上 下
14 / 109
第一章 舞台の幕が上がるまで

13話 夢の幕開け(悪役令嬢side)

しおりを挟む
 「ブリジット、こちらが第一王子であるジェームズ・フォン・ジャーヴィス殿下だ。お前の婚約者になるお方だ。仲良くしなさい」

 フィンノリッジ王国王宮、その一角にある庭園に二人の子どもが向き合っていた。
 庭園には早咲きのチューリップが立ち並び、ピンクや白といった愛らしい色が庭を染めている。

 私はブリジット・セシリア・コードウェル。歳は5歳で、コードウェル公爵家の長女としてこの世に生を受けた。
 しかし、それまでの記憶はない。というのも、私の意識が目覚めたのは今。婚約者であるジェームズ殿下にお会いしてはじめて、私の意識は目覚めたのだ。

 「……ブリジット?」

 怪訝そうな声が辺りに響く。おそらく、父であるコードウェル公爵だろう。その声に私が返事をすることはなかった。

 「っ、ブリジット!?」

 意識が遠くなる。驚いた父の声が耳をかすめた。ぐらつく視界には、驚愕の顔を浮かべる父と、焦ったようなジェームズ殿下の姿が映る。
 倒れ込む身体に反し、私の思考は冷静だった。だって、私はのだから。


 ――ブリジット・セシリア・コードウェル。ある小説の主人公である少女。それが私だと。






 再び目覚めたのは、豪華なベッドの上だった。一人で寝るにはあまりに大きいベッドだったが、客間にも関わらず最高級の家具を置けるのはやはり王宮ゆえだろうか。

 「ブリジット嬢……? 目が覚めたのかい!?」

 声がする方に視線を向けると、ジェームズ殿下の姿があった。室内に父の姿はなく、残りは控えているメイドのみだ。

 「ジェームズ殿下、ありがとうございます。もう大丈夫です」

 そう言って身を起こすと、殿下がそっと手を貸してくれた。正義感の強い彼のことだ。目の前で倒れた私を心配してくれたのだろう。こういうところも小説通りだった。

 「ジェームズ殿下、お話ししたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
 「? もちろんだよ。ただ、君は倒れたばかりだ。無理はしなくていいんだよ?」

 私の身を案じるその言葉に、自然と笑みがこぼれた。
 私が結ばれるのはこのお方。お優しいこの方と結ばれる運命にある私は、とても幸運なのだろう。

 「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。その、大切なお話なので二人で話したいのですが……」

 伺うように殿下を見上げると、すぐに理解してくれたのだろう。控えていたメイド達に部屋を出るように告げた。彼女たちは二人だけにすることに難色を示していたようだが、ジェームズ殿下に再度の人払いを受け諦めたのだろう。一礼すると静かに部屋を後にした。

 「これで大丈夫かな? 話はできそうかい?」
 「はい、殿下。お願いを聞いてくださりありがとうございます」
 「かまわないよ。君は僕の婚約者なのだから」

 私の感謝の言葉に、殿下は得意げに笑った。幼子らしいその姿は、年相応で愛らしかった。

 「これから話すことは、信じ難いと思われるかもしれません。けれど、婚約者である殿下には、お話ししなければならないことなのです」

 そう言って語るのは、この世界で起こり得る一つの未来。


 この世界は、ある小説に描かれていた世界だ。それは俗に言う悪役令嬢モノで、乙女ゲームの悪役令嬢を主人公にした物語。
 悪役令嬢に転生した少女が、ゲーム通りの展開に進まないよう奮闘し断罪を回避する。そして、自分を陥れようとするヒロインを倒して婚約者と結ばれる逆転劇だ。
 私はそんな小説の主人公である悪役令嬢に転生した。そうであれば、当然進むべき道は決まっている。ヒロインを倒し、婚約者であるジェームズ殿下と結ばれるのだ。

 幸い、私は小説の主人公と異なる点がある。それは、乙女ゲームの流れだけでなく、知っていることだ。

 少しややこしい話だが、そもそもこの小説は、架空の乙女ゲームが存在することを前提に描かれた世界だ。
 現実世界で生きていた私から見れば、小説の前提条件として、主人公がプレイしていた架空の乙女ゲームが存在する。その上で、小説の断罪劇が繰り広げられたという認識だ。
 つまり、私は乙女ゲームを舞台とした悪役令嬢モノのに転生したのである。小説の一読者だった私が主人公の立ち位置に生まれたのだ。

 当然のことながら、小説の主人公は乙女ゲームの情報しか知らなかった。
 それ故に、断罪回避は様々な試行錯誤の上で行った。主人公に前提知識があるとは言え、それは自分が断罪されヒロインが幸せになる乙女ゲームのストーリーに過ぎない。

 しかし、私は違う。小説の主人公が辿った断罪回避のシナリオそのものを知っているのだ。
 ならば、その道筋通り歩いていけば問題はない。小説に描かれなかった部分も当然あるだろうが、そこは話の本筋ではないので問題はないだろう。

 まず私が為すべきは、ヒロインに立ち向かうため味方を増やすこと。物語通りに必要な味方を増やさなければならない。その第一歩が、ジェームズ殿下なのだ。

 「私はこの先に起きる未来を見てしまったのです。私が嫉妬に狂い処刑される、その未来を……」

 そう言って語ったのは、乙女ゲームのストーリー。小説では、プロローグで語られた内容だ。魔術学園入学と同時に、ヒロインと攻略対象者たちの恋は動き出す。
 ジェームズ殿下はその攻略対象者だ。小説にもゲーム内で一番の人気キャラクターだと書かれていた。
 金色の美しい髪に、翡翠の瞳。穏やかな言葉遣いで物腰も柔らかい。王子様を絵に描いたようなその姿は、やはり多くの女性の理想像だからだろうか。ヒロインが一番に狙うのも、やはりジェームズ殿下だった。

 「魔術学園に、聖女の力を持った少女が入学するのです。その少女と殿下が親しくなられ……私は、少女に嫉妬し、婚約者である殿下のお心を取り戻そうとするのです」

 ヒロインを虐げ続けた悪役令嬢は、学園の舞踏会で断罪される。単なる貴族令嬢を害した罪ではなく、聖女を害したとして処刑されるのだ。
 小説はそのストーリーを知る主人公が、悪役令嬢に転生してしまったことから始まっていく。転生に気づいた主人公は、断罪回避のため殿下に未来を告げ、婚約解消を願い出るのである。

 「私は聖女を虐げた罪で投獄の上、処刑されます。そんな未来は受け入れられません。
 そして、殿下。貴方の愛する人を苦しめるようなことを、私はしたくないのです。そうしたのなら、貴方は酷く傷つくことになるでしょう。貴方を傷つけること、それは私の本意ではありません。
 ――ですからどうか、私との婚約を解消していただけないでしょうか。私はきっと、貴方が他の誰かを愛することを受け入れられないと思いますから……」
 「ブリジット嬢……、君は、まだ見ぬ僕の未来のために、そこまで言ってくれるのかい?」

 私の言葉に、殿下は驚いたような、それでいて隠し切れない嬉しさを浮かべた。

 これも小説どおりだ。婚約解消を願い出る主人公に、殿下はそれを拒否する。殿下の為に身を引こうとする主人公に、胸を打たれるのだ。

 そして主人公と婚約者の間に絆が結ばれる。この後も、度々身を引こうとする主人公を、婚約者である殿下が引き留め溺愛するのだ。
 そして学園入学の際には、全てを知る殿下が主人公の味方となり主人公を守る。それが小説のストーリーだ。

 主人公は当初、ヒロインのことを純真無垢な子だと思っていた。当然と言えば当然だ。乙女ゲームのヒロインなのだから。

 しかし、私は知っている。主人公の前に立ちはだかるヒロインは、決して純真無垢などではないのだと。
 自分が乙女ゲームのヒロインに生まれ変わったと知り、溺愛されるのが当たり前と思っている欲深い女だった。つまり、彼女もまた、主人公同様に転生者だったのである。

 それゆえに、ヒロインは婚約者に愛されている主人公を目の敵にするのだ。様々な策を講じて陥れようとする。
 主人公は婚約者である殿下や、攻略対象者たちとその罠をかいくぐり、ヒロインに断罪し返すのである。

 乙女ゲームでは複数のエンドを見られるが、現実はそう甘くない。小説の最後で、多数の男性を股にかけようとしたヒロインは主人公に糾弾される。ヒロインの純粋無垢な少女というイメージが地に落ち、ふしだらで愚かな女として退場することになった。
 邪魔者がいなくなり、主人公と殿下は何の憂いもなく結ばれるハッピーエンドだ。


 私はその道筋を追えばいいだけだ。ヒロインのように誰彼構わず色目を使うのではなく、誰かを陥れようともしない。正しく主人公として生きていれば、悪役令嬢として断罪されることはない。

 私が殿下に語るのは、あくまでも乙女ゲームのストーリーのみだ。小説の本筋である悪役令嬢の逆転劇を語るつもりはない。小説の主人公と同じように、乙女ゲームで描かれた未来に恐怖し身を引く令嬢として在ればいい。

 「ブリジット嬢、君の気持ちはよく分かった。僕はそんな未来を起こすつもりはないけれど、そう言っても君は不安なんだろう?」
 「……ジェームズ殿下……」

 私が殿下の名を呼ぶと、殿下は安心させるように笑みを浮かべ、私の手をそっと握った。

 「それならば、今は信じなくても構わない。でも、覚えていてほしい。僕の婚約者は君だけだ。僕を思って身を引く、そんな優しい君のそばにいたいんだ。
 だからどうか、婚約解消などと言わないで。君のそばにいる権利を僕に与えてほしい」
 「っ、殿下……!」

 そう言う殿下の瞳は真剣そのものだった。美少年に熱心に心を傾けられて、嬉しくない者などいないだろう。小説の主人公が受けた台詞そのままに、彼は私へ愛を請うた。

 その姿に、胸に沸き上がったのは歓喜だ。本当に、私があの主人公として生きている。未来に待つヒロインの妨害を乗り越えて、私はこの美しい人と結ばれるのだと歓喜した。

 「ありがとうございます、殿下。けれどもし、もし、貴方が他の誰かに恋をしたなら、必ず私に教えてください。
 すぐには無理でも、きっと、貴方の幸せを願って見せますから」
 「分かった。君がそう願うのならば、そうしよう。
 でも、覚えていて。僕が共にいたいと願うのは、この先もずっと君一人だと」

 


 小説を見て憧れていたシーン。今まさに、自分はその舞台に立っていた。殿下と心を交わし、二人の絆を深める場面だ。

 その幸運に浸る私は、何も気づいていなかった。全てを知っているという全能感があったせいだろうか。それとも、が規格外過ぎたのか。

 未来で会うこの世界のヒロインは、私の知る彼女ではなかった。そもそも、この世界についてすら理解していなかったのだ。
 そんな彼女は、この世界がどんな世界なのか理解するとヒロインにあるまじき言葉を発することになる。

 ――そんな未来が待っているのだと、私はまるで知らなかったのだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

運命の歯車が壊れるとき

和泉鷹央
恋愛
 戦争に行くから、君とは結婚できない。  恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。    他の投稿サイトでも掲載しております。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。

鈴木べにこ
恋愛
 幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。  突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。  ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。 カクヨム、小説家になろうでも連載中。 ※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。 初投稿です。 勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و 気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。 【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】 という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

処理中です...