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第一章 舞台の幕が上がるまで

13話 夢の幕開け(悪役令嬢side)

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 「ブリジット、こちらが第一王子であるジェームズ・フォン・ジャーヴィス殿下だ。お前の婚約者になるお方だ。仲良くしなさい」

 フィンノリッジ王国王宮、その一角にある庭園に二人の子どもが向き合っていた。
 庭園には早咲きのチューリップが立ち並び、ピンクや白といった愛らしい色が庭を染めている。

 私はブリジット・セシリア・コードウェル。歳は5歳で、コードウェル公爵家の長女としてこの世に生を受けた。
 しかし、それまでの記憶はない。というのも、私の意識が目覚めたのは今。婚約者であるジェームズ殿下にお会いしてはじめて、私の意識は目覚めたのだ。

 「……ブリジット?」

 怪訝そうな声が辺りに響く。おそらく、父であるコードウェル公爵だろう。その声に私が返事をすることはなかった。

 「っ、ブリジット!?」

 意識が遠くなる。驚いた父の声が耳をかすめた。ぐらつく視界には、驚愕の顔を浮かべる父と、焦ったようなジェームズ殿下の姿が映る。
 倒れ込む身体に反し、私の思考は冷静だった。だって、私はのだから。


 ――ブリジット・セシリア・コードウェル。ある小説の主人公である少女。それが私だと。






 再び目覚めたのは、豪華なベッドの上だった。一人で寝るにはあまりに大きいベッドだったが、客間にも関わらず最高級の家具を置けるのはやはり王宮ゆえだろうか。

 「ブリジット嬢……? 目が覚めたのかい!?」

 声がする方に視線を向けると、ジェームズ殿下の姿があった。室内に父の姿はなく、残りは控えているメイドのみだ。

 「ジェームズ殿下、ありがとうございます。もう大丈夫です」

 そう言って身を起こすと、殿下がそっと手を貸してくれた。正義感の強い彼のことだ。目の前で倒れた私を心配してくれたのだろう。こういうところも小説通りだった。

 「ジェームズ殿下、お話ししたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
 「? もちろんだよ。ただ、君は倒れたばかりだ。無理はしなくていいんだよ?」

 私の身を案じるその言葉に、自然と笑みがこぼれた。
 私が結ばれるのはこのお方。お優しいこの方と結ばれる運命にある私は、とても幸運なのだろう。

 「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。その、大切なお話なので二人で話したいのですが……」

 伺うように殿下を見上げると、すぐに理解してくれたのだろう。控えていたメイド達に部屋を出るように告げた。彼女たちは二人だけにすることに難色を示していたようだが、ジェームズ殿下に再度の人払いを受け諦めたのだろう。一礼すると静かに部屋を後にした。

 「これで大丈夫かな? 話はできそうかい?」
 「はい、殿下。お願いを聞いてくださりありがとうございます」
 「かまわないよ。君は僕の婚約者なのだから」

 私の感謝の言葉に、殿下は得意げに笑った。幼子らしいその姿は、年相応で愛らしかった。

 「これから話すことは、信じ難いと思われるかもしれません。けれど、婚約者である殿下には、お話ししなければならないことなのです」

 そう言って語るのは、この世界で起こり得る一つの未来。


 この世界は、ある小説に描かれていた世界だ。それは俗に言う悪役令嬢モノで、乙女ゲームの悪役令嬢を主人公にした物語。
 悪役令嬢に転生した少女が、ゲーム通りの展開に進まないよう奮闘し断罪を回避する。そして、自分を陥れようとするヒロインを倒して婚約者と結ばれる逆転劇だ。
 私はそんな小説の主人公である悪役令嬢に転生した。そうであれば、当然進むべき道は決まっている。ヒロインを倒し、婚約者であるジェームズ殿下と結ばれるのだ。

 幸い、私は小説の主人公と異なる点がある。それは、乙女ゲームの流れだけでなく、知っていることだ。

 少しややこしい話だが、そもそもこの小説は、架空の乙女ゲームが存在することを前提に描かれた世界だ。
 現実世界で生きていた私から見れば、小説の前提条件として、主人公がプレイしていた架空の乙女ゲームが存在する。その上で、小説の断罪劇が繰り広げられたという認識だ。
 つまり、私は乙女ゲームを舞台とした悪役令嬢モノのに転生したのである。小説の一読者だった私が主人公の立ち位置に生まれたのだ。

 当然のことながら、小説の主人公は乙女ゲームの情報しか知らなかった。
 それ故に、断罪回避は様々な試行錯誤の上で行った。主人公に前提知識があるとは言え、それは自分が断罪されヒロインが幸せになる乙女ゲームのストーリーに過ぎない。

 しかし、私は違う。小説の主人公が辿った断罪回避のシナリオそのものを知っているのだ。
 ならば、その道筋通り歩いていけば問題はない。小説に描かれなかった部分も当然あるだろうが、そこは話の本筋ではないので問題はないだろう。

 まず私が為すべきは、ヒロインに立ち向かうため味方を増やすこと。物語通りに必要な味方を増やさなければならない。その第一歩が、ジェームズ殿下なのだ。

 「私はこの先に起きる未来を見てしまったのです。私が嫉妬に狂い処刑される、その未来を……」

 そう言って語ったのは、乙女ゲームのストーリー。小説では、プロローグで語られた内容だ。魔術学園入学と同時に、ヒロインと攻略対象者たちの恋は動き出す。
 ジェームズ殿下はその攻略対象者だ。小説にもゲーム内で一番の人気キャラクターだと書かれていた。
 金色の美しい髪に、翡翠の瞳。穏やかな言葉遣いで物腰も柔らかい。王子様を絵に描いたようなその姿は、やはり多くの女性の理想像だからだろうか。ヒロインが一番に狙うのも、やはりジェームズ殿下だった。

 「魔術学園に、聖女の力を持った少女が入学するのです。その少女と殿下が親しくなられ……私は、少女に嫉妬し、婚約者である殿下のお心を取り戻そうとするのです」

 ヒロインを虐げ続けた悪役令嬢は、学園の舞踏会で断罪される。単なる貴族令嬢を害した罪ではなく、聖女を害したとして処刑されるのだ。
 小説はそのストーリーを知る主人公が、悪役令嬢に転生してしまったことから始まっていく。転生に気づいた主人公は、断罪回避のため殿下に未来を告げ、婚約解消を願い出るのである。

 「私は聖女を虐げた罪で投獄の上、処刑されます。そんな未来は受け入れられません。
 そして、殿下。貴方の愛する人を苦しめるようなことを、私はしたくないのです。そうしたのなら、貴方は酷く傷つくことになるでしょう。貴方を傷つけること、それは私の本意ではありません。
 ――ですからどうか、私との婚約を解消していただけないでしょうか。私はきっと、貴方が他の誰かを愛することを受け入れられないと思いますから……」
 「ブリジット嬢……、君は、まだ見ぬ僕の未来のために、そこまで言ってくれるのかい?」

 私の言葉に、殿下は驚いたような、それでいて隠し切れない嬉しさを浮かべた。

 これも小説どおりだ。婚約解消を願い出る主人公に、殿下はそれを拒否する。殿下の為に身を引こうとする主人公に、胸を打たれるのだ。

 そして主人公と婚約者の間に絆が結ばれる。この後も、度々身を引こうとする主人公を、婚約者である殿下が引き留め溺愛するのだ。
 そして学園入学の際には、全てを知る殿下が主人公の味方となり主人公を守る。それが小説のストーリーだ。

 主人公は当初、ヒロインのことを純真無垢な子だと思っていた。当然と言えば当然だ。乙女ゲームのヒロインなのだから。

 しかし、私は知っている。主人公の前に立ちはだかるヒロインは、決して純真無垢などではないのだと。
 自分が乙女ゲームのヒロインに生まれ変わったと知り、溺愛されるのが当たり前と思っている欲深い女だった。つまり、彼女もまた、主人公同様に転生者だったのである。

 それゆえに、ヒロインは婚約者に愛されている主人公を目の敵にするのだ。様々な策を講じて陥れようとする。
 主人公は婚約者である殿下や、攻略対象者たちとその罠をかいくぐり、ヒロインに断罪し返すのである。

 乙女ゲームでは複数のエンドを見られるが、現実はそう甘くない。小説の最後で、多数の男性を股にかけようとしたヒロインは主人公に糾弾される。ヒロインの純粋無垢な少女というイメージが地に落ち、ふしだらで愚かな女として退場することになった。
 邪魔者がいなくなり、主人公と殿下は何の憂いもなく結ばれるハッピーエンドだ。


 私はその道筋を追えばいいだけだ。ヒロインのように誰彼構わず色目を使うのではなく、誰かを陥れようともしない。正しく主人公として生きていれば、悪役令嬢として断罪されることはない。

 私が殿下に語るのは、あくまでも乙女ゲームのストーリーのみだ。小説の本筋である悪役令嬢の逆転劇を語るつもりはない。小説の主人公と同じように、乙女ゲームで描かれた未来に恐怖し身を引く令嬢として在ればいい。

 「ブリジット嬢、君の気持ちはよく分かった。僕はそんな未来を起こすつもりはないけれど、そう言っても君は不安なんだろう?」
 「……ジェームズ殿下……」

 私が殿下の名を呼ぶと、殿下は安心させるように笑みを浮かべ、私の手をそっと握った。

 「それならば、今は信じなくても構わない。でも、覚えていてほしい。僕の婚約者は君だけだ。僕を思って身を引く、そんな優しい君のそばにいたいんだ。
 だからどうか、婚約解消などと言わないで。君のそばにいる権利を僕に与えてほしい」
 「っ、殿下……!」

 そう言う殿下の瞳は真剣そのものだった。美少年に熱心に心を傾けられて、嬉しくない者などいないだろう。小説の主人公が受けた台詞そのままに、彼は私へ愛を請うた。

 その姿に、胸に沸き上がったのは歓喜だ。本当に、私があの主人公として生きている。未来に待つヒロインの妨害を乗り越えて、私はこの美しい人と結ばれるのだと歓喜した。

 「ありがとうございます、殿下。けれどもし、もし、貴方が他の誰かに恋をしたなら、必ず私に教えてください。
 すぐには無理でも、きっと、貴方の幸せを願って見せますから」
 「分かった。君がそう願うのならば、そうしよう。
 でも、覚えていて。僕が共にいたいと願うのは、この先もずっと君一人だと」

 


 小説を見て憧れていたシーン。今まさに、自分はその舞台に立っていた。殿下と心を交わし、二人の絆を深める場面だ。

 その幸運に浸る私は、何も気づいていなかった。全てを知っているという全能感があったせいだろうか。それとも、が規格外過ぎたのか。

 未来で会うこの世界のヒロインは、私の知る彼女ではなかった。そもそも、この世界についてすら理解していなかったのだ。
 そんな彼女は、この世界がどんな世界なのか理解するとヒロインにあるまじき言葉を発することになる。

 ――そんな未来が待っているのだと、私はまるで知らなかったのだ。


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