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第23章 縁と作家と担当と。

チラシ裏の女。

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《おい、お前、あのチラシ裏の女に似てるな》

「あの、一体」
《面倒は御免だ、さっさと行くぞ》
《まぁ、恨まれる様な事をしたんだろう、御苦労なこった》

 稀に、たった1人が世を乱す事が有る。
 しかもそれは世を乱す為では無く、私怨怨恨逆恨み。

 たった1人を害する為だけに、たった1人が害を放つ。

《ちょっとアンタ、コレ、どう言う事だい》

 安売りのチラシの裏に、良く見慣れた顔が印刷され。

「えっ?」
《困るんだよ、逆恨みだか何だか知らないけど、こう言う事は本当に困るんだ》

 名前、住所、生年月日。
 それらは合っていなかったり、合っていたり。

「何故こんな」
《はぁ、面倒は本当に困るんだよ。申し訳無いけれど、もうウチには来ないでおくれ》

 本人に何の瑕疵も無い事で、職を失った女が1人。

「あの、コレなんですが」

《あぁ、アンタか、道理で見た事が有るワケだ》
「あの、コレ」
《何か、恨みでも買う様な事をしたのかね》

「いえ」

《なら、逆恨みだろう、気にしない事が1番だよ》
《そうそう、そのウチ皆が忘れるさ》

 気にするな。
 それは何もしたくない者の言い訳。

 気にするな、そう言う者からは去りなさい。

「あの」

《あぁ、アンタか、困るんだよ全く。何がしたいのかは分からないけれど、コッチを通してくれないと困るんだ、本当に困るんだよ》

 女は、何の事か分かりませんでしたが。
 このチラシ裏の事を頼んだのだろう、と思われている事に気が付きました。

「私が頼んだんじゃありません!コッチこそ迷惑しているんです!!」

《あぁ、いや》
「こんな事を頼んだのは誰なんですか!!」

《いやまぁ、落ち着いて、少し調べて来ますから》
「お願いします」

 印刷所の者は逃げ出す様に事務所へ向かうと、ヘラヘラと戻って来ました。

《いやぁ、何かの行き違いで、依頼書も何も無いんですよ》

「そんな」
《悪戯でしょう、気にしないのが1番ですよ》

「コッチは職を失ったんですよ!」
《いや、コッチもコッチで本来載せる筈だったモノの事で損失が出るんですし、今回はお互い様と言う事で》

「回収して下さい!」

《まぁ、仮に回収したと致しましょう。けれどね、もう噂は出回っているでしょう、もうどうしようも無い事だと思いますけれどね》

 女はへたり込む事も出来ませんでした。
 印刷所には男手ばかり。

 あのチラシの裏には、男を欲する文言が書かれていました。

 ココで折れてしまえば、敵の思う壺です。
 女は、駅舎へと飛び込みました。



《いや、実に田舎は陰湿だ》
『全く、警官ですらのんべんだらりと職務怠慢を行う、安穏な田舎では危機感なるモノが皆無過ぎるのでしょう』
「全く、これだから田舎者は困る」

 彼女の噂はすっかりアチコチへと流れ、チラシ裏の女の事を知らぬ者は稚児ばかり、となった頃。

 《件の犯人が捕まったぞー!》

 チラシ裏に女の事を載せた者は、やはり印刷所の者でした。
 近所でも噂の良い男が、大した容貌でも無い女に、横恋慕した事が原因でした。



『僕と付き合いさえすれば、きっと君は困る事は無いだろう』

「ありがとうございます」

 些細な事だった。
 冗談だろう、そう流した事がいけなかったらしい。

 のぼせ上がらず、気にも留めなかった事が、いけなかったらしい。

『だから困らせてやったんです、想いを告げてやったのに、コチラの事を少しも慮らないあの女が悪いんです』

 嫁選びに不自由しないだろう家柄、容姿。
 そんな男が何故、あんな女に、と。

《いやだね全く、肝心要は中身だろうに》
『これだから都会の人はイヤになるよ』
「全く、都会の人はこんな男が良いだなんて、本当に見る目が無いね」

 田舎では、都会で起きた事と噂され。
 都会では田舎で起きた事、と噂された実は、何処に有るのか。

 それは都会でも無く田舎でも無い、その狭間、合間での出来事でした。



「警官も印刷所も何もしてくれ無かったんです、どうか、この事を世に。お願いします」

 女は駅舎へ飛び込み、汽車へと飛び乗りました。
 そうして都会の小さな出版社に、駆け込みました。

《そんな事をしては、アナタの事が更に世に出回っ》
「構いません、同じ事が他で起きるより、私が一身に背負う方がマシです。どうせ大した顔でも無いんですから、油でも被って焼いちまえば良いんですよ」

 女は涙を堪えながら顔を真っ赤にし、吐き捨てました。

 方々に相談し、何とかしようとしました。
 けれども、誰も取り合わず、寧ろ苦言を呈するばかり。

 やれ大した事の無い顔だから、どうせ誰かの気を引きたかっただけだろう、目立ちたかっただけだろう。
 やれ酔った勢いで覚えていないだけだろう、恨まれる方が悪い、実は本当に飢えているんじゃなかろうかと。

《きっとアナタは何も悪い事をしていない筈だ、そうやって巻き込まれた方も沢山知っています、だからこそ公安へ》
「公安へも参ります、コレは念の為、本当に誰も動かなかった時の、最後の策です」

 良い人だ。
 そう思っていた者にまで、気にしないのが1番だ、そう言われた事が何よりも堪えました。

 一緒に回収するでも無く、苦情を言いに行くでも無く。
 ただただ、気にするな、と。



『僕の所に頭を下げに来たなら、一緒に回収してやって、挨拶回りも兼ねて頭を下げてやるつもりでした。僕のせいで嫉妬を招いたのだろう、これからは共に宜しく頼みます、と。なのにあの女は、誰の仕業かも分からなかった、そんな淫売ですから本当に襲わせるつもりでした』

 件の女性がコチラに来た事は、酷く正しい選択でした。

 気にしない。
 コレは危険に対して最もしてはならない事、危険を招き、無防備にも危険に晒されてしまう行為。

 全ての対策を講じた先で、最後の最後、自身と神仏に念じる事。

 なのに、何もせずに気にするな。
 などと。

「全くです、淫売には罰を、そう思うのも当然です」
『そうしっかりと罰を受けたなら、改めて手を差し伸べてやるつもりだったんですが、逃げ出されてしまいました。大方、最初から他所に男が居たんでしょう、僕の見る目が無かったんです』

《アレに、全く悪気は無いな》
『ええ、そうね』

 全ては、良かれと思いやった事。
 酷く害する気は欠片も無く、さも当たり前に当然の事を、寧ろ水を向けてやったんだと。

 稀に、こうした心無い者が産まれてしまう。

 その異質さは時に人を魅了し、崇拝すらさせてしまう事も有る。
 世に謂う、危険分子。

「はぁ」
『お疲れ様でした』

「全く、あの頭の螺子の入り方、相変わらずさっぱり分かりません」
『でしょうね』

「アレ、どうするんです?」
『名誉毀損、公序良俗。危ない品物は他にも有りますし、一緒に処理しましょう』



 公安が犯人を突き止めた数日後、移送の際に線路の周辺で爆発事故が起こり、不運にも犯人は爆発物の破片で致命傷を負い。
 死亡。

 その綺麗だった顔は無惨にも血みどろとなり、チラシ裏の女の噂は鳴りを潜めた。

《どうやら、逆恨み先へ酷く返ったらしい》
「何でも噂をするだけでも、顔に傷が付くんだとか」
『勘弁して欲しいね、これ以上見れない顔になっちゃ困る』

《可哀想に、未だに全てのチラシは回収されていないのでしょう》
『ダメよ奥さん、噂もせずにひっそりと件のチラシを焼かないと、子の顔に傷が付くって噂よ』
「だとしてもイヤじゃない、気味が悪いチラシを刷らせて気付かない、だなんて」

 都会でも田舎でも、今度は其々に噂が広まった。
 けれども、ある種の一貫性が有った。

 気味の悪いチラシは交番へ届けるか、燃やすか。
 決してチラシを家に置き続けてはいけない、件のチラシの女が、家族の顔を傷付けに来るのだからと。



「わぁ、ダムになったんですね、件のチラシの町」
『丁度良い場所ですからね』
《景色も、この方が良いだろうな》

『そうね』

 とある場所には、流れ者を飼う場所が有る。

 まるで養蚕の様に、人の手無くしては生きられぬ者を世話し、次代へと繋ぐ場。
 そこには良い品が溢れ、見目の良い者ばかりが揃い、訪れた者をマヨイガではと思わせる。

 その言の一部は確かに正しい。

 迷い蛾。
 良い絹糸の生産には、一代交雑種が無くてはならない。

 そう外から迷い込む血は、双方へと利益をも誑す。

 けれども、蚕は人の手無しには生きられない。
 餌を選ぶ事も出来ず、まともに移動する事も叶わないのだから。

「少し遠くで、矢鱈に綺麗な顔の蚕が、良い見世物になっているそうですね」
『お蚕様は、どれも可愛い顔よ、達磨もね』



 会長と奥様は、少し不思議なご縁だ、とはお伺いしていたんですけど。

「そんなに大変な事が」
「まぁ、もう随分と前の事で、チラシも大した数では無かったし。もう、生家は水底だもの」

「それでも、複雑なご心境だったかと」
「そうね、腹立たしいったら無かったけれど、お国がしっかり動いてくれたお陰よ」

《ですが、未だに都市伝説として残っている事には》
「いいえ、寧ろ残り続けて欲しいわ。もっと大きな場所で大勢に見られていたなら、私は本当に、汽車に飛び込んでいた筈だもの」

 印刷業界では、今でも特に根強く残っている噂で。

 決して印刷の確認を1人に任せてはいけない、もし怠れば、チラシの裏には見覚えの無い案件が載る事になり。
 一族郎党、顔が血みどろに引き裂かれる事になるだろう、と。

《顔に傷が付く、そこにも2つの意味が有りますしね》
「間違えて刷る事は実際にも有りますし、得が無い事は間違い無いですからね」
「そうそう、ふふふ」

 こんなにも噂とは場所によって変わるものなのか、便利だなと、ふと実家での事を思い出しました。

 このチラシは件の女のチラシだから処分する、アナタは見てはいけないよ。
 子供に見せれば大騒ぎをするだろう、そんなチラシを伏せておく良い言い訳にも、噂は使われているんですから。
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