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敗北

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「チクショッ、一体何だってんだよこれ!」

 舞い上がるほこりのせいで、何も見えない。

 ぶつかった人間は警察っぽい格好をしていたので、ひとまず取り押さえてはいる。

「警察がミシルを不当逮捕しにきたんですとも!」

「不当かどうかは結構ビミョーな気はすっけどな……つかこいつ、妙に大人しくね?」

 さっきから、抵抗の一つもしないと言うのはどういうことだろう。

 一応気絶はしてないらしいが。

「安心してください。多分千草さんもそうなりますとも!」

「はあ? 一体何だって――」

 埃に阻まれていた視界が明るくなり、押さえていた奴の姿があらわになる。

 夜の闇に溶け込むような黒髪

 その手に握られた妖刀村雨。

 そして、呆然としている俺を映し出している、オニキスの双眸。

 千草は、呼吸することすら忘れそうになった。

 見間違いじゃない。

 偽物でもない。

 こいつは正真正銘、信乃だ。

 思わぬ再会に喜ぶべきか。

 なぜこの世界にいるんだと問い詰めるべきか。

 感情がごちゃ混ぜになって、言葉が出ない。

 それが隙となった。

 村雨の刃が煌めいたのと同時に、側頭部に衝撃が走った。

 切断はされてない。

 峰打ちだ。

 だが、金属の薄い棒でぶん殴ると言う行為が、峰打ちの本質である以上、出血は免れない。

 視界が揺れる。

 思考が定まらない。

 その隙に、信乃は千草の拘束から抜け出し、間合いを開けた。

「く、そっ……」

 殴られた場所に手を当てると、生暖かい液体が指に絡みついた。

 しかしそれも、千草の力を持ってすれば瞬く間に修復される。

「……逆行時計。やっぱり、千草なのね」

「ああ、そうだよ。つーか、いきなり峰打ちとかどんな神経してやがんだ。下手すりゃ気絶してたぜ」

「当然よ。気絶させるつもりだったんだもの」

 信乃は本気だ。

 今も、容赦ない殺意を千草に飛ばしている。

 どうも今は、お互いの身の上を詮索している余裕はないみたいだ。

「どいて。ミシル・セリザワを拘束させてもらう」

「嫌だね。つーか、なんでコイツにご執心なんだよ?  言っちゃなんだが、こいつ人間のクズだぜ?」

「ひっでえですとも! まあ事実なんですけどね!」

「黙ってろ自他共に認めるクズが。せっかくシリアスに決めてんの台無しにする気か」

 つーか、自覚あったのか。

 なおさら最悪だと舌を打つ。

「はうっ!? なんかゾクゾクしますねえ……千草さん千草さんもう一度お願いします! できれば『黙ってろよクズ』って言い直して欲しいですとも!」

 ミシルが新しい性癖を覚醒させてしまったらしいが無視。

 マジでこいつ見捨ててやろうか?

「……ミシル・セリザワの持つ力は、国を滅ぼしかねない。誰かが管理する必要があるのよ」

「つまり、この国がこいつの管理者になるってか?」

「ええ、そうよ」

「へえ……」

 なるほど。

 ある意味正論だ。

 もしデスペラードを量産してテロリストなんかに配ろうものなら、国はあっという間に窮地に立たされるだろう。

  いや、信乃がいるから辛うじてトントンか?

  まあ何はともあれ、信乃の言ってることは間違っていない。

 間違っていないが。

「……気に入らねえ」

 そんなの、クソ食らえだ。

「気に入らねえ気に入らねえ気に入らねえ。そんな薄っぺらい大義で、俺が納得する訳ねえだろうが」

「どこが、薄っぺらいってのよ」

「管理だのなんだの、四宮信乃が、そんなどっかのゴミ捨て場から持ってきたような理由で動くわけねーんだよ」

 ぴくり、と信乃の眉が震えた。

 図星のようだ。

「……随分と、知ったような口ね」

 言葉の棘が、ますます鋭くなっている。

 不機嫌な心境を隠すつもりは毛頭無いらしい。

「知ってるに決まってんだろ。おまえが俺を知っているのと同じだ」

 伊達に幼馴染みを名乗っている訳では無い。

「最初っから素直に言ってくれりゃあ、少しは妥協してもよかったんだけどな。お客様は不合格です、お帰りくださ――」

「……巫山戯ないで」

 村雨が横薙ぎに払われる。

 少しでも避けるのが遅れていたら、千草の脳は頭蓋骨としばしの別れを告げていただろう。

「どんだけ沸点低いんだよ信乃テメェ!」

「自惚れないでよ、千草。あんたの気持ちなんてあたしは知らない。そしてあんたも、あたしの気持ちを知ることなんてできない」

 カチンと来た。

「あぁそうかよ! らしくもねえ仏頂面しやがって、ボッコボコにしてやる覚悟し――」

 それ以上何も言えなかった。

 言葉のかわりに飛び出したのは鮮血。

 舌を斬られたのだ。

「……随分と弱くなったのね」

「――っ!」

 痛みなんて、どうでもよくなった。

 拳を固め、信乃に向かって突貫する。

 一番言われたくなかったことを、一番言われたくなかった相手に言われた。

 理性を吹っ飛ばすには、それだけで十分だった。

 顔面に拳を叩き込もうとするが、到達する瞬間に手首を切り飛ばされた。

 構うな。

 拳が無くなってもぶん殴ることくらいはできる。

「遅い」

 受け止められた。

 そのまま引き寄せられ、腹部に膝蹴りが決まる。

 凄まじい嘔吐感。

 いっそのこと信乃の顔面に吐いて撹乱させてやろうかと思ったが、そうする前に追撃が千草を襲った。

 信乃は剣術だけでなく体術の腕も一級だ。

 パワーはシャイタに比べれば劣るが、スピードはこちらが一枚上手。

 拳が、脚が、容赦なく千草の体を打ち抜いていく。

 容赦なんて概念は別の世界線に捨ててきたと言わんばかりに、信乃の攻撃は一撃一撃が必殺の威力を孕んでいる。

 骨が砕ける。

 視界が明滅する。

 何度も意識が途切れる。

 ロクな反撃もできないまま、千草は組み伏せられた。

「もう、分かったでしょ。今のあんたじゃ、あたしには絶対に勝てない。いい加減、諦めて」

「オーケイ……なんて言うと思うか?」

「……」

 先程から悲鳴を上げていた腕が限界を迎えた。

 鈍い音と共に、腕があり得ない方向に曲がるのが分かった。

「がぎっ……骨が折れても自分《テメー》は折るなってな。梓さんの教え、おまえも忘れたわけじゃねえだろ?」

「……だったら、なんだってのよ。母さんの話でもして動揺を誘うつもり?」

「そんなんで動揺してくれたら、苦労しねーよ。言ってみただけだ」

 四宮梓。

 信乃の母親にして、千草の恩人。

 もし彼女がいなければ、千草はとっくに死んでいた。

 言ってみただけ、とは言ったものの、少し緩むんじゃないかと期待していたことは否めない。

「そう。いい加減、逮捕させて貰うわ。しばらく大人しくしてて」

 千草の脚を、村雨で串刺しにした。

 骨ごと貫通した刃は床に突き刺さり、千草をその場に縫い付けた。

「がぎっ、ぐあぁっ!」

「無理しない方がいいわよ。傷が広がるだけだから」

 こうしてしまえば、逆行時計も役に立たない。

 立ち上がり、ミシルの元へ向かう。

「くそっ……! シャイタ! 信乃を止めてくれ――」

 轟音。

 視線を移すと、そこには信じられない光景が広がっていた

 シャイタが壁に叩き付けられていた。

 がっくりと、頭を垂れている。

「ふーん。まあこんなもんかな? 思いのほか、早い決着だったネ」

 鞘に収まったままの槍を手にしたラヴェットの、気の抜けた声に、呆然とするしかなかった。

「嘘、だろ……?」

 負けた?

 シャイタが?

 何の悪夢だ、それ。

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