とら×とら

篠瀬白子

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『意味、分かんねぇ』


まったくだ。まったくもって意味が分からない。

体育祭の翌日、眠れないと心配していた俺だったがいつのまにか寝ており(しかもリビングの床で)、朝起きるとすでに姿を消していた兄は、やはり夢ではなかったオムライスを冷蔵庫に締まっておいてくれた。
食べるのが勿体ないだとか言ってもいられず、とりあえず寝ぼけた頭のままオムライスを温め、食べてみる。

正直……しょっぱい。しょっぱい、けど、仁さんが作るオムライスよりも、きっと世界中の誰が作るなによりも、俺の心には沁みた。


「……」


そして冷静になってみれば、体の奥からぞわぞわと、ムカデでも這ってくるような不快感なのか寒気なのかが湧きあがった。
なんだ、あれ。なんなんだ、あれは。

いてもたってもいられず洗面所に走り、俺の顔は青く染まる。

あったのだ。俺の首筋には、確かに歯形があったのだ。しかも……痣になっている。
クラクラと脳が揺れ動く。動揺とか、そんなものよりすごいなにかがふつふつと湧きあがり、しまいには噴火しそうな勢いだ。


「……食われる」


そう、ただそう思った。食われる、と。きっと兄なら生肉でも平気な顔をして食いちぎりそうだと思う。
冗談でも笑えないが、なぜか俺の直感が「食われる」と叫んでいた。


「……うぅ」


このまま家にいればどうにかなってしまうと、俺は部屋から飛び出した。


「おかえりなさいませー、ご主人様ぁん」
「うわっ、キモッ!」


行く先など思いつくこともなく、ただ足の向くままに歩いていれば来てしまった。休みをもらっていたバイト先、カシストに。

エレベーターの扉が開いた瞬間、夜とは違って明るい店内はシックな音楽が流れていて、喫茶店のような雰囲気を醸し出す中に不釣り合いなフリルエプロンをした雄樹がいた。
そしてアホなことをぬかすので素で返せば「がーん!」なんて言われる始末。そんないつもの雄樹を見て、なぜかホッとした。

俺は驚きつつも笑っている仁さんのほうへ寄っていく。


「どうしたんだよトラまで、今日は休みっつったろうが」
「あ、はは……なんか、いてもたってもいられず……」
「ははっ、雄樹と同じこと言ってやがる。本当、お前らって仲いいよな」


仁さんの豪快な笑い声が店内に響く。そこにもなぜかホッとして、俺はカウンターチェアに腰を下ろした。


「どうする? お前も働くか?」
「え、あ……はい、働きたい、です」
「おー、じゃあ準備……」


それまで普通に会話をしていた仁さんの言葉が、急に止まる。不思議に思って顔を上げれば、なぜか顔をしかめた彼がいた。


「おい、トラ」
「はい……?」
「んだその噛み跡、痣んなってんじゃねぇか」
「……あ」


凄味のある声にハッとする。そうだ、困惑していてろくな治療もせず家を飛び出してしまったんだ。慌てて首筋にあるそれを手で隠すように触れてみれば、刺すような痛みが広がった。


「……なんか、説明し辛いことが起きまして……」
「……玲央、か?」
「あ……そうなんです、けど、でも違うっていうか、なんか……いつもと違うっていうか……あ、いや寝ぼけてたから、……あっちがですけど」


どう、説明すればいい?
そのまま兄に噛まれました、なんて言ってもいいのか?

あ、いやでも噛み跡かって聞かれたあとに兄がやったって認めた時点で、もうバレてないか?


「変わんねぇな、あいつ」
「え?」
「玲央だよ、噛み癖あるんだよなぁ、あいつ」
「噛み、癖……」


面倒くさそうにため息を吐く仁さんの言葉をオウム返しする。

なんだよ噛み癖って、まんま肉食獣じゃねぇか。
あれか? 噛んで味見してんのか? わ、それってマジで食い殺す勢いじゃねーか。


「……ま、とにかく治療してやる、来い」
「あ、はい」


仁さんの好意に甘えつつ立ち上がり、ふと雄樹のほうを見てみれば、やつは人もまばらな店内で接客をしていた。カウンターの奥にあるスタッフルームにて仁さんの豪快な治療を受け、俺の首筋にはガーゼがあてがわれる。


「てか、慣れてますね」
「あ? あぁ、まぁ。昔はよく治療してやってたからな」
「? ……誰、を?」


パタン。救急箱を閉じた仁さんが、少し寂しそうな顔をして言った。


「ブラックマリアの連中」




そのあと、俺は雄樹と一緒になっていつものようにバイトに勤しんでいた。
昼間は喫茶店として開放しているらしいカシストは、夜とはまた違った客層が点々と席につく。コーヒーを飲みながら本を読んでいたり、煙草をずっと吸いつづけていたり、各自それぞれのことをしながらシックな音楽に包まれていた。


「なんか、夜とは違いますよね、雰囲気」
「そりゃ、な。夜と一緒だったらまずいだろ」
「はは、ですね」


さすがに昼間からお粥の注文が入るわけもなく、仁さんのサポートをしながらまた新メニューを考えていた。
メニューの種類が多ければ多いほど女性客には受けがいいらしい。仁さんがそう言っていたので、商売についての知識が皆無な俺は従った。

少しして、エレベーターから現れた紳士っぽい男がカウンターのほうへと近寄ってくる。


「仁、またDexter Gordon?」
「あぁ、どうも。や、サックスのほうがしっくり来るんですよ」
「分からない気もしないけどね、私はBud Powellも好きだよ」
「王道ですね、でもCleopatra's Dreamとかは好きです」


で、デクスターゴードン? ば、バドパウエル?
理解しがたい単語が紳士っぽい客と仁さんの会話で飛び交うが、俺の頭にはクエスチョンマークしかなかった。

それから二人は軽く話をして、紳士っぽい客が定位置とでもいうように迷いのない足で奥のテーブル席につく。仁さんとその人を交互に見ていたら、急に頭を撫でられた。


「あれ、常連。まぁ昼のだけど」
「あ、あー……常連さん」
「そ。昼に喫茶店として開いた最初のころによ、流せばいい曲なんて分かんなくてジャズのオムニバスかけてたんだよ。そしたらあの人がさ、これおすすめだよってCD渡してきたんだよな。で、それから俺もかじる程度に知って、今じゃあんな感じ」


平然と料理をつづけながら言う仁さんに、なぜか目を丸くしてしまう。なんだろう、なんか不思議な感じなんだ。


「でね、サックス憧れて買ったはいいんだけどー、へったくそーなんだよねー、これが!」
「うるせぇよ、雄樹」
「えへへー。ピラフとサンドイッチお願いしまーす」


仁さんの言葉に若干呆けていれば、いつのまにかカウンター越しにいた雄樹が笑いながら注文を伝える。つーかサックスってかっけー。


「……なんか、いいですね」
「ん?」


そんな二人を見ていたら、なんだか急に口が緩んだ。雄樹と仁さんがこちらを見る。


「なんか、夜には見れない仁さんが見れた感じがして、いいです、こういうの」


へらっと笑ってしまえば、またもや仁さんに頭を撫でられる。雄樹はなぜか目をキラキラと輝かせていたが。


「ほんと、お前ってすげーやつ」
「やだもう……トラちゃん、かーわーいーい~」


大人な対応をしているだろう仁さんはいいとして、雄樹、てめぇだけはあとで頭突きする。覚悟しろ。


「つーかさ、そのガーゼなに?」
「……これは、あれだ、あれ」


なのに悲しいかな。目ざとい雄樹は俺の首筋にあるガーゼを発見してしまった。


「なに、あれだって。意味分かんねーんだけど~」


ケラケラ。それでもアホな雄樹は笑っている。どうしてか、それに救われてしまうのであった。

とりあえず雄樹に知られてはまずいと察して、俺は「ぶつけた」なんて嘘をついておく。仁さんも同じ考えだったのだろうか、驚く素振りもなく俺に合わせてくれた。

それから夕方五時まで喫茶店として開放されていたカシストは、一時間の休憩を得たあと一転して、不良どもを受け入れるバーの顔になる。昼と夜とでこうも客層が違うものなのか、そんなことを思いながら俺は本分であろうお粥を作りはじめた。


「あれ、小虎?」


それからほどなくして、私服姿の隆二さんが現れた。学ラン姿でも十分色気を放っていたのに、私服になるとその倍以上ある。
黒のテーラードジャケットに中はVネックの白いロゴシャツ、恐らくビンテージものだろうジーンズに黒の革ブーツ。首から下がるゴールドアクセも一役買って、彼の雰囲気は尋常じゃないほど色気が漂っていた。


「しかも雄樹までいるし。今日休みじゃなかったのか?」
「あ、いやまぁ……体がバイトしてぇと訴えていまして」
「はは、なんだそれ」


笑いながら俺の前へと腰を下ろす隆二さんは、慣れた手つきで煙草を吸いはじめる。俺はカウンター内に山積みされた灰皿の一つを彼の前に置いた。
律儀なことに礼を言ってくれた彼に微笑み、タイマーの鳴った鍋をコンロから退かす。


「また新メニュー?」
「え?」
「それ」


そんな俺を見ていた隆二さんが突然言うものだから、一瞬分からず困惑してしまった。が、それ、と言って彼の筋張った指がさしたまな板の上を見て、頷く。


「隆二もなんかいい案ねぇのかよ。たまにはここに貢献しろ」
「貢献って……それを俺に言いますか」


ははは、笑いながら仁さんから出されたアレキサンダーを受け取り、彼が困ったように目尻を下げた。


「はぁ? てめぇはもう十分うちの客だろうが」
「……そ、ですかね」
「そうだろ」
「あははっ、はい」


あ、まただ。また俺の知らないなにかがある。嫌でも感じてしまう疎外感に目を伏せて、俺は芋粥に使うさつまいもに包丁をいれた。

そのとき、だった。

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