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第17章 物語と記者。

1 蜘蛛の夢。

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 先日載ってらっしゃった、毒蛾の夢についてです。
 実は僕も、同じ様な商人、似て非なる事を経験致しました。

 僕は、顔の良い方で、その事で酷く苦労していたんです。

《私を、好いているって言って頂戴》

 最初は、女教師でした。

 子供の頃の僕は、酷い不真面目で。
 宿題を適当にする事も良く有り、その当時は居残りをさせられていました。

 そして。

「イヤです!」

 何とか女教師から逃げ出し、走って家まで逃げました。
 そして母親に縋ろうとした時、僕は、母に触れる事が出来なくなっていました。

「ちょっとアンタ、どうしたって言うんだい」
「ぼ、僕、先生に」

 今なら、それなりに新聞にも載っていますが。
 当時は、男が襲われるだなんて有り得ない、そう思われている時代で。

「全く、宿題をやらないからだよ」
「違う、本当に、先生が」

「はいはい、それで逃げ出して鞄も何も持って来なかったのね。明日には謝りに行ってあげるから、アンタもちゃんと謝んなさい」
「イヤだ、行きたくない」

「またそんな事を言って、なら農作業の手伝いをさせるよ」
「する!するから、もう学校は嫌だ」

 母は当時、僕の様子がおかしいとは察していたそうですが。
 大の大人が、しかも既婚者の女が、子供の男を襲うだなんて有り得ない。

 そう本気で思っており、それが当たり前だからと。
 単に、女教師が酷く怖くなって逃げ出しただけだろう、そう思っていたそうです。



「なぁ、アンタ、本当に」
「もう、言いたくない」

 僕は学校に行かないで済むなら、あんな怖い思いをするならと。
 必死に、真面目に農作業をしました。

 そうやって体を動かしていれば、何とか幾ばくか忘れられた事も大きいです。

 その時まで、母の体を奇妙だとは思っていませんでしたが。
 もう既に、当時は女性の体が奇妙で怖く、一緒に風呂には入れなくなっており。

 近付く事も、出来なくなっていたのです。



『来なさい』

 そして幾ばくか過ぎた頃。
 出稼ぎから帰って来た父に呼び出され、僕はどうせ信じて貰えないだろうと思いながらも、本当の事を話しました。

 ですが、父は信じてくれました。
 丁度その時、御社から出た本に、実際にも有った出来事として載っていたそうで。

「本当に」
『不真面目だったお前が農作業を真面目にして、甘えん坊だったお前が母さんにも甘えない。なら、そう言う事なのだろう』

 僕は大泣きしました。
 ずっと、ずっと苦しかったんです。

 大好きな母に近付けもしない。
 大好きな母に信じて貰えない。

 それが本当に、とても辛くて。

 けれどもどうしようも無くて。
 とてもとても、ずっと、辛かったんです。



「ごめんよ、まさかそんな事が本当に有るだなんて」
「ううん、僕は、不真面目だったし。僕も、ごめんなさい」

「良いのよ」
「ひっ」

 和解は出来ました。
 けれど、僕は相変わらず、母が怖かった。

 今思えば分かるのですが、似た年頃だったので、それが特にダメだったのだと思います。

 それからも、相変わらず辛い日々が続きました。
 母は信じなかった事を後悔し、僕は母に未だに甘えられない事を後悔し。

 そうして何ヶ月か過ぎた頃、僕は家を出ました。

 父の伝手で、僧院に入る事になったのです。
 男ばかりの僧院ですから、僕は安心しました。

 ですが子供だったものですし、父もまさかと思ったそうです。

 まさか、今度はそこで男に襲われるとは。
 僕も、そう思っていましたから。

『お前にも、何か隙が、悪い所が有ったんじゃないのか』

 僕は、絶望しました。
 ただ他と同じ様にしていただけの筈が。

 何も悪い事をしていないのに、責められた。

 また、僕は逃げ出しました。
 泣きながら、どうやって死のうか考えました。

 もう、それしか考えられませんでした。



『いらっしゃい、他の僧にでも虐められたか』

 その声は男か女か分からない声で、容姿も、どちらか分からない容姿でした。

「うん」

『気晴らしに見ていきな、何が気になる』

「コレは何?」
『あぁ、生き達磨だったモノだよ、骨も内臓も抜いてあるから縮んでコレだ』

「何に使うんです?」
『憎い男に渡すんだ、そうして暫くすると女と致せなくなる』

 僕は欲しくなると同時に、諦めました。

「なら、男とは出来るんですね」

『あぁ、そう言う事か、ならコレだ』

 その商人が差し出したのは、瓶に入った大きな蜘蛛でした。
 あまりに大きいので、瓶の口からは出せそうも無い程、大きな蜘蛛でした。

「どうやって出してやるんですか?」
『ふふふ、良い子なのにね、可哀想に。お前さんの好きにしな』

「でも、僕」
『この世には出世払いってのが有るんだ、ただね、他所様の場合だと高く付く事になるけれど。コレも運、お前さんには等価の出世払いにしといてやる。なに、いつか大きくなったらで良いって事だよ』

「大きくなったら、またココに来れば良いですか?」
『あぁ、そうだね、払える様になったら。おいで』

 僕はまだまだ子供で、しかも田舎では誰にでも親切にされていたので。
 全く、何も疑う事も無く、その瓶を持ち帰りました。

 けれど、途中で気が付いたんです。

 あの僧も、父も居るのだと。
 僕は足を止め、蜘蛛が怪我をしない様にと瓶を割り、藪に逃がしました。

 そうして近くの川に行き、そのまま川に入りました。

 ですが苦しくて、直ぐに泳いでしまいました。
 なので力尽きるまで泳ぐ事に、川を下りました。

 疲れた、苦しい。
 けれどもう、逃げる場所も無い。

 どんどんと水を飲んで、僕はいつしか気を失いました。



『あぁ、起きたかい』

 お婆さんなのかお爺さんなのか、良く分からない、皺々の老人が目の前に居ました。
 なので僕はつい、やっと、極楽浄土に行けたのかと。

「すみません、三途の渡し賃を持っていなくて」

『ふっふっふっ、アンタ、そんなに若いのに死のうとしてたのかい。残念だけれど、ココはまだ現世だ、アンタにはまだやる事が有るって事だね』

 僕は、大泣きしました。
 まだ、何かやらなければならない事が有るのか、と。

 こんな、地獄の様な場所で。
 何処にも、誰も味方が居ない場所で。

「いやだぁ」

 悔しくて怖くて、もう嫌で嫌で堪らなかった。
 あんなに苦しい思いをしたのに、どうして死ねなかったんだと。

 僕は泣きながら怒り、畳を殴り続けました。

『坊主、坊主はまだ若い、だから幾らでもやり直せる。仕返しだって何だって簡単だろう、なんせ体力も有るんだ、まだまだ幾らでも出来る事が有るんだよ。手伝ってやるから、もう少しだけ、やれる事をやってみるんだよ。アンタと同じ子を、出さない様に』

 復讐は何も生まない。
 仕返しをしてはならない、許しなさい。

 それらとは全て反対の事を、老人は僕に話しました。
 そして僕は、生きる事にし、暫くして違う寺に戻りました。



「宜しくお願い致します」

 老人が言っていた通り、僕は何も尋ねられる事無く、受け入れられました。

 もう既に噂は広まっており。
 寺としては、受け入れるしか無かったからです。

 そうして僕は、恩人への恩返しだとして。
 週に1回、老人の家に教えを請いに行きました。

『体も鍛えなさい』
「はい」

 学も付け、体を鍛え、道理を学びなさい。

 老人は僕に何か有ったのかを、尋ねはしませんでした。
 けれども決して僕には近付かず、避けもせず、良く話をしてくれました。

 子供ながらに、きっと自分と似た様な事を経験したのだろう。
 僕はそう思いました。

 その老人の顔には、幾ばくか酷い傷が有ったからです。
 きっと、顔を潰そうとしたのだろう、と。

 ですが、僕も尋ねませんでした。
 僕も、未だにそうした事を尋ねられるのは、あまり良い気はしませんから。



『泣くな泣くな、コレは寿命、老衰と言うんだよ。やっとだ、やっと、お迎えに来て貰えた。きっと坊主のお陰だろうね、ありがとう、しっかりやるんだよ。はぁ、疲れた、疲れたよ』

 その後に分かった事ですが、彼は、詐欺師でした。
 女も男も騙していた、指名手配犯でした。

 そう知ったのは、彼が残していた手帳から。
 処分してしまえば良かったのに、敢えて彼は残していた。

 長い知り合いですし、僕は許してしまいました。

 そして、その日記のせいでも有ると思います。
 細かい字でびっしりと書かれた、分厚い日記を、僕は全て書き写し。

 大学へと、匿名で贈らせて頂きました。

 きっと、当時でも良く調べれば、僕の事も分かっただろうとは思います。
 けれどその大学の教授は、それらを本にし、出してくれました。

 そこでやっと、僕は彼の供養を終えられたと、そう思いました。

 そして、コレで少しは、世がマシになるのではと。
 けれど、大して良くはなりませんでした。

 だからこそ、消えていた筈の炎をが、また強さを増していきました。



《お願い、一緒になって》

 僕はもう、全てが虫だと思う様になっていました。
 偶に益虫は居ても、殆どが害虫。

 それも随分と偏った見方だと、今なら分かるのですが。
 世に生きる以上、そう思う他に無かったのです。

「僕は御仏に仕える身です、どうかご理解下さい。お布施が無くては、生きてはいかれませんので」

 根腐れを起こした、どうしようも無い花であるにも関わらず、虫は寄って来る。
 雄も雌も関係無く、見目が良いからと、僕の気も知らずに。

 相反する教えを持ち続け。
 また、僕は死にたくなりました。

 来世こそ、償いをしますから。
 どうか穏やかに死なせて下さい。

 ですが、それが無理な事で有るとも、考えていました。

 僕は至って健康で。
 偶に来る両親からの手紙でも、血筋からして健康であると分かっていたからです。

 ですから、僕は病気を貰う事にしました。
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