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第26章 鳥と獣。

3 ウバメトリとヤゴメトリ。

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 私は、せめて、もう2度とこんな男に誰かが捕まらない様にと。
 そう耐えながら我が子を待つ、そうした事しか、出来ませんでした。

《あら、大きくて綺麗なワンちゃんね》
《すみません、何かの匂いに釣られたみたいで》

《ふふ、良いのよ、何が気になるのかしらね》

 まさか、我が子が亡くなっているだなんて。
 まさか、目と鼻の先に、ずっと居ただなんて。

 まさか、夫が関わっているだなんて。

《何か、動物でも埋めましたか》
《いえ、ウチの人は動物が苦手で、金魚も埋めた事は無いわ》

《そうですか、ならメシの匂いに釣られたのかもですね、すみませんでした》
《良いのよ、夫が居ない時なら、何時でも遊びに来て頂戴》

《はい、じゃあ、また》
《はい、またね》

 あの子が生きていたなら、今は9つ。
 それよりは大きい子だけれど、息子が帰って来たようで、嬉しかった。

『何だ、エラく上機嫌だな』

《いえ、特には。あの、お夕飯は》
『要らん、酒だ、この石女が』

《はい、ただいま》

 息子を愛おしく思ってくれている、だからこそ荒れ、離縁はしないのだと。
 私の都合の良い様に、解釈していただけでした。

 親に期待されぬ長男、故に下手に離縁が出来無かっただけ。
 まさか、単なる飯炊き女以下だったとは、腐ってもそう思いたく無かったのだと思います。

『何を見てる』

《いえ、そろそろ庭木の植え替えを》
『余計な事をするな!』

《すみません》
『あの子が帰って来たら、悲しむだろう、このままにさせてくれ』

《はい》

 まさか、目撃者が居ただなんて。
 この時は思ってもいませんでした。



《婆さん、はい》
《あら、可愛い鳥ね》

《貸すよ》
《いえ、ダメよ、あの人が嫌がるもの》

《大丈夫、俺が上手く言い包める、なら良いだろう?》

《けれど、ダメなら直ぐに引き下がって頂戴ね、お願い》
《勿論》

 男を言い包めるのは、簡単だった。
 庭に埋まっているモノの事を黙っていてやる、そう言うだけで、男は鳥を預かる事を呑んだ。

 内弁慶程、外面は良い。
 しかも、簡単に強い者には阿る。

 それが例え犬でも。

 こうした男程、危険を察知するのが上手い。
 所謂、世渡り上手だ。

《凄いわ、こんなに簡単に》
《息子さんが帰って来たら、きっと喜ぶだろう、そう言っただけだよ》

《そう、この子のお名前は?》
《ヤゴメドリ、滅多に鳴かないんで飼い易い、そこも良かったらしい》

《それは、種類よね?この子のお名前は?》

《ヤゴメドリ、だよ》
《そう、宜しくね、ヤゴメドリちゃん》

 一方だけが悪い。
 なんて事は、滅多に無い。

 何処かに一分でも、被害者には悪い所が有る。

 それは運であったり、知恵だったり、育ちだったり。
 その殆どは、自らではどうにも出来無い事。

 けれど、罪は罪。
 見抜けぬ罪、知らぬ罪、罪が全く無いとは言い切れない。

 だが救いは有る。
 如何に後悔し、何をするか。

 ただ嘆くのでは無く、この女は害獣を野に放つまいと、棘付きの手綱を握り続けた。
 子の為、世の為、他人の為に。

「お帰りなさい」
芦那アシナ、また女に会ってきたよ》

「あら、それは心配した方が良いのかしら」
《いや、苦労から可哀想な程に老け込んでしまって、俺には無理だよ》

「そう、良い人を見繕うのは、難しいのかしら」

《男は弱いんだよ、自分より下でないと、オチオチ発情も出来無い。あの苦労を受け止められる男は、そう居ないだろうな》
「なら、アナタは私を見下しているのかしら」

《言葉が抜けた、“並の”男は、だ》
「なら、並より上を探せば良いだけ、ね」

《どうだかな、アレはもう、男は要らないかも知れない》

 女には、男への情愛は欠片も無かった。
 ただただ、子を持つ母親、それだけ。

 だが、更に情が削れる事が起きたなら。
 事実を知ったなら。

「そんなに良い人なら、ウチの子の子守りに良さそうね」

《もう、出来たのか》
「もうだなんて、私の年にしてみれば」

《クソ、さっさと元気に育って産まれて来い、アシナは俺のだ早く返せ》
「ふふ、十月十日、暫く我慢して下さいね」



 真夜中、布団に夫の姿は無く。
 別の部屋では、何やらガタガタと。

 夫が寝酒でも探しているのかと、そう思い、静かに近付くと。

『ヒトゴロシ、ヒトゴロシ』

 夫が鳥籠を突いたせいか、その時に初めて、鳴き声を聞きました。

『五月蝿い、黙れ、お前に何が分かる』

 そう言って、夫は鳥籠を手に持つと。
 庭へ。

《アナタ》

『あぁ、起きたか。あんまり暴れるんで、夜風に当ててやろうと思ったんだが』
《すみません、直ぐに大人しくさせますから。さ、いらっしゃい》

 ヤゴメドリは、既に私に懐いてくれており。
 私が籠を持つと直ぐ、すっかり大人しくなりました。

『いつ、返すんだ』
《すみません、次にあの子が来た時に、必ず》

 この男は、ヤゴメドリを籠から出そうとしたのだろう。
 その位は流石に察しがついた。

 それ以来、出来るだけ遠ざけていた。

 けれど。

『逃げ出したらしいな』

 数日後。
 胸騒ぎがし真夜中に起きると、籠は空でした。

 ですが。

『ヒトゴロシ、ヒトゴロシ』

 ヤゴメドリは、珍しく夫が外に干していた着物の上に止まり、再び鳴きました。

 ヒトゴロシ、ヒトゴロシ、と。

《あぁ、さ、いらっしゃい》

 籠を近付けると、ヤゴメドリは籠へ戻りました。
 そして私は、ヒトゴロシ、その意味を理解してはおりませんでした。

『お前は一体、何を企んでるんだ』

《何の事か》
『庭の事も、何もかも、分かっているんだろう』

 その時、無表情な夫が酷く恐ろしくなり。
 私は、そのままヤゴメドリと共に、着のみ着のままで逃げ出しました。



「助かります、あの人ったら過保護で」
《良いんですよ、コチラこそ助けて頂いているんですから。お互い様、持ちつ持たれつ、ですよ》

 夫の弟が拾って来たのは、件の女性。
 私とはさして年が変わらないにも関わらず、私の母にすら見える程。

 それ程、苦労を。

「心細かったんです、本当に」
《大丈夫よ、少なくともお腹ではしっかり育てた私が居るんですから、大丈夫》

 良い子に育てられるだろうか。
 私に、親の支援も無しに、子が育てられるのだろうか。

 お腹に子が居ると分かった時、嬉しさと不安が同時に沸き起こり。
 素直に喜ぶまでに、幾ばくか時間を要してしまった。

 けれど彼女が居ると、何とかなるかも知れない、と。

「本当に、ありがとうございます」
《いえいえ、コチラこそ》



 夫が居ないだろう時間に、夫の世話の為にもと、家へと帰ったんです。

『今まで一体、何処に居たんだ』

 働きに出ている筈の夫が、家に居ました。
 たった数日離れただけで、家の中はすっかり滅茶苦茶に。

《そ、その》
『浮気かクソ女が!石女が!!』

 どうしてか、いつもなら謝るのですが。
 どうしてか、私は反抗してしまいました。

《何もせずに子が出来るワケが無いでしょう!!それになんですか!良い年の男が数日妻が居ないだけで》

 そこで、ふと気付いたんです。
 敢えて荒らした、暴れたのだろう、と。

『お前が』
《何でもかんでも私のせいにしないで下さい!!最後に子供を見たのはアナタでしょう!!》

 そう言い終えるかどうかで、夫から表情が消えました。
 そして私は初めて、殺される、と。

『もう、いい加減にするんだ、さっさと家に』
《人殺しっ》

 私は手当たり次第に物を投げ、逃げました。

 そして数日後、今度はお世話になっている家の方の知り合い。
 水無瀬 扇さん、と仰る方に付き添って頂き、家へと戻りました。

 そして玄関を入って直ぐ、夫と目が合いました。
 風呂にも入らず、ずっと待っていたらしく。

『浮気でも何でも、帰って来るなら、今なら許してやる』

 私は、もっと早くに捨てるべきだった、そう思いました。

 仕出しの器が玄関先に並び、何日も着た服も、脂で固まった髪も全て。
 彼は何も出来ぬ愚か者なのだと、そう示す証に溢れながらも、未だに虚勢を張り続けている。

《離縁、しましょう》

 そんなつもりは有りませんでした。

 ただ、今まで溜まっていたモノが、何かが口を開かせ。
 言葉を押し出した様で。

『お前と言う奴は、だから俺に浮気され、子も亡くしたんだ』

 無くした、でもなく。
 失くした、でもない口調でした。

 だから死んでしまったのだ、と。

《アナタ、なくしたって》
『ココまで出て来ないんだ、死んでいるに決まっているだろう。それこそ、ウチの庭にでも埋められているかも知れないんだ。帰って来い、その年と外見だ、どうせ次の貰い手も無いだろう』

 あの子の、ヤゴメドリの鳴き声の意味が。
 やっと、分かった気がしたんです。

 人殺しヒトゴロシ

《あ、アナタが》
『女のクセに受け取らなかったアレが悪い、そもそもお前もお前だ、子にかまけ俺の相手すらしなかった。お前が悪い、お前ら女が悪い』

 どの位、私の息が止まっていたのか分かりませんが。
 酷く長く感じました。

『このまま、帰りましょう』

 私は水無瀬さんに促され、そのまま家を出ました。
 それからどう戻ったか分かりませんが、もう、あの家に帰ってはいません。



『はい、確かに俺が付き添いました』

『ふむ、水無瀬君、夫殿は追い掛けては来なかったのかね』
『はい、まさしく内弁慶なのでしょうね。後ろに控えていた俺の弟の姿も見えたのか、玄関先で黙ったまま、でした』

 誘拐事件の数日前、男の腐乱死体が見付かった。

 発見が遅れた経緯としては、妻が家出中だった事。
 そして会社には妻が錯乱状態の為、暫く出社が難しい、との虚偽の説明が重なり。

 腐臭を放つまで、発見される事が無く。

 大学の助教授が夫と共に発見し、通報。
 そして関係先に事情聴取をしている最中。

《失礼します、緊急連絡です》

『申し訳無いんだが』
『はい、待ちますので、どうぞ』

『すまないね、直ぐに済ませるよ』

 こうして、誘拐事件の知らせを聞き。
 事情聴取も程々に、司法解剖の結果を待ちつつ、誘拐事件の聞き込みも兼ね周辺で事情を伺っていると。

『どうも』
『あぁ、川中島君、久し振りだね』

『はい、どうも、タレコミに来ました』

『それは、どれの事だろうか』
『乳児行方不明事件についてです』

 思わず、今回の件かと。

『ほう』
『あの誘拐された子の母親が、どうやら関わっているそうです』

 言葉の意味は分かった、分かってはいた。
 けれども。

『一体、何に』
『今回誘拐された子の母親が、腐乱死体が見付かった家の乳児行方不明事件に、関わっているかも知れないそうです』

 全く繋がっていなかった点と点が、見知らぬ線によって繋がり。
 正直、暫く頭が混乱したと言うか、整理が付くまでに時間が掛かってしまった。

 いや、寧ろもう、年なのかも知れない。

『少し、署に戻るよ』
『はい、では』

 そうして署に戻り、改めて調べ直すと、今回の母親の実家が近い事が分かり。
 以前の事件の調書には、一部の者の通学路だとの事から、今回の母親が通っていた学校にて情報を求める活動をしていた事が分かった。

 事情聴取以前なら、夫を亡くした女性を疑っただろう。
 けれども、彼女にはしっかりと裏取りがなされ、犯人では無いと分っていた。

 では何故、川中島君は関わりが有る、と言ったのか。
 そこでやっと、繋がりに思い至り。

 暫くの間、未亡人を警護する事となり。
 件の騒動へと、発展する事に。
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