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第二章 白銀の世界へ

第29話 祈りを込めて紡ぐ名を

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 「それでは雪花山せっかざんに向かうとするか」

 一夜明け、香織たちは六辺香ろくへんこうの入口に集まっていた。宿で一泊し、いよいよ調査へ向かうことになったのだ。
 紬たちは輪鋒との会談に不参加だったが、昨夜のうちに事情を伝えた。
 巡国を襲う異変について教えてもらうため、何より苦しんでいる寒暁の民のために。一行は雪花山を目指す。

 『ようやく寒暁の異変が解消されるのだな! 勇士、頑張るのだぞ! ついでに神子もな』
 「ついでって何よ!」

 後部座席にて、白狐と紬が言い合いを始める。
 なんだかんだと、相性は良いのだろうか。喧嘩するほど仲がいいというし、これはこれでいいのかもしれない。
 そんなことを考えながら、香織は隣へ視線を向ける。

 「それで? 今回は斗真が運転するのね?」
 「まあね! 師団長は買しゅ……じゃない、お話済みだよ!」

 明るく笑う斗真に、香織はため息をつく。明らかに買収と言いかけていたが、一体何をしたのか。
 呆れた表情を浮かべる香織だが、脳の片隅に疑問が過ぎる。厳格という言葉が似合う本居は、何に買収されたのだろうか。

 「人聞きの悪いことを言うな! お前が延々と部屋で騒ぎ立てたせいだろう! 睡眠妨害も甚だしい!」
 「えー!? ちゃっかり清酒受け取っておいて、それは酷くないですかー!?」
 「迷惑料だ大馬鹿者!」

 成人も過ぎて落ち着き一つないのかお前は! 青筋を浮かべる本居に、香織は眉を下げて笑う。
 これは相当騒ぎ立てたに違いない。斗真は案外頑固なのだ。一度決めると中々折れてくれない。本居はその餌食にあったらしい。

 「まあまあ! ゆっくり後部座席でお休みくださいよ!」
 「……お前が騒ぎ立てなければ、十分な睡眠が取れたのだがな」

 力無く項垂れる本居を余所に、斗真はからりと笑っている。運転席に座っているため、本居も手が出せないという判断だろう。
 これは車を降りてからが見ものだな、と香織は心の中で呟いた。生きろ、斗真。

 「よーし! それじゃあ、雪花山へ出発!」

 明るい声と共に、エンジン音が響く。未だ周囲は雪に覆われているが、車内の空気は明るい。
 きっと、上手くいく。そう信じ、香織は瞼を閉じた。




 「はーい、到着! ここからは徒歩で行きましょー」

 山の中腹くらいには来ただろうか。これ以上車で進むことは無理そうだと、皆で車を降りる。
 声掛けをする斗真は、痛そうに頭をさすっていた。理由は語るまでもない。本居の鉄拳だ。

 周囲へ視線を向けると、美しい雪景色が広がっていた。
 幸い、白狐のおかげで雪の影響を受けることはない。さっさと先へ進もうと歩き出した。
 
 「しっかし、雪山を歩くとか、普通はない経験だよなあ」
 「たしかに。その上こんな軽装備だし。普通なら遭難しても可笑しくないかな」

 斗真の呟きに、香織が同意の声を上げる。防寒具こそ着用しているものの、雪山登山に相応しい格好とは言い難い。持ち物も同様だ。多少の食糧は持ち歩いているものの、普通に考えれば準備不足は否めない。

 この程度で済んだのは、白狐が手を貸してくれたおかげだ。戦闘になるかもしれない状況ゆえ、荷物は極力減らしたかった。白狐と出会えたことは、本当に運が良かったといえるだろう。

 『安心しろ! 僕がいるからには遭難などさせないぞ。大船に乗ったつもりでいるといい!』
 「泥船にならないでしょうね~?」
 『なんだと!? この馬鹿神子!』
 「なんですって!? この犬もどき!」
 
 僕は白虎だ! 尻尾を逆立てる白狐に、紬はフイと顔を背ける。車内と変わらず、言い合いをしているようだ。
 これから本題が待っているのだ、言い合いで体力を使われても困る。宥めようと声をかける香織に、白狐が飛びついた。
 
 『勇士! あいつとんでもなく失礼だぞ!』
 「はあ!? あんただって私にだけ態度悪いじゃない!」
 「はいはい、そこまでですよ」

 香織は白狐を抱き上げ、眉を下げて笑う。
 本当に賑やかになったものだ。白狐が来てからというもの、会話が増えたように思う。紬の態度は未だ友好的とは言い難いが、口を開く回数は増えてきた。これから良い方向に進んでくれるといい。

 「そういえば、白狐に名前はあるのでしょうか?」
 『む、名前か。人の子が呼び合うものだな』

 僕らにはないぞ。白狐はあっさりと返事をする。人間と違い、生きていくだけならば必要はないのかもしれない。

 しかし、白狐とはいわば種類を示すもの。人間である香織には、そう呼ぶのはどこか寂しくも思える。白狐にしてみれば、いらぬ感傷かもしれないが。

 「まあ別に、名前なんてなくてもいいんじゃない? 可笑しな名前つけられるよりも、狐呼ばわりのがマシでしょ。事実だし」
 『むむ。たしかに名が無くとも困りはしないが……お前の言い方は腹が立つぞ』
 「じゃあ犬もどきにしてあげようか~?」

 再びいがみ合う姿に、香織は苦笑いを浮かべる。彼女たちは言い合いをしなければ気が済まないらしい。口を挟むのは諦め、ポンポンと白狐を撫でた。

 さて、どうしたものか。紬が白狐に名前をつければ、仲良くなるかとも思ったが。どうにも紬は興味ないらしい。名前など不要と言わんばかりだ。
 白狐本人も必要としていないようだし、考えるだけ無駄だろうか。

 思考を巡らせていると、白狐が鼻を香織の頬に近づける。香織の注目が逸れたことに気付いたのか、自分を見ろと言わんばかりだ。香織は慌てて白狐に視線を落とす。

 『神子は名付けの才が無さそうだからな! 勇士が僕に名前を付けるんだぞ!』
 「私が、ですか?」

 きょとん、と目を丸める香織に、白狐はふふんと鼻を鳴らす。妙案だと言わんばかりの姿だ。

 『そうだぞ! 馬鹿神子が考える名は信用できないからな! 勇士が僕の名前を考えるといい!』
 「ちょっとあんた! 本当に私に失礼すぎない!?」

 私だって名前くらい考えられるっつーの! そう叫ぶ紬に、白狐が鼻で笑う。何とも賑やかなものだと、香織は内心で笑みをこぼした。

 「そうですねえ……」

 香織の脳裏に様々な名前が浮かぶ。
 今までペットを飼った経験もなく、子もいない身。名付けの経験は皆無だが、せっかくならば良い名前をつけたいものだ。白狐が喜んでくれればなお良し。

 そして何より、祈りを込めたい。必死に助けたこの命が、協力してくれる優しい子が、この先も幸福であるように。

 そんな想いを込めて、香織は名を紡いだ。

 「では、千歳ちとせ、はいかがでしょう?」
 『ちとせ?』

 香織の言葉に、白狐は不思議そうに声を上げる。名前という習慣がない以上、ピンとこないのかもしれない。白狐に伝わるよう、香織は丁寧に言葉を尽くす。

 「ええ、千に歳月の歳と書いて、千歳です。あなたの命が、あなたの幸福が末永く続くようにという祈りを込めて。
 私があなたに出会えたことは、幸運でした。今もこうして協力してくれる優しいあなたが、どうかこの先も末永くあるように。そう願って付けた名です」
 『……』

 白狐はじっと香織を見つめたまま、口を閉ざしていた。
 気に入らなかったのだろうか。香織が再考するかと思ったときのこと。沈黙を切り裂くように、明るい声が響いた。

 『なんだそれ! いいな、凄くいい!』

 名前に意味があるのか! 白狐は興奮したように声を上げる。
 習慣がないためか、名前を単なる識別記号と思っていたらしい。名前に祈りを込める、その行為に感動しているようだ。

 『なんだか身体が温かくなったぞ! 名前、良いものだな! 僕は千歳、千歳だ!』

 ぴょん、と香織の腕から降りると、楽しげに飛び跳ねる。どうやら気に入ってくれたらしい。それに香織は頬を緩ませた。
 祈りを込めてつけた名前。これほど喜ばれるのなら、考えた甲斐があったというものだ。

 『どうだ神子! 僕は千歳だぞ! 良い名前だろう!』

 飛び跳ねながら紬へ近づく白狐に、香織はハッと目を開く。
 10代くらいの子には、もっと可愛い名前が好まれるだろうか。少々古風な名付けに聞こえる可能性はある。嫌がられやしないかと、香織は耳をそばだてる。
 
 「はあー聞いてるわよ。……ま、悪くないんじゃない?」

 あんたにはもったいない名前だけど。そう呟く紬の顔に、不満そうな素振りはない。

 良かった。紬にも受け入れてもらえたようだ。香織は安堵に胸を撫でおろす。
 名前は一生の付き合うもの。好みは人それぞれだが、極力好ましい名前をつけてあげたいもの。名付け親として、少しばかり不安はあったが、大丈夫そうだ。

 受け入れてもらえた喜びを胸に、香織は微笑んで声をかける。

 「改めて、よろしくお願いしますね、千歳」
 『……! ああ、もちろんだぞ!』

 千歳の弾むような声が響く。それに、一行の空気が温かなものへと変わった。

 軽くなった足取りで、山頂を目指す。
 寒暁を覆う瘴気。その発生源まで、あと少しだ。
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