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第一章 舞台の幕が上がるまで
18話 魔術の勉強と不可思議な姿
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「はい! はい! はい! シャーロット嬢、スピードが落ちてきていますわよ? ほら、急いで急いで!」
「っ先生! これ、魔術の勉強なんですよね!?」
株式会社設立のため怒涛の日々を過ごしていました、シャーロット・ベハティ・アクランド7歳です。
あれから1年半ほどが経ち、私の日々はやっと落ち着きを取り戻した。
設立からしばらくは、本当に忙しい日々の連続で、前世でも経験のない社畜というものを知ったかもしれない。私、昼は大学生だったもので。
会社設立のため、皆様とても助力してくれた。出資金の件は言わずもがな、株式会社設立の許可を取るため大いに助けていただいた。
会社設立は初めての試み、そのため国王の許可が必要だった。
そもそもこの国には、会社という概念そのものがなかった。全てが個人事業主。商業ギルドなどは、その事業主同士の相互扶助のためにのみ存在する。会社が今まで存在しなかったということは、設立のためのルールすらないということだ。
当然、どうやって設立するかと考えた際、国王に認めてもらうのが最も簡単な方法だった。いや、その行為自体ハードルが高いのだが。
けれど、会社という概念を広め、そのための法律を整備し、法に則った設立手順を踏むというのは現実的ではない。何年かかるかわからないだろう。そんな中、一番手順を減らせる方法が国王からの許可だったのだ。
国王から許可をもらう際に活躍されたのが、ウィルソン公爵とランシアン侯爵だ。二人で謁見の申し入れをし、そこで事の次第を説明していただいた。
その場には父も同席した。医学的見地からの説明と、アクランド子爵家が発案者であるという証明でもあった。
国王は取り組みを大層気に入ったそうで、すぐに許可状を出すとおっしゃってくれたらしい。それはそれとして、ナーシングドリンクを融通してくれるようお願いがあったのは言うまでもない。
その後もまだ忙しかった。会社をどこに置くのか、従業員はどうするか、それをクリアしてからは商品の作成だ。目まぐるしい日々に倒れそうになりながらも走り抜けた。
会社の本店はペイリン伯爵領にある。この理由は三つだ。
一つは、ペイリン伯爵領の方がアクランド子爵領より王都に近いこと。流通の便を考えると近いほど都合がいい。
次に、アクランド子爵家では、他者からの妨害があった際、対応が困難であること。父の社交性はお察しだし、下級貴族というのも中々難しい立場だ。
出資者にウィルソン公爵家とランシアン侯爵家がいるため、まともな人は手を出してこないだろうが、万が一ということもある。それもありアクランド子爵領での設立はやめたのだ。
そして最後に、これが一番重要なのだが、ペイリン伯爵領の雇用を作りたかったのだ。私も当然、伯爵家の一族に属する人間だ。私を無理やり魔術師にするでもなく、好きに生きろといってくれる叔父だ。協力したいと思うのは当然だろう。それもあり、ペイリン伯爵領に会社を設立することが決定した。
その後も様々な問題をクリアしながら、時間はあっさりと通り過ぎた。
しかし、私はその間仕事ばかりしていたわけではない。私には何よりもしなければならない急務があるのだ。そう、魔術の勉強である。
「ほらほら! スピード上げて! あ、魔力放出も弱くなっていますわね。まだまだ魔力を出せるでしょう? 走り込み、あと10周追加しましょうか」
「先生!?」
魔術の勉強と聞いて、私が思い浮かべたのは座学や、魔術一つ一つの練習だった。火属性でいえば、火の玉を出すとかそういうものだ。
そのはずがなぜ、私は重石をつけて走り込みさせられているのか。
私が師事するナタリア先生は、とんでもない脳筋だった。いや、理にはかなっているから脳筋というのも違うのか? 少なくともスパルタであるのは違いない。
私の魔術の勉強は、勉強というより鍛錬だ。魔力を放出しながらの走り込み。鍛錬のお供には腰に括り付けられた重石。解せない、と思う私の心を誰か理解してほしい。
この鍛錬を始める際にナタリア先生が言ったのは、今の自分の限界を知りなさい、だった。
確かに、走り込みと魔力放出をさせられていれば、自ずと自分の限界は分かる。戦闘において、自分の限界がどこか知らないのは危険すぎるだろう。その重要性はよく理解できた。私自身、いつかは身体を鍛えねばとも思っていた。
だが、まさか魔術の鍛錬より先に身体を鍛えさせられるとは思ってもみなかったのだ。
「はい、あと3周ですよ~! せっかくですから、攻撃を避ける練習も行きましょうか。当たらないように頑張ってくださいね!」
「嘘でしょう!?」
慌てて先生を振り返ると、足元には水色に光る魔術陣が。この人、やる気だ。
水色の魔術陣は、水属性の魔術を行使する際に顕現する。つまり、彼女は今、こちらに水を放とうとしているわけで。
(ただでさえ重石で辛いのに、これ以上負担をかけられてたまるか!)
水に濡れれば当然服が重くなるし、張り付いて動きが鈍くなる。一度でも当たれば、3周走り切るまでに何度魔術の的になるか分かったものではない。背後や側面から飛んでくる水球を必死に躱した。
何とか走り抜け、あと少しでゴールというタイミング。今までとは違い、真正面から水球が飛んできた。突然の攻撃にへとへとな私が避けられるまでもなく、べちゃりと顔に被弾する。
優しさだろうか。顔にかかる水の温度は温かく、何故だか泣けてきた。
「残念でしたね、シャーロット嬢。次は最後まで気を抜かず、攻撃がどこから来るのか予測して動くように」
「はい、先生……」
疲労困憊な中、必死に声を絞り出す。師事している身だ。礼儀はきちんとせねば、とフラフラになりながら一礼した。
芝生に仰向けに転がり、目を閉じる。その間際、礼儀正しい良い子ですね、という穏やかな先生の声と、憐みの目を向けてくるカーターの姿が見えた。
あの腹黒執事が笑えないほどの鍛錬だ。過酷さについては察していただきたい。
「街にお出かけですか?」
休息をとり、食堂で昼食をとっていると、不意に父が出かけようと提案してきた。
実は、私は街に出かけたことがない。お出かけするのはデゼル男爵邸へ行くくらいで、それ以外で出ることがないのだ。
叔父の家であるペイリン伯爵邸にすら行ったことがない。これは父や叔父が私を親戚に会わせないよう気遣ってくれているのだろう。
ここ最近は忙しくしていたこともあり、外への興味はなかったが、いざ出られるとなると気になってくるものだ。
「嬉しいです! 街に行くのは初めてなので! 何か準備するものはありますか?!」
そう言って目を輝かせる私に、父はうっ、と言葉を詰まらせる。どうしたのかと首を傾げると、ぽそぽそと謝罪を口にした。
「ごめんね、シャーリー。中々お出かけもさせてあげられなくて。僕がいない中出かけさせるのは心配で、使用人たちとすら外に出してあげなかった。こんなに楽しみにしてくれるなら、もっと早くすれば良かった……」
肩を落とし、しょんぼりとする父に苦笑する。
そもそも、父は忙しいのだ。本来の医薬品開発も、我が国ではそう人材が多くない。だからこそ父に仕事が集まるし、最近では株式会社の件もあった。
大変そうな父を、誰よりも近くで見ていたのだ。謝罪など必要ないのに。
「お父様、謝らないでください。お父様がお仕事を頑張ってくださっているのを、私はちゃんと知っています。
それに、今日は一緒にお出かけしてくれるのでしょう?それだけで私は嬉しいです」
「っ、シャーリー! 本当に優しい子だ! どんな女神だって君には及ばないだろう!」
そう言って感極まる父に苦笑しながらも、私は食事を続ける。私を褒めるため、いつの間にか女神を引き合いに出してきた。親馬鹿、恐るべし。
そんな私たち親子を、ナタリア先生は微笑ましそうに見つめていた。
教師として迎えてからというもの、基本的にナタリア先生は我が家で寝泊まりをしている。他国からお越しいただいたので、我が家に滞在しているのだ。その方が安定して授業を受けられるし、こちらにとってもプラスだった。
「シャーロット嬢は魔術の勉強も頑張っていますからね。今日はゆっくり、羽を伸ばしてきてください」
穏やかに笑って言葉をくれる先生は、とても美しい。先ほどのスパルタ授業が嘘のような、穏やかな姿だ。……このギャップがあるせいで、異様に怖く見えるのだが。
「いつもありがとうございます、フローレス夫人。
シャーリーもしっかり勉強しているようだね。夫人からお褒めの言葉を聞いているよ。よく頑張っているね」
穏やかに笑う父に、そういえばとあることを思い出した。
父は娘溺愛の親馬鹿だが、その鍛錬方法に文句を言ったことはないのだ。一度授業中に見に来たことがあったが、私以上に苦しげな顔で私を見ていただけだった。
今にも泣きそうな父の表情に、そのときは何だか笑えてきたのだが、今になってみれば驚くことだ。もっと安全な訓練方法を! とか言いだしても可笑しくないのに。
叔父がランシアン侯爵の手を借りて探してくれたからでは、とも思うが……その可能性は低いだろう。教師を変えると言うのでなければ、ある程度の口出しはできるだろう。
それに、この鍛錬方法は普通ではないようなのだ。あのカーターが憐れむレベルだ。普通であるはずがない。許容できる範囲ならば、例え私がどれだけ苦しんでいようとあの男は笑う。あいつはそういう男だ。
そうなると、おそらく何らかの意見の合致があるはずなのだ。この鍛錬をしなければならない、という両者の合意が。私の才能が高かったからなのか、それとも他に理由があるのかは定かではない。
けれど、初めて魔術を行使した日、父が真っ青な顔で私を抱きしめたのを今でも覚えている。きっと、私には分からない何かがあるのかもしれない。
身支度を整え、馬車に乗り込む。馬車の中は私と父のみで、護衛の人は馬に乗ってついてくるようだ。
今の格好は、白いブラウスワンピースだ。襟や肩回りにはフリルがついており、ウエストから下は軽やかなプリーツスカートだ。切り返し部分にキャメル色のリボンが巻かれており、真っ白なワンピースのアクセントになっている。
父はライムグリーンの爽やかなシャツに、白いパンツを履いていた。明るい色味の洋服は、父をいつもより健康そうに見せている。これでクマさえなければ完璧なイケメンなのだが、未だなくなる気配はない。
「シャーリー、ドレスも可愛いけれど、今日みたいなワンピースもよく似合うね。お忍びで地上に下りた天使のようだよ」
「ありがとうございます、お父様。お父様もいつもと違う服装ですが、とてもかっこいいです!」
シャーリーに褒められた! と言って歓喜する父を横目に、私は内心頭を抱える。
どうあっても天使なのか。お忍びならばお姫様でも良かったのでは? と思うものの、口にはすまい。またとんでも発言が飛び出す可能性がある。よく言うだろう、雉も鳴かずば撃たれまいと。黙っていることで災いを回避できるのなら、このシャーロット、黙っておくくらいはできますとも。
空気を読んで口を噤むなんて朝飯前だ。生粋の日本人に加えキャバ嬢のポテンシャル。このくらい何の問題もないのだ。
「あれ、あの人、どうしたのでしょう」
馬車の窓から外を見ていると、広大な畑の前で立ち尽くす一人のお爺さんがいた。その肩はがくりと項垂れており、途方に暮れているようだ。
「本当だ。何かあったのかもしれない。作物が荒らされたわけではなさそうだけど……そもそも、作物すら植わっていないね」
父の言葉に頷く。今は5月。種まきや苗の植え付けは今がピークだ。夏野菜を育てるならば、今頃畑がまっさらということはないだろう。しかし、畑を見る限り作物を植えた形跡はなく、そもそも耕すこともできていないようだ。
「お父様、少し話を聞いてみませんか?」
農民にとって、畑とは命を繋ぐ糧だ。我が領地の民が苦しんでいるならば、話くらい聞いてみてもいいのでは。
そんな気持ちで父に問いかけると、穏やかに笑って頷いた。
「あぁ、分かった。さすがにこの時期に何一つ植わっていないのでは心配だしね。
それにしてもシャーリーは立派だ。僕が言う前に、きちんと民を思いやれるのだから」
貧乏人だったゆえに気持ちが分かるのです、とは言えず、曖昧に笑って場を濁す。
父が御者に馬車を停めるように言うと、静かに馬車は停止した。
父の手を借りて、馬車から降りる。音で気づいたのだろう。先ほどのお爺さんはこちらへ振り向くと、深々と礼をした。
どうやら街へ辿り着くには、もう少しかかりそうだ。
「っ先生! これ、魔術の勉強なんですよね!?」
株式会社設立のため怒涛の日々を過ごしていました、シャーロット・ベハティ・アクランド7歳です。
あれから1年半ほどが経ち、私の日々はやっと落ち着きを取り戻した。
設立からしばらくは、本当に忙しい日々の連続で、前世でも経験のない社畜というものを知ったかもしれない。私、昼は大学生だったもので。
会社設立のため、皆様とても助力してくれた。出資金の件は言わずもがな、株式会社設立の許可を取るため大いに助けていただいた。
会社設立は初めての試み、そのため国王の許可が必要だった。
そもそもこの国には、会社という概念そのものがなかった。全てが個人事業主。商業ギルドなどは、その事業主同士の相互扶助のためにのみ存在する。会社が今まで存在しなかったということは、設立のためのルールすらないということだ。
当然、どうやって設立するかと考えた際、国王に認めてもらうのが最も簡単な方法だった。いや、その行為自体ハードルが高いのだが。
けれど、会社という概念を広め、そのための法律を整備し、法に則った設立手順を踏むというのは現実的ではない。何年かかるかわからないだろう。そんな中、一番手順を減らせる方法が国王からの許可だったのだ。
国王から許可をもらう際に活躍されたのが、ウィルソン公爵とランシアン侯爵だ。二人で謁見の申し入れをし、そこで事の次第を説明していただいた。
その場には父も同席した。医学的見地からの説明と、アクランド子爵家が発案者であるという証明でもあった。
国王は取り組みを大層気に入ったそうで、すぐに許可状を出すとおっしゃってくれたらしい。それはそれとして、ナーシングドリンクを融通してくれるようお願いがあったのは言うまでもない。
その後もまだ忙しかった。会社をどこに置くのか、従業員はどうするか、それをクリアしてからは商品の作成だ。目まぐるしい日々に倒れそうになりながらも走り抜けた。
会社の本店はペイリン伯爵領にある。この理由は三つだ。
一つは、ペイリン伯爵領の方がアクランド子爵領より王都に近いこと。流通の便を考えると近いほど都合がいい。
次に、アクランド子爵家では、他者からの妨害があった際、対応が困難であること。父の社交性はお察しだし、下級貴族というのも中々難しい立場だ。
出資者にウィルソン公爵家とランシアン侯爵家がいるため、まともな人は手を出してこないだろうが、万が一ということもある。それもありアクランド子爵領での設立はやめたのだ。
そして最後に、これが一番重要なのだが、ペイリン伯爵領の雇用を作りたかったのだ。私も当然、伯爵家の一族に属する人間だ。私を無理やり魔術師にするでもなく、好きに生きろといってくれる叔父だ。協力したいと思うのは当然だろう。それもあり、ペイリン伯爵領に会社を設立することが決定した。
その後も様々な問題をクリアしながら、時間はあっさりと通り過ぎた。
しかし、私はその間仕事ばかりしていたわけではない。私には何よりもしなければならない急務があるのだ。そう、魔術の勉強である。
「ほらほら! スピード上げて! あ、魔力放出も弱くなっていますわね。まだまだ魔力を出せるでしょう? 走り込み、あと10周追加しましょうか」
「先生!?」
魔術の勉強と聞いて、私が思い浮かべたのは座学や、魔術一つ一つの練習だった。火属性でいえば、火の玉を出すとかそういうものだ。
そのはずがなぜ、私は重石をつけて走り込みさせられているのか。
私が師事するナタリア先生は、とんでもない脳筋だった。いや、理にはかなっているから脳筋というのも違うのか? 少なくともスパルタであるのは違いない。
私の魔術の勉強は、勉強というより鍛錬だ。魔力を放出しながらの走り込み。鍛錬のお供には腰に括り付けられた重石。解せない、と思う私の心を誰か理解してほしい。
この鍛錬を始める際にナタリア先生が言ったのは、今の自分の限界を知りなさい、だった。
確かに、走り込みと魔力放出をさせられていれば、自ずと自分の限界は分かる。戦闘において、自分の限界がどこか知らないのは危険すぎるだろう。その重要性はよく理解できた。私自身、いつかは身体を鍛えねばとも思っていた。
だが、まさか魔術の鍛錬より先に身体を鍛えさせられるとは思ってもみなかったのだ。
「はい、あと3周ですよ~! せっかくですから、攻撃を避ける練習も行きましょうか。当たらないように頑張ってくださいね!」
「嘘でしょう!?」
慌てて先生を振り返ると、足元には水色に光る魔術陣が。この人、やる気だ。
水色の魔術陣は、水属性の魔術を行使する際に顕現する。つまり、彼女は今、こちらに水を放とうとしているわけで。
(ただでさえ重石で辛いのに、これ以上負担をかけられてたまるか!)
水に濡れれば当然服が重くなるし、張り付いて動きが鈍くなる。一度でも当たれば、3周走り切るまでに何度魔術の的になるか分かったものではない。背後や側面から飛んでくる水球を必死に躱した。
何とか走り抜け、あと少しでゴールというタイミング。今までとは違い、真正面から水球が飛んできた。突然の攻撃にへとへとな私が避けられるまでもなく、べちゃりと顔に被弾する。
優しさだろうか。顔にかかる水の温度は温かく、何故だか泣けてきた。
「残念でしたね、シャーロット嬢。次は最後まで気を抜かず、攻撃がどこから来るのか予測して動くように」
「はい、先生……」
疲労困憊な中、必死に声を絞り出す。師事している身だ。礼儀はきちんとせねば、とフラフラになりながら一礼した。
芝生に仰向けに転がり、目を閉じる。その間際、礼儀正しい良い子ですね、という穏やかな先生の声と、憐みの目を向けてくるカーターの姿が見えた。
あの腹黒執事が笑えないほどの鍛錬だ。過酷さについては察していただきたい。
「街にお出かけですか?」
休息をとり、食堂で昼食をとっていると、不意に父が出かけようと提案してきた。
実は、私は街に出かけたことがない。お出かけするのはデゼル男爵邸へ行くくらいで、それ以外で出ることがないのだ。
叔父の家であるペイリン伯爵邸にすら行ったことがない。これは父や叔父が私を親戚に会わせないよう気遣ってくれているのだろう。
ここ最近は忙しくしていたこともあり、外への興味はなかったが、いざ出られるとなると気になってくるものだ。
「嬉しいです! 街に行くのは初めてなので! 何か準備するものはありますか?!」
そう言って目を輝かせる私に、父はうっ、と言葉を詰まらせる。どうしたのかと首を傾げると、ぽそぽそと謝罪を口にした。
「ごめんね、シャーリー。中々お出かけもさせてあげられなくて。僕がいない中出かけさせるのは心配で、使用人たちとすら外に出してあげなかった。こんなに楽しみにしてくれるなら、もっと早くすれば良かった……」
肩を落とし、しょんぼりとする父に苦笑する。
そもそも、父は忙しいのだ。本来の医薬品開発も、我が国ではそう人材が多くない。だからこそ父に仕事が集まるし、最近では株式会社の件もあった。
大変そうな父を、誰よりも近くで見ていたのだ。謝罪など必要ないのに。
「お父様、謝らないでください。お父様がお仕事を頑張ってくださっているのを、私はちゃんと知っています。
それに、今日は一緒にお出かけしてくれるのでしょう?それだけで私は嬉しいです」
「っ、シャーリー! 本当に優しい子だ! どんな女神だって君には及ばないだろう!」
そう言って感極まる父に苦笑しながらも、私は食事を続ける。私を褒めるため、いつの間にか女神を引き合いに出してきた。親馬鹿、恐るべし。
そんな私たち親子を、ナタリア先生は微笑ましそうに見つめていた。
教師として迎えてからというもの、基本的にナタリア先生は我が家で寝泊まりをしている。他国からお越しいただいたので、我が家に滞在しているのだ。その方が安定して授業を受けられるし、こちらにとってもプラスだった。
「シャーロット嬢は魔術の勉強も頑張っていますからね。今日はゆっくり、羽を伸ばしてきてください」
穏やかに笑って言葉をくれる先生は、とても美しい。先ほどのスパルタ授業が嘘のような、穏やかな姿だ。……このギャップがあるせいで、異様に怖く見えるのだが。
「いつもありがとうございます、フローレス夫人。
シャーリーもしっかり勉強しているようだね。夫人からお褒めの言葉を聞いているよ。よく頑張っているね」
穏やかに笑う父に、そういえばとあることを思い出した。
父は娘溺愛の親馬鹿だが、その鍛錬方法に文句を言ったことはないのだ。一度授業中に見に来たことがあったが、私以上に苦しげな顔で私を見ていただけだった。
今にも泣きそうな父の表情に、そのときは何だか笑えてきたのだが、今になってみれば驚くことだ。もっと安全な訓練方法を! とか言いだしても可笑しくないのに。
叔父がランシアン侯爵の手を借りて探してくれたからでは、とも思うが……その可能性は低いだろう。教師を変えると言うのでなければ、ある程度の口出しはできるだろう。
それに、この鍛錬方法は普通ではないようなのだ。あのカーターが憐れむレベルだ。普通であるはずがない。許容できる範囲ならば、例え私がどれだけ苦しんでいようとあの男は笑う。あいつはそういう男だ。
そうなると、おそらく何らかの意見の合致があるはずなのだ。この鍛錬をしなければならない、という両者の合意が。私の才能が高かったからなのか、それとも他に理由があるのかは定かではない。
けれど、初めて魔術を行使した日、父が真っ青な顔で私を抱きしめたのを今でも覚えている。きっと、私には分からない何かがあるのかもしれない。
身支度を整え、馬車に乗り込む。馬車の中は私と父のみで、護衛の人は馬に乗ってついてくるようだ。
今の格好は、白いブラウスワンピースだ。襟や肩回りにはフリルがついており、ウエストから下は軽やかなプリーツスカートだ。切り返し部分にキャメル色のリボンが巻かれており、真っ白なワンピースのアクセントになっている。
父はライムグリーンの爽やかなシャツに、白いパンツを履いていた。明るい色味の洋服は、父をいつもより健康そうに見せている。これでクマさえなければ完璧なイケメンなのだが、未だなくなる気配はない。
「シャーリー、ドレスも可愛いけれど、今日みたいなワンピースもよく似合うね。お忍びで地上に下りた天使のようだよ」
「ありがとうございます、お父様。お父様もいつもと違う服装ですが、とてもかっこいいです!」
シャーリーに褒められた! と言って歓喜する父を横目に、私は内心頭を抱える。
どうあっても天使なのか。お忍びならばお姫様でも良かったのでは? と思うものの、口にはすまい。またとんでも発言が飛び出す可能性がある。よく言うだろう、雉も鳴かずば撃たれまいと。黙っていることで災いを回避できるのなら、このシャーロット、黙っておくくらいはできますとも。
空気を読んで口を噤むなんて朝飯前だ。生粋の日本人に加えキャバ嬢のポテンシャル。このくらい何の問題もないのだ。
「あれ、あの人、どうしたのでしょう」
馬車の窓から外を見ていると、広大な畑の前で立ち尽くす一人のお爺さんがいた。その肩はがくりと項垂れており、途方に暮れているようだ。
「本当だ。何かあったのかもしれない。作物が荒らされたわけではなさそうだけど……そもそも、作物すら植わっていないね」
父の言葉に頷く。今は5月。種まきや苗の植え付けは今がピークだ。夏野菜を育てるならば、今頃畑がまっさらということはないだろう。しかし、畑を見る限り作物を植えた形跡はなく、そもそも耕すこともできていないようだ。
「お父様、少し話を聞いてみませんか?」
農民にとって、畑とは命を繋ぐ糧だ。我が領地の民が苦しんでいるならば、話くらい聞いてみてもいいのでは。
そんな気持ちで父に問いかけると、穏やかに笑って頷いた。
「あぁ、分かった。さすがにこの時期に何一つ植わっていないのでは心配だしね。
それにしてもシャーリーは立派だ。僕が言う前に、きちんと民を思いやれるのだから」
貧乏人だったゆえに気持ちが分かるのです、とは言えず、曖昧に笑って場を濁す。
父が御者に馬車を停めるように言うと、静かに馬車は停止した。
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