々の調教のとき以外は、極力離れていたいのだ。厩舎でおとなしくしていろと言いたい。
だが今回は報告があったために連れてこないわけにはいなかった。
(このまま大人しくしていろよ……)
緊張感の全くない態度は、もう諦めた。
だからせめて厩舎に戻るまで静かにしていてほしい、と思ったとき。
「——リィ」
不意に、背後から声がかかった。
聞き慣れた声に振り返ると、そこにいたのはやはり。
一番の友人とも言える、ガリディイン——通称GDだった。
彼はリィに微笑むと、足早に近づいてくる。
逞しい長身に、優美さと精悍さを兼ね備えた端整な貌。
相変わらず、ただそこにいるだけで人の目を引く男だ。
彼が現れた途端、周囲から向けられる視線の気配が変わった。心なしか、視界に映る女性たちの数が増えてきたような気がする。
彼もまた騎士で、リィとは騎士学校の同期になる。
同じように騎士で、同期——。
けれど彼は、父方は代々騎士の家系、母方は王家に嫁いだ異国の姫君の家系という、成望国でも屈指の名門の跡継ぎだ。
今や白い目で見られるばかりのリィとは雲泥の差があった。
良くも悪くも箱庭の中で過ごしていた学生のころならともかく、お互い騎士という立場に身を置き、王城で過ごす身となってからは、本来なら、こんな風に彼の方から気軽に声をかけてくるなどあり得ないことだ。
しかし、彼は昔と変わらずリィに親しく話しかけてくるし、それどころか「親しい友人でライバルだ」と公言して憚らない。
周囲からはそれとなくリィには近づかないように言われているようだが、今でも友人関係を貫いてくれている。
リィも彼と知り合った当初は、彼の親切に反発したりもした。
騎士学校に入ったのは父が行方不明になってからのことで、酷い噂が一番囁かれていた頃だったからだ。
周囲の皆から白い目で見られている気がしたし、そんな自分に構うなど何か裏があるのでは、としばらく疑っていた。
けれど時を重ねるごとに、彼の誠実さと優しさに信頼感を増していき、今では大切な友人となっている。
ときにその朗らかさが眩しすぎたりはするものの、家柄の良い者たちにありがちな高慢さを一切感じさせることのない彼は、話していても清々しい。
学校時代、リィが騏驥の騎乗競争で一着になったときも、手放しで褒めてくれたのは彼だけだった。
そんな彼だから、周囲からの信頼も篤い。
彼自身もその信頼に応えるべく努力しているから、今回の国境付近への遠征も、彼が先に知ったならきっと自ら志願して帯同していたに違いない。
休暇中で王都を離れていたせいで、出陣が叶わなかったのだ。
「帰城していたんだな。お疲れ。遠征では活躍したそうじゃないか」
GDは近づいてくると、リィに向けて明るくそう続ける。
「そんなことは……」と答えかけ、その寸前、リィは傍のルーランの不躾さに眉を寄せた。
——近い!
騎士同士が対面しているようなときは、騏驥は礼をとって心持ち離れるべきなのだ。たとえ離れていても聞こえるとしても(騏驥は耳がいいのでほぼ間違いなく聞こえる)、「聞いていない」という態度を示すことが礼儀だった。
(これだって育成の段階で叩き込まれるだろうにこの騏驥は……)
リィは顔を顰めつつ、確かめるようにちらりと視線を流す。GDの肩越しに。
と、そこには予想どおり一頭の騏驥が控えていた。
GDの騏驥だ。
程よい距離を取り、主に付き従いながらも決して礼を失していない見事な振る舞い。
全ての騏驥の中で最も美しいと言われるその容姿。
しなやかな肢体と長い黒髪。
「始祖の血を引く」と言われる生粋の、生まれた時からの騏驥であり、騏驥の側から騎士を選べる特別な、ごく限られた騏驥たちの中でもさらに特別な、五変騎の一頭。
「始源の黒」であるレイ=ジンだった。
相変わらずの行儀の良さと美しさに「さすがは」と思いつつも、リィはすぐにスイと視線を外す。
その生まれゆえか、始祖の騏驥たちはみな面差しが似ている。
性別は異なっているとはいえ、彼を——レイ=ジンを見ていると、どうしても思い出してしまうのだ。
父とともに消えた、あの黒い騏驥を。
男の騎士と、その美しい牝の騏驥が同時に消えたためだろう。
誑かしたとか誑かされたとか。
立場も妻子もある身でも美貌の騏驥に溺れたのだ、とか。
興味本位のいかがわしい噂は嫌になる程聞こえてきた。
その全てをリィは信じなかったけれど——信じなかったけれど傷つきはしたのだ。
そして、今に至っても心のどこかで騏驥を憎んでしまっている。
とりわけ、黒い騏驥を。
リィはレイ=ジンから視線を外すと、ルーランを下がらせようと軽く彼の身体を押す。
だが、彼は微動だにしない。
リィは焦りつつもう一度押す。躾の行き届いていない騏驥を連れた騎士だと思われたくないのだ。
GDはともかく、周囲からの目があるというのに!
だが、やはりルーラン動かない。
(わざとか!?)
睨むと、彼は「ん?」という目を向けてきた。
そして小さく口の端を上げて見せる。
「なに? こんなところで触ってくるの珍しいじゃん。いつも俺が人の格好のときは避けまくってるのに」
「触っ——!?」
「遠征で活躍したから撫でてくれる気なの?」
「ち……」
誰がお前など撫でるか!
違う! と叫びかけ、ここが王城の回廊で、周囲には人がいて、すぐ近くにはGDがいることを思い出す。
リィは奥歯を噛み締めて声を荒らげることを耐えると、
「下がれ」
と小声で鋭く言った。
「わたしたちの話に加わっているような態度を見せるな」
「……」
「下がれ!」
「どれだけ?」
「っ……そんなもの自分で考えろ! 教わっているはずだろう!?」
気づけは大きくなってしまいそうな声を何とか抑えて言うが、ルーランは相変わらず動かず、逆に口の端は愉快そうにますます上がっていく。
どれほどリィが怒っても、ここで鞭など出せないと解っているのだ。
(駄馬のくせにこんな時だけ……)
リィが睨む視線に力を込めたとき。
「半歩でいい。下がれ」
GDの声がした。
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