ある王様の話

篠瀬白子

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別れ

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ミサキが怒る姿を、泣く姿を、俺は見たことがない。
いつもなにを考えているのか分からない、どこか冷めた目で下界を見下ろす王様は、多分表情の分類が少ない。
けれど彼が不機嫌であったり、飽きていたり、つまらなさそうであったりすることを、彼の取り巻きたちはよく気がついていた。
そんな可哀想なまでの主従関係にも似た彼らを、正直憐れだなぁと思う俺は、一体何様なのだろう。


「今までお世話になりました」
「……その、なんだ……すまなかったな」
「いえ、むしろ転校のことを秘密にしてもらえたこと、感謝してますよ、先生」


父さんの転勤が早まった。転勤先の引継ぎで予定がずれたらしい。
母さんは「まぁ、急ねぇ」と言って、姉ちゃんは「お別れ会のために予約した店あるのにー」と拗ねていた昨晩の様子を思い出す。


「こんなものしか用意できなかったが、受け取ってくれ」
「……氷飴」
「お前、そういうの好きだろ?」


餞別だ。なんて苦笑を浮かべる先生に礼を述べ、俺は職員室をあとにした。

一昨日、王様が果物カゴを持ってくるなどと珍事件が発生したわけだが、その翌日である昨日はなにごともなく、いや、首輪をつけられ連れ回されることをなにごともないと言い切るかは別として、昨晩、父さんから打ち明けられたスケジュール変更に少し安心した今日、俺は先ほど先生にもらった氷飴をさっそく頬張り、教室へと足を踏み入れた。

片方の頬が氷飴で膨らむ俺を目にしたかの取り巻きたちは、隠す気もない敵意を俺に剥き出しにしている。俺はそんな彼らをシカトして、まずは自分の席へと向かった。
しばらくガヤガヤと騒がしかった教室は、しかし王様の登場でくるりと変わる。ミサキ、ミサキと男女交じった声が耳をつんざく。朝からよくもまぁ飽きない連中だ。

ガチャン、と。まるでそれが当たり前のように首輪が嵌められた。


「なに舐めてんの」
「……氷飴」


氷飴? と尋ねて俺の前の席に腰を下ろした王様は、まるでそれが当たり前のように「俺にもちょうだい」とつづけるが、もちろん答えはノーである。ジャラリ、鎖の先を指に絡ませながら、ミサキは今日も俺の顔を見て笑う。

朝、気まぐれに登校しては首輪を嵌め、放課後、寄って来る女子生徒の一人と空き教室で性を貪り、なぜか俺の家の前までやってくるミサキ。そこで彼は俺の首輪を外すのだが、そのくらいの良心は残っているのだなぁと思うのも、今日で終わりだ。

いつも、というのも可笑しな話だが、時間の流れというのは早いもので、結局俺は放課後まで首輪を嵌められたまま、今日もいつも通りミサキの側にいた。


「ねぇ、ちょっと」


放課後になり、人もまばらな教室で、俺はいつぞやカラオケボックスで腰を振っていた可愛い女子生徒に声を掛けられた。都合よくミサキはトイレに行っているわけだが、鎖の先を椅子に巻いておく行動は度し難い。当然、文句は言ってやった。


「いい加減、ミサキから離れてくれない? 邪魔なんだけど」
「はぁ、すみません」
「謝るくらいなら今すぐ消えて? そんな鎖、解いて帰れるでしょ?」


と、正論を言われてしまえば立場もないわけで。俺は素直に彼女に従い、鎖の先端を今度は自分で持って教室を出た。

しかしこのまま帰るのもなぁと鎖をブンブン振りまわす。角を曲がったところでふと思いつき、俺は家庭科室へ向かった。これまた都合よく鍵は開いており、お目当てのハサミを見つけると、別にそんなことをせずとも外せる革と鎖で出来た首輪を切った。切ってやった。ざまぁみろ。

自由になった首を擦りながら、首輪と鎖を持って来た道を戻る。予想通りそこにミサキの、ミサキと彼女の姿はなく、俺は王様の机にそれらを置いて教室を出た。


◇◇◇◇◇


「ちょっと基、手伝わないならジュース買ってきてちょうだい。はい、千円」
「なんでもいーの?」
「いいわよ、基のセンスに任せる」


俺にセンスはねぇよ母ちゃん、なんて突っ込むことはせず、引っ越し業者の兄ちゃんたちがよいしょよいしょと作業に勤しむ声を背に、俺はコンビニへと向かった。

本日晴天、引っ越し日和かどうかは置いておき、ついにこの町を発つときがきた。
なべて関わることのなかった王様との学生生活も、昨日で終わってしまったのだ。それはなんとも呆気ない幕の下りかたではあったが、むしろそれが当たり前であることを、俺はよく理解している。

一方は光り輝く輪の中で、横暴なまでに人を引き寄せる彼(か)の者。
一方はどこにでもいる月並みで、平俗な尋常一様。
決して交わることのなかった線と線が、罰ゲームという運命の悪戯でつい交わってしまったその一瞬、わずか四日。それはきっと、俺がどう動いても変わることがない結果だった。

こうやって、淘汰されていくような人生なんだろうな、俺のものなんて。と、町との別れにほんの少し悲しみを抱いてコンビニへ足を踏み入れる。そんな俺に「らっしゃーせー」と掛けられる言葉に、余計追い打ちをかけられた気分になった。

で、とりあえず父さんと母さんにはお茶を、姉ちゃんにはよく分からない期間限定のロゴがついたジュースを、そして自分にはソーダを買ってコンビニを出た。
きっと家の前では作業は終わり、姉ちゃんと母さんの井戸端会議ならぬ井戸端別れがピークを迎えていることだろう。


「って」


そんなことを思いながら角を曲がった瞬間、俺はいささか硬いなにかにぶつかった。いてーなちくしょうと相手に目を向けて、絶句。


「……みさき……」
「……」


なんということだ、こんなお約束が許されていいのか? いや、良くない。これではこれまで虚勢を張っていた俺の努力、いや努力とは違うかもしれないがとりあえず努力が、水の泡だ。
いかにしてこの場を凌ぐか様々な計画が瞬時に立っては消えるのを繰り替えす俺に、しかし王様は安心したように肩の力を抜いたのが分かった。


「学校、行かねぇの?」
「え……ま、あ……うん、行かない」
「なんで」


なんで、と言われましても。さて、どうするか……。
口を閉ざしたままの俺を見つめる王様の瞳は、どこか忙しない。いつものように据えていたのなら、俺だって強気に嫌味の一つを叩いてダッシュで逃げることくらいできたはずだ。

しばらく互いに口を閉ざしたままでいると、おもむろにミサキが煙草を咥えた。


「俺になんか言うことねぇの、お前」
「……えぇと、首輪を切りました?」
「他には」


他、と言われましても。
本気でどうしようか唸り出す前に、ポケットに手を突っ込んでみる。するとすっかり存在を忘れていた、べっ甲飴が指先に触れた。
それを握りしめ、無言でミサキに突き出してみる。いささか冷えた目でこちらを見つめていたミサキが手を差し出すので、ぽいっと渡してやった。


「なにこれ」
「べっ甲飴。口寂しいなら食っとけば?」
「なにそれ」


なんなのお前。そう呟くくせに、咥えていた煙草を握りしめ、受け取ったべっ甲飴を口にする王様。おお、どんだけ自己中なんだお前。発言と行動に落差がありすぎるだろう。まぁ今さらか。

カランと、小気味よい音がミサキの口元から聞こえた。次の瞬間、その顔が目前にあった。


「……んあっ」


ぬるり、からん、ぴちゃ、と連続して音が聞こえたかと思うと、なぜか俺の口内にべっ甲飴が。わーすごーい、魔法みたーい。などと、思う訳がない。


「……な、」
「変な顔」


と、くつくつ笑ういつもの姿に羞恥心が湧き上がる。俺は一瞬にして自分の行動に後悔したのだが、そんなものは意味がない。あとから悔んだって意味がない。
まるで逃げ出す様に、いや、まさに逃げ出した。クツクツと笑う暴虐な王様から逃げ出した。

家の前では母さんが仁王立ちして車に乗れと般若のような顔で待っていたのだが、そんな母さんよりも恐ろしい体験をした俺はすぐさま車に駆け込んだ。
引っ越し業者の車が発進する。助手席の窓を開け、近所の奥さまたちに別れを告げる母さんが笑う。後部座席の窓を開け、涙をこらえながら別れを悲しむ姉ちゃんが鼻をすする。それじゃあ皆さんお元気で、と父さんが口にして車は動き出した。
そのずっとずっと向こう側で、王様がこちらを見つめているのを、俺はバックミラー越しにしかと見た。


「きゃ、ちょっ、なに泣いてんのよアンタ!」
「え、」


まるで淘汰されていくように、誰の目にもつかず消費されていく人生を歩むだろう俺に、たった一瞬でも交わった線の美しさは強烈だった。それでもタイムリミットがあることで俺は強く有れたが、だからこそ王様の記憶に残りたくはなかったが、気まぐれで交わった運命に抗いたかったのもまた事実だった。
だから粋がった。この世の全てが思い通りに行くわけがないと、だからこそ嫌がった――嘘偽りなく、嫌でもあった。

この感情をどんな言葉に当てはめていいのか分からない。けれど、まるで思春期の熱病そのものだ。嘘でもなく、本当でもなく、どこにも行けない、なにものにも昇華されないちぐはぐなこの気持ち。

哀れで孤独な、この町の迷子のような小さな王様。


「ちょっと鼻水! 汚いから早くかんでよ!」


ベシッとティッシュ箱を顔にぶつけられながら、俺は鼻をすする。
ボロボロと零れるそれは、俺の意に反して滝のように流れ続けた。
ブーンブーンとスマホが震える。滲む視界で開いたメールには「またね」の三文字。それを見た瞬間、水は勢いを増した。

ちらりと見るバックミラー越しにこちらを眺める王様の笑顔。その姿は、抗いつづけた俺より憐れだ。
そんな王様の姿が見えなくなってもしばらくのあいだ、俺の目からはミサキの涙がぼろぼろと零れ落ちていた。

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