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第27章 夢と妻と作家と。

2 手弁当の女。

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 強引だったが、彼女を手に入れた。
 そして従順になり、俺は不満を抱く様になった。

『結婚してみると、すっかり人が変わるのは女性も同じらしい』
《あら、そんなに奥様は変わられたんですか?》

『あぁ』

 勝ち気で、決して媚びる事も無く、真っ直ぐにコチラに意見する。
 そんな彼女を好いていたのか、若しくは彼女の言う通り、単に俺はムキになっていただけか。

 なら、もう興味が失せたなら、離縁すれば良いだけ。

 だがもし離縁してしまえば、彼女が言う通りだったと認めるも同義。
 それがまた、酷く腹立たしい。

《もし私なら、このままです。旦那様をお慕いしたまま、私は変わりません》

 そんな三文芝居に出る様な文句で落ちると思われている事は、酷く心外だが、コレは使えるかも知れない。

 子が居ない夫婦だとしても、マトモな夫婦になれる筈だ。
 他の夫婦同様、らしい夫婦に。

『なら、先ずは敵を知った方が良い、君のと交換しよう』

《はい!》

 頭の回転も遅く、愚かな女だ。
 上手くいかなければ切ろう、コレは損を増やす愚か者だ、幾ばくか慎重に行動しなくては。



「コチラはどう致しましょうか」

 妻から何の反応も無い中、絶望と惰性から、油断していた。
 食い掛けの菓子が、弁当の容器に入れられていた。

 しかも、俺が好まない菓子に、口紅が。

『ぁあ、また悪戯で入れられていたんだろう、捨てておいてくれ』
「はい、畏まりました」

 そして妻は顔色一つ変えず、洗い物を始めた。
 俺の失敗故に、俺への好意が無い事は理解している。

 だが、それでも俺を受け入れ、未だにこうして夫婦として居る。
 単に打算から受け入れたとしても、俺は、浮かれていた。

 得てしまえば、どうにかなる、と。

 だが妻の表面は変わり、根は変わらないままだった。
 従順さの裏に情愛は無く、相変わらず俺を見下す気配を隠そうともせず、笑顔の一つも無い。

 だと言うのに、周囲の者とは直ぐに調和し、笑顔さえ見せる。

『出汁巻きか、代わり映えしないな』

 同じ表情、同じ声色。
 俺を受け入れたなら、もっと夫婦らしく振る舞うべきだろう。

「では、次からは目新しいモノを加えさせて頂きます」
『いや、下手に不味いモノを食わされても困る。今日はもう下げてくれ、疲れた』

「はい、分かりました」

 妻は美しい。

 内面の清さ、潔さ、賢さが美しく滲み出ている。
 だからこそ、俺は囲うしか無い、だが妻は家から出ようとする。

 何故、どうして分かってくれないんだ。



『今の女は』
「友人も作ってはなりませんか」

 本当に、単なる友人なのだろうか。
 妻は美しい、内面も、何もかも。

 だからこそ、俺と言う浅ましい生き物を毛嫌いしているのだろう。
 だからこそ、俺は家から滅多に出さないと言うのに。

『お前が知らないのも無理は無いが、巷には百合娘と言う』
「浮気も何もしておりませんが、縁を切れと言うなら切ります、ですが理由をお伺いしても宜しいでしょうか」

 こうして、前の妻なら苛烈に言葉で殴る様な覇気を纏っていた。

 だが、今の妻は何処か試す様に言うばかり。
 未だに浮気の気配を無視し、苦言を呈する事は無い。

 腹立たしい。

 苛立ちと腹立たしさばかりが募る。
 どうして分かってくれないんだ。

 どうして、俺と夫婦になろうとはしてくれないんだ。

『今は俺が尋ねている、関わる必要性が有るのかと聞いているんだ』

 言い返してくれ。
 そう思いながらも、反論を受け入れ難くも思っている。

 妻の事だけ、俺の中で相反する意見が常にぶつかり合う。

 手放せず、放置も出来ず。
 だが、関わる事に怯えすら感じている。

「そうですね、有ると言えば有りますが、生き死にに関わるかと問われれば否。ですが、旦那様はそうした者としか関わらない、と言う事で宜しいでしょうか」

 あんな女など、俺には不要だ。
 俺達は、夫婦なのだから。

『あぁ、勿論だ』

 折れてくれ、折れてくれるな。

「分かりました」



 妻の従順さが、無関心さが俺を引き裂いた翌日。

『遊ぶにしろ、少しは相手を選べ』

 祖父に呼び出され、何の事かと思えば、妻が店に来ていたらしく。
 しかも例の従業員と何やら話し込んでいたらしい、と。

『はい』

『妾を持つなら決して妻を蔑ろにはするな、良いな』
『はい』

 あんなに愚かで浅はかな女を、妾にする気は毛頭無い。
 妻との為に吐き気を抑え関わっているだけだ、アレを好く者など、どうかしている。



『お前は』
「偉い方の中には妾を持つ方も居りますし、もしお選びになるならと、僭越ながらお声掛けさせて頂きました」

 妻に、何処まで知られているんだ。
 いや、寧ろココは。

『どう、知った』
「何が、でしょうか」

『いや、彼女の事を』
「ご挨拶に伺った際に目に留まりましたので、ですが、改めて調査すべきでしたら」

『いや』
「では、先ずはお知り合いになられてみてから、と言う事で。では、失礼致します」

 調査などされては困る。
 何も無いと知れば、彼女の心は更に離れる筈だ。

 いや、だが、もしかすれば。

『待っ』
《旦那様、似合いますか?》

『いや、豚に真珠だ、それは退職金としてくれてやる。もう2度と会社に来るな』

 俺は期待と焦り、不安と苛立ちから女より妻を見ていた。
 ピンと伸びた背に迷いは無く、美しく立ち去る妻。

 大棚の妻として正しい判断をした妻が、妬ましく、誇らしかった。

 そしてあの美しい妻が離れる事が、俺の失敗が、受け入れ難かった。
 妻は、妾に俺を押し付ける気だ。

《酷い、私を玩具にして、酷い》

 女の言葉と共に、腰に衝撃と熱が広がった。
 そして周囲からは悲鳴が上がり、俺は立っている事が出来なくなると。



「旦那様、お目覚めですか」

 薬液、それから糞尿の香り。
 暗い、今は何時なんだ。

 いや、ココは何処だ。

『今は、一体』
「朝で、ココは病院です。何処まで覚えてらっしゃいますか」

『女の声と共に、腰に熱と衝撃が走った事は。いや、そこで立っていられなくなった事は覚えているが』

「旦那様は、その後……お顔も刺されたのです。今は強いお薬で痛みが紛れているのです」

 気を失っている間に、何度も顔を刺され。
 俺は、失明していた。

『もう、治る事は』
「はい、視力が回復する事は無いそうで。ですので離縁して頂く事になりました、この事態を収める為にも、今までの報いを受ける為にも」

 何を言われたのか、理解が出来なかった。
 いや、理解する事を拒絶した。

 だが、妻は草履の擦る音を立て。

『待ってくれ!』
「もし宜しければアレを出所させ、世話をさせるそうですからご心配無く。では、さようなら」

 妻を追い掛けようとしたが、何者かに抑え付けられ。

『離してくれ!愛しているんだ!行かないでくれ!』

「なら、どうして浮気などと」
『何も無い!ただ、君に気を向けて欲しかっただけだ、愛されたかっただけなんだ』

 言葉にしながら、初めて自覚をした。
 俺はとっくに妻を酷く愛している、と。

 だが。

「アレも似たような事を仰ってたそうで、お似合いですこと。では、失礼致しますね」

 もう、手遅れだった。

 いや、最初から間違えていたんだ。
 最初から、歩み寄り、話し合えば。



《旦那様、おはようございます》

「旦那様、どうかしましたか」

 未だに慣れぬ目の不自由さから、今しがたの事が悪夢だったのだと把握するまで、僅かに時間が掛かってしまった。

 ココは妻の居ない家。
 いや、元妻すら知らない家だ。

『悪夢を、見たんだ』
《まぁ、寝覚めが悪いのですね。そう言う時は甘いモノです、直ぐにお持ち致しますね》

『あぁ、すまない』

「どんな悪夢だったんですか」

『もう未練は無い筈が、元妻との、夢だ』
「あぁ、あの雑誌のせいですかね」

『確かに、かも知れないが』

 もう何ヶ月も前に読んだ話が、そっくりそのまま悪夢となった。

 もし、元妻が受け入れてくれていたなら。
 その事を僕は敢えて考えていなかったのだと、思い知らされた。

 あの雑誌に書かれていた通り、きっとダメになっていただろう。
 愛とは何かを知らず、自覚すらも無く、ただ不器用に傷付けてしまうばかりだっただろう。

 当然だ、アレは当然の報いだ。

「俺達は離れませんよ」

『良い所が1つも無いと言うのに、物好きが過ぎる』
「顔が良い」

『ならズタズタにされてしまえば、捨てられてしまうのだろう』
「そうして欲しいならそうします」

 庭師に寄り添われ、背を撫でられる事に、今はもう躊躇いは無い。

 いや、寧ろ必要とさえしている。
 彼らが居なくてはもう、僕は生きる事が苦痛だと分かる。

『いや、出来るなら愛されたい、大切に扱われたいが』
「後で口説いて差し上げますから」
《お待たせしました、おしるこですよ》

『どう、用意を』
《羊羹を溶いたんですよ、母の知恵です。さ、どうぞ、良い塩梅ですよ》

「朝の支度を終えてから悩んで下さい、それとも」
《大丈夫ですよ旦那様、きっと逆夢です、良い事が起きる前兆ですよ》

「例えば」

《それはほら、あ、ほら、赤ちゃんとか》

『そ、れは』
《まだ分かりませんけど、かも、って事ですよ。はい、ですから元気をお出し下さい》
「さっさと飲んで下さい、風呂で汗を流しましょう、このままだと風邪をひきますよ」

 きっと、何をしようとも、元妻とはこうなれなかっただろう。

 最初から。
 いや、出会う前から間違えていたのだ。

 そしてコレが、コレは、幸運に恵まれての事。

『ありがとう』

 正しい愛の姿を知る事も、教育されるべき事の1つだ。
 その基礎を知らずに夫婦となるなど、最初から無理が有ったのだと、今なら分かる。

 確かに祖父に教えられてはいたが、結局は学ぼうと思わなければ、身にはならない。

 もし子供が出来たなら。
 学び、理解して欲しいと思う。

 基礎と応用。
 正しい愛と、複雑な愛について。
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