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第二章 そして舞台の幕が開く
55話 差し出す答えに採点を
しおりを挟む『今しか得られぬ喜びを、どうかあの人に渡してほしい。誰より君を見守って、そっと送り出してくれる人。どちらも愛すその人は、学び舎の中、その奥で、きっと君を待っている』
四問目の問題、それを聞いた私たちは、一先ず大広間へと足を向けた。
時刻は正午、昼食の時間だ。腹が減っては戦はできぬ、日本のことわざにあるとおりだ。空腹では良い案も浮かばないだろうと、まずは腹ごしらえをすることにした。
「おや、案外少ないね?」
ルーファスの指摘どおり、大広間にはあまり人がいなかった。先輩たちはいるものの、一年生の数が少ない。
おそらく、問題を解くのに集中し過ぎているのだろう。購買に行けば、食事はいつでも買える。そこで済ませるつもりなのかもしれない。
スピネル寮のテーブルに着く。オーウェンも一緒だ。朝食と夕食は寮のテーブルで取らなければならないが、昼食はどこでもかまわない。また、休日も自由だ。
基本的には自分の寮の席に着くが、仲のいい友人がいる場合は別だ。それもあり、オーウェンはよくスピネル寮のテーブルに来ている。
「あ、今日はサンドイッチね」
様々なサンドイッチがテーブルに置かれている。もちろんそれだけでなく、スープやサラダ、デザートなどもある。
私は真っ先にサンドイッチへ手を伸ばす。きゅうりのサンドイッチだ。シンプルにきゅうりのみで作られたサンドイッチは、私のお気に入りだ。
「ふふ、君は本当にそのサンドイッチが好きだね」
ルーファスは、自身のサンドイッチを取りながら微笑む。おそらく、私がいつも同じ物を取っているからだろう。他のサンドイッチが美味しいのは分かるけれど、これだけは外せない。
「このシンプルさが好きなの。色々挟まれたサンドイッチも美味しいけれど、飽きのこない定番って良い物でしょ?」
前世でも、最終的にハマるのはシンプルなものだった。おにぎりも一番好きなのは塩握り。子どもの頃は、ふりかけやツナマヨなどを好んでいたが、最終的に塩握りに戻ってきた。
「まぁ確かに。定番というのは、愛されるだけの理由があるものだからね」
そう言うと、彼もきゅうりサンドイッチへ手を伸ばす。定番の良さが分かるのは良いことだ。私は一人、満足げに頷いた。
「それにしても、次の問題についても考えなければなりませんね」
メアリーがポツリと呟く。それを聞き、私も思考を切り替える。
謎となっているのは主に二つ。
一つは、今しか得られぬ喜びとは何か。そしてもう一つが、あの人とは誰を指すのかだ。
正直なところ、後者については思い当たる人がいる。だが、前者についてはさっぱりだ。
今しか得られぬ喜び、それが何なのか分からなければ、あの人を訪ねることもできない。
「あの、それについてなのですが……」
オーウェンが小さく口を開く。それに全員が視線を向けるも、彼の言葉は遮られてしまった。
「あら、シャーリーじゃない! あなたたちも休憩かしら?」
大広間へ入ってきたソフィーが、私たちへ声をかけてきたからだ。
「はい。丁度区切りも良かったので、昼食に」
「そうだったの。今は何問目?」
「四問目になります。お昼ご飯を食べ終わったら、次へ取り掛かるつもりです」
「もう四問目? 早いのね!」
素晴らしいわ、とにこやかに微笑むソフィーに、こちらも自然と笑みが浮かぶ。メアリーたちも、どこか誇らしげな表情をしていた。
「そういえば、ヴァレンティ辺境伯子息だけでなく、もう一人従者がいらっしゃったのよね?
よかったら紹介してもらえるかしら?」
ルーファスをちらりと見てそう言うとソフィーに、私は笑顔で頷いた。
「はい。彼がもう一人の従者、ルーファスです」
「はじめまして、ウィルソン公爵令嬢。こうしてご挨拶の機会を賜り、光栄に存じます」
そう言って礼をするルーファスに、ソフィーはにっこりと笑みを深める。どこかその笑みに含みがあるような気がしたが、気のせいだろうか。
「そう、はじめまして。私はソフィア・ベル・ウィルソン。双子の兄がいて紛らわしいから、ソフィアでかまわないわ」
「私は平民の身です。よろしいのですか?」
「えぇ、かまわないわ。あなたが優秀だというのは知っているもの」
笑みを浮かべるソフィーに、私は首を傾げた。ソフィーは彼を知っているのだろうか。そんなことを考えていると、ソフィーは私の思考が読めたのだろう。呆れたように言葉を続けた。
「全くシャーリーったら。彼は平民の身でありながら、特待生で入学しているのよ? 有名なのは当然でしょう」
「あぁ、そう言われてみれば」
特待生になったと聞いたときは驚いたものだが、今ではすっかり慣れてしまい、忘れていた。ソフィーだけでなく、ルーファスまで呆れた目をしている。
常に一緒にいるから、そう言う評判は気にならなくなってしまうのだ。許してほしい。
「まぁ、色眼鏡で見ないのがシャーリーの良いところよね」
「えぇ。ありのままの相手を見ておられるお方ですから」
呆れた表情から一転、二人は微笑まし気な笑みを浮かべる。どこか生暖かい目に、居心地の悪さを感じた。
「そういえばシャーリー、あなた、大丈夫なの?」
「え? 何がでしょうか?」
突然思い出したかのように尋ねるソフィーに、私は思わず聞き返す。大丈夫、とは何のことだろうか。オリエンテーションの問題は、比較的スムーズに解けているはずだが。
「コードウェル公爵令嬢のことよ。彼女、あなたが自分たちのグループに来るって信じていたみたいよ? わざわざ一人分の枠を開けてまでね」
「ソフィー様も、その話をご存知だったのですね」
オーウェンだけでなくソフィーも知っているということは、タンザナイト寮では有名な話なのだろうか。こちらとしては、根も葉もない話なのだが。
「私としては、シャーリーがあのグループに入るなんて思っていなかったけれどね。というより、タンザナイト寮生の多くがそう思っていたはずよ。前に起きた失態を、皆知っているもの」
前の失態とは、殿下とブリジット嬢の失言についてだ。あのときは、スピネル寮生だけでなく、タンザナイト寮生もいた。その記憶があれば、私があのグループに入ろうとするとは思えないだろう。
「それは良かったです。私としては、そのような大それたことは考えておりませんでしたし……。
まさかコードウェル公爵令嬢がそのように考えていらしたとは、存じ上げなかったもので」
「それはそうよね。部外者の私ですら、驚いたもの」
はぁ、とため息を吐くソフィーの顔は、どこか疲れのようなものが見える。ソフィー様? と声をかけると、彼女は困ったように笑った。
「彼女ね、何だか苛立っているようなのよ。それで、あなたが心配だったの。彼女が何かしてくるのではないかとね」
「気を遣っていただいたのですね。ありがとうございます、ソフィー様」
いいのよ、とからりと笑う彼女に、私も微笑み返す。彼女は本当に気のいい女性だ。
高貴な身分でありながら、相手への気配りを忘れない。その身分ゆえに身につけたのかもしれないが、いつでも実践できるのは彼女自身の魅力だ。
「噂をすれば、というところかしら」
ソフィーの声が低くなる。それを聞き、弾かれたように彼女を見ると、ソフィーは大広間の入口を見つめていた。
彼女の視線を追うと、そこには殿下とブリジット嬢御一行の姿がある。結局人数が足りなかったのか、四人のままだ。
ブリジット嬢の視線がこちらへ向く。その瞳は、氷のように冷え切っていた。これはソフィーが心配するわけだと、他人事のように納得してしまった。
「……もし可笑しなことを言ってくるようなら、相談してちょうだいね。私も協力するから」
「本当にありがとうございます、ソフィー様。そうおっしゃっていただけると、心が軽くなりますわ」
さすがにあそこまで敵意を向けられると、辟易してしまう。助けようとしてくれるソフィーには、感謝しかない。そんな気持ちで礼を言うと、彼女は優しく微笑んだ。
「礼などいらないわ。大切な友人のためだもの。任せて頂戴」
自信に満ちた笑みを浮かべる彼女は、とても愛らしい。強さと愛らしさを兼ね備えた姿は、同性の目から見ても魅力的だと思える。
何かあったら相談すると約束をして、私たちは別れた。ブリジット嬢たちに絡まれぬよう、速やかに大広間を出ることにしたのだ。
「先ほど言いかけたことなのですが……実は、この問題に心当たりがあるのです」
大広間を出て、長い廊下を歩いているときのこと。おもむろにオーウェンが口を開いた。
視線で続きを促すと、彼は記憶を掘り起こすかのように、ゆっくりと語り始めた。
「謎は二つありました。『今しか得られぬ喜び』、これが何を指すのかというのが一つ。もう一つが『誰にそれを渡せばいいのか』です。
おそらく、後者は皆さんも想像されているかと思います。聖女様もお気づきでしょう?」
オーウェンの言葉に静かに頷く。彼と私が想定しているのは、同じ人物だろう。
「予想でしかないけれど、きっと学園長のことだと思うわ。」
「えぇ、自分もそう思います。『学び舎の中、その奥で』というのも、学園長室を意味しているのでしょう。最も奥まったところにありますから」
私たちの会話を、メアリーたちも頷いて聞いている。皆同様に想定していたようだ。
「そうなると、残るは一つ目の謎です。『今しか得られぬ喜び』これが何なのか。渡せるものである以上、形のあるものだと考えました。
そして、浮かんだのが一つだけあったのです」
全員の視線が彼に集まる。彼の考える『今しか得られぬ喜び』とは何なのか。それを聞くために。
「ライラックの花、その花言葉は『青春の喜び』です。私たちにとって、今はまさに青春と言える時期。学生時代を青春と例えることは多いでしょう。
今は5月。ライラックは丁度見頃の時期を迎えています。学内にも、ライラックの花があったでしょう」
彼の言葉に、全員がはっと息を飲む。なぜならば、今日既に見ているからだ。
一問目を解くために向かった裏庭。あの場所は、薔薇とライラックの花が彩を添えている。
「ほう、驚いたものだ。もう四問目を解くチームがいるとは」
感心したように言うのは、この学園の学園長だ。厳格そうな印象を受ける方だが、その瞳は生徒への愛情に満ちている。
今も学園長室を訪ねた私たちを、快く迎えてくれた。
「では聞かせてくれ。君たちの四問目が何だったか。そして、なぜここに来たのかを」
両手を組み合わせ、そこに顎をのせる。どこか楽し気な笑みを浮かべる彼は、きっと生徒が訪れるのを心待ちにしていたのだろう。
「四問目の問題文は、魔道具の中に録音されていました。内容は、私が読み上げます」
問題文を語って聞かせたのはヘレンだ。この問題が聞けたのはヘレンの知識のおかげ。私の魔力操作も必要ではあったが、それができたのは彼女が魔道具だと見抜いたからこそだ。その功績もあり、問題文については彼女が話すべきだと決めていた。
「そして、その問題文をこう考えました。『今しか得られぬ喜び』、これはライラックの花を指すのだと。
ライラックの花言葉は、青春の喜び。私たち学生にとって、今が青春といえる時期です。学生時代に得られる喜び、それはまさに『今しか得られぬ喜び』といえるでしょう。
また、学園長を訪ねたのは、あなたこそが手渡すべき人だと思ったからです」
オーウェンはそう告げると、私へ視線を投げかける。その視線を受けて、私はゆっくりと口を開いた。
「私たちを見守り、送り出してくれる人。これは学園長にぴったりの言葉だと思いました。多くの生徒を見守り、送り出してきた学園長こそが相応しいと。
そして、どちらも愛するという言葉は、各寮を表しているのでしょう。各寮の寮監と異なり、学園長は全ての生徒を見ておられます。
また、魔道具には蛇の人形があり、そこには紫色の石が飾られていました。
スピネル寮のイメージカラーは赤、タンザナイト寮が青です。さきほどの答えを示唆する、ヒントだったのでしょう」
私たちの説明を聞き、学園長は口元に微笑みを浮かべる。その上で、彼は最後の質問を重ねた。
「ふむ。君たちの回答は概ね理解した。では、最後の問題だ。
『今しか得られぬ喜び』それを私に手渡す必要がある。それはもう持ってきているかね?」
その言葉に、ルーファスが私にライラックの花束を差し出した。それはまだ蕾のもの。開花しているものもあったが、それを摘むことはしなかった。
ちなみに、この花束を作り上げたのはメアリーだ。綺麗に蕾だけを集め、可愛らしいリボンで巻いてくれている。
蕾の花束が出てきたことに、学園長は目を丸くする。今は5月。ライラックの花は見頃を迎えている。美しく咲く花はいくらでもあった。
にもかかわらず、蕾だけを持ってきたことに驚いているようだ。
「私たちから、学園長へ花束をお持ちしました。蕾にすべきと言ってくれたのはルーファスで、愛らしい花束を作ってくれたのはデゼル男爵家のメアリー嬢です」
私はそう告げると、すっと息を吸う。瞼を閉じ、精神を集中させた。
瞼を開くのと同時に、足元に浮かぶのは桜色の魔術陣。それを見て、学園長は息を飲む。
魔力を手から花へと伝わせる。これは私の時属性魔術だ。未だ蕾に過ぎないライラックを、満開にするために。
光が収束すると、私の手元には満開に咲き誇るライラックの花束があった。その出来に頷いて、私は一歩足を踏み出す。
そして、手元の花束を学園長へ差し出した。
「これにて、私たちの回答は以上となります。ご採点のほど、よろしくお願い致します」
私の言葉に、学園長は唖然と私たちを見回す。最後に花束へ視線を落とすと、その口元が弧を描いた。
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