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当たり前 1
しおりを挟む「粥」
なにが「粥」だ。偉そうに足組んで言ってんじゃねぇよ。つーかなんのお粥だよ、ちゃんとそこを伝えろよ。
「……はい」
なんて思っていることをまさか兄貴に言えるわけもなく、俺はしぶしぶカウンターへ戻っていった。こんな風景がカシストで見られるようになったのは三日前、カシストで乱闘が起きた五日後からである。
「仁さーん……俺の心がめげそう。雄樹貸して」
「おー、一時間いくらで借りるよ?」
「じゃあ一円で」
「いいぜ」
「よくねーよ!?」
カウンターに戻った俺が仁さんとアホな会話をしていれば、それを見守っていた雄樹が突っ込みをいれる。あぁ、やはり雄樹は癒しだ。
「つーかなに!? 俺の貸し借りって! 俺のために争うのはヤメテ!」
「ところで仁さん」
「まさかのスルー!」
アホな雄樹はとりあえず放っておいて、俺は真面目な話を仁さんに切り出した。いや、そこまで真面目……でもないのだが。
「……なんで」
「あ?」
「なんで……カシストはこんなに混んでるんでしょう?」
そう、今カシストは絶頂を迎えていた。ワンフロア吹き抜けのシックなバーには、到底不釣り合いな不良少年、少女たちがひしめきあっているのである。
「玲央がいるからだろ?」
「……ですよねー」
その理由というのが、やはり俺の兄貴――玲央のせいだった。もとい、ブラックマリアのせい……おかげである。
デスリカを溜まり場にしていた兄もといブラックマリアは街の不良少年、少女の憧れの的であり、そんな彼らがデスリカにいるとなれば、人が集うのは時間の問題だ。しかしそのブラックマリアがデスリカではなく、今はカシストに集っている。必然的に彼らを慕う人間たちもそこに集ってしまうのである。
おかげで、ここ三日間カシストは今までにない大盛況を迎えていた。
その大盛況の原因ともいえる兄貴はなぜか来るなり俺を呼び、両脇に可愛い女の子をはべらせながら言うのである。粥を寄こせ、と。一体なにを考えているのか皆目見当つきません。理解したくもありません。それが俺の最近のもっぱらな思考であった。
「で? 今日はなににすんだよ」
「えー……とりあえず梅粥で。あの顔で梅って、なんか可愛くないですか?」
「嫌がらせだな」
「えぇ」
いつもなんのお粥かを言わない兄貴の注文に対し、俺はこんな感じで勝手に決めて持っていく。すると文句でもありそうな顔をするが、それを口にすることなく兄貴は俺のお粥を食べるのだ。まぁ最後は日替わりで変わる両脇の女の子が食べてるんだけど。
「あー、なんか思い出したら腹立ってきた」
「なににだよ」
「女の子ですよ!? 日替わりで変わるんですよ!? しかもみんな可愛いとか! なにそれイケメン滅べ!」
「ははっ、ただの僻みじゃねぇか」
なんとでも言ってくれ仁さんよ! だけど俺は納得できないのだ。日替わりで変わる女の子もそうだけど、なんでそんなコロコロ女の子変えてんだよ! 顔か!? 顔がいいのか!?
「でもよ、トラと玲央って、やっぱり兄弟だよな。似てる」
「似てないよ! 似てたら俺もモテてるよ!」
「はいはい。顔じゃなくて性格だ、性格」
「……肉食獣っぽいってことですか?」
「ちげーし」
クスクス。頼まれたいつもの倍以上ある注文をこなす仁さんが、ナポリタンの入ったフライパンをコンロから退かして皿に盛る。
「なんか男前なんだよな、お前ら」
げー……。どこがですかー……。げんなりと、俺は感情を向き出しにしてお粥を火にかけた。
「けど俺は小虎のほうが好きだけどな」
「わっ!? 隆二さん!?」
そんな俺と仁さんの会話をいつから聞いていたのか、いつのまにか俺の前に座っていた隆二さんがニコニコと満足げな笑みを浮かべていた。
「おいおい隆二、それ玲央の前で言ってみろよ。殴られるぞ」
「はは、確かに。なので遠慮しておきます」
激しく動揺する俺とは違って極めて冷静な仁さんは、できあがったナポリタン三人前を盛り付けて雄樹を呼ぶ。そのままアレキサンダー作りをはじめてしまえば、その手際の良さにただただ感動するしかなかった。
「おいトラ、止まってんじゃねぇぞ」
「あ、はいっ」
軽く小突かれて、俺もお粥作りを再開させる。
しかしなんで売れるんだろう、お粥なのに。ちなみにカシストで一番人気があるのは仁さんのナポリタンで、次が俺の卵味噌つき粥だ。理解しがたい。
「でもよ、トラ。さっきの話に戻るけど」
「あ、はい?」
「玲央ってああ見えて、彼女いるぞ?」
「……は?」
ガシャーン。なんて音がした。足元を見れば、今から作ろうと用意したお粥鍋が砕け散っている。
「弁償。バイト代から引いとくぞ」
「うぅ……! 了解です……っ!」
それなのに仁さんはさらに俺を追い詰めるし、隆二さんは笑いを堪えてアレキサンダーを飲む始末。
おのれ兄貴! 一体どこまで俺を苦しめれば気が済むんだ……っ!
「てゆーか、え、マジですか?」
「マジ。つーかトラも見たことあるし、玲央の彼女」
「え!? じゃあカシストのお客さん!?」
「客っつーか……なぁ、隆二?」
「あー、はは。まぁ、泉のやつ、そういう性格なんで……はは」
壊したお粥鍋を片付けて、ふたたびお粥作りを再開させる。一体なんど止めれば気が済むのだろう、俺は。
「いずみ? その人が兄貴の彼女さん?」
「おう。玲央にはもったいねーくらい可愛い子だよ」
「えー……」
そんな可愛い子なら、俺忘れないと思うんだけどなぁ……。
「ん? ていうか待ってくださいよ。んじゃ兄貴は彼女がいるのにああやって可愛い女の子を、しかも日替わりではべらせてんですか?」
「そうなるわな。最低だろ?」
「最低だ!」
本当、知れば知るほど生態に嫌悪してしまうぜ、俺の兄貴は。
「うわーん! トラちゃーん!」
「雄樹! やっぱり俺の兄貴は最低だな!」
「えぇ!? えー……あ、うん?」
そんな俺たちのもとに泣きついてきた雄樹に同意を求めれば、やつは突然のことに驚きながらも必死に頷いていた。アホだろお前。
「で、どうした?」
「えー……なに、トラちゃんおかしいよー。分かった、疲れてんでしょー? 俺も、俺も疲れてんのー!」
「なんだ、疲れて泣きついてきたのか、お前」
「疲労は健康の敵だよ!」
うるせぇ。煙草も酒もやってるお前に健康を語る資格はない。そんな目を向けてみるが、やつは気づかないのかカウンターの中に逃げ込んできた。
「もうやだー。帰りたいー。帰って仁さんとイチャイチャする夢を見たいー」
「夢かよ」
俺の足元にうずくまり、願望を口にする雄樹。に突っ込む俺。それを仁さんと隆二さんが笑っていた。
「おいトラ。アホに構うのもいいけどよ、お前の最低な兄貴がこっち睨んでるぞ」
「え? ……う、わ」
仁さんの声につられて兄貴のほうを見れば、不機嫌オーラを発した姿。やばい、やつは危険なんだ。早くお粥という名の餌を持っていかねば。
「……逝ってきます」
「おー、無事に帰ってこいよ」
仁さんの声援を背に、俺は雄樹の足を軽く踏んでからカウンターを出た。ぎゃんっ! なんて雄樹から発せられたが、ここはスルーさせてもらう。
……兄貴は、なぜか注文も運ぶのも、必ず俺にやらせるのだ。だからお粥担当である俺が、わざわざ出向いたりしている。
お盆に乗せた梅粥を手に、女の子をはべらせる兄貴のもとへ近づく。照明の薄い店内でも分かるほどに、その顔は不機嫌さをあらわにしていた。
「……お待たせしました」
そんな兄貴の待つテーブル席にお盆ごと乗せ、さっさと去ろうと背を向ける。が、
「……とらくん?」
「へ?」
なぜか、なぜか女の子の声が俺の名を呼んだのである。え、俺、自慢じゃないけど女の子の知り合いなんていないんだけど。
声のほうへ振り向いて、あ、なんて声が口から出る。
そこにいたのはカシストにも不釣り合いな女の子、以前俺が看病をした――カシストに客を呼び込んだ彼女だったからである。
「あは、やっぱり虎くんだ。久しぶり」
「あー、はい。久しぶり、です」
「やだな、普通でいいよ。敬語使われるほど、私偉くないんだしさ」
「……あ、うん」
あれ?
なんだろ。なんか、前と雰囲気が違う?
親しげに話してくれるからだろうか?
つーかなんで名前を……?
俺は彼女を見つめて固まったまま。そんな俺を見ていた彼女はくすりと微笑んだ。
「あのときは本当にありがとう。私、泉って言います」
「い、ずみ……ちゃん?」
「うん、そうだよ虎くん」
にっこり。可愛らしいお花でも飛びそうな柔らかな笑みに、いつぞやの彼女とぴったり重なる。それと同時に、考えたくもない疑問が浮かんだ。
まさか、泉って――。
「あれ、玲央? 珍しいね、ここにいるの」
「……あぁ」
ピターン! なんて音でも立てて、俺の頭の中ではパズルのピースらしきものがはまりやがった。泉ちゃんが兄貴に普通に接して、いや、玲央……と、名前で呼んで……。
「だから混んでるんだね。玲央がいるとこはいっつも混むもん」
「……そうだな」
「それより玲央、このあいだ忘れていったよ。はい、これ」
「……あー、わりぃ」
はい。そう言って泉ちゃんが兄貴に渡した物は、キラキラと輝くシルバーアクセ。おい、待て。忘れていったって……こと、は。
――つまり、だ。
よく帰ってこない兄貴は、だから、その……泉ちゃんの家に行って、過ごしてたってこと……か?
ぎゃー! なんなの! なんなのそれ! 彼女がいて家まで行ってるくせに、その彼女の前で堂々と両脇に女の子って! 浮気! 浮気者!
「ああ、あ、兄がいつもご迷惑を……っ」
「え?」
そんな泉ちゃんが居たたまれなくなってしまい、俺は動揺を隠さず兄貴の代わりに謝罪した。泉ちゃんは驚いていたが、本当に謝らせてくれ。こんな最低な兄貴ですみません。
「あ、兄弟なの?」
「――へ?」
ご存じなかった?
飽きずに呆ける俺の顔を、泉ちゃんがふたたび笑う。
「そっか、虎くんって玲央の弟なんだ。じゃあ、いいこと教えてあげる」
「え?」
くすり。微笑む泉ちゃんが、俺の肩に手を添えて、耳元にその唇を近づけた。
「私と玲央、付き合ってないの。フリなんだ」
「――泉」
――は?
信じられない言葉に固まれば、不機嫌そうな兄貴の声。すぐに泉ちゃんが俺から離れれば、彼女は面白そうなものでも見る顔を兄貴に向けた……かと思えば、軽快な足取りでどこかへ行ってしまったのである。
「おい」
「……」
「おい」
「ハッ! ……はいっ?」
「……チッ」
兄貴の呼びかけに現実へ戻ってくる。意識が戻ってすぐそちらを見れば、なんだか疲れたような顔をした兄貴が舌打ちをしていた。とりあえず叫びたい衝動を抑えて、なにも言わない兄貴に背を向ける。
かつ、かつ。
やばい、やばい。
かつ、かつ、かつかつかつ。
なにそれ。
「仁さん!」
「――あ?」
最後は早足になってカウンターに戻れば、仁さんと隆二さんは雄樹をいじりながら遊んでいた。仕事は!?
「ちょっと仁さん! なんですか、なんなんですか!?」
「落ち着けよ。泉いたよな。顔知ってただろ?」
「知ってたどころじゃないですけどね!」
――って、そうじゃねぇよ!
「つつつつ、あの、あの二人、つっ! つっ!」
「おう、付き合ってねぇよ?」
「嘘つき!」
俺の突っ込みに雄樹と隆二さんが噴き出したが、それどころではない。
「ていうか! ていうかなんですかあの二人! なんかおかしいでしょ!?」
「あの二人な、処女狩り童貞狩りで有名なんだぜ?」
「知りたくなかった新事実!」
兄貴の処女狩りは嫌でも納得できるが、泉ちゃんが童貞狩りだなんて知りたくもなかった。俺の「女の子は実はみんなピュア説」が木端微塵に吹っ飛ぶ。
「な、なん……そんな形って……え、えー?」
「はいはい。童貞トラにはまだ早かったわな。ま、世の中にはあんな恋人もいるんだよ。ま、フリだけど」
「うぅ……っ! 俺、彼女ができる気がしない……っ!」
がっくりと肩を落として、俺は落ち込む。そんな俺の頭に仁さんが手を乗せてポンポンと、優しく撫でた。
「だから言っただろ? 玲央には可愛い性格した彼女がいる――ってな」
……可愛くねーよ!
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