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女装 1
しおりを挟む「小虎くん! お願い!」
「絶対無理です」
夏休みも終盤のバー、カシストにて、俺は匡子さんに頭を下げられていた。
母さんの墓参りも済ませ、じいちゃんとばあちゃんの家でゆっくりと過ごした一週間もあっという間で、お土産を持って帰ってきた俺が雄樹に「温泉行ってた俺よりお肌ツヤツヤしてない!?」と言われるほど、それはそれは充実してきたのである。
最近よくテレビで若者が農業をしに田舎へ行くと言っていたが、その理由が分かってしまうくらい、俺は大自然の中マイナスイオンをたっぷり浴びて帰ってきたのだ。
さぁバイトも頑張るぞ! と意気込む俺を、雄樹も仁さんも温かく歓迎してくれたその日、突然現れた匡子さんが口にした言葉がこれだ。
「お願い小虎くん! 女装してちょうだい!」
……いやいや、無理ですって。都会って怖いわー。
しかしまぁ、理由を聞いてみると少し可哀想だとは確かに思った。
なんでも今回、匡子さんの経営する事務所が、大手女性誌と特集を組むことになったらしい。
匡子さんの事務所は玲央や隆二さんをはじめとしたイケメンが多く、そのイケメンと大手女性誌のモデルとでデートコーデやらお家コーデやらをやるのだとか。
で、問題はここからだ。
本来であれば匡子さんの事務所、01(ゼロワン)の専属モデルが出るはずだが、大手女性誌が指名してきたのは玲央と隆二さんだったのである。
そして末恐ろしいことに、大手女性誌の女性モデルたちが玲央や隆二さんのパートナー争いをはじめてしまったというのだ。
……いやぁ、都会って怖いわー。
そんな事態で撮影は延期。けれども雑誌の発売日は延期しない。
特集枠は両社とも盛大に取ってしまったらしく、いまさら埋め合わせするネタを出すには時間が足りない。そもそも前々から今回の特集の宣伝をしていたのだから、それを今になって変えることだけは絶対にしたくない。
そうして幅広い人脈を持つ匡子さんが大手女性誌の社長に持ち出した提案が、その日限りの女性モデルを、大手女性誌側のモデルとして採用する。ということだった。
はて? 一体その提案のどこに大手女性誌のメリットが?
などと思うのは至極当然だが、メリットはあったのだ。いや、あるのだ。
女性人気の高い玲央と隆二さんが大手女性誌に載ることで、売り上げが伸びるというメリットが。
しかもゼロワンと大手女性誌とで同じ特集ではあるけれど、違う写真を載せるというので一方に客が流れるのもしっかり阻止。さすが経営者は違うなぁ――色々突っ込みたいことはあるけども。
でもまぁ、だからって……
「絶対っ、無理ですっ!」
俺が首を縦に振ることはありえないのだけど。
「そこをなんとか! お願いよ小虎くぅ~ん!」
「いやいやいやいや、俺じゃなくて普通の可愛い女の子を写真に収めてくださいよ。なんで俺なんですか」
首を横にブンブン振りながら、精いっぱい否定の言葉を出す俺に、それまで低姿勢だった匡子さんの目が光った気がした。
「そう……そこなのよ、小虎くん」
「……え?」
「今回、女性モデルが争うほど、玲央と隆二のパートナーの座は大きいのよ! そこを普通の女の子を使ってみて? 嫉妬でその子……撮影後もひどい目にあうんじゃないかしら?」
「……へ?」
「だけどその点、小虎くんなら女装でしょう? 撮影が終わったらそんなモデルは写真以外、存在は消えてしまうの! 女性モデルたちの嫉妬はその日だけになるわ!」
う……お、おぉう?
た、確かに言われてみれば……そう、かもしれない……な。
「いやっ! ……いやいや、仮にそうだとしても、なら違う、もっと顔立ちが女の子っぽい男の人にすればいいじゃないですか!」
危ない危ない。つい納得しそうになってしまったが、ここで首を縦に振ったら一生の恥が生まれる。黒歴史誕生だ。
しかしそんな俺の言葉を聞いた匡子さんの目が、さらに光っていることを俺は気づけずにいた。
「そうね、そのほうが可愛いかもしれないわね。だけど小虎くん、今回必要としているのは、一日だけのモデルなのよ?
化粧栄えのしない子を採用したら、バレる確率が高くなるわ」
お、おおぅ!?
おかしい、おかしいぞこの流れ。
さっきから俺は正論しか言っていないのに、どんどん墓穴を掘っていないか!?
慌てて雄樹と仁さんに助けを求めると、二人はとんでもなくイイ笑顔で俺を見ていた。ちくしょうめ!
「大丈夫よ小虎くん、これ以上ないほど化かしてあげるわ。私を信じなさい」
と、俺の手を両手で握る匡子さんの格好よさに、ついクラクラした俺は……頷いてしまった。
いや、まぁ。化粧で人は変わるって、よくテレビで言ってるし。きょ、今日一日だけだし、声さえ出さなきゃただ写真を撮られるだけだし、大丈夫だいじょうぶ。
なんて、精いっぱい自分の気持ちを誤魔化す俺を余所に、カシストから強制連行した匡子さんの手により、俺はどこぞのスタジオみたいな場所に引っ張って来られた。
あ、撮影日今日だったんですか……てかこれ絶対、俺に決定してましたよね?
「さぁさぁミキちゃん! 腕によりをかけて変身させてちょうだいね! あ、ウィッグはそこのショコラブラウンの使ってね?」
と、どこぞの一室に俺を確保した匡子さん。
ミキちゃんと言われた可愛い女の人は「はい! まかせてください!」なんて元気なお返事である。
あぁこのやるせない気持ちの矛先を、俺はどこに向ければいいのだろう。
「……できました……っ! できたっ、できましたよ! 匡子さーんっ!」
顔の脂を取ったあと、スチームのようなものをあてられながら爪を塗られ、マッサージをされながら化粧水をなじませて、ミキちゃんさん自慢の化粧セットで未知の世界を展開されたあと、ミキちゃんさんは叫びながら部屋を出て行った。
俺はといえば、化粧中のミキちゃんさんがいちいち「嘘、なにこの肌! すごい!」とか「楽しい~!」とか喜ぶ言葉に意識が向き、最初の頃より気持ちはだいぶ軽くなっていた。
で、「閉じていてね」と言われた瞼をそっと開け……絶句した。
「……お、れ……?」
大きな鏡に映る顔は、どこからどう見ても女の子にしか見えない。
ぱちりと開いた目の周りには、淡いピンクブラウンがほんのりと。
ふっくらとした頬には、血色の良さそうなオレンジがうっすらと。
まつ毛も派手ではないが、一本一本丁寧に長く伸びている。
唇なんて、明るい健康的な赤色が顔全体をより女の子らしく仕上げている。
……化粧って、怖い。
髪はウィッグを被るのでまとめあげられているが、服は男物なので異様に似合わず、その姿に苦笑を浮かべていると複数の足跡が部屋の前までやってきた。と、思った次の瞬間、そこから現れたのはやはり匡子さんとミキちゃんさんなのであった。
「…………私の目に、狂いはなかったわっ!」
と、匡子さんが目を輝かせながら一言。
匡子さんとミキちゃんさんが手を取り合って喜ぶ姿を見ていると、なんだかますます気持ちが解れていった。
やっぱり本物の女性は可愛いと思う。それに比べて……いや、考えたら負けだ。
それから匡子さんは今回の作戦の仲間であろうスタイリストさんを呼び、事前に用意していた複数のコーデと今の俺とがイメージに合うかを確認していた。
そして数あるコーデからまずは一着。さぁさぁ着てみて! とはしゃぐ匡子さんたちに促され、いそいそと着替えてはみたが……足を誤魔化すために穿く白タイツにかなり抵抗がある。いや、分かってる。これを穿かなきゃこの時間は永遠に終わらないと、分かってはいる。
だけどふとしたとき思ってしまうのだ。
俺、なんでこんなことしてんだっけ? と。
「……き、着替えました……」
いくらなんでも体つきでバレないかなんて苦汁を舐め、なんとか着替えを済ませる。せっかくの化粧を涙で流したくなるほど、悔しさと恥ずかしさがいっぺんに襲ってくる。それでもここまできたらやりますよ、やってやりますよ。
カーテンを開けて匡子さんたちの前に姿を見せた瞬間、部屋はシンと静まり返った。
「……あの?」
女性物の服とかよく分かんないから、着方間違ったかな?
ちゃんと前後ろ確認したつもりだったんだけど……。
なんて思っていた俺の前に足早で来た匡子さんは、勢いよく俺の肩に手を乗せた。じぃいんと響きましたが。
「かんっっっっぺきよっ!」
「……は、ははは」
いやもう本当、ここまで来たら開き直れます。
それから慣れないヒールに悪戦苦闘する俺と上機嫌な匡子さんは仲間を引き連れて撮影場所を目指した。
まずはデートを想定して外での撮影らしい。現場までは車を飛ばすと匡子さんは笑っていた。
道中耳打ちされた今日かぎりの俺の名前は「コトちゃん」だという。言わずもがな、俺の名前から最初の二文字を取っただけである。
「コトさん入りまーす!」
撮影場所についた瞬間、知らない男の人が辺りにそう叫んだ。
思わず驚く俺をよそに、周りからは「よろしくお願いしまーす」と声が上がる。
さすがに声を出すべきか匡子さんに目線を向けると、彼女は俺の代わりに「はい、よろしくー」と一言。
俺、今日は絶対、匡子さんから離れたくない。
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