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第2章 医師と絵師。

5 無職と絵師。

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『それで、少し問題に巻き込まれたんだろ』

《漏らさない、と誓って下さいますか》
『漏らさない』

《その元婚約者の母親に呪われていたらしいんですけど》
『何でだ?』

《私の息子をフるだなんて、だそうで》

『はぁ』

《幸いにも、私には何の被害も無く、寧ろ周りに被害が出た。巷で噂の厄女は、私なんです》
『俺は新聞を見ないしラヂオも付けない』

《あぁ、お偉いさんが私の勤務時間中に運ばれ、立て続けに亡くなったんです》
『良く有る事だろ、偶に不運が重なる場面に遭遇する事なんて』

《まぁ、そうですね》

『次も来てくれるか』

《まだ絵のモデルが必要ですか》

 正直、随分と目に焼き付けたんで十分には十分だ。
 ただ、落とせたワケじゃない、コレは単にヤれただけ。

『だな』
《分かりました、ですが仕事をしておりますので、日時を指定頂いても添えるとは限りませんが》

『来たい時に来れば良い』

《閉め出されたままでは困るんですが》
『あぁ、なら電話をくれたら準備しておく』

《分かりました》

『風呂の用意をさせるが』
《いえ、このままで結構です、どうせ家に帰るだけですから》

『そそる申し出だな、もう1回させろ』



 憧れの人は、思ったよりも年下だった。
 せめて私と似た年なのか、と。

 通りで幽霊画に生気が宿っているワケよね。

《はぁ、コッチの年を考えて下さい》

 もう1回の後に、こうして風呂に一緒に入ってもう1回だなんて。
 流石に体力が。

『幾つなんだ?』

《幾つに見えます?》
『28』

《ありがとうございます、33です。厄年と言えば19、33、37と61。男より1回厄が多いんですよ》
『あぁ、そうなのか』

 新聞も見ない、ラヂオも付けない。
 にしても随分と物知らず。

 こうして才の有る方って、大概なのかしら。

《では、もう上がらせて貰いますね》

『俺の年が気にならないのか』
《私よりは下でしょう》

 どうせ、飽きたら終わりなんでしょうし。
 何を知ったとて、無駄でしょう。



『意外とアンタは飽きないな』

《そうですか》

 かれこれ3ヶ月。
 会長に怒られずに、飽きもせずに抱いてるんだが。

 落とせたかと尋ねられると、それはまだだ。
 最中は何でも言う女なのに、終わると途端に素っ気無くなる。

 何の約束もしないし、何も強請らない。
 日時の事以外なら、大抵の言う事は聞くし、聞けば答える。

 ただ、俺には何にも尋ねない。

『コレがアンタの手練手管か?』

《ではコレがアナタの手練手管なのね》

『はぐらかすのが巧いな』
《コレでも医者ですから》

『医者は正直に言うもんじゃないのか?』

《アナタは1年も生きられません、私はそう正直には言いませんよ。生きる気力を無くされると、もっと寿命が縮みますから》
『ならはぐらかすのも嘘もお手の物か』

《そうかも知れませんね》

 全く手に入った気がしない。
 今までの女なら、散々ベタベタした後に我儘を言い出すか、根掘り葉掘り尋ねて来るか。

 枯れてるからか。

 いや、生気は有るんだが。
 半分は諦めか。

『アンタの夢は?』

《叶ったので特には無いですね》
『結婚はアンタの夢には入って無いんだな』

《そんな年でも無いですから》

 ほらコレだ。
 俺に全く興味が無い、だから俺はどうなんだ、とは決して尋ねない。

 面白く無い。

『暫く忙しい、相手が出来無い』

《そうですか、では失礼しますね》
『今からじゃない、暫くしたらだ、ヤり溜める』



「あ、女医先生お久し振りです、相変わらずお忙しいですかね?」

《あら、林檎君、すっかり忘れられてたと思ってたわ》
「いえいえ、会長から連絡が来るまでは待っていなさいと言われたんですよ、3ヶ月」

《あぁ、そうなのね》
「本は受け取って頂けてましたから大丈夫だとは思うんですが、その後はどうですか?」

《そうね、少し、けれど問題無いから大丈夫よ》
「そうですか、良かった」

 結局、情報は漏れた。
 林檎君の雑誌社からではなく、他の社から私の事が流れ、私は病院を辞める事に。

 それだけでは収まらず、女子医科大や、看護師連盟まで大騒ぎを始めた。
 女性蔑視だ、女性差別だ、騒動を起こしたワケでも無い被害者が辞めさせられるとはどう言う事だと。

 私は松書房の会長に手出すけ頂いて、騒動が起きる前に夜逃げをしていたので被害は何も無いのだけれど、大家さんにはお礼状と粗品を送らせて頂いた。

 そして、件の刑事さんが謝りに来て下さった。
 どうやら向こうの関係者から漏れた、と。

 どうせいつか漏れる事。
 どうせいつか、誰かが同じ目に遭った筈。

 けれど幸いな事に林檎君と、その会長にも手助けを頂いた。
 それに気晴らしも。

《働き詰めだったから丁度良かったのよ、今度は地方でゆっくり働くわ》

「都会も都会で、良い所は有るんですけどね」
《そうね、林檎君に出会えたのだもの。ありがとう》

「いえ、ではまた」
《ええ、また》



 結局、会長の予想通り、女医先生の情報が洩れてしまった。
 勿論ウチからでは無い、ウチは一切触れなかった、何処がどう書こうとも。

 噂では、警察に出入りしていた掃除婦が耳にしたタレコミが元だとか、警官が話しているのを耳にしただとか。

 けれど、騒動が最も大きくなった時、真相が明かされた。
 加害者側の関係者、女医先生の元婚約者の妻がタレコミ先だ、と。

 警察に非難を浴びせていた者達は、一斉に手のひら返し。
 加害者側のタレコミを堂々と載せた社は、警察へ永久に出入り禁止。

 そして他社の情報を暴いた社は売り上げを伸ばし、警察からの信用も得た。

 まぁ、多分、件の刑事さんが他社にタレコんでくれたんじゃないかと思うんですが。
 もしかすれば、警察の上が指揮を執ったのか、とか。

 まぁ、女医先生の事が落ち着けば何でも良いんですよ。

 だって、真実って極一部の者にしか知れない、分からないじゃないですか。
 女医先生が酷い女だって、何も知らない看護師が言う事を鵜呑みにして書き立てて、それは真実と言えば真実。

 その看護師から見れば、本当に酷い女に見えていたのかも知れない、となれば真実ではある。

「先生ー、松書房の林檎でーす、お邪魔しますねー」

 だからこそ僕は、虚構と真実の合間、不思議空間で今日も生きていく。
 それが現世、幽世との狭間の三途の川の、現世側。

『あぁ、林檎君か、出来てるよ』

「おぉ、コレはまた怨嗟がたんまり籠ってらっしゃる」

 先生は結局、幽霊画は女医で、緊縛絵としては初の男を描いた。
 それが好評なので、未だに連載が続いている、しかも共作で。

 そう、今回の騒動で憤った他の先生方が、病院を舞台にアレコレと描いたのだ。
 なので急遽企画を変更し、病院と男の悪しき因習をぶっ叩く流れとなり、女性の購買者が増えた。

 被害者が仕事先を辞めさせられる。
 これは本当にあってはならない、もしそれが会社なら、社員を守らない会社なんて潰れるべきだ。

 けれど今回は病院。

 件の病院は現在、女性看護師の不足で業務を縮小中、近々女子医大だか女子医科附属になる予定らしい。
 働く場所によっては女性の方が強いのに、たった1人を辞めさせる程度なら大丈夫だろう、そう甘く考えてしまったのだろう。

 女医先生は真面目で、愚痴も言わないで働いていたのに、と。
 女医先生を遠巻きにし、時に揶揄っていた看護師達すら、味方に回っていたのは少し気色が悪いけれど。

 まぁ、良い方向へ行くのなら、綺麗事も呑むべきですし。

『アレは、どうしてる』

「あ、女医先生ですか?」
『おう』

 会長も誰も何も言わないですけど、多分、良い仲なんですよね。
 会って直ぐ、男性医者なのか看護師なのか分からない相手を緊縛し、辱しめた絵に急遽差し替えると言い出したんですから。

「近々地方に行かれるそうです」

『は?』
「まぁ、女医先生ともなれば少ないですし、この時期の転職だと渦中者だとバレてしまいますから」

『何で転職なんだよ』

「辞めさせられてしまった事、ご存知無いんですか?」

 新聞を読まない方ですけど、女医先生から。

『聞いて無い』
「あ、そうなんですね」

 飽きられるだろう事を見越してか、先生の糧になればと敢えて身を引こうとしてらっしゃるのか。
 所謂、良い女、なんですけどね。

 すっかり元婚約者のせいで、男性にすっかり冷めてしまってらっしゃるんでしょうか。
 だとしても、良い方に出会えると良いんですけど。

『連絡先は』

「先生、聞いてどうするんですか?」

『それは』
「幾ら女医先生が許可したとは言っても、お相手は妙齢の女性、本気で遊ぶ程度なら止めて下さい。彼女は仕事先も辞めさせられ、取材陣から追い立てられ引っ越した、元婚約者の母親に騒動に巻き込まれた被害者なんです。彼女の事を考えて行動して下さい」

 他の社であれば、もしかしたら作家先生の糧になるから、と黙って見過ごすかも知れませんが。

 人の不幸を土台にした作品は、掲載しない。
 そうした会長の理念から、少なくとも月刊怪奇実話では許されない事。

 恨まれて何かされたら本末転倒ですしね。
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