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初バイト 2
しおりを挟む「あれ? うっちーじゃん」
「あはは、りほちゃんだー」
放課後、俺と内山は作戦とも呼べないものを脳内にデスリカへとやって来た。
爆音で流れるロックなのかよく分からない音楽に耳を塞ぎながらカウンターで酒を飲んでいると、やけに露出度の高い女の子たちが内山に寄って来る。
「久しぶりだねー。ずっといなかったからさー、みんな心配したんだよー? 隆二(りゅうじ)たちとかなぁんにも教えてくれないしー」
「そなのー? 俺ね、チーム抜けたからさー」
「えぇー!? ほんとにぃ!?」
肩身の狭い思いをしながら酒を飲んでいると、内山の口から信じられない言葉が発せられた。
思わず内山を凝視していると、話し相手である女の子を含めた彼女たちが俺の存在に目を移す。
「誰ー?」
「ん? トラちゃん。俺の友達」
「トラちゃん? あはは、なんか可愛い~」
爆弾発言をした内山との話も早々に、彼女たちはやけに光る唇で可愛い可愛いと連発する。その正体がグロスだと分かっていても、俺には天ぷらでも食ったあとのようにしか見えず、少しばかり気持ちの悪い思いをした。
「ま、いいやー。こうして久々にうっちーにも会えたしー。また来るんでしょ?」
「うん。野暮用でねー。たまに来るよー、多分」
「そっかー。よかったぁ~。じゃ、またね~」
ちっとも感情のこもっていない会話を二つ三つ交わしたあと、彼女たちはすぐさま内山から離れる。
俺はニコニコと下手な笑みを浮かべる内山を小突いた。
「なにー?」
「お前、ブラックマリアの一員だったの?」
「ん? うん、そだよー」
「えー……なんで抜けたんだよ?」
「質問攻め? やめてアナタ! 私感じちゃう!」
「……うぜぇ」
話題を変えようとしているのか、内山は馬鹿みたいな反応をするといつものような笑みを浮かべ、頼んでいたスコッチのおかわりを頼んだ。
俺はといえばバイトのことなどすっかり忘れ、内山が兄のチームにいたことで頭がいっぱいだった。
確かに、内山は喧嘩も強く、クラスメートたちも内山には逆らわない。なのにチームなどに入っていないのを不思議に思っていたこともあった。
「ま、色々とねー。あったわけですよぉ、トラさん」
「トラさんって言うな」
しかし内山がしみじみとそう言うので、俺はこれ以上、深く追及することはできなかった。
それからは大人しくバイトに勤しむも、結果は見事に惨敗。誰一人としてカシストへ向かおうとしないのだ。
「やべーよ。マジやべーよ」
「なにがー?」
「なにってお前、このままじゃ俺たちクビだろ?」
「えー? 大丈夫だよ~」
あはは、なんて暢気に笑っている内山に頭突きでもしてやりたい衝動を堪え、なにかいい方法はないかと思惑する。
そもそも、だ。
ここにいる連中のほとんどのデスリカに留まっていたい理由というのがブラックマリア、兄が総長を務めるチームがここから離れないという理由からなのである。つまり早い話がブラックマリアの連中がカシストへ行ってくれたのなら事は簡単に済むのだが、内山いわく「ブラックマリアの連中がカシスト行くとは思わないな~」だった。
理由を問いただしてみても「えー、あはは」とか、曖昧に誤魔化され……つまり、俺たちに打つ手はない。
「あー、やばいやばい。せっかくの初バイトが」
「トラちゃんは心配性だな~。じゃあさぁ、数人殴って無理やり連れてく? 手っ取り早いよ?」
「それは客とは言わない。絶対にだ」
「えー?」
アホな内山に頼ることは諦めることにした。
本当にどうしようかと焦っているとき、俺はふいに壁に寄りかかっている女の子を見つけてしまった。
なんというか……不釣り合いなのだ。店内はこんなにもうるさいというのに、それが煩わしいとでも言っているような、暗い表情。よくよく見れば少し青い顔をしてないか?
「……ちょっと行ってくる」
「えー? なになにー? さくらやんの?」
「そうじゃないけど」
動き出した俺に興味を示す内山は、女の子の元へと向かう俺のあとをついてくる。注意するでもなく彼女の元へ向かえば、やはり、顔が青い。
できるだけ人当りのよさそうな笑みを浮かべ、俺は彼女に声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「……え?」
ぐったりとした表情の彼女が目線だけを俺に向ける。
今にも倒れそうな彼女を見て、俺が悪いわけでもないというのになぜか焦ってしまった。
「具合、悪いんですか?」
「……まぁ、……はい」
「もしかして、吐きそう?」
「……」
失礼ではあるが、死んだ魚のような目をした彼女に問うと、ゆっくり首が縦に動く。
女子トイレとか連れていけない! つーかエチケット袋!? あるわけないだろ!
なんて一騒動が脳内で起こったのだが、俺は自分でも信じられないことに、気づいた時には彼女の手を引いてエレベーターへと向かっていた。
突然のことに驚いていた彼女だが、あまりにも気持ち悪いのか抵抗もせずゆっくりとした足取りで俺につづく。できるだけ支えてあげながら、ここよりは比較的静かであろうカシストへと向かった。
「あ? 客?」
デスリカとは打って変わってガランとした店内を見回すでもなく、俺は彼女をソファに座らせる。
ずっと黙ってついてきた内山が仁さんに説明らしきものをしていたが、俺はカウンターへと押し入った。
「すみません、米あります?」
「米? あぁ、あるけど」
「ちょっと悪いんですけど、ここ借ります」
そう言って、事態についていけない仁さんをよそにキッチンらしきものを借りる。
メニューに軽食もあるカシストではご飯も炊かれており、卵なども小さな冷蔵庫に置かれていた。
シャツを腕までたくしあげ、俺はすぐさま調理に移る。
その横で仁さんと内山が驚いたように俺を見ていたらしいが、そんなことに気をとめるでもなく俺は調理に集中していた。
「これ、食べれそう?」
「……え?」
数十分後、作り終えたお粥を持って彼女の元へ向かうと、それまで静かに目を瞑っていたそれが開かれ、俺ではなくその手にあるお粥へと視線が集まる。
「少し水分多めにしたから、多分食べやすいと思うけど。あと、これ卵味噌。梅干しとかのほうがいい?」
「……」
ぼんやりとした目を向ける彼女は首を横に振り、目の前のテーブルに置いてあげたお粥を眺める。小皿にすくって渡すと、意外にも彼女は大人しく受け取ってくれた。
じっと、小皿の中で湯気を立てるお粥を眺めている彼女。しばらくそのままでいたかと思えば、遠慮がちに俺の方へ視線を向けた。
「召し上がれ?」
優しく笑ってあげれば、彼女はおずおずとスプーンを握り、頼りない動きでお粥をすくう。
ふー、ふー、と息を吹きかけ、意を決したように口に運んだ。
「……」
「……」
なにを言うでもなく、なんどか口を動かした彼女は覇気のない顔でお粥を見つめていた。
「飲み物、いるだろ?」
「え?」
口に合わなかったのだろうかと心配していれば、状況を呑み込めただろう仁さんがスポーツドリンクらしきものが入ったグラスをお粥の隣に置いた。
彼女ではないが驚いた俺が仁さんを見上げれば、彼はニッと微笑みわしゃわしゃと俺の頭を撫でてきた。
後ろのほうで内山が「浮気よアナター!」とか言っていたが、「あー、はいはい」なんてすぐに仁さんが構いに行く。
「なんなんだ……って、あぁ、ごめん。うるさいよね?」
「……」
二人のアホな、主に内山に呆れつつ彼女に苦笑を浮かべれば、首を横に振り、再びお粥を口に運んだ。その姿にとりあえず安堵して、無言で食べ続ける彼女の側にいることにする。
しばらくして、すべて平らげた彼女がグラスを握りながら、俯いたまま口を開く。
「やっぱり……苦手かも」
「え?」
突然、そう口にした彼女に驚いて間抜けな声が出てしまった。
彼女はそんな俺に視線を向けると、いくぶんかすっきりとした顔で微笑んだ。
「あぁいうの、本当は苦手なのかも……」
「……」
「ちょっと、意固地になってたの……でも、ダメみたい。お酒、苦手かも」
「……うん」
下手な笑みを浮かべ、彼女は笑う。悔しそうにグラスを握る手が震えていた。
「本当、私って向いてないなぁ……」
自己嫌悪しているだろう彼女が困ったように笑った。
「……別にいいんじゃない? 夜遊びなんてできなくても、面白い人生送れるよ」
「え?」
「酒とか、煙草とかも。別にやりたいならやればいいし、苦手なら苦手でいいと思う。それが個性だと思うし」
「……」
自分でも悲しいことに、当たり障りのないことしか言えなかった。それでも彼女は満足げに、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
そのあと、気分の良くなった彼女をタクシーに乗せて見送ると、今日の反省会などと称されるものがカシストで行われ、俺は勝手に作ったお粥代と彼女のタクシー代という借金を課せられた。
それはまぁ、別にいいのだが。
問題は客だ。
彼女の看病中、恐ろしいことに客が訪れることはなく、仁さんの頭痛の種はひどくなるばかりだったのである。それは俺もだった。このまま呼び込みができないのであれば、間違いなく行きつく先はクビだ。
内山は当てにならないし、マジでやばいぞ俺。
「……こんばんは」
「へ?」
――だというのに。
一体全体どうしたことか、一夜明けて元気を取り戻したらしい彼女が数人の友達らしき女の子たちを背に、カシストにやってきたのである。
「来ちゃいました」
してやったり。そんな笑みを浮かべる彼女に、俺はただ呆然と口を開けたまま立ち尽くしていた。
内山と仁さんが声を合わせて「客だ……」なんて呟いていたが、それどころではない。
「ここー? お粥の店って」
「うん。なんか優しい味がするんだよ」
「へー。ねぇねぇ、お粥もらえますかー? 私たち酔っぱらっちゃってー! あははっ!」
彼女は恐ろしく不釣り合いな女の子たちと一言二言交わすと、いまだ呆ける俺の前までやって来た。
「お粥、食べに来ました」
にっこり。まるで花でもふわふわと舞いそうな笑みを浮かべた彼女に固まると、カウンター越しに仁さんの腕が伸び、俺の襟元を掴んで引き寄せる。
思わずぐえっ! なんて声が出た。
「いける……いけるぞこれは」
「げほっ……なにがですか?」
「おいトラ」
「はい?」
今までずっとトラくん、と呼んでいた仁さんが凄味のある声音でトラと呼ぶ。目線だけしか向けることができなかったが、今の仁さんはその強面な顔も相まって、極悪面をしていた。
「お前、今日からお粥担当だ」
「……は?」
『上のクラブでたらふく酒飲んで酔っ払ったやつがここに来てお粥を食う。今にこの流れが絶対にできる。だからトラ、お前はお粥担当だ』
『なに言ってんですか仁さん、そんな甘い話あるわけないでしょ』
これがつい先日の俺と仁さんの会話である。
普通に考えてみても、絶対に俺の言い分のほうが正しい。
なのに……だ。なのに、なぜだ。
「梅と卵のお粥三つお願いしま~す」
フロア担当を任命された内山が、びっくりするくらい似合わないフリルのエプロンを学ランの上につけて言う。カウンターの中にいる仁さんの隣で、俺はその注文に顔を青くした。
ぎこちない動きで仁さんのほうを見上げてみると、彼は「ほれ見たことか」などとでも言いそうな笑みを浮かべている。
――そう、仁さんの言葉は現実となった。
クラブ、デスリカで浴びるように酒を飲んだ非行少年、少女たちがこぞってカシストへハシゴするようになったのだ。
それも、俺のお粥を求めて、だ。
信じられるか? いや、信じられない。
「ほれ、さっさと作れ」
「……あ、はいっ」
固まったままでいる俺を小突いた仁さんの言葉で、ハッと現実に帰還した俺はお粥を作り始める。先日、友達を連れてやってきた彼女は、そんな俺をカウンターで楽しそうに眺めていた。
……失礼な話だが、ギャルや非行少女なんかとは繋がりもなさそうな彼女が来て以来、カシストは驚くほど大盛況を迎えたのである。
彼女いわく「私は彼女たちを連れてきただけだし」なんて言っていたが、その彼女たちの口コミが半端なかったのだ。
鳥よりも風よりも早く伝わったお粥の話はデスリカ以外からも客足を呼んでしまうほどになったのである。
それも、たった一週間で。
なにそれ、女子怖い。
「トラちゃーん、梅四つ追加~」
「猫の手も借りたいっ!」
相変わらず似合わないフリルエプロンをつけた内山の追加注文の声に、思わず叫んだ俺は仁さんに軽く小突かれた。
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