とら×とら

篠瀬白子

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家族 2

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皆と別れ、寒空の下できるだけ急いで駆ける。吐息が白くてより寒さを痛感しながら見えてきた家の明りはついていた。エントランスに滑り込み、丁度良く来ていたエレベーターに乗り込むとスマホがピピピと鳴った。


『先に寝る。飯は置いといたから温めて食え』


最近は俺の方が帰りが遅くなり、玲央が寝てしまうこともしばしばで。いつもはそんな玲央を起こさないように静かにシャワーを浴びて布団に潜りこむのだが、今日はダメだ。エレベーターが開いたその隙間を縫うように玄関扉を目指して走る。
ガチャガチャと、寒さで凍えた手と焦りで思うように鍵がささらず息を吐く。あぁ、早くしないと、そう思って鍵を握り直すと玄関扉が開いた。


「……うるせぇ、なにやってんだお前は」
「あ、玲央……ただいま」
「おかえり」


外気の寒さが玄関の隙間から襲う。さみぃ、とか文句を言いながら玲央が俺の腕を掴み、自分のほうへと引き寄せながら玄関を締め、鍵を閉めた。


「んっ、れ……お、」


ガチャン。鍵の閉まる音と同時に降りてきた唇の温かさに驚く俺とは逆に、冷たい唇に驚く玲央はすぐさま舌を滑り込ませる。互いに温かい舌を探り当てるように絡めれば、否応なしにも熱くなった。


「はっ……お前冷えすぎ」
「ん、だって、もう冬じゃん、特に夜は寒いよ」


俺の首に巻かれたマフラーを解きながら、じっとこちらを見下ろす玲央に内心首を傾げる。お前、手袋は。と聞かれて一瞬固まってしまった。


「手袋も買っただろ」
「……あれは、スマホいじれないし」
「馬鹿か」


寒さが際立つようになり、マフラーも手袋も持っていなかった俺に玲央は買い物へ連れて行ってくれたことがある。堂々と某ブランド店の扉を開ける玲央にギョッとしながら付いていけば、あれやこれやあてがわれ、結局は玲央の好みで選ばれたマフラーと手袋。
マフラーは良い。上質な手触りと細かな繊維に模様も大人っぽくて好きだ。けれど手袋は……ミトンだった。

ミトンだぞ、ミトン。いつものメンツの中でも雄樹に似合いそうな代物でも、実際雄樹の手袋はカシミヤのチャコールブラウンだ。志狼はレザーのボルドーだし、そんな二人の中で俺だけがミトンでしかも女子がつけていそうな可愛いライトブラウンって、さすがに抵抗がある。


「冷えるよりマシだろうが」
「……普通のが、いいな」
「あぁ?」


いつぞや店内でも繰り広げた口論を思い出し一人ごちる。あのときもミトンは嫌だと首を横に振る俺を振り切って、玲央はそれを購入したのである。買ってもらった立場なので本当は強く言えないのだけど、だからといってミトンはなぁ……。


「むかつく」
「いっ、いひゃい」
「うるせぇ、馬鹿トラ」


素直に頷かない俺の片頬を摘まみ、ぐいーっと伸ばす玲央に痛みを訴えた所でどうなるわけもなく。やっぱり自分本位なこの男に敵うことなどないのだろうなぁ、と。
しばらくそうしていた玲央が、ふいに手を離して俺を抱き上げる。急なことで慌てる俺にどこ吹く風で、玲央はリビングのソファに俺を投げ捨てた。もっと丁重に扱うことをぜひとも覚えて欲しい。


「手ぇ出せ」
「え? あっ、いつの間に!?」


嫌だ嫌だと言いながら、結局鞄の底にしまって持ち歩いていたミトンの手袋を勝手に取り出した玲央が、俺の手にそれを嵌めた。じんわりと温かくなる手の感覚に思わずほぅと息をつけば、玲央はニヤリと口元を緩める。


「ガキくせぇお前によく似合ってんだろ?」
「……むかつく」


ので、手袋を嵌めたままの両手で玲央の頬を挟んでやれば、くつくつと喉を鳴らして笑う玲央が俺の両手首を掴み、こちらへ押し返しながら唇を重ねてきた。


「んっ、んぅ……」


ずるずると、背もたれに沿って滑る背中がソファの布地に押し付けられる。いつのまにか組み敷かれ、唇を離した玲央を見上げれば胸がドクドクとうるさくて。


「はっ、エロガキ。期待してんじゃねぇよ」
「して、ねーよ……っ」


なのにギリギリ一歩手前。玲央はいつもそこで現実へと引き戻す。

旅行から帰ってからも、玲央は俺に悪戯こそすれどその先はしなかった。当たり前のようにキスはして、服の中へ手を滑り込ませるくせに、背中をなぞるくせに、その先はしない。
まるでお預けを食らった犬のようで、悔しい俺の気持ちを分かり切っているだろう玲央が、それでも熱っぽい視線を向けるから期待してしまうわけで。

好きだ。と告白して玲央からもそれ以上の返事をもらったけれど、俺たちのなにが変わったかと問われればスキンシップがより過剰になった。それだけである。
世間一般の告白したら恋人、なんて甘い響きなどありはしない。じゃあこれは、一体なんなのか。


「ちゃんと乾かせ」
「ん、自分でやるよ。大丈夫」
「いいから黙ってろ」


相変わらずしょっぱい玲央の手料理で腹を満たし、シャワーを浴び終えた俺の頭にゴシゴシとタオルを押しつける玲央の手に大人しく従う。
ソファーに座る玲央の足の間に収まるこの図はもう、当たり前になってしまった。

なんだかどんどん乙女チックな思考に陥る自分がちょっとなぁ。なんて思うが不思議と不安はなかった。それは多分、こうして玲央が俺に触れて、大事に扱ってくれるのが分かるからだ。
じゃあなにか? 俺はエロいことがしたくてムラムラしてんのか? ――だとしたらもういっそ、穴に埋まるどころか埋めて欲しい、この身ごと。


「あのさぁ、玲央」
「あ?」


そんな危うい思考を取り払い、玲央のほうへ振り向いた。ぱさりと肩に落ちたタオルを握りしめ、玲央の足の間から降りて、床に正座する。


「報告があります」
「……」


改まった俺の態度に玲央は口を閉ざし、目でつづきを促す。


「高校卒業後も、俺はカシストで働きたいと仁さんにお願いしてきました。仁さんは俺を受け入れてくれて、だから俺、進学はしません。カシストで働きながら、これからもっと色んなことを学んでいきたいです」
「……」


はっきりと、玲央を見上げながらあの日約束した報告を果たすと、玲央の目はすっと細まる。


「資格とか必要だろ」
「最低でも食品衛生責任者と防火管理者の資格は必要だと言われたけど、それは数日講習を受ければ取れると聞きました。費用はバイトで稼いだ貯金があるので、そっちから出します」


ますます細まる瞳に息を呑む。


「まだ高校卒業までお前は二年ある。そのあいだ気が変わって違う職を目指す可能性もあるだろ」
「なにかに触発されることはあると思います……けど、俺、やっぱりいつも自分の作るお粥と比較しちゃって、どうしたらもっと美味しくなるんだろ、どうしたらみんなに満足してもらえるんだろって、そればっかりで。正直、その可能性をはっきり否定することはできないけど、でもお粥とカシストとお客さんのことばっかり考えてる今の俺には、それしかないや」


ふはっ、と砕けた笑顔を漏らしてしまう俺に、玲央の目元が優しくなった気がした。


「……うん、俺さ、前にも言ったけど、強がってた頃に俺を救ってくれたカシストの存在はさ、大事なんだよな。その場所に連れてってくれた雄樹も、そこで働くことを許してくれた仁さんも、俺のお粥を美味しいって言ってくれて友人になった志狼も、みんな好きなんだ。
そんな大好きなみんながいるあの場所が好き。そこで俺のお粥を美味しいって言ってくれるお客さんが好き。外を歩けば怖い顔した不良たちがさ、あの場所では安心したように笑ってるんだもん、嬉しいに決まってるじゃん?
だからあいつらが少しでも安らげる場所があるなら、俺はそこでお粥を作りつづけたい。優しいくせに傷つきやすいあいつらを、ほんの少しでいい、癒してやりたい。認めてやりたい……なんて、ちょっと上から目線かな?」
「さぁな」


くすり。微笑む玲央に同じように笑みを返して、俺は頭を下げた。


「だから今の俺はカシストで働きつづけることしか考えていません」


そう言って、顔を上げる。


「あの場所で自分がしてもらったように、俺のお粥で誰かを救ってやることが、俺の、夢です」


俺の言葉にふっと息を漏らした玲央が立ち上がる。そのまま自分の部屋に向かうと、しばらくして戻ってきた。


「お前のもんだ、受け取れ」
「……これ、は?」


ポイっと手渡されたそれは、俺の名前が印字された通帳だった。
困惑する俺が向けた視線に頷く玲央に促され、そっと開いた中には目が飛び出るほどの金額が。


「れ、玲央!? これ、これなに!?」


もう訳が分からなくて、手の中にある通帳さえ仰々しく見えて慌てる俺にくつくつ笑う玲央がソファーに座り直し、煙草に火をつける。


「生前、お袋がお前のために貯金してたお前の金だ」
「……え?」
「まぁ、俺もお袋には敵わねぇけど少しずつ入れてある。お前の夢がなんであれ、必要なときはそれを使え」


俺のための、貯金通帳。母さんが俺の為に貯めてくれた、形ある愛情。


「……あ、」


じんわりと膨らむ温かさに涙がこぼれ落ちた。一粒、また一粒とこぼれていくそれは勢いを増し、視界が滲んで通帳の文字すらもう読めない。
ドクリドクリと脈打つ鼓動の音が熱くて熱くて、俺は膝に頭をこすりつけるように丸くなって、唇を噛みしめる。


「ふっ……くっ」
「馬鹿トラ、泣くなら少しはマシな恰好で泣け」


情けない恰好で声を殺して泣く俺を、笑いながら頭を撫でる玲央の手の平にますます涙の勢いが増していく。

小さい頃に見ていたはずの、もうアルバムでしか思い出すことのできない優しい母さんが、離れてからも思っていたその形はもしかしたら罪悪感もあったかもしれない。それでもいい、それでも良かった。
罪悪感でも後悔でも、母さんの気持ちの中に俺がいたことが、それだけで生まれたことを手放しに喜べるほど嬉しいのだから。


「んっ……ふっ、う……っ」


その場から少しも動けない俺の隣に腰を下ろした玲央は、なにも言わずにただただ、俺の頭を撫でつづけていた。

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